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君と始める異世界黙示録  作者: 樹希柳唯
第一章 終末の異世界
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第一章 02.『逃げ延びて逃げ帰って』



 ――イマスグハシレッ!



 この声とも音とも取れるものの主が誰なのか、何なのかはわからない。

 ただ言えることは、この声のようなものはすでに一度、大和やまと かなめの命を救っているということだ。そしてそれだけわかっていれば十分だ。

 なぜなら今すべきことはたった一つで、それは後ろの猛獣に追いつかれないことだからだ。


 だが追いつかれないようにといってもどうしたらいいのか。

 見たというにはあまりにも短い時間だったにもかかわらず、アレがただの獣なんかじゃないということだけはわかった。生身の人間がどうこうできるような、そんな生易しい類のものではない存在、言うなれば正真正銘のバケモノだ。


 あんなものから逃げおおせる方法など思いつかない。

 この得体の知れない声を信じる以外には。だから――、



 「ハァ、ハァ! クッ! ッハァ!」


 必死に走る。振り向かずに走る。何かを考えるよりも先に走る。


 ぶつかる。指が折れる。走る。

 転ぶ。歯が折れる。走る。

 またぶつかる。左目が熱い。それでも走る。


 走って、走って、ただひたすらに暗闇の中を走る。

 文字通り捨て身で走っていく。


 きっと、この先を考えなければならないほどの怪我を負っているだろう。それでも走ることを、逃げることを止めるわけには行かない。



 ――走れ走れ走れ走れ走れぇ!!



 本能でわかる。逃げることに全力を尽くさねば、少しでも足を止めてしまえば、あのバケモノに殺される。


 今までこれほど必死になったことはないと思えるくらい全力で走る。


 「――がっ!」


 転げ落ちる。

 脚が熱い。

 こんな時にも役に立たない情けない自分の足を見て――、



 「嘘、だろ……」


 ――やばい! やばい! やばい! やばい! やばい! やばい! やばい!


 右足のふくらはぎに鋭く深い切り傷がある。これじゃ走れない。熱い。それどころじゃないのに。止まるわけには行かないのに。バケモノがすぐそこまできている。早く立たなければ、立って走らなければ、そうじゃなきゃ――いや、待て?


 「見える?」


 脚は酷い状態で片目も開かない。けど、見える。


 「霧から抜けた!」


 最後、恐らくだがバケモノからの一撃でぶっ飛ばされ、斜面を転げ落ちた。

 暗闇だったし、転げ落ちていて右も左もわからなかったが、斜面はかなり急だったように思う。

 

 獣の足音から多分四足歩行。それなら斜面は苦手なはず。不確定で曖昧な情報ばかりだが、多少は時間を稼げると信じて行動する。でなければ今にも絶望で頭が真っ白になってしまいそうだったから。


 ――この足で走るのは無理だ。


 近くを見渡して支えになりそうなものを探す。


 「くそ!」


 残念なことに、そう都合よく支えになりそうなものが落ちているなんてことはなかった。

 手の届く範囲にあるのは、食ったら死にそうな真っ黒な光を放つ、ツバの赤いキノコだけだ。


 この足でどこまで行けるか分からないが、一応少し遠くも見てみる。



 「――!?」


 八十メートルほど先、遠目で正確なところはわからないが、四メートルは超えているだろう木の塀に囲まれた村のようなものが見える。


 だが彼の目に止まったのはそれではない。


 その塀より倍は高いと思われる矢倉。五人以上は入れそうなその広い矢倉に大弓を構えた屈強な男が立っているではないか。


 筋骨隆々で二メートルはありそうな長身。腰巻きだけでその他は何も身につけていない。隠すものがない黒く焼けた肌には、何かの染料で描かれた奇妙な模様がある。


 どう見ても日本人ではないし、文化人には見えなかった。

 だが、そんな事はどうでもいい。


 恥も外聞もない。ありったけの力を込めて叫んだ。



 「獣に襲われてっ! 助けてくださいっ!!」


 それの声が届いたのか、見張りと思われる男は血相を変えて、



 「穢レだぁぁぁあああああ!!」



 悲鳴のような叫び声を上げたかと思うと、構えている弓を放り投げ、矢倉から飛び降りて見えなくなってしまった。


 「……え?、あの、助けて、くださいって……」


 ――もしかして……見捨てられたのか?


 何が起きたのか理解できなかったし、したくなかった。

 でも、弓を捨てた去り際の悲鳴はとても助けに来てくれるヒーローのものとは程遠かった。


 ――どうする?


 騒ぎを聞いた誰かが助けてくれるのを待つ?

 無理だ。相手はあの屈強な男が逃げ出すようなバケモノ、走る事もできないただの高校生以下の俺に何ができる。


 「親孝行。何もできなかったな……」


 孤児だった俺に名前をくれた人。

 引き取って、育てて、生き方を、愛を、そのほかにもたくさんの大切なことを教えてくれた人。


 恩返ししたかった。

 認められたかった。

 でも、それは叶いそうにない……




 『どんな時も希望を信じること』




 何でまた思い出すんだろうか。このどうしようもない時に。

 

 いや、どうしようもないのは馬鹿な自分自身だ。

 

 さっき誓ったばかりじゃないか。希望を信じると。諦めないと。

 

「まだだろ……ッ!」


 まだ何か、出来ることがあるはずだ。

 僅かでもいい。状況を打開できる方法がないか回りの悪い頭に必死にムチを打つ。


 「クッソ、何かないのかよ……!」



 大和やまと かなめは何の取り柄もないただの高校生だ。


 運動部でもなければ、ごく稀にいる運動神経がやたらと良い帰宅部なんてこともない。

 こんな経験はもちろんしたことがないし、見捨てられたかも知れない状況で「今はそんなことでショックを受けている暇はない」と一蹴できるほど機械的でもない。


 元々大して開いていない距離。切れ者が考えるにしたって時間は足りない。

 打ちひしがれている何の変哲もない一学生に何ができるわけもなく――、



 「"グルルゥゥゥゥッゥ"」



 真後ろ。どのくらいの距離かわからないがすぐ近く。

 僅かな希望に縋って後ろを振り向く。


 赤く光る二つの目。

 ズラリと並んだ鋭い牙。

 五メートルはあるだろう体躯。

 SNSでも動画でも見たことない……狛猿とでも言えばいいのか、四足歩行の狛犬と猿が混ざったような、圧倒的な暴力の化身が大口を開いて迫っていた。



 「うわぁぁぁああああ」


 恐怖が身体を動かすままに咄嗟に手に掴んだ何かを投げる。

 幸運にも狛猿の鼻先ど真ん中に当たったそれは、ガスに引火でもしたかのように黒い炎を上げて爆散した。


 「"グゥガァァァアアッ!!"」


 ――なんだ!? 何が起きた!?

 

 どうにか出来るなんて期待したわけじゃなかった。でも黒光りしたキノコのおかげで、目の前のバケモノは悶えている。



 ――このチャンスを無駄にするわけにはいかない!



 「うっ! ぐっ!」


 千切れそうな右足を引きずって、這いずってでも塀に近づく。

 助けが来るかどうかなんてわからない。でも、わずかな可能性でもあるなら、それに賭けないでどうして希望を信じてるなどと言えようか。


 ――塀までの距離はまだ八十メートルはある。


 「"グ……グゥゥ"」


 でも諦めない


 「"グルル"」


 最期の瞬間なんて分からなくていい。ノイズも痛みも恐怖も、その全部を無視して、ただ、信じ続けて、




 ――ヒダリニトベ!




 またも聞こえた声に何も考えずに反射的に従う。

 苦しいだとか辛いだとか言ってる暇もなく残る力を振り絞るようにして全力で左に飛んだ。


 「……うっ、ぐぁっ、何がどうな――!?」


 音と衝撃に揺らされる視界を何とか整え半ばやっとの思いで辺りを見やれば、目に映った光景に言葉を忘れる。


 さっきまでかなめがいた地面。

 そこに歯車のような形をした肉片が散らばっている。

 狛猿のようなバケモノは木っ端みじんに吹き飛び、原型はもうわからない。


 そんな小隕石でも落ちたのかというようなクレーターの中心には、一本の大槍が刺さっていた。


 「助かった……?」


 でも、あのノイズの声がなかったら俺はどうなった?

 そもそもこの槍はどっちを狙った?


 「あの状況で避けただと!?」

 「不味いです! 攻撃を回避する穢レなんて聞いたことないっ!」

 「――?」


 いつの間にか矢倉にも、門の前にも人が集まってきている。


 ――何言ってるんだ? それじゃあまるで、このバケモノじゃなくて俺を狙ってたみたいじゃないか。

 

 「ハルフリート、お前は私と残れ。ユーファは皆と王都に避難しろ」

 「ダメですっ! 我々のようなハグレ者の居場所はあなたがいる場所です! 皆あなたと最期を共にする覚悟です!」

 「言い争っている暇はないっ! 俺とソーンが残る! それ以外じゃ足止めにもならない!」

 「ユーファ。この首飾りを渡す。これを見せれば賢者に会えるはずだ。このことを陛下と賢者に知らせて――!?」


 ――穢レ? 何かと間違われてるのか?


 「折角生き残ったのに、間違えましたで殺されるなんて冗談じゃないっ……!」


 ――でもこの怪我でどこに向かう? 


 判断は一瞬だった。

 千切れかけの足を引きずり暗闇の支配する森を目指す。


 救いと思われた村からよそ者を追い出すように石を投げられた以上、村に向かう選択肢にはない。

 もっとも、石を投げ得られたなんて可愛いものではなく、小隕石級の鉄塊だったが。

 

 ――あの森しかない。


 少しでもいい。あの森に入ってしまいさえすれば黒煙のような暗闇で多少でも時間が稼げるはずだ。そこから止血して、夜になったら村に忍び込んで手当てする。


 こんな深手を止血できるのか?

 塀を越えて村に忍び込めるのか?

 村人に見つからないことなんてできるのか?

 村には手当てできるようなものはあるのか?

 そもそも夜まで生きていられるのか?


 諸々の懸念はある。それでも、今できることはあのバケモノが死んだことで森の脅威が僅かばかりでも下がっていることを願って、血の流れなくなった脚を引きずることだけだった。


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