第一章 幕間.『奇跡の導』
「はぁーあ、アタシも王都行きたかったなぁー」
その場に男がいれば、王都を口実に声の主を口説いたであろう媚びるような甘ったるい声。
妖艶――そんな表現が相応しい魔性を宿す女の声は長閑な草原に響く轟音にかき消される。
「いつになく力強い魔術だな」
轟音をかき分けて届いたのは背筋が正されるような芯のある声。しかし女はその声の主に言葉を返す代わりに、むすっとした膨れ面を返すばかりだった。
「すまないが、村の防衛からユーファを外すことは難しい。魔族のこともあるしな」
その言葉を発した黄玉色の瞳の獣人は、すまなそうに眉を落としていた。
「フリートが残って、アタシとソーンが王都に行けばよかったのよ」
誰かが王都に行くたびに繰り返されるいつものやり取り。それがゆえに反射的に反論してしまうのは許してほしい。
「ハルとユーファでは役割が違いすぎる。どんなに無理をしても漏れが出てしまうからな」
愚痴が変わらなければそれに対する答えもまた変わらない。ユーファレッタが割を食う理由が、これまたいつも通りに並べられた。
接近戦が主体なソーンとハルフリート。対応力、殲滅力、そのどちらにおいても優位な魔術師であるユーファレッタ。そもそもが比べる土壌にない。そんなことはユーファレッタも当然理解している。
だがユーファレッタだって思うところがある。
ハルフリートだけでも防衛戦力としては問題ないはずだと。
何にせかの元王国騎士団長は用兵の心得はもちろん、隠密、偵察、白兵戦、決闘、どれをとっても超のつく一流だ。でなければ血生臭いこの世界で王国騎士団長という役職に手が届こうはずもない。
それに、彼の秘密を知る数少ない人物の一人であるユーファレッタは、今並べた理由のどれもが、彼の強さの本質ではないことも理解している。
彼の真の強さとは、無尽蔵と言い換えてもいい持久力と経験を積み重ねることができる肉体だ。
その力を持ってすれば、ずっとは無理でも宰相閣下に会うまでの数日の間なら村を任せても平気だろう。それが無理でも、せめて見送りがてら一緒に町や王都を見て回る時間くらいなら作れると思うのだ。
「それにワタシまで王国に行ってしまえばハルは村のことまでやらねばならんのだぞ? 流石のハルでも真っ二つになったからと言って二人に分かれることはできまい」
ソーンの言うことはぐぅの音も出ないほど正しい。仮にユーファレッタに数日村を離れる許可が下りたとしても、ソーンとセフィリアと一緒にというのは万が一にもあり得ない。
ハルフリートができるほとんどのことは、大抵ソーンが肩代わりできてしまう。だがその反対はできない。ハルフリートでは、村長であり、大貴族であり、元ガーディアンのソーンの代わりは務まらない。
同様に、殲滅力と破壊力を持つユーファレッタの代わりも彼には務まらない。
そう、魔術師の中でも、世界有数のマナ保有量と魔術適性を持つ彼女に取って代われる者など、王国にはS級冒険者チームかガーディアンくらいしかいない。
そんな彼女たちがいるこの村では、いくら有能な元王国騎士団長様といえど余程の長期戦でもない限り活躍の機会はないというわけだ。
それでも、それでもだ。
生まれてこの方、開拓村以外のほとんどを知らないユーファレッタが、妹とカナメを連れて王都を観光したいと思うのも無理からぬことなのは理解してもらいたい。
だからユーファレッタは無駄だとわかっていても"みんなだけズルい"という想いを込めてソーンを見ずにはいられない。
「……そんな目で見られてもなぁ……困ってしまうぞ?」
まったくその通りだ。
「それにこう言ってはなんだが、ワタシも行けるものなら行きたかったんだ」
そう言われてしまっては返す言葉もない。
「はぁぁぁ……」
体の内に溜まった不満を吐き出すように盛大なため息を吐いてみるが、その程度では気晴らしにもならない。
どうしようもないからと割を食い続ける未来。これでお土産の一つもなければ村で爆音を鳴らしまわって暴れてやる。と、怒りを別の方向に棚上げして不満の軽減を試みる。
「ぜんぶ、お前らの……」
それでも一向に収まらない怒りがワナワナとユーファレッタの手を震わせる。
「ん? マナを込め過ぎじゃないか?」
そんなユーファレッタを不思議そうに見つめるソーンが、彼女の内に秘めた熱に気付くよりも先に、怒りが魔術となって爆発した。
「死ィィィねぇぇぇぇえええええええ!!!」
半ば八つ当たりするように放たれた魔術で、辺り一面から突き出した土槍岩槍。長閑と表現できる牧歌的な景色は、一変して大小様々な生物が串刺しにされた地獄絵図に早変わりしてしまった。
「はぁ……はぁ……」
あるいは地図を書き換える必要すらあるかもしれない一撃を力任せに放ったお陰で、わずかばかりに鬱憤が晴れた気がする。しかし、急激なマナ欠乏による不調に続き、めちゃくちゃにした地形の後処理に思い至ったことで感情に任せて魔術を放ったのは総計だったとユーファレッタの頭に後悔の二文字が浮かび上がってくるのだった。
「飲むか……?」
心中を察するソーンは息を切らすユーファレッタにマナ回復用のポーションを勧めながらも心の底から思う。この場にヤマトカナメが居なくてよかった、と。
「ゴクゴク――ぷぁ……こいつら、無駄に張り切りやがって……これもカナメのせいよ」
「それは違うと思うぞ? この種の多くは魔族領に分布していたはずだ……どちらかといえば、魔族側に何かあったのかもしれんな」
「――……」
二の句も告げない最もな指摘。対して自分は八つ当たりでもするようにカナメをダシにした。
そのことにバツの悪さを感じながら、ユーファレッタは串刺しの刑を免れた最後の一匹に、超速のマナの矢をお見舞いしてとどめを刺した。
「片付いたか」
「……そうね」
誤解なきよう伝えておくが、彼女たちは何も、憂さ晴らしで目の前の生き物を殺しているわけじゃない。彼女たちは駆除しているのだ。
理不尽に蹂躙――もとい駆除されている生物は『魔獣』と呼ばれ、マナを扱える生物の中でも高度な知能を持ち、人類と意思疎通ができる『魔物《 ・》』と違い、主に知能や習性の面で人類との共生が難しい生物の総称である。
穢レは例外として、開拓村のように近くに瘴気溜まりでもない限り、忌獣と出会うことは多くない。つまり、人類の外敵の多くは専ら魔獣のことを示す。
「本当に、すまないな……」
できることならユーファにも息抜きをさせてやりたい。だが状況がそれを許さない。俯いてしまった彼女に、ソーンは謝ることしかできない。
「くっ……うっ……ぅぅぅ」
誰かが村を離れると、決まって機嫌を悪くするユーファだが、今回はいつになく荒れている様子。
――ぽた。
「ユ、ユーファ?」
その鮮やかな桃髪をこちらに見せたままの彼女から、ぽたぽたと零れる大粒の雫。
「う゛っ……ぅ゛ぅぅ……アダジも、王都行ぎだがっだよぅ……」
その涙と声に、ソーンの胸は痛いくらいに締め付けられる。こんな時は何か声をかけてやりたい――だがかける言葉が見つからない。
それはそうだ。彼女を縛り付けている本人が何を言っても慰めにもならない。
だから、異世界からの召喚者を見習って話題を変えてみることにした。
「そういえば、セフィ達は大丈夫だろうか」
最初はあまりに露骨な路線並行をジト目で咎めるユーファレッタだったが、溜まりに溜まった鬱憤が溢れるようにポツポツと話を始めた。
「なんで……セフィとカナメを行かせたの?」
「少し思うところがあってな」
「ソーンの過去と関係ある?」
意外なことに、ソーンの過去を詳細に知るものはこの村にはいない。村どころか国もセフィリアでさえも、かの獣人の過去を知らない。
かく言うユーファレッタも気になって聞いたことがあるが、ソーンが過去を語ることはなかった。
「ああ、関係ある」
それ以上は聞かない。もしかしたら後ろ暗い理由があるのかもしれない。けど、そうではないと思っている。
後ろ暗い理由ならソーンは隠さないだろう。この高潔な女傑ならば真っ向から向き合うはずだ。だからユーファレッタは、ソーンが話さない理由を約束や誓いの類だと考えている。だからこそ、無理に聞き出すべき話ではないと思っているのだ。
「カナメのこと、随分信頼しているみたいじゃない?」
「まぁな……どう伝えて良いのかわからなんだが、あの少年なら私に起こせなかった奇跡を越せるような気がしてな」
「あいつが起こせるのはトラブルでしょ。ソーンでも出来ないことをあいつができるわけ」
カナメが来て起こったことといえば、歴史的に類を見ない規模の忌獣の氾濫くらいだ。しかも、獲物である人類に全く興味を示さないなど王国史には存在しない。
「そうかもしれないが、セフィも懐いているだろ? きっと何かある」
それは確かに一行の余地がある。
セフィリアは善と悪を見分ける不思議な直観を持っている。その直感で救われた村人は多いし、ユーファレッタも助けられた一人だ。
そのセフィリアが、初対面、ましてや異性にあそこまで心を開いたことは今まで見たことがない。なので"何かある"と言えるだけの根拠になるのは不本意だが認めるところである。
「カナメのやつ、そこまで期待されておいて、セフィに何かあったらタダじゃおかないから」
ぽっと出の少年に可愛い妹を奪われた。思い返してむしゃくしゃしたユーファレッタは、村に帰ってきたらセフィリアを一人占めしようと心に決めた。
「ヤマトカナメは誰かのために全力になれる男だ。何かあったとしても彼に責められる謂れはない」
「まぁ……セフィリアのことで、あいつが手を抜くなんてないか」
「なんだ? ユーファだってヤマトカナメを信頼してるじゃないか」
「し!? 信頼なんかしてないわよ!? ただ、あいつはバカでお人好しだから? セフィが危険な目にあうことがあれば助けるだろうなって? それだけなんだから!!」
「そうだな」
そう言いながら笑う姿を見ると絶対そうだなんて思ってない。そんないじわるな女傑に対し、
「あーあ。みんなばっかりズルいなぁー」
鮮やかな桃髪をクルクルと不機嫌そうに弄びながら、同じく意地悪でお返しする。
「せめてアレが落ち着けば何とかなるかもしれないんだが……」
「あ゛ぁ?」
片眉をつり上げ、妖艶さなど欠片もない底冷えするような形相で剣狼の視線の先を見やる。
ソーンたち獣人と違い、通常の視力は人族と変わらないユーファレッタは、目先に小規模な遠視魔術を展開し、王都観光を阻んだ不逞の輩を確認する。
その目に映ったのは三つの人影。
角が生えている者
翼が生えている者
尻尾が生えている者
それぞれ異なる特徴を持つ人影だが、一つだけ共通点がある。
それは、塗料をこぼしたような鮮やかな青い肌。
この魅入られるようなラズライトの肌を知らない者など、この大陸には存在しない。最強と名高いその種族の名は、
「魔族ども――」
最近多くなった魔族の威力偵察。かといって安易にその行為を咎めることはできない。かの魔族領にはそれほどの武力がある。
「――お前らもかぁっ!!」
「よせユーファッ!!」
にも関わらず、戦端を開こうとするユーファレッタを慌てて止めるソーン。
確かに、如何に魔族と言えども大陸屈指の魔術師であるユーファレッタには敵わない。三人程度では消耗している彼女にすら手も足も出ないだろう。
魔族とユーファレッタの間にはそれほどの差がある。だが、王国兵と魔族にも同じくらいの差がある。加えて上級魔族もいるのだから、戦争になれば負けるのは王国側だ。
それが分かっていたから、こうしてソーンは魔術を放とうとしたユーファレッタの手を押さえ、力尽くで下げさせた。
幸い、俯いた桃髪の美女の腕に力は入っておらず、抵抗も無かったので本気で魔術を撃つ気はなかったとわかる。とは言え彼女のことだ、止められなければ迷いなくその怒りを形に変えたことだろう。
「あんな強行偵察、放っといていいの?」
ただ見ているだけで、坑道が掘られているようなことも術式が描かれているわけでもない。むしろ国境付近に元ガーディアンが長を務める村を興している王国の方が問題だろう。しかし、相手が魔族ならば仕方のない措置だと言える。
ただの視察だったとしても他国も含めて問題視するほどの脅威。それが魔族という存在だ。
「良くないが、マクスアにはあれを咎めるだけの力がないからな」
思えば、魔王からの手紙が届かなくなってから偵察が増えた。
以前は、同じガーディアンということもあり、それなりに連絡を取り合っていた。だが、少し前に連絡は難しくなると手紙が届き、それ以上連絡が返ってくることはなくなった。
「何なのよ全く」
「戦争が近いかもな」
「戦争になったとしても、魔族なんてアタシとフリートがいれば大丈夫よ! 流石に魔王は無理だけど、それ以外に易々と遅れを取るつもりはないわ」
「そうだな……」
彼女の言葉はありがたい。現に王国一の魔術師が、ここまで太鼓判を押してくれているのだから、上に立つものとしてドンと構えるべきなのだろう。それでも、ソーンにはこの胸騒ぎを、一抹の不安を拭い去ることができなかった。
「ほーら! そんな暗い顔しないで! 明るい未来を想像しましょ?」
「あぁ」
「そうねぇー……カナメはニホン? 生まれだって言うじゃない? 異世界人チョイスの素敵なお土産! なんて期待できそうじゃない?」
いつの間にか励ます側と励まされる側変わってしまった。そのことが可笑しくて、微笑ましくて、彼女が隣にいてくれることが頼もしくて、だから自然と零れた。
「フッ」
「やっと笑った」
「これでは村長失格だな。後はユーファに任せて私も王都で自分を磨き直すとするか」
「ちょっ! ちょっとソーン!?」
「ハッハッハッハッ」
その慌てように、遂に笑いを堪え切れなくなったソーンが盛大に噴き出す。そこには先ほどの悲しみの影は見えなかった。
「ユーファ」
美しい桃髪の女性にまっすぐに向き直る。
「ん?」
彼女には何度救われたかわからない。いや、彼女以外にも、多くのものに支えられて生きている。そのことを再認識できた。そんな彼女たちにはお返しをしなければならないだろう。
――明るい未来を。
だけどソーン一人では届かない。
これからもたくさん迷惑をかけると思う。
だから、今はこの言葉で許してほしい。
「ありがとう」
絶望が蔓延る終末の異世界に、雲間のように差し込んだ束の間の安らぎ。
それは本当に、本当に僅かな、安らぎの一時だった。




