第一章 11.『踏み出した理由』
町や王都の状況確認にのため聞き込みに行ったハルフリートに代わり、宿を抑えていたカナメとセフィリア。
受付で一悶着ありつつも無事に部屋を確保したわけだが、
「ごめんなさい!」
部屋に入るなり腰を九十度に曲げて平謝りするセフィリアさん。
一体何がどうしたのだろうか。もしかして魔車でいたいけな男子高校生を弄んだ件だろうか?
だとしたら確かに、もう少しだけお手柔らかにして頂きたいところではある。
まぁ、そんなことではないのは分かるのだが、それ以外は皆目検討も付かない。
「急に王都だなんて、ソーンはいつもいきなりなんです」
ああ、その件か。
けどそれは彼女が悪いわけじゃない。
「そうだなぁ。心の準備ができてないところはあるかな?」
「そ、そうですよね!? 本当は魔車の中謝ろうと思ったんですけど、その……カナメとのお話が楽しくて、機会を見失ってしまって、でもこのまま旅を続ける前に謝っておきたくて、とにかく本当にごめんなさい!」
話すのが楽しかっただなんて、なんと可愛いらしい理由だろうか。
この子はいつも誰かのために謝って、危険に飛び込んで……桃髪の美女はカナメのことを損だなどと言っていたが、この子のほうがよっぽど損ってやつじゃないか。
「セフィリア」
彼女が今まで誰かのためにしてきた無数の何かを考えると、彼女を呼ぶ声は自然と柔らかいものになった。
「――?」
「多分、この話がなかったら俺、帰る方法を探せなかったと思うんだ。もし、方法がなかったらって考えると怖くてさ……それでも、今こうしてここにいることに感謝してるんだ」
無理やりでもなければ臆病で優柔不断なカナメは一歩を踏み出せなかった思う。
心の準備なんて言ってはいるが、多分言い訳なんだと思う。
きっとズルズルと引きずるだけ引きずって、いつまでも訪れないその時を待って、最後には何もしてこなかった自分に後悔する。
それがわかってても踏み出せなかった。
だって怖かったから。
もし帰る方法がなかったら?
元の世界の人たちに会えない現実を直視してしまったら?
どうしようもない現実にカナメの心は押しつぶされてしまうだろう。
心配してくれる人をそのまま残してしまう罪悪感に、大切な人に何も返せない無力感に。
そんな気持ちのままこの過酷な異世界でどうやって生きていけばいいというのか?
帰る方法もない。お金も、地位も、力も知恵も何もない。
あるのは、カナメを助けてくれたみんなとのか細い繋がりだけ。
何もできず、何も返せない。それがわかっていてもその糸に縋り付いてしか生きていけない寄生虫のような自分。その現実を知るのが怖かった。
一人でその恐怖に向き合うのは難しかったと思う。
でも、彼女が隣にいてくれたら少しは強がれる気がするから。
暗い気持ちになってしまうこともあるかもしれない。けど、きっとまた立ち上がって歩き出せる。
「それは……」
「帰る方法がなかったらー……その時はその時だ。この世界で生き抜く方法でも探すよ。そもそもここまでしてくれただけで十分だよ。どうなるかわかんないけど、この恩は一生かけて返していこうと思ってるくらいには、たくさんのものをもらったから」
第一、召喚のことも事故のことも彼女たちのせいではない。
だから彼女たちが気に病む必要などないのだ。
「カナメ」
「ん?」
「もし、方法が見つからなかったら。カナメが前を向けるまで、この世界で生きていく意味が見つかるまで私が傍にいます。だから心配しないでください……なんて、何の解決にもなってませんよね」
「そんなことない。セフィリアが隣にいてくれるならきっとどんな答えだって見つけられる……こんなこと頼むのは恰好悪いんだけど、そのときは前を向ける間だけでいいので、手を貸していただけたら嬉しいです」
「敬語はなしですよ、カナメ」
そう言われても、頼みごとをするときに敬語抜きってどういえば良いんだろうか。
「えっと、手を、貸してくれるか?」
なんかぎこちない、カタコト見たいな感じになってしまった。
「もちろんです!」
それでも笑顔で答えてくれる白髪の少女。
正直、異世界人から見たらヤマトカナメなど遭難した赤の他人も等しい。
それなのに、命を張って、色々なものを分け与えてくれて、足がすくんだ時に傍にいてくれる。
今のカナメに返せるものはなにもない。だから、今はせめて言葉だけでも感謝を伝える。
「ありがとう。セフィリア」
「どういたしまして。カナメ」
なんかすごい良い雰囲気になってしまった。
恋人同士なら何かに発展しそうな優しくて甘い雰囲気。
心なしかセフィリアの目も潤んでいるような気がする。
しかし、恋人同士でも何でもないカナメの場合は、何かに発展することもなく気恥ずかしくなり、あとはどんどん気まずくなるんだけなのだが。
「そ、それじゃあカナメ! 町を見て回りましょう!」
セフィリアも気まずかったのか、いつかのカナメが太鼓判を押す力技話題転換を慣行した。こちらとしては助かるので、ぜひ乗っかりたいのだが、
「おぉ……って、いや、ハルフリートさんに言わなくても大丈夫なのか!?」
「心配しないでも大丈夫です。緊急時の連絡手段は用意してますから。それよりもほら! 早くしないとソーンのこと秘密にしちゃいますよ?」
それを引き合いに出されちゃ仕方ない。何より、ハルフリートさんがいない。
つまり二人きりということだ。ならばこれはデートで、男ならば行かなければならないということである。
「ほら! 早くいきますよ!」
無邪気な笑顔を見せる少女には、その認識がないのが残念なところだ。
「わかったから! 行くから手を離してください!」
「離しません! 迷子になったらどうするんですか!」
こうして、手を繋ぎながらの人生初デートが始まるのだった――、
「間に合わなかったか……」
二人が部屋を出た少し後、ぽつりと響いたしわがれた声が、少年と少女に届くことはなかった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
青い空、白い雲。
ヨーロッパではないが、異国の街を美少女と並んで観光する。
楽しまねば損と、素晴らしい街並みを見渡してみるも――、
――よくわからな果物。
――よくわからない小物。
――よくわからない建物。
――よくわからない何か。
全然頭に入ってこない。
風情も情緒もあったもんじゃない。
それもそのはずだ。何せ気が気じゃない。
「カナメ」
「は、はい……」
「すごい手汗ですね」
早速黒歴史ができた。ユーファさんとはまた違った意味で思春期男子キラーなセフィリアさん。だから手を放してって言ったのに。
「すいません……」
「大丈夫ですよ。宿に帰ったら洗えばいいんですから」
悪気がないのはわかってる。でも傷ついているメンタルにその言葉は塩でしかない。
まるで自分が汚物そのものになった気分だ。
「それで、ソーンさんって何者なの?」
困ったときの話題転換。
最早、カナメが異世界に来てからの常套手段となったそれで、現実から目を背けるように話題を変える。
「カナメはどう思ってますか?」
「うーん……一番可能性高いのは、お偉いさんの血筋とかだけど、それもしっくり来ないんだよなぁ。全然貴族らしくないというか、むしろみじんも感じないというか。それにあの目のやり場に困る服を着慣れてるっていうのも貴族のイメージに合わないし」
「結果的にはほとんど正解みたいなものですよ」
目上の人がもつ、畏敬の念を抱かせるような独特の雰囲気があるのはそうなのだが、それはリーダーシップやカリスマ性といった類で、お偉いさんと言われるとしっくりこない。
イメージの話になってしまうが任侠とかが近い気がする。ただ、気さくで話しやすく、それでいて優しに溢れている姿は、強面な任侠とはかけ離れてもいた。
「うーん……降参! もう我慢できないんでお願いします!」
「カナメのいう通りソーンは王国の貴族です。ソーン・ヴォルフレッド辺境伯。それが王国におけるソーンの立ち位置になります」
「マジで?」
「爵位は辺境伯ですが、事実上、大公と同等の権限をもっているんですよ」
爵位とかよくわかんないけど、言い方から多分だけど伯より公の方が偉くて、その前に大が付いてるからかなり偉いってことだろうか。まずい、あんな頼れる姉御肌みたいな感じな見た目に反して想像よりはるかに偉い人だった。
「やばい……結構気楽に話しちゃってたけど、ソーンさんに無礼を働いた罪! とか言って殺されたりしない? ソーンさんもダメか? ヴォルフレッド辺境伯? ヴォルフレッド伯? 何て呼ぶのが正解なんだ?」
「公共の場ではヴォルフレット卿ですね。正式な場だと変わりますが、剣狼閣下の方が通りがいいので困ったらそちらで大丈夫です」
「剣狼?」
そういえば、魔車にもそれっぽい家紋がついていた気がする。
「みなさんが頭を下げていた理由は、この称号に由来するもので、貴族としての地位は後から付いてきたものなんです」
「――?」
貴族制度について詳しいわけでないが、貴族とは国に対して一定の功績を示したものがなれるものだと思う。そして、位が高い爵位は国ができる前にすでに有力者で土地を持っていたとかでなかればなれない認識だ。
称号に由来するもので、後から地位が付いてきたとなれば、昔から辺境伯だったという線もないだろう。ならば、大公に並ぶ爵位が与えられるような功績とは、いったい如何なる功績なのだろうか。
「ガーディアンにはその個人を象徴する称号が与えられるんです。例えば『魔王』もそれにあたりますね。隣国ドラスのガーディアンは『金剛の心』という称号が与えられています」
「てことは、ソーンさんは――」
「はい。大陸一と謳われた、元ガーディアンです」
「マジか……」
正にこの上ないほど完璧な理由だった。
貴族らしくないのに貴族に迎えられるほどの功績。
動きやすいあの服装が着慣れた服であること。
最強種族と睨み合う国境線の防衛が開拓村で問題ない理由。
それはただ一つ、大陸一と謳われた元ガーディアンの存在。
国家の戦略級戦力兼、国際戦力でもあるガーディアンは多分特定の環境から動けない。王国なら王都とかその近辺に常駐しているのではないだろうか。
その点、元ガーディアンなら自由に動けるし、条約にも反しない。
国境線警備には間違いなくこの上ない戦力だろう。その上現役のガーディアンもいるとなれば、そりゃ流石の魔王様も割に合わないってわけだ。
「でも、なんで元なんだ?」
「怪我で本来の力を発揮できなくなってしまったんです」
「怪我って――」
世界屈指の超人が怪我を負う。
今までの話を聞く限り考えられる要因は多くない。
その中でも大陸一と謳われた人類の護り手が怪我を負う相手なんて、
「カナメなら大丈夫ですね」
「俺はちょっと心配」
そういうフリは重い話かヤバい話と相場が決まっている。
それも元大陸一の守護者のものとなると、どれも軽はずみには聞けないレベルな気がする。
「カナメの想像通りです。十年くらい前、数百年に一度の厄災が複数現れました」
穢レが現れたのだと予想はしていた。でもまさか、複数だとは思わなかった。
ガーディアンでも半分以上が命を落としてしまうとされるそれが複数なんて、ほかの国は大丈夫だったのだろうか。
「多くの国が亡ぶと思われた厄災から世界を救った大英雄。それが『剣狼』ソーンです」
「すげぇ……」
命の恩人が大貴族だけでも驚きだが、救世の英雄だったとは。
ただ、今の話だとまるでソーンさん一人でどうにかしたように聞こえる。
他のガーディアンはやられてしまったのだろうか。
疑問に対する答えは出てこなかったが、答えが予想できるだけに聞く気にはなれなかった。
「だからソーンは世界で一番尊敬されている元ガーディアンなんです。ソーンをぞんざいに扱おうものなら、各国からの制裁は免れませんから気を付けてくださいね」
ふと、ソーンと呼んでほしいといわれたことを思い出す。
「そういえばソーンさんに『ソーンで良い』って言われたけど、やっぱ呼ばなくて正解だった」
「ソーンの要望を無下にしたんですか!? これからは日の下を歩けませんよ!」
「嘘!?」みたいな顔で不安になるようなことを言ってくる。
急に芝居がかったからこの「噓!?」顔の方が噓だと思うけど、どう見ても本気で驚愕しているようにしか見えない。
「あの時セフィリアも隣にいたよな?」
ソーンさんに頭を撫でられて恥ずかしそうにしていたはずだ。
可愛らしかったのでよく覚えている。
「バレてしまいましたね」
舌を出して上目遣い。
今回はあからさまに狙っているとわかるが、可愛いので許す。
「セフィリアのは演技がうますぎて冗談か判りにくいんだよ」
「みんなが上手だと褒めてくれるので、こんなことばかり上手になってしまいました」
褒められると伸びるタイプのセフィリアさん。
しかしこれはあれだ。よくない方向に延びている。
多分みんなも騙されて、苦し紛れの強がりで「演技うまいね」と言っていたら、その技術が伸びてしまった説だ。
結果、余計自分の首を絞めるという悪循環。強がっている桃髪のお姉さんがありありと想像できる。
一方のセフィリアは、親に対するくすぐりを覚えた子供のように楽しんでいる……これはもう改善の見込みはなさそうだ。
「そこの君、ソーンの頼みを断ったって?」
「はい?」
打つ手なしの小悪魔についてどうしたものかと考えていたら、突然、豪華なローブに身を包んだ初老のおじさんに声をかけられた。
髪が橙色ですごく目立つものの、奇抜な感じはなく、とにかくお偉いさんのにおいがプンプンする。
「国家反逆罪としてこの場で即時処刑する」
出会って十秒、初老の御仁に厳粛な声で極刑を言い渡された。
「へ?」
あれは冗談じゃなかったのか!?
セフィリアは知った仲だから許されるけど、公的な場面では重罪だったの!?
セフィリアさん一言もそんなこと言ってなかったよ!
「供回りも付けないでどうしこんなところにいるんですか!?」
「いやぁ~セフィちゃんについた悪い虫を払おうと思ってね!」
え? セフィリアの知り合い?
それよりさっきの厳粛な雰囲気が嘘のように消えている。
――さっきのは演技なのか!? そもそも、ソーンさんがそういうの許さないってセフィリアが言ってたし、処刑はないんだよな!?
カナメがどこか既視感のある光景に頭を悩ませている間も、二人のやり取りは止まらない。
「ん?」
「――」
突然現れた謎のおじさんの手を取り、その手で謎のおじさんを払うセフィリアさん。
「セフィちゃん? おじさん泣いちゃうよ?」
「変な冗談いうからです」
「ごめんごめん」
「いや! さっきの話は! ていうかどなたですか!」
小耳にはさんだ程度の杜撰な情報で死刑宣告された上に、このまま置いてけぼりにされてはたまったものではない。
「お! やっと聞いてくれたね少年! 私は――」
「この子供みたいなおじさんは、ヴェイン・オー・ディ・エルドラン宰相閣下です」
「セフィちゃん……」
「この人が私たちが会いに行こうとしていた召喚術の権威にして王国のガーディアン『賢者』ヴェインです」
思った通り大層な大物オーラに恥じない超お偉いさんだった。しかも会いに行こうとしていた相手から会いに来てくれた。
それ自体はうれしい誤算なのだが、爵位もわからない一般学生には、宰相がどれほどの地位なのか、どう振舞えばいいのか、もはや皆目見当もつかない。とりあえず失礼のないように気を付けるのみだ。
「えっと……どうも、大和 枢と申します。大和が家名なんですけど、貴族でも何でもないです」
「ヤマト君か、覚えておこう。ところでセフィを狙っているならまず私に話を通してくれよ? じゃないとあることないことでっち上げて不敬罪でこうだ――」
首を切るジェスチャー。
「そんなことしたらソーンにもユーファにも言いつけます」
「冗談だよ! 冗談! だから、二人には内緒にしておいてくれ……」
「冗談は通じてこそですよ!」
いや、それはブーメランってやつじゃないでしょうかセフィリアさん。
そんな無神経な話は億尾にも出さず、素直な疑問を口にすることを選ぶ。
「あのー……大丈夫なんでしょうか?」
このやたらとテンションの高い残念なおっさんが、この国の宰相兼ガーディアンで大丈夫なのか――という話ではない。
宰相なんてやんごとなき立場の人が超級の化け物と戦うポジションでいいのかという疑問だ。
「私が直接動かなければならない問題があったんだが少し前にハルに会ってね、杞憂だとわかって舞い上がっていたところさ!」
『ハル』って……ハルフリートさんのことだろうか。
イメージと紐づかない爽やかな響きのせいで脳内検索に時間が掛かった。
おっさん同士の違和感ある呼び名よりも、人類の護り手が動かなければいけない問題の方が気になる。
「ガーディアンが動くなんて嫌な予感しかしませんね」
「少年! 僕はこう見えて宰相だよ? ガーディアンとして動くだけが勤めじゃないのさ。それで少年、僕に渡すものがあるんじゃあないかね?」
そうだった! この人のインパクトですっかり忘れていた!
「あ! そうでした! あの、ソーンさんからこれを」
学ランの内ポケットからソーンから預かった赤い封筒を取り出し、この近所のおっさのような宰相閣下に手渡す。
「どれどれ――なるほど、なるほど……これは立ち話では済まなそうだ。お二人ともお昼は済ませたかな?」




