039 別れ
11月1日木曜日。
冷たい雨が降る中、亜希の葬儀が執り行われた。
丸岡の時よりも、参列する生徒は少ない。
皆、目の前で起こった現実を受け止められずにいた。
あの時。
クラスメイトの中で、亜希の傍に駆け寄れた者はいなかった。
男子も女子もなかった。
動くことが出来なかった。
これは現実なんだろうか?
奈津子と同じ疑念が、彼らを支配していた。
亜希を抱き締める奈津子を、ただ見つめることしか出来なかった。
やがて教師たちが駆け付け、生徒を教室の外へと誘導した。
涙を流す者、呆然と目を見開いている者。
膝が震えて立てない生徒たちを、一人一人運んでいく。
やがてサイレンが鳴り響き、警察と救急隊員が現れた。
奈津子はその間、教師たちの説得にも応じず、ずっと亜希を抱き締めていた。
余りの光景にショックを受けた生徒たちは、親に連れられて帰宅していった。そのほとんどが、その日から部屋に閉じこもってしまった。
丸岡に続いて亜希。二人ものクラスメイトが、自分たちの目の前でその短い命を終えた。
その光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。
突然訪れた死。
遥か未来のことだと思っていたことが、根拠のない願望に過ぎないことに彼らは震えた。
自分たちも、いつか死ぬんだという現実。
そしてそれは、明日なのかも知れない。
命って何なんだろう。生きるってどういうことなんだろう。
今頑張ってるたくさんのことに、本当に意味なんてあるのだろうか。
丸岡や亜希のように、ある日突然訪れるかもしれない現実に、彼らの中にあった常識が、音を立てて崩れていった。
葬儀に参列したクラスメイトは奈津子一人。
他は学校の関係者や、別のクラスの代表メンバーだった。
僧侶の読経が虚しく響く中、奈津子はじっと亜希の遺影を見つめていた。
彼女の傍らには、宗一と多恵子が寄り添っている。
「奈津子……大丈夫か」
宗一の言葉に、奈津子は静かにうなずいた。
「うん……ちゃんとお別れ、したいから……」
そう言った奈津子の頬に、涙が伝った。
そんな奈津子の肩を抱き、多恵子も涙を拭った。
あの日。
駆け付けた宗一の車で帰った奈津子は、風呂で亜希の血を洗い流した。
排水溝に流れていく血を見つめ、涙した。
この血がこれまで、亜希ちゃんの命を繋いでいたんだ。
そう思い、「ありがとね」そう囁いた。
その後部屋に戻った奈津子は、そのまま布団に潜り込んだ。
体が信じられないくらい重かった。
指一本も動かせない。
頭の中はぐちゃぐちゃになっていて、何も考えることが出来なかった。
奈津子はそのまま、深い眠りについていった。
しかし次の日。
いつもと同じ時間に目覚めた奈津子は、力なく息を吐くと布団から出たのだった。
窓の外はまだ暗い。
空を見上げると、暗い雲に覆われている。
低く暗い空に、心まで押し潰されそうな気持ちになった。
奈津子はもう一度ため息をつくと布団を片付け、いつものように顔を洗い、部屋の掃除を始めた。
物音に気付いた多恵子が部屋を覗くと、奈津子は机に向かい勉強していた。
そんな奈津子を後ろから抱き締め、「今日くらいはゆっくりしてていいんだよ」そう囁いた。
しかし奈津子は、「大丈夫。でも……ありがとう」そう言って力なく笑ったのだった。
午前中に教師と警察が、事件の詳細について説明を求めてやってきた。
奈津子は努めて冷静に、目の前で起こった出来事を語ったのだった。
「……」
亜希の両親に目をやる。
父も母も、憔悴しきっている様子だった。
目も虚ろで、参列者に対して無言で頭を下げている。
そんな彼らに、奈津子が冷ややかな視線を送る。
今更悔やんでも仕方ないんだよ。
もう遅いんだから。
あなたたちのせいで、亜希ちゃんは死んだんだ。
あなたたちはこれからの人生、ずっと後悔しながら生きていくんだ。
娘を死に追いやった親として。
もっと苦しめばいい。
これから死ぬまで、二度と笑わないでほしい。
そんなことを思いながら頭を下げ、その場を後にした。
「玲子ちゃん……」
出口付近で、奈津子が玲子を見つけた。
考えてみれば丸岡の葬儀以来、玲子とは会っていなかった。電話もしていない。
どう接すればいいのか分からなかった。
何を話せばいいのか分らなかった。
亜希の死は、自分の心に大きな穴を開けた。
まるで心の一部が失われたような、そんな喪失感があった。
僅かな時間しか過ごしていない自分でもこうなのだ。
子供の頃から一緒だった玲子の心は、どうなっているのだろう。
そう思い、声を掛けることをためらっていた。
ひょっとしたら来ないかも知れない、そう思っていた。
奈津子は小さく息を吐くと、ゆっくりと玲子に近付いていった。
「奈津子……もう焼香、済ませたんだね」
そう言った玲子の顔を、直視出来なかった。
「うん……今終わったところ」
「お別れ、ちゃんとしてきた?」
「うん……」
「ありがとうね、奈津子……」
「うん……亜希ちゃんは大切な友達だから……」
見ると足が震えていた。とてもじゃないが、祭壇まで辿り着けるように思えない。
「でも……折角だからもう一度、お別れに行きたいな……玲子ちゃん、一緒に行ってもいい?」
「うん……ありがとう……」
雨に濡れた玲子の肩を抱き、支えながらもう一度祭壇へと向かう。そんな奈津子に、宗一が険しい表情を向けてうなずいた。
「……」
震える手で抹香をつまみ、香炉にくべる。
そして手を合わせ、深々と頭を下げる。
奈津子にとってその時間は、とてつもなく長く感じられた。
やがて頭を上げた玲子を支え、ゆっくり出口へと向かう。
玲子は唇を噛み締め、肩を震わせていた。
そんな玲子に奈津子は思った。
丸岡の葬儀の時、彼女は人目もはばからずに号泣した。心から丸岡の死を悼み、別れに涙していた。
しかし今の玲子は、泣くことも出来なくなっている。
きっと家で、散々泣いたに違いない。
彼女の体を支えていると、まるで重みというものを感じない。
抜け殻のようだ。
そう思うと、また涙が溢れてきた。
玲子もこうして、自分の元から去っていくんじゃないだろうか。
そんな気持ちに包まれた。
嫌だ。
私はもう、何も失いたくない。
そう思い、奈津子は玲子を支える手に力を込めた。
頬にもう一筋、涙が伝った。