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竜宮年代記 Ryuguu Chronicle  作者: 扶桑かつみ


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フェイズ63「現代16・OS戦争」

 竜宮連合王国は、1960年代から明確に航空宇宙産業と情報通信産業を次なる国の基幹産業に位置づけて、国費の投入と人材の育成に力を入れていた。

 

 歴史的に見ても、流通と情報を発展させる事こそが竜宮の発展に繋がっているのだから、当然の選択肢と言えるだろう。

 

 その結果、新興工業地帯である新竜主要部はアメリカとある程度連携できた事も重なって航空産業の中心地となり、アメリカに匹敵する誇大な航空企業も成長していった。

 一方、知識と技術の集積が進んでいた竜宮本土では、情報通信産業が発展した。

 1970年代からの竜宮本土は、シリコンアイランドとも言われたほどだった。

 宇宙産業では、アメリカ経済の停滞と宇宙開発の失敗、北東アジア諸国の隆盛という追い風を受け、大きな成功を納めるに至った。

 

 しかし二つの産業はアメリカが中心に据える産業でもあるため、アメリカとの摩擦が絶えなかった。

 

 このため一部では、アメリカへ譲歩したりアメリカとの協力関係を結ぶ流れが続いていた。

 だが1970年代に入ると、急速に日本及び北東アジア諸国との関係を強め独自性を前面に押し出すようになっている。

 しかもアメリカが自国の他の製造業を見限るかのように情報通信産業に大きくシフトしたのは1970年代以後であり、竜宮のアメリカに対する対抗心とアメリカの強引さに対する恨みは非常に強くなった。

 宇宙産業はソ連との競争があるのでアメリカもある程度の妥協は受け入れたが、情報通信産業に関してはアメリカを本当に握る勢力が情報と通信、流通を抑えることで栄えてきた勢力だけに妥協がなかった。

 

 しかし世界大戦後、特に連合王国成立後の竜宮は、徐々にアメリカのコントロールを受けない国なっていた。

 

 竜宮自身が、自力で生き抜けるだけの地下資源と食糧自給率を持っている上に、独自の戦略核まで保有するという希有な国のため、実のところアメリカのコントロールを非常に受けにくい国だったことが、竜宮人のアメリカへの反発を現実のものとさせた。

 

 この象徴的事件が、1980年代から取りざたされるようになった[OS戦争」であり、竜宮は日本を半ば強引に巻き込むことでアメリカとの全面対決を行った。

 

 しかも[OS戦争」は、竜宮とアメリカの摩擦ではなく、北東アジア全域とアメリカの摩擦になり、東西冷戦構造すら絡んだ複雑な問題となった。

 


 [OS戦争」の発端は、竜宮ではなく日本にもあった。

 

 日本は、高度経済成長の成功を受けて、様々な面での自立という健全な国家戦略に従って、独自の情報通信産業の育成と発展を日本なりに急いでいた。

 世界第二の経済力を有するようになった国家としては、当然の選択だっただろう。

 

 しかし日本の動きはアメリカの動きと時期的にも重なってしまい、弱気な事の多い日本はアメリカの格好の攻撃ターゲットとされようとした。

 だが自らの持つ古い型にこだわる日本がアメリカの動きへの迎合を渋っている間に、竜宮が脇から入って日本と提携関係を結んでしまう。

 

 曰く、北東アジア全域の国家戦略に従った情報通信を築かねばならない、と。

 

 しかも竜宮は、表面上はアメリカに対して、ソ連共産主義陣営への有事の際の抵抗力を付けるためにも、情報通信の根幹はそれぞれの政府が握るべきだという論陣を張った。

 その水面下では、ソ連との関係を持つ第三世界と独自のパイプを広げると半ば脅すことで、アメリカの動きを一時的であれ止めることにも成功する。

 

 竜宮は、アメリカがよく外交カードとして使う「核」、「重要資源」、「石油」、「食料」のカードがあまり通じない相手なので、アメリカも譲歩せざるを得なかった。

 一時期のフランスのように勝手に動かれては、盟主としての威信に関わるからだ。

 

 そして日本も、アメリカ以外に核の傘を持つ隣国の竜宮との歩調を強める向きを徐々に強め、アメリカとは日本単独ではなく北東アジア全体もしくは東アジア全体で事に当たるようになった。

 これで日本の外交的稚拙さはある程度カバーされ、北東アジアとアメリカの間での情報通新分野での熾烈な競争が始まる。

 

 そして竜宮と日本では、日本の電電公社と竜宮最大の通信産業企業の電通社を中心にして、北東アジア全域の情報通信ネットワークと次世代の電算機(電脳=コンピュータ)産業の開発が本格化する。

 

 この時電脳分野の中核を担ったのが、1984年に日本で開発されたオペレーションシステムの「TRON」だった。

 この時の開発では、日本がOSを担当して、電脳分野で進んでいた竜宮は日本が開発経験の薄いCPUやキーボード開発を行う事になった。

 これをアメリカに例えれば、竜宮がIBM社で日本がMS社という事になるだろう。

 

 そうして1985年、最初の「TRON85」が竜宮と日本同時に発売され、まずは両国の教育用コンピュータとして広く採用される事になった。

 

 TRON85はグラフィカルユーザインターフェース(GUI)機能を標準で持ち、アメリカのアップル社が既に世に出していた「マッキントッシュ」に匹敵するシステムであり、言語対応面での優秀さ(※何しろカナ文字や漢字に対応できないと意味がない)からより汎用性が高いという評判を受けた。

 当然と言うべきか、当時の「Microsoft Windows」を越えていた。

 しかも積極的な投資と精力的な開発はさらに続けられ、1988年には早くも「TRON88」というより完成度の高いOSが誕生する。

 これで、ほぼ完全に当時の「マッキントッシュ」に並ぶことになった。

 「Windows」ははるか後ろだ。

 

 こうした竜宮を中心とした動きは、当然アメリカの強い反発を受けた。

 有力な上院議員などからは、産業独占や市場遮蔽だと非難すらされた。

 実際、日本、竜宮を中心に北東アジアの2億人以上の市場をTRONは席巻していた。

 そればかりでなく、アメリカにも上陸してアップルと市場競争を始める始末だった。

 

 そしてアメリカは、様々な摩擦と交渉の結果、ついに「スーパー301条」を強硬な姿勢を続ける竜宮に対して発動するに至る。

 この法律は、アメリカ合衆国の包括通商・競争力強化法(1988年成立)に盛り込まれている対外制裁条項の一つであり、非常に独善的なものだった。

 

 そしてスーパー301条の対象とされた竜宮経済は一時的であれ打撃を受け、特にアメリカ産業とのつながりの深い新竜王国は深刻な打撃を受けた。

 しかしこれで、竜宮は経済面でのアメリカとの全面対決を決意するに至る。

 本当に、同盟国にして国連常任理事国相手にスーパー301条を発動させるとは考えなかっただけに、この時の竜宮の怒りと反発は非常に大きかった。

 

 竜宮世論は、竜米経済戦争だとして非常な盛り上がりを見せた。

 拳を振り下ろしたアメリカが、相手の対応に困ったほどだった。

 


 そして、既に十年近く政権首班の座にあった時の首相勢田俊雄セタ・シュンユウは、以前にも増して強力な指導力を発揮した。

 口さがないアメリカのイエロージャーナリズムから独裁者と罵られた首相の反撃開始だった。

 

 勢田首相は、アメリカ政府を極めて強く非難し、まずは健全な国際貿易を混乱しかさせないスーパー301条の即時撤回を要求した。

 しかし折からのアジアバッシングに揺れていたアメリカの世論は竜宮への制裁継続、さらには追加制裁すらを求め、アメリカ議会でも竜宮及び日本からの大幅な譲歩なくして撤回はあり得ないという意見が強かった。

 そして勢田首相に率いられた竜宮が頑として折れないため、定見の定まらない日本へと矛先を向ける。

 日本は見るからに狼狽するも、竜宮側も負けじと日本側の引き留めと説得、半ば脅しを行った。

 

 そして竜宮に対するスーパー301条だけでアメリカにも実害があると分かり、日本に対する発動を躊躇しようと言う頃、ソビエト連邦までもが動き出す。

 竜米両国は、経済と安全保障は分けて考えていたが、それにも限界があったからだ。

 

 そして竜宮側も、攻撃的姿勢を緩めないアメリカに対して、半ばポーズとして既に市場経済導入と市場開放を進めるソ連に連動するかのように、新たな経済関係の締結の予備交渉を開始してしまう。

 

 さらに国内の情報通信産業でも、アメリカのIBM社などに対する似たような経済制裁を実施し、日本を半ば脅してOS開発と改良を促進させた。

 


 この時アメリカの水面下では、フランスの二の舞が始まったとかなりの焦りが見られた事が、公開された政府公文書から知ることができる。

 

 竜宮の強硬な動きに慌てたのは、勢いに任せて拳を振り下ろしたアメリカであり、以後アメリカ政府は外交関係に非常に苦労することになる。

 一方ではド・ゴール政権時代のフランスをも凌ぐと言われた竜宮の動きに、アメリカ国民マスコミは竜宮の身勝手をなじり、大戦中の分裂時代になぞらえて、竜宮は軍事政権時代に戻ろうとしていると酷評した新聞すら現れた。

 

 これを笑って見ていたのは、市場開放政策で経済が上向き始めていたソビエト連邦だった。

 

 当時ソ連書記長だったゴルバチョフは、竜宮との新たな互恵関係に向けて前向きな発言を行い、自分たちもアルファベットと少し違うキリル文字を使っている事を理由として、TRON導入に積極的な姿勢を示した。

 またアメリカからの自立を強める東アジア諸国も、アメリカと本気で喧嘩している竜宮(と日本)を応援した。

 

 そればかりか、第二次世界大戦以後続いているアメリカ中心主義に反発するほとんどの国が、アメリカと正面から対決する竜宮に対して熱い視線を注ぐようになっていた。

 

 この騒動が一旦決着付くには、1989年のアメリカと竜宮の首脳会談まで待たなければならなかった。

 

 この時の首脳会談で、アメリカは竜宮に対するスーパー301条を撤廃し、竜宮政府に対しても謝罪を行い、アメリカ、竜宮双方の間で情報通信産業での自由化に向けた調印が行われることになった。

 

 この首脳会談を発端としたその後の話し合いは、実質的に竜宮の勝利に終わった。

 これはアメリカの独善と欲望がもたらした敗北であり、世界中からの一極主義に対する反発こそが、竜宮の勝利をもたらしたと言えるだろう。

 

 そしてこの時のアメリカとの争いにより竜宮の国際評価は大きく上昇するのと同時に、国際情勢に微妙な変化が起きる事になる。

 


 なお、TRONはその後も消えることはなく、むしろ竜宮を始め北東アジア諸国がMS社のWindowsを市場に受け入れる代わりに、アメリカも広くTRONを受け入れることになった。

 この裏には、アメリカ国内にもIBM社、MS社とそのシンパに反対する勢力がかなり居たことが影響していた。

 その証拠とばかりに、TRONを採用したメーカーが続出した。

 

 そして以後は、「IBM=MSアクシス(枢軸)」と「TRONユニオン(連合)」による、全世界を舞台にした熾烈なOS標準化競争が展開される下地ができあがった。

 この構図は、家庭用録画装置のVHSとベータ、次世代DVDでの争いと少し似ていた。

 違うのは、OS世界にはもう一社アップル社がいたからであり、首脳会談が行われてから数年間は家庭用OS競争ではTRONとMacintoshマッキントッシュが事実上の主役を果たした。

 Windowsが本格的に頭角を現すのは1993年に「Ver.3.0」が発売されて以後で、1995年の「Windows95」によってようやく同じ土俵に立ったと言えるだろう。

 対するTRONはより汎用性と操作性の高い「B−TRON」を1992年に発売して一気に北東アジアでのシェアを伸ばし、その後1996年の「ST−TRON」によって性能面と汎用性での圧倒的優位に立った。

 この時点では、少なくとも北東アジアでのWindowsの敗北は決定的と言われた。

 「ST」は、当時爆発的な普及を開始していたインターネットにも「Windows95」以上に対応していたからだ。

 TRONに最適化したブラウザーソフトの「マトリックス」も、大きなシェアを獲得した。

 

 その後Windowsはアメリカを始めアルファベット圏内(主に南北アメリカとEC諸国)でのシェアを伸ばすも、他の言語圏では東アジアを中心にTRONが優勢となった。

 しかし動作に不具合の多かったWindowsはユーザーの悪評によって自ら評価を後退させ、また仮に形式上であったとしても、一つの会社、一人の人物に莫大なパテント収入が集中する事が、諸外国でWindowsに対する支持を低下させた。

 TRONもOSとしては一定のパテント収入を得る形になっていたが、その額は誕生した母国の違いもあって相対的に低く設定されていた。

 しかもパテント収入のほとんどは、価格そのものと次のシステムの開発費と現状サポートという形でユーザーに還元され、家庭PC用のOS以外ではパテントフリーとした事で支持を得た。

 加えていえば、そもそもTRONは開発者個人のパテントは取得されておらず、TRONを開発する会社である「ZERO=ONE社」のものだった。

 

 つまりTRONはユーザーが支える形が作られており、基礎開発者自身がパテント料などいらないと公言して実行した事も好感を得ることになった。

 この結果TRONはOS以外にも様々な分野に広がり、見えないところで世界中を制していく。

 こうした違いは、善し悪しはともかく日本とアメリカのモノ造りや版権・特許に対する姿勢や見方の違いとも言えるだろう。

 


 その後IBM=MSアクシスは、インターネット分野を中心にしてアメリカを中心に巻き返しをはかり、アメリカ自身を動かすことでそれをある程度達成したが、大勢は判定勝ちの形でTRONに上がった。

 その後両者は、両者の利益になるため標準規格のような形を作って共通面での歩み寄りを示し、世界中のユーザーの取り込みを計っていった。

 

 そしてOS自身も6対4程度でTRON優勢の勢力図が20世紀終盤までに形成されるが、これにより恩恵を受けたのは世界中の全ての人々となった。

 それは一つのOSに問題が起きたとき、代わりとなるべきOSが存在することになるからだ。

 

 そして世界は、電脳コンピュータとインターネットによる高度情報化社会に相応しい、世界全体での市場経済社会へと進みつつあった。

 


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