剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ50
今は動けない狂いすぎた運命――!
右大高次――旧姓、山路高次。
彼は10年前まで、宮元家の退魔組織で書記を担当していた。
仕事はもっぱら総務のような事務職であり、なにゆえに書記と呼ばれるのかというと、装備の名称を考える役目があったからだ。
園衛の使う十振りの刀剣や、0年代以降に開発された戦闘機械傀儡のほとんどは、彼の命名による。
もちろん、決定権までは持っていないので、あくまで提案するという立場だったのだが。
前線に立たない地味な仕事であった。
元々、彼は大学卒業後に就職先に困っていた所を、親戚筋にあたる左大家の口効きで組織に就職した経緯がある。
山路高次は組織に似つかわしくない、ごく普通の男だった。荒事とは無縁の男だった。
事務方ゆえに宗家に出入りすることが多く、その中で一人の女性と出会った。
右大一花――宗家の一つ、右大家の分家の子女だった。
一花は10歳近く年下の相手だったが、何度か話をする内に親しくなって、交際するようになった。
宗家とはいえ、一花の家は分家であり、両親が亡くなっているということもあって、婚約に反対する者はいなかった。
それでも家柄としては格式高く、山路高次は右大家への婿入りという形になった。
二人は愛し合っていた。幸せだった。
誰もが祝福してくれた。
既に一花の胎内には新しい命が宿っていた。お互いの愛の結晶だった。
人の親となることの幸福な戸惑いがあった。父となることの不思議な高揚感があった。
我が子に、どんな名前をつけようかと毎晩毎晩考えていた。
子育てに、何が必要なのかとネットで調べて、妻には気が早いと笑われた。
とりあえず、赤ん坊用のベッドを買った。
まだ見ぬ我が子、女の子かも男の子かも分からない赤子のために、リビングの端にぽつんと置かれた新品のベッド――
「あのベッド……どうなったんだろうな」
暗闇の中で、かつて人間だった男が呟いた。
かつて右大高次だった怪物――エイリアスビートルは、地の底にいた。
肉体は蛹のように硬質化し、意識はあっても今は動けない。
そこは10年間、自分が打ち捨てられていた墓場であった。
医薬庁庁舎を隠れ蓑とした、暁のイルミナの日本グランドロッジ跡。
この場所は身を隠すのに最適であったし、配電設備が生きている。
エイリアスビートルが最後の自己進化を行うには、最適の場所だった。
10年前、戦わずして朽ちた自分が同じ場所で最期の戦いに臨むというのは……奇縁であると感じざるを得ない。
この最下層は、改造人間たちの朽ち果てた灰に覆われている。
そんな灰の中に、花が咲いていた。
真紅の薔薇であった。
巨大な、人間の手足を生やした薔薇が――正確には薔薇の改装人間が、頭の花弁を呆けたように傾けていた。
「オーナーカァ~……スイタァ……」
それは、スパイクローズと呼ばれた改造人間。
首をぐるぐると回して、ブツブツと譫言めいた独り言を呟いている。
「ターベーナーキャ~……オニク……ドコ……? ネェ~ェ~、ドコォ~……? ドーコー、ドコ~~…?」
知性のない、下等動物のごとき振る舞いだった。
スパイクローズ……人間だった頃の名前は、右大一花。
エイリアスビートルが、かつての妻を再生したのは戯れというわけではない。
ほんの少しだけ、希望を抱いてしまったからだ。
進化した今の自分の能力なら、Cクラス改造人間も完全に復元できるのではないか……と。
もう一度、妻と話が出来るのではないか。
愛する人と手を繋げるのではないかと……ありもしない希望にすがってしまった。
「バカな話だ……。悪魔に魂を売った俺に……救いなどないというのに……な」
蛹の中で、エイリアスビートルは自虐的に目を細めた。
視界の隅で、かつて妻だったモノが蠢いていた。
「アカチャ~ン…? オナカァ……アカチャ~~ン……?」
首を上下にゆっくりと振りながら、スパイクローズは時折り腹を撫でていた。
腹の中には何もないというのに、中途半端に復元された記憶がそうさせている。
ふと、エイリアスビートルは昔話を思い出した。
「大昔の坊主が孤独に耐えかねて死体を黄泉がえらせた反魂法……。それと同じだな。人を作ることなど……出来るものかよ」
人であった頃は敬虔なクリスチャンであったが故に、己の罪深さをより強く感じてしまう。
これもまた、神の領域に足を踏み入れたことへの罰なのか。
目を閉じても、妻のなり損ないの声が聞こえてくる。
「アーナータァ~~ァ~ァ~ア。コウジサァン……? コォウジ~サァァァァァァァン?」
妻と同じ声色で、しかし妻とは似ても似つかぬ笛の吹き損じのような鳴き声で、命なき亡者が哭いていた。
「もういい! もうたくさんだ! 消えろ! 消えてくれ!」
耐え切れずにエイリアスビートルが叫ぶや、不快な鳴き声は聞こえなくなった。
再生させた当事者の命令は、亡者たちには絶対だった。
消えろと言われれば消える。そうして、無に還るだけだ。
静寂と闇と孤独が戻ってきた。
「ククッ……」
嗚咽のような笑いが漏れた。
スパイクローズのあの有様を見れば、生前の妻が既に正気を失っていたであろうことは、察しがついた。
南郷に殺されて当然の、人食いのバケモノと化していたのだろう。
いいや――そんなことは、とっくの昔に分かっていたのかも知れない。
「結局、俺は現実を受け入れられない弱虫だから……こういうザマになってるんだよなァ……!」
どこまでも愚かな自分を呪う。
改造人間の声は震えていた。
エイリアスビートルの強化された知覚が、足音を察知した。
実のところ、だいぶ前から階段を降りてくる音は聞こえていた。
誰が、どんな目的で来るかは分かっていたから、何もせずに待っていた。
こちらに近づいてくる。黒き装甲の鬼へとエイリアスビートルは目を開いた。
「早かったな……?」
「急いで来てやったんだよ。クソが」
吐き捨てるような悪態と共に、サザンクロスが、南郷十字がロケットランチャーの砲口を向けた。
エイリアスビートルは未だ蛹の状態だ。いつでも撃てるはずなのに、撃たないのには理由があると見た。
最後くらい、少し話をしても良い気分だった。
「急いで……か。俺の意図を読んでくれたようで、嬉しいよサザンクロス」
「敵が強化されるのを放置するワケがない」
「そうだ。そうくると思った。だから、お前を呼んだ。なぜだか……分かるよな?」
エイリアスビートルが、敢えて自己進化の完了を待たずに南郷を誘導するような真似をしたのか。
時間さえかければ、安全に自己進化は完了し、余裕を持って南郷を襲撃できるはずだ。
そうしない理由……いや、出来ない理由を南郷は見抜いていた。
「お前の体は、もう限界……。時間が無い……。違うか?」
「その通りだ。急激な自己の再調整、形質変化……いかに改造された我が身でも耐えられん。進化を繰り返す度に命は削られていく。それなら……」
「全ての命を燃やし尽くして、最後の一戦に賭ける」
「……その通りよ。惨めたらしく命をちびちび惜しむより、全額をブチ込む覚悟が出来た……! お前のおかげでな!」
ただの人間である南郷に敗北を重ねた末の、決死の覚悟であった。
並の改造人間ならば二度死ぬようなダメージを負った。すなわち自分は既に二度死んだも同然。己が既に死者ならば、死を恐れる必要はない。
滅びゆく肉体なら、南郷は時間を稼げば自動的に勝利なったろうが、それもあり得ない結末だ。
南郷が時間稼ぎを狙うなら、エイリアスビートルはもはや手段を選ばない。
おびき出すために、無差別の破壊活動を始める可能性もある……と、南郷なら予測する。
故に、互いに望み通りの短期決戦に至ったのだ。
エイリアスビートルが固着した肉体を、ゆっくりと蛹の中から起こした。
硬質化した粘膜とキチン質を破り、立ち上がる。
その姿は、第一形態のままだ。
だが、既に最終進化は完了していた。
この体が遥かなる神の世界に達するべく作られた永遠の命ならば、その全てを燃焼させれぱ那由多の宿願にも届くというもの……!
「感謝するぞサザンクロス……いや南郷十字。お前のおかげで、ただの素人だった俺も戦士として完成することが出来た。お前と同じ死を恐れぬ最強の戦士として!」
「大した物言いだなニワカ仕込みのルーキーくんよ? とっととかかってこい。すぐに頭のイカレた嫁さんと……同じように殺してやる」
挑発するような物言いで、南郷はロケットランチャーのトリガーに手を掛けた。
南郷とは二度も戦っている。やり口は大分読めてきた。
「その大砲……俺の脱皮の瞬間を狙う気か。脱皮したてなら、装甲も柔らかいと……」
「そうだとしたら?」
「撃ってみれば良いさな……!」
激情にキチン質の顔が歪む。
南郷とて、真っ向勝負のつもりでやって来たのだ。そうでなければ、あんな目立つ大砲を真正面から向けてなど来ない。
怒りと憎しみと僅かな後悔もろともに、エイリアスビートルは全身の外皮を脱ぎ捨てた。
生体装甲がリアクティブアーマーのごとく弾け飛ぶ。爆発的な勢いで放出された装甲片は、南郷に礫となって衝突。電磁反応装甲の火花を上げた。
この程度の障害は、目くらましにもならない。
衝撃と発破音の中、南郷はヘルメットのHMDと照準連動したロケットランチャーを発砲した。
ボフンッ! という大きな発砲音と共に、バックファイアが放出される。
俗に対戦車ロケット弾の初速は低速と言われているが、人間の目で視認できるような速度ではない。大昔の手動誘導ミサイルでもあるまいし、飛翔速度も極めて高速だ。
弾頭は対戦車用のタンデム弾頭。二段構えの成型炸薬で、装甲車両の反応装甲を確実に撃ち抜く仕様となっている。
エイリアスビートルが前回のように電磁シールドを張るのなら、この弾頭で貫通、即致命傷を与える作戦だったが――
「無・ダ・ダ」
閃光の中で呟く、エイリアスビートル。
展開された電磁シールドを貫通したタンデム弾頭は、光の塊となった生体装甲に触れた途端に消滅した。分解された、と言って良い。
今、エイリアスビートルは己の肉体を望みの姿に再錬成していた。
腹に埋め込まれた改造人間としての機能中枢ギガスの腕輪は、人が再現した不完全な事象変換装置だ。
それは遠い昔に“何者か“から剥がれ落ちた非人類起源のマテリアルを、理論も分からぬまま経験則のみで数千年間使い続けた成れの果てだ。
だが既に事象改変装置は、人間の肉体を変化させる、あるいはデータとして入力された物体を現出させるといった、全く異質で限定的な玩具に等しきシステムに堕していた。
こんなものをいくら人の浅知恵で弄り回そうが、神の世界などという夢想の果てに辿りつけるわけがない。
だというのに、人という知的生命体の純粋な願いが、苛烈なる激情が、憎悪が、まるでプログラム上の偶発的バグのように、想定外の結果をもたらした。
目の前の怨敵に――勝つ。
殺す。
絶対に殺す。
死んでも殺す。
その意思は翔びながら、燃えて溶け落ちる鉄の矢だった。赤熱の矢であった。そのよウな、まっすグな願望う。
妻と子を奪った南郷十字への激情に、もはや是非もなし。
エイリアスビートルの肉体が、原子レベルから再構成されていく。
背中には、四基の粒子加速リングが
両肩と両脚には、大型の生体ミサイルポッドが
両腕には六角形の単結晶ソードが
頭部には冷却用の角と排気口が
そして全身には黄金に煌めく電磁装甲が
願った通りの究極の最終戦闘形態が形成された。
熱と電磁場の奔流を払い、生まれ変わったエイリアスビートルが一歩を踏み出した。
「俺は今――最終形態への脱皮を完了ウしたァ……」
排気口から蒸気が噴出。
エイリアスビートルの意識は、自分でも驚くほどに澄み渡っていた。
既に肉体崩壊へのカウントダウンが始まっているというのに、とても冷静で、世界の全てが見渡せるような気がした。
これが、神の世界への入り口に立つということなのか。
あれだけ脅威に見えていた南郷が、とても矮小で哀れな存在のようにさえ思えた。
南郷がロケットランチャーを投棄する。腰の武器を抜く。あの赤色の剣だ。二刀ある。剣の詳細も分かる。原子一個分の薄さで全ての物体を切り裂く。
あらゆるデータが、南郷の次の動きが、一瞬で予測いや予知できた。
「もう無ダ、だな……」
ただの人間に過ぎない南郷の動きが、止まって見えた。
エイリアスビートルが手をかざすや、自己の分身体を出現させた。
青白い幽鬼のような、第一形態と第二形態の分身がそれぞれ二体。それは自己の存在確率を制御することで生み出した、エイリアスビートルのコピー体だった。
襲いかかる分身体に、南郷が打ちのめされる。
「ぐぅぉ……っ!」
全身の電磁反応装甲に弾着の火花が走り、ただの人間が仰け反った。
だが同時に、二体の分身体を切断していた。
恐るべき技量と覚悟だ。
だが――
「ただの人間でハ……ここマデ、だ」
冷淡な戦闘機械のように呟いて、エイリアスビートルはリング型加速器を放出した。
四基の加速リングは空中に浮かび、南郷を包囲。
次の瞬間、四方向から粒子ビームを発射した。
「うっ……!」
気付いても反応のしようがない。防御のしようがない。
亜光速に加速された重金属粒子は、確実に南郷の装甲服に直撃していた。
火花の中で、エイリアスビートルは怨敵が呆気なく崩れ落ちるのを見ていた。
完全に勝利のビジョンを予知する。
南郷の電磁反応装甲は過剰反応で暴発して、激しくスパークしていた。
ただの人間が粒子ビームで風穴を空けられて、生きていられるわけがない。
終わった。
復讐は終わった――
と、確信している自分の油断に気付いた。
「違う! 人間はいつだって! 敗北を覆す! それが99%の敗北だろォともォッッッ!」
神を気取って余裕ぶっていた己を、人間だった頃の記憶で吹き飛ばす!
叫んだのと同時に、南郷を包む火花が一際大きく爆ぜた。
爆発だった。
電磁反応装甲の崩壊による、爆発。
アーマーゲージ、ゼロ。粒子ビームの直撃の瞬間に、全ての電磁反応装甲を放出してビームをギリギリの角度で逸らしていた。
装甲の発火は、全て意図的。作戦。エイリアスビートルを油断させ、一瞬のチャンスを掴むための、命をベットした一度きりの賭け……!
南郷はその爆発を利用して、加速、加速。人間の限界を超えた、己を弾丸と化したる突撃――。
そして、赤キ一閃。
音速突破の破裂音、闇の底に響き渡りて、
エイリアスビートルは縦一直線に両断されていた。
「ア……?」
「死ィねァァァァァァァァッッ!」
サザンクロスの赤き十文字が鈍く光って、絶叫吐き出し繰りだざれる、二刀連撃、微塵斬り。
エイリアスビートルは電磁装甲の隙間を切断され、瞬く間に解体された。手足が舞い、ギガスの腕輪が縦横無尽に破壊され
そして、トドメとばかりに頭部を十文字に切断された。
いかなる改造人間とて、脳と心臓とギガスの腕輪を完全に破壊されれば、再生のしようがない。
だが既に、エイリアスビートルは非常識の塊だった。
残存した分身体に黄金のノイズが走る。存在確率の変動。量子的な死の否定が行われた。
分身体を憑代に、エイリアスビートルの本体が復活――。
南郷の背後を取った。
「な・に?」
「お前が敗北を覆すのなら! 何ン度でも塗り潰してやる、サザンクロスァ!」
単結晶ソードの刺突が、南郷の脇腹を貫通した。
確実な手ごたえ――。
「ぶほっ……」
南郷の口元、マスクの隙間のエアフィルターから、赤黒い鮮血が噴出した。
最終戦闘形態エイリアスビートル・メガス3!
ただの人間には、もはや成す術なし……?




