剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ39
気を抜けば、はらりと命が切断される。
女と女の真剣勝負、第二幕!
アズハの装備品は全て、防衛省筋が意図的に流出した技術で作製されている。
忍者刀はMMEと同系統のメタマテリアル刀剣であり、棒手裏剣はカーボンスチール製、一見して某都立高校の制服のそれはメタマテリアル技術を応用した防弾防刃仕様だった。
いわば南郷の使っている装甲服やMME等の姉妹品にあたる。
こんな最新技術の先進装備をアズハが使っているのは、試験運用の側面もある。
つまり、装備の上では攻防ともにアズハは園衛を上回っていた。
しかし、実戦は装備の優劣だけで勝敗が決まるものではない。
木々の隙間から月光が林に差し込む。
それが暗中の唯一の光だった。
園衛とアズハが互いの位置を把握できるのは、目を閉じていても互いの気配を察知できる心眼に長けているが故。
呼吸音、衣服の擦れ、地を踏む震動、そして目に見えぬ殺気を視覚以外の五感で探知するのだ。
いつしか、アズハは竹刀ケースからもう一本の忍者刀を抜いていた。
変幻忍者刀〈次蕾夜〉の兄弟刀、〈阿火影〉。僅かに小振りな、緑色メタマテリアル製の刀だった。
園衛とアズハは、暗中にて互いを正面に捉える。気を抜けば、死角の取り合いになる。
アズハが、まがりなりにも互角を演じるには、この手しかなかった。
園衛は刀を霞に構え、音もなく摺り足で接近。間合いを詰めた。
正攻法の切り合いなら、この真正面の剣戟にのみ対応すれば良いのだが、実戦にセオリーなどありはしない。
アズハの後方の闇から、〈雷王牙〉が同時に飛びかかった。
「ンンなろォッ!」
悪態を吐き、アズハは正面突撃した。
日本刀の霞の構えは、最小限の振りで即対手の胸元に切っ先を入れることが出来る、速さの構えである。
裏を返せば、霞構えからの一撃はパワーに劣る。
スピードならアズハの方が上だ。二刀で対処すれば、一撃を受け流しつつ、あわよくば反撃に繋げられる。
アズハの目論見通り、間合いに入るや園衛の一撃を受け止めて、斜めに刃を流した。
闇に翡翠の火花が走る。
このまま体移動で半身を園衛の近接レンジの内側にすべり込ませて、残る一刀で脇腹を抉る!
が、逆にアズハの姿勢が崩れた。
受け流していた園衛の刀が、不意に空中に放棄されたのだ。受け止めるべき力が無くなって、イキんでいたアズハの膝が軽く踊った。
武器を自ら手放した園衛はアズハの後方にそのまま駆け、地面に突き立つ別の刀を引き抜いた。
大振りな刀だった。巨大な鉄の塊だった。
刃渡り2メートルを超す、幅広の長方形の刀身。日本刀ではなかった。
形状はインドのカンダ、あるいは西洋のエクスキューショナーズソードに近い。
十武剣が五の太刀、多勢丸。
常人なら持ち上げることすら不可能な巨刀を、園衛は気功を以て振りかぶった。
「討魔刀法――屠龍!」
殺気と共に、園衛は虚空に巨刀をスイングした。
一見、意味のない素振りのようであった。
アズハは〈雷王牙〉の突進を避けつつ、低い姿勢で地を這うように園衛に回頭した。
その瞬間、闇の中にうねる大蛇を見た。
翡翠色に光る金属の大蛇が、虚空にうねってアズハに向かって突っ込んでくる。
「なんじゃこりゃあああああああッッッ!」
アズハ、即座に樹上に跳んで回避するも、その樹が大蛇によって幹を粉砕された。
容赦のない自然破壊を引き起こした大蛇の正体は、ワイヤーによって鞭のごとく伸長した巨刀だった。
そういう刀なのだと悟ったアズハの背筋に、厭な汗が滲んだ。
(冗談やないで……あンのババァッ!)
あんなものを食らったら、死ぬ。
確実に即死だ。
アズハのブレザーとインナーは電磁反応装甲を応用した防具だが、あそこまで大質量の攻撃はどうにもならない。
二刀の忍者刀で受け流すのも不可能だ。
樹上に跳んだアズハだが、このまま逃走する、もしくは林の外で仕切り直すという選択は不可能だった。
更に頭上に数発の空烈音を聞いて、必死の回避行動を取る。
上空の〈綾鞍馬〉からのニードルガン攻撃だった。完全に頭上を抑えられている。
地の利、そして数の理は園衛にあった。
二体の空繰と連携した容赦なき攻撃で、アズハを劣勢に追い込んでいる。
「腹立つなァ……ッ!」
こちらから威勢よく乗り込んできたというのに、憎い相手に返り討ちなど冗談ではない。
アズハは武装を格納する竹刀ケースに手を掛けると、勢いをつけて巻物を展開した。
「デカブツはコイツと遊んどれえぃっ!」
無数のドローン式神が、空中に解き放たれた。
イオンクラフトとメタマテリアルを発火させる電磁推進で、翡翠色の折紙が嵐となって二体の空繰に突撃した。
無論、この程度の攻撃では空繰を仕留められない。単なる足止め。1分でも30秒でも止まれば良い。
園衛とのタイマンなら、アズハには勝つ自信があった。
この10年間、地獄を味わってきた。生き残るために研鑽し続けてきた。青春を磨り潰して実戦に身を置いてきた。
いかに宮元園衛が、かつて巨大なバケモノだかラスボスを打ち倒した英雄だろうが何だろうが、自分が劣っているわけがない。
同じ人間なのだ。勝てない道理はない。
腹の奥で煮え立つ憎悪の澱と憤り、矜持と反骨心の一切合切を込めて、眼下の園衛に狙いをつける。
園衛は、巨刀の第二撃を繰り出そうとしていた。自由落下中で動きの取れないアズハに、ワイヤー射出の刀身をぶつけるつもりだ。
空中にて、アズハは納刀。右手の指に新たな武装を通した。
一見、ヨーヨーのように見える奇妙な武器だった。
「奔れ! 斉山破流錘!」
闇の中に放たれたヨーヨーは、巨刀に敢え無く弾かれた――と思いきや、内蔵された圧搾空気を噴射することで軌道を変更。巨刀に糸を絡ませた。
園衛は巨刀を振って糸を切断しようとしたが
「な・に……っ?」
糸が、切れない。
ほぼ不可視の極細の糸は、単分子生成されたワイヤーだった。
ヨーヨーに似たこの武器は、キネティック・デバイスと呼称される高機動誘導弾を小型化したものだった。手元の操作で自由に弾道を変え、ワイヤーによる拘束、切断を自在に行う。
巨刀の展開射出を妨害され、園衛は力づくでワイヤーごとアズハを薙ぎ払おうとしたが、巨刀ゆえに振りが遅い。
「くっ……」
「遅いわっ!」
アズハは巨刀の腹を踏み台にして再跳躍。同時に棒手裏剣を園衛に撃ち込んだ。
園衛は巨刀を手放し、手裏剣を回避。また別の刀剣を引き抜いた。
十武剣、参の太刀――銀狼丸。
見た目は、ブロードソード状の片手軒だ。これもまた尋常の剣ではない。
銀狼丸は、剣の道を逸れた外道の剣。魔ではなく人を断つのに有効な剣だった。
この剣は、光と闇の表裏を持つ。
着地したアズハが再び二刀流となって、間合いを詰める。
園衛は銀狼丸を盾のように掲げた。
瞬間、鍔に仕込まれた小型LED灯光器が発光した。
これこそが銀狼丸の光。目潰しの外道の光だった。
その10万ルーメンの光がアズハの体を覆った。
「うぬうううううううううっ!」
視界ゼロの白い光の中、アズハと園衛が交錯した。
園衛が振るうは、銀郎丸の闇の姿。
180°裏返った刀身は黒塗りで、夜に溶け込み間合いを狂わす。目潰しで視界を奪われれば、もはや回避不能である。
だが、園衛には手応えがなかった。
アズハは寸での所で身を逸らし、互いの斬撃は不発に終わった。
「っく……お互い……マトモにチャンバラする気はないみたいですねえ、宮元さん?」
俄かに息を切らし、アズハは不敵に笑った。
虚勢だった。
アズハが銀狼丸を回避しえたのは、両目のカラーコンタクトに遮光版の機能があるからだ。このコンタクトも最新鋭の防御兵装であり、過剰な閃光に反応して色相を変化させる。
忍とは、いかなる状況をも想定して任務に臨むもの。
想定外だから対応できませんでした。任務に失敗しましたなど、三流以下の言い訳だ。
仕事人としてのプロ意識、そして父から受け継いだ柳生忍者としての矜持が、アズハにはある。
園衛は無言で銀狼丸を捨て、また別の刀に持ち替えた。
「いざ、参る」
次の刀は、長い刀身の長巻だった。十武剣が四の太刀、太精丸である。
園衛は、常に武器交換を想定して立ち回っている。
このペースを崩さない限り、アズハの勝ち目は薄い。
残念だがそれが現実だ。戦況を客観的に見なければ、確実に負ける。
更に時間を置けば、二体の空繰が式神ドローンを突破して援護にやってくる。
(しゃーないなあ……)
アズハは僅かな逡巡を振り払って、情けを捨てた。
少しだけ、厭な手を使うことにした。
「宮元さぁん……? あんた、空理衛ちゃんにずぅーーっと、嘘ついてはりましたよねえ? 本当は内臓ひっこ抜くためのクローンだっちゅうのに、本物の妹と思い込ませて、弄んでいた」
アズハの声に、園衛は耳を貸さない。長巻を構えて、間合いを詰めようとしている。
一切の甘さのない、冷めたい殺気が充満していた。
林中の空気は、張りつめた氷のようだった。
それでも尚、アズハはせせら笑って言葉を紡いだ。
「10年も嘘吐いてホンマモンの家族のフリしてぇ……どんな気分でした? 恵まれない代用品の子供を救ってやれた。自分は良いことをした。正義の味方。これで本物の妹を見捨てた罪も許される……なんて、思ってたんと違いますか? そォいうのを偽善者っちゅうんですよ!」
アズハは責め立てるが、園衛は聞いていない。
上空で翡翠の火花が散った。アズハの左耳に付いたピアスが、僅かに振動。ドローンの足止めが突破されたことを通知した。
内なる焦りを気取られぬよう、アズハは大きな声で続けた。
「ハッ! 精神攻撃は無効ですか? じゃあ、ついでに教えときましょ。空理恵ちゃんは――なぁんも知らんのですよ」
園衛の動きがピタリと止まった。
闇の中で、園衛の唇が震えているのが見えた。
「なん……だと?」
「空理恵ちゃんが昨日の夜に聞いたんは、自分が本当の妹やない――ってことだけ。自分の正体については、なぁーんも知らん。それがショックして家出しただけ。自分がとっくにくたばった本物ちゃんの代用品だなんてことはぁ……今、初めて知ったんですわ」
アズハの妙な言い回しを、園衛が訝しんだ。
「今」とは、なんだ。まるで空理恵がこの場にいるような口振りだ。
真逆――と、園衛の表情が青ざめた。
林の中に、第三者の足音がした。枯葉を踏みしめる音だった。
木々の奥に、何かの光が浮かんだ。スマホのLEDライトの光だった。
そして、足音の主が戦場に迷い込んできた。
「あ……あ、姉上……。い、今の話って……」
空理恵が、全ての偽りを知った妹が、園衛の前に来てしまった。
その手に持つスマホの画面は、通話中の表示だった。
これこそが、アズハの仕込んだ忍術。シュリンクスのアプリにある無料通話機能の応用だ。
アズハの右のピアスは、小型インカム端末になっている。スマホと連動して、戦闘前からずっと音声を流していた。
空理恵に飲ませた睡眠薬の効果時間が切れるのに合わせて、剣戟を派手に鳴らしし、声を張り上げて、ここまで誘導した。
そして最後の仕上げに、全てを暴露した。
アズハが空理恵に植え付けた疑念の種は、狙った通りのタイミングで見事に発芽したのだ。
今の園衛は、精神の鎧を剥がされた素肌の女だ。呆然と空理恵を見ている。
「く……空理恵……? 違う。違うのだ。話を……」
「違うって、何が……? アタシは一体なんなの……? もう、ワケわかんないよ……っ」
この隙を突けば殺すのも不可能ではない――が、距離が遠い。撃尺の間合いに入るまでには反応される。
それに――仮にも妹である空理恵の目の前で姉を殺すのは、気が引けた。
空理恵は事実を知って混乱している。そこに更にショックを与えたら、壊れてしまう。
アズハの中の人間的な迷いが。判断を鈍らせた。
「フン!」
アズハは鼻で笑った。
嘲笑うのは園衛の無様さと、甘ったるい己自身。
煙玉を投げ、アズハは煙幕を張った。
「仕切り直しや! 宮元園衛ッ!」
「貴様……っ!」
「生憎、アンタとの勝負は二の次! ウチには仕事があんねん!」
些か感情的になったが、優先順位は誤らない。
今しがた、左のピアスが甲高い警告音を発した。それは、エイリアスビートルの生体反応消失を知らせるアラームだった。
あの改造人間のサポートが、アズハの仕事だ。園衛を殺すのは仕事に含まれていない。ここで死合に固執しても、アズハには任務失敗、信用喪失というデメリットしかない。
だが退却の煙の中で、アズハは一つだけ不条理な選択をした。
アイデンティティの全てを失って立ち尽くす一人の少女、自分と同じ境遇に置かれた、空理恵の手を握ったのだ。
「空理恵ちゃん……ここに残るか、ウチと来るか、どっちがええ?」
「アタシ……は――」
灰色の闇の中で、空理恵はアズハの手を握り返した。
折れ曲がれるは姉妹の絆。
偽りの家族遊戯が幕を閉じる――。




