竜血の乙女、暴君を穿つのこと1
呪術人形vs戦闘機械竜。
炎、狂い咲く。
1946年、7月。舞鶴港。
太平洋戦争終結から一年、復員船から降りてくる人々の数も以前と比べれば随分と少なくなったものだ。
ある人は憔悴しきった顔で港に降りたち、ある人は家族との再会を喜び、ある人は途方に暮れてどこかへと消えていく。この一年間、見慣れた光景だ。
元帝国陸軍大尉、北宮仁は特に感慨もなく人の群れを遠巻きに眺めていた。
夏は嫌いだ。暑いのも厭だし、復員船特有の濃縮された男共の垢の臭いが暑さで熟成されてここまで臭ってくるのが最悪だった。
額の汗を右手で拭い、左手でポケットから写真をつまみ出す。
映っているのは、脳天気に笑う一人の男。妙な物体と一緒に映っている。
恐竜の頭蓋骨だ。頭蓋骨の真正面と顔を並べてピースサインをしている。ふざけているのか。
この恐竜は、確かティラノサウルスとかいう名前だったと思う。全く興味がないのでどうでも良いが。
一応、復員船から降りてくる連中に写真の男がいないか確かめてみるが、当然いない。
確か情報では、あんな貧乏臭い手段は使わないのだとか。
じゃあ、どう方法で帰ってくるのかというと――
「あ~~辛気臭ぇ港になっちまったもんだなぁ? おぃぃ~~~?」
誰に言っているのか、それとも独り言なのか、嫌味ったらしい大声が後の方から聞こえてきた。
「天下の舞鶴鎮守府、赤レンガの勇姿はどこへやら! ほんっと下手糞とバカが戦争やるとこうなっちまうんだよなぁ~? おーーーーっ?」
振り向くと、カタギとは思えない格好の男が道のど真ん中を闊歩していた。背広を肩に羽織り、サングラスをかけて周囲を威圧する様は任侠者にしか見えない。
男は復員庁の職員、つまり元海軍軍人らしい人間を見つけると「よぉ下手糞!」と煽るように声をかけて萎縮させていた。
北宮は写真の男の顔と見比べてみた。
サングラスをかけているが輪郭は瓜二つだ。
あまり良い気分はしないが、声をかけざるを得まい。
「もし、そこの方」
「なんだぁっ?」
威嚇めいた声を挙げる男。目的の人物でなければこのまま殴り殺してやりたい。
「左大千一郎さん……ですね」
「オゥ、俺が左大よ。なんぞ用かい?」
「自分は宮元の家から出迎えに行けと言われた者です」
宮元の名を聞いた途端、左大の表情は一変。にこやかに破顔し、親しげに北宮の肩をぽんと叩いた。
「オオゥ! 宮元の使いかぁ! 戦争前は俺のことキ〇ガイだのハズレ者だと散々罵ってくれたが、ようやく俺の偉大さを分かって迎えを寄越したか! ワハハハハ!」
「ところで左大さん」
北宮は険しい表情で詰問した。
「あなた、大陸から帰ってきたんですよね」
「オゥ、ついさっき入港したばっかりじゃ」
「乗ってきた船って、アレですか?」
北宮が指差すのは、埠頭の奥に係留してある一隻の貨物船だった。それもかなり大きい。戦時徴用され、大型商船がことごとく沈められた今の日本では滅多にお目にかかれない、豪奢な大型貨物船だった。
左大は誇らしげに頷いた。
「オオゥ、俺の船よ。手土産もどっさり持ってきたぜぇ~」
「左大さん、あんたが大陸や南方で何やってたかは大体知ってる。諜報員として奥地まで入って地形や現地人を調査していた……というのは表向きだ。あんたが本当にやってきたことは――」
そこまで行った所で、左大はすっと掌を北宮の口に当てて塞ぐような仕草をした。
そしてニッと笑い、何ら悪びれることなく胸を張って言った。
「そうよ、俺は恐竜に会いにいったのさ~~!」
狂っているとしか思えない内容を、目をギラギラと輝かせながら、子供のような笑顔で
「大陸や南方の奥地は未知の領域! そこには一匹くらい恐竜が生き残ってたって不思議じゃあない! だから俺は前の戦争を利用してきょぉ~~っりゅぅ~ぅ~ぅ~♪ をっ、探しにいったのさぁぁぁぁぁぁぁっ!」
歌いながら宣言しやがったのだ。
狂人を前にして、北宮の表情が本格的に曇る。
「あの船……何が積んである」
「もち! 恐竜の化石よぉ! 陥落寸前のベルリンから持ち出したブツもあるぜぇ!」
「……盗んだのか」
「金払って買ったのが大半だよぉん♪ 火事場泥棒なんてあんまやってねぇから!」
「その金……諜報用の予算じゃねぇのか?」
睨みつける北宮。
だが左大、全く意に介さず笑い飛ばす。
「そーのーとーおーりぃーーっ! あんな戦争真面目やるワケねーだろバ――――カ! だからバカ共のクソ予算は俺が有効利用させてもらったぜえ~~っ! 戦争に無駄金使うよりゃあ、人類の夢である恐竜のために使った方が遥かに有意義ってぇモンだ。文句あっか!」
北宮の側頭部のあたりで、血管がギチ……と音を立てて軋んだ。
頬をぴくぴくと動かし、爆発寸前の感情を必死に抑えながら、北宮は声を絞り出した。
「で……恐竜には会えたのかよ? 左大さん……」
左大は酷く残念そうに、大きな溜息を吐いた。
「はぁ~~っ……。それがよぉ~~、どこ行っても恐竜いなかったんだわー……。クソでかいワニとかスッポンとか、ダチョウよりデカい鳥とかはいたんだけどよぉ~、恐竜じゃないなら別にどうでも良いっつーかぁ……。一匹くらい恐竜いたって良いじゃねーかよっ!」
北宮は頭の中が真っ白になるのを感じた。
戦争の是非は今は問うまい。恐竜云々もこの際置いておく。
婿入り前に宗家の親戚筋の問題児を責任追及のために会議に引っ張ってくるとか、そういう役目ももうどうでも良い。
だが北宮は実際に部下たちが目の前で死んでいくのを見た。参謀本部のバカげた作戦の犠牲になって何十人もの、自分より若い兵士たちが無惨に散っていった。
戦争を私物化して、食い物にしたこの左大という男がとてつもなく独善的で醜悪で、鼻について、脳ミソまでツンと突き抜けてきて――
ブッ飛ばすことにした。
北宮は左大の肩をツンツンと指叩くと、手を引いて誘導を始めた。
「お、なんだなんだぁっ? 車にでも案内してくれんのかい?」
左大は埠頭の端、岸壁の部分に立たされた。
意味が分からず首を傾げる左大の真正面で、北宮が身構える。
「えっ?」
「死ねオラ―――ッ!」
北宮の飛び蹴りが左大の胸部に炸裂。二人はそのままもつれ合って、舞鶴の海中へと盛大に没した。
狂気と我欲のままに全ての常識をぶっちぎる左大千一郎という男。
彼の妄執と悪夢が人類の未来を救うことになろうとは、この時まだ誰も想像し得なかった。
恐竜! それは、地球の生命を守るために戦う、最強の動物たちのことである!
そんな一文で締めくくられた狂った計画書を読み終えて、宗家の長老たちは絶句した。
時は1948年10月のこと。
宮元家、左大家、右大家という2000年もの長きに渡って妖魔と戦い続ける三大宗家の会合を狙って左大家の問題児、左大千一郎が計画書を提出したのだ。
宗家の誰かがひそひそと話している。
「あの人、座敷牢に入れられてたんじゃ……」
「半年前に牢を素手で破壊して脱出したらしい……」
長老たちは皆、一様に渋い顔をしていた。
宮元家の当主は頭を抱え、懇願するような声を絞り出した。
「もう帰ってよキミィ~~……」
対するは、件の左大千一郎。一人だけ自信に満ちた目を輝かせている。
「いいえ、帰りませんぜっ! 宗家の皆さまがたが、俺の偉大な計画を理解してくださるまではねっ!」
「計画ってキミねぇ……」
宮元家当主は、手元の計画書を引っくり返した。表紙にはデカデカと〈対妖魔戦闘機械傀儡計画〉と題が記されていた。
右側の席に座る右大家の当主は、計画書をめくって再び目を通している。
「我々が妖魔と戦うのに使用している空繰を現代科学で強化するという。それは分かる。真っ当な考えだと思う」
「そうでしょうそうでしょう!」
「だが、恐竜の怨念を利用するという……コレはなんだ? 何故そこで恐竜?」
「分からないってことはないでしょう?」
ニチャリ……と左大は凶暴な笑みを浮かべた。そして一転して論理的な説明を始めた。
「西洋の魔術にはアーティファクトという概念があります。神秘は古ければ古いほど強大な魔力を秘めているという考えです。故に魔術の素材として何百年も前の宝石、何千年も前のミイラを使う。なら、恐竜の化石を使ったらどうなるでしょうか? 何千万年、何億年も前の化石! 桁違いの魔力が得られるのが理屈ってえモンでしょう!」
それは雄弁なるプレゼンであった。これがあるからこそ左大千一郎は軍人時代に多大な予算を司令部から引き出すことに幾度となく成功した。単なる狂人ではないのは確かだった。
事実、親戚たちに動揺が走った。
「確かに一理ある……」
「どうして誰も思いつかなかったんだ?」
「誰もやらないのには理由があるのでは?」
ざわめく声を叩き割るがごとく、畳を誰かが殴りつけた。
「もういい加減に黙れ! 家の恥めぇっ!」
白髪頭の老人。左大家の長老、つまり千一郎の祖父であった。
左大、全く怯まず臆さず祖父に向かって怒鳴り返す。
「テメーこそ黙りやがれ死にぞこないがッ!」
「ぬぅぉあにぃぃぃぃぃぃッッッッ!?」
顔を真っ赤にした祖父が立ち上がろうとした瞬間、パン! と手を叩く音が場を収めた。
宮元家の長老であった。
「千一郎くんの言い分も分かった。確かに試す価値はあると思う。しかし我々としては不確実なものに予算を割くわけにはいかない。何より、君自身に信用がないのだ。前の戦争で軍の予算を横領した件もあるしね」
「分かる話です」
「却下されると分かっていながら、どうしてここまで乗り込んできたのかね。まさか演説だけで君への評価を引っくり返せる……などと思っているわけではあるまい」
「全くもってその通り。だから、実物を用意してきました」
不敵に笑う左大。
親戚たちが訝しんだ矢先、地響きがした。
どすん、どすん……という音と震動が畳を揺らす。ここ宮元家の近傍には採石場がある。そこの発破だろうか?
否、それにしては妙に近い。しかも地鳴りは確実に屋敷へと近づいていた。
「なっ、なんだぁっ?」
「妙に揺れて……?」
親戚たちのざわめきとは別に、屋敷の外から絶叫が上がった。
「うわあああああああああああああああ!」
続いて、何かが破砕される音、殴打される音。明らかな異常だった。
戸が開き、真っ青な顔の従者が部屋に飛びこんできた。
「くっ、曲者! 曲者です、皆さまがたぁ!」
なんということか。この会合を狙っての襲撃とは! しかし三大宗家の会合であるから、この屋敷の周囲は厳重な警備が敷かれている。対妖魔装備の戦闘猟兵部隊に、主力空繰〈風神楽〉を中心とした100体以上の空繰部隊が屋敷を幾重にも守っているはずだ。
左大は動じることなく、一切合切を狂った笑いで嘲った。
「ハッハッハッ! アレが警備部隊? 笑えますなァ! 全くもって下手! 戦争が本当に下手糞! さあ皆さん、ご覧ください!」
左大は自分を囲む親戚一同を掻き分けて、部屋の外向きの障子を蹴破った。
広大な日本庭園へと、外部から異物が侵入するのが良く見えた。
異質。あまりにも異質な怪物。いや、機械の恐竜が、分厚い塀を破って、空繰を踏み潰しながら一同の前に姿を見せた。
全高5メートル、機体重量10トン強。
重金属の装甲で全身を覆い、背中から尾にかけては剣山のごとき背ビレが幾重にも連なり、骨格標本を思わせる意匠の頭部には赤い炎が目を成して煌めく、”直立二足歩行”のティラノサウルス型戦闘機械傀儡が、そこにいた。
「あれこそが! 戦闘機械傀儡! ジゾライド! その初号機ですよッッ!」
左大の紹介を合図にしたかのように、塀の外から警備部隊の空繰が突入してきた。
対大型妖魔用の駆逐空繰〈土神楽〉。パワフルな腕と厚い装甲が自慢の5メートル級空繰である。それが三体、操作する術者と共に〈ジゾライド〉を取り囲んだ。
「曲者めぇっ!」
「どれほどの怪物だろうと!」
「三体に勝てるわけないだろ!」
術者がコントローラーである緑色の勾玉に念を送り、自らの意思を空繰に転写することで〈土神楽〉は自在に動く。
それら三体の空繰を見て、〈ジゾライド〉は俄かに口を開いた。
まるで嘲笑うかのように牙を見せた次の瞬間、長大な尾が一振り。音速を超えて動いた。
僅かに遅れてブンッッ……という空裂音が鳴ったと思えば、〈土神楽〉が二体まとめて薙ぎ払われていた。背ビレが刺突用スパイクと化した重金属のムチを超音速で叩きつけられ、1トンに満たない木製の〈土神楽〉は一瞬で粉微塵の残骸と化して空中に霧散した。
「ぁぁぁああああぎぃぃぃぃぃぃぃ!」
空繰に意識を転写したことで自らの肉体が粉砕される死に至る幻肢痛を味わい、二人の術者が卒倒した。
残る一体は仲間に起きた出来事を理解できず硬直し、その眼前には〈ジゾライド〉の大きく開かれた口の中身が広がっていた。
「へっ……?」
理解する間もなく、〈土神楽〉の頭部が食いちぎられた。術者は頭部を喪失する感覚を疑似体験して、声もなく気絶した。
〈ジゾライド〉は〈土神楽〉の頭部をゴリゴリと咀嚼してから吐き出した。本物の恐竜と違い食道が存在しないこともあるが、それ以前に食う価値もないと判断したようだった。
自分に刃向う存在がなくなったことを確認すると、〈ジゾライド〉は天に向かって咆哮した。
自らの力を誇るように、6600万年ぶりの竜王の帰還を世界の全てに轟かせるように、高らかに吼えた。
咆哮に奮える屋敷の中で、宗家一同は呆気に取られていた。
「ぁぁぁぁぁ……金庫から金がなくなっていたと思ったら、あんなモノをぉぉぉぉぉ……ッッ」
左大家の長老は白目を剥いて気絶。
「むう……確かに強い、それは認めざるを得ない」
右大家当主は冷や汗をかきながらも、納得したように何度も頷いた。
「もう帰ってよ……」
宮元家当主は破壊された我が家と空繰の修繕費を考えて頭を抱えた。
一同困惑し、意見をまとめるべき宮元家長老も腕を組んで「むむむ……」と唸る有様。
デモンストレーションとしてはあまりにも鮮烈にして苛烈。やり過ぎである。しかし当の左大は誇らしげに笑う。どんなもんだ、と。
そこへ、廊下をどたばたと駆ける音。
「左大テメェぇェェェェェェェ!」
鬼の形相で部屋に突入する一人の男。北宮仁、改め東家に婿入りした東仁であった。
騒ぎの原因が左大だということは大体分かっている。そしてあの巨大な恐竜を目の当たりにすれば、左大の本心など全てお見通しだ。
空繰の強化? 人類守護の理想? 妖魔の殲滅? そんなものは全て恐竜を現代に蘇らせるという左大の私利私欲を実現するためのお題目に過ぎない。
戦時中に世界中を回っても左大は恐竜に会えなかった。ならば自分の手で恐竜を作れば良いじゃないか――と思うに違いない。奴はそういう男だと、北宮は直感で確信していた。
二年ぶりに対峙する鬼と狂人。かけ合う言葉なぞ不要ッ。
「なんじゃ北宮あああああああああああああ!」
「なんだゴラァァァァァァァァァァァ!」
真正面から、互いの拳が顔面に突き刺さった。
こうしてお披露目を果たした〈ジゾライド〉を皮切りに、戦闘機械傀儡の量産が開始された。
左大の思惑はどうあれ、念動力と単純なカラクリ仕掛けで動いていた従来の空繰に代わって、内燃機関や油圧シリンダを組み込まれ、銃火器さえも装備した戦闘機械傀儡は絶大な戦果を上げた。
それだけに留まらず海外の対妖魔組織にも輸出され、莫大な外貨を宗家にもたらした。
結果的に左大は宗家にとっても、人類にとっても英雄となってしまった。
これから60年の後、機械の体を得て蘇った恐竜たちが破滅の概念存在〈禍津神〉に立ち向かい、自分達の絶滅のリベンジを果たすのは、また別の物語である。
2025-620口絵更新