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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ
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剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ32

 その日、空理恵は家に帰ってこなかった。

 帰宅後に園衛がメールボックスを開くと〈今日は友達の家に泊まる〉とだけ連絡が入っていた。

 空理恵が友人宅にお泊りしたことは過去にも何度かある。休日ではなく平日に外泊することに僅かに違和感はあったが、園衛はそういうこともあるだろう程度に考えていた。

 南郷に指摘されるまでは。

「お泊り? この状況で?」

 日の落ちた玄関で、南郷が園衛に言った。

「お泊りくらいするだろう」

「……平和ボケですよ」

 南郷の声には棘があった。

 それは、依然として戦時に身を置く者の鋭さだった。

 今の屋敷には、人気がない。

 襲撃の危険もあるからと、日中の内に使用人たちを避難させてある。

 居残っているのは、園衛の両親と篝くらいだ。それも準備が済み次第、別宅に移動する手筈になっている。

 この件は今朝の内に、空理恵にも伝えてある。

「いくら空理恵が普通の子でも、状況が分からないほどバカじゃない。二回もバケモノに襲われたんだ。そういう危険から逃げるって時に、お泊りなんてすると思いますか?」

「だから、明日の朝に迎えを出すと――」

「友達って、どこの誰ですか」

 言われて、園衛は外泊先が誰の家なのか知らされてないことに気付いた。

(なんたる迂闊さ……)

 正に指摘された通りの平和ボケである。

 園衛は慌てて空理恵に電話をかけたが、何度コールしても出る気配がない。

 数分後、園衛はスマホをしまった。

 漸く、状況を理解した。

「やられた……」

 奥歯を噛む。前髪をかき上げる。

 肺腑の底からの重い溜息が、喉を枯らした。

「つまり……コレはアレか……。空理恵は誘拐されたと……」

「恐らく」

「人生とは常に最悪の結果が訪れるもの……。それを予想できなかったのは、正に私の迂闊さ。想像力の不足……!」

 園衛の拳が壁を叩いた。

 バキッ、と音を立てて木製の壁板が砕けた。

「誘拐して……人質にでもする気なのか」

「違うと思いますね」

 感情を露わにする園衛とは対照的に、南郷は冷静に、淡々と状況を分析していた。

「生きるか死ぬかの勝負で、身内を人質にされた所で……はいそうですかと降参なんてしますか?」

「……ありえんな」

「そう。殺られる前に殺るのが俺達という人間だ。人質に意味がないと相手が悟れば良し。報復として人質が殺されても、それは仕方のない犠牲。割り切るしかない。俺達が負けることで失われるモノと、勝つことで失われる命とは……等価値じゃない」

 それは幾多の死線を乗り越えた者でなければ、理解し難い極限の境地であり、諦めだった。

 敵に屈して全てを失うより、人質を犠牲にしてでも勝利を選ぶ、打算と殺意と決心。

 それすらも分かり合えるのが、園衛と南郷の関係だった。

「なら……敵は空理恵をどうする気だ」

「私見ですが……何もしない」

「どういうことだ」

「手元に置いておくだけで、こうして俺達にプレッシャーをかけられる。誘拐されたと知った俺達は、普通どうしますか? 手を尽くして空理恵を捜そうとする。それが敵の狙いだ」

「我々を撹乱して、リソースを割くのが目的……か」

 つまりは、園衛たちを疲弊させ、迎撃準備を整える時間を奪う。

 それは裏を返せば、敵方にも時間を稼ぐ必要性があるということでもある。

「敵がそういう回りくどい手を使うのは――」

「俺達への対策準備中ということでしょう。流石に一日二日じゃ敵も時間不足だ。具体的に何をするのかは想像もつきませんが……」

「フ……これも忍技か」

 後方撹乱は忍者の十八番である。アズハが関わっていると見て間違いない。

 空理恵を狙ったのは、園衛に対する何らかの意図があるのだろう。

 かたや園衛に救われた代用品の娘と、かたや園衛に全てを奪われた代用品の娘――アズハが空理恵にどんな感情を抱いているのか。それだけは園衛にも想像がつかなかった。

 園衛は気持ちを切り替える。

 いつまでも感情に引っ張られているほど、甘い人間ではない。

 再びスマホを取り出して、電話帳を開いた。

 コールする相手は〈ソーカル・ザラトイ〉と表示されていた。

「もしもし……。そう私だ。久しぶりだな。……厭そうな声を出すな。今日は空理恵のことで電話した。空理恵はその……行方不明でな」

 園衛は相手に言える範囲の事情を説明すると、少し会話して電話を切った。

 そして申し訳なさそうな顔のまま、南郷に顔を向けた。

「南郷くん……すまないが、空理恵のことを頼みたい」

「ここで動けば、敵の思う壷だと思いますが」

「そこまで苦労はかけないと思う。キミはこれから……空理恵の友達に会ってくれ。彼女に会えば、何もかも分かるはずだ」

 言うと、園衛はスマホを南郷の胸に押し付けた。

「それはキミに預ける。学校の校門で彼女は待っている」

「あなたは……」

「私は……私でやることを済ませる」

 園衛は南郷に背を向けて、屋敷の奥に進んだ。

 空理恵は南郷に信任する。それが理性的にはベターだし、感情的にも彼になら妹を任せられる。

 人が出払っているせいで、屋敷の廊下は照明もまばらだった。

 薄暗い廊下で、篝と擦れ違った。

 屋敷を出るところのようで、私服で大きなショルダーバッグを提げていた。小柄なせいで、まるで修学旅行前夜の女子中学生のようだった。

「あっ、園衛様! アレの調整はまだ――」

「……分かっている。苦労をかけるが、頼むぞ」

「ああ、それと昨日、空理恵様が――」

 園衛はそのまま通り過ぎようとしたが、篝の言葉で足を止めた。

「空理恵が……どうした」

「あ、いや、そのぉ……昨日、園衛様を探してらっしゃったので、お庭にいるとお伝えしたのですが……ちゃんと会えました?」

 善意から発した篝の言葉が、頭のずしりと圧し掛かった。

 空理恵に関して、園衛は最悪のケースを想像していた。

 今朝に妹を見かけた時、なんとなく挙動不審であった理由。

 夕方に妹が電話をかけてきた理由。

 そして今、何も言わずに誘拐された、あるいは失踪した理由。

 想像していた理由を補完する事実を耳にして、園衛は背中から血の気が引くのを感じた。

「そうか……わざわざすまんな、篝」

「あの、園衛様……? 大丈夫……ですか?」

 暗がりで顔色など見えないはずなのに、まるで10年前のあの日のような……篝の言葉。

「フ……大丈夫さ」

 10年前のように場を誤魔化して、園衛は廊下を奥へ進んだ。

 暫く歩くと、光の漏れるドアがあった。

 両親のいる部屋だった。

 ふう、と溜息を吐いて、覚悟を決めたように息を整えて、園衛はドアを叩いた。

「私です。入りますよ」

『園衛かい? ああ、どうぞ』

 父の自然な応答があった。当たり前だが、園衛の気などまるで知らない。

 部屋に入ると、両親は荷物をまとめていた。何日分かの着替えをバッグに詰めているのが見えた。

「あら、どうしたの園衛? もう出るところだけどぉ……」

 母は相変わらず脳天気だった。空理恵が帰宅していないことなど一片の頭にない。悪気はないのだろうが……。

「父上、母上……。昨日、空理恵に……何か言いませんでしたか」

 園衛は真剣な面持ちで問うた。

 重要なことだ。

 両親ともに雰囲気で何か察したらしく、息を呑んで顔を見合わせていた。

「何かと言われてもな……。南郷くんと園衛が庭に行ってから、ここに来たので……」

「園衛を捜してたみたいだから、明日にしなさいと……言っただけよ?」

 普通の対応だと思う。

 だが、親の対応としては……素っ気ない。

 悪気はないのだと思う。

 それでも、やはりどこかで他人行儀な空気が表面に出てしまうものだ。

 園衛でも分かるのだ。空理恵が自分に向けられる空気を感じ取れないはずがない。

「父上、母上……空理恵のことを、どう思っていますか」

「なんだね、突然。改まって……」

「本当の娘だと……思ってくれていますか」

 今さら、責めるわけではない。

 ただ、園衛は切に問うた。同じ屋根の下で暮らす家族として、聞かなければならなかった。

 両親は重い嘆息をして、俯いた。

「……血は繋がっていても……あの子は空理恵であって空理恵ではない。他人の子を我が子と思うのは……正直なところ、難しいと思う……」

「園衛……私たちも人間なのです。でも、空理恵を嫌ってるとか、憎いとかではないのよ? それを分かって……」

 とても人間らしい、正直な答だった。

 それで良いのだと思う。

 正義を標榜する宮元家の人間とて、人の子なのだ。

 腹を痛めた我が子の代わりに迎え入れた娘に、どういう感情を抱くのか。実の両親と偽り続ける後ろめたさ、薄ら寒さ、空しさ苦しさは理解できる。

 元より、園衛が我儘で始めたことなのだ。

 両親に苦しみを強いたのも、空理恵を騙し続けてきたのも、全ては園衛の責である。

「ご苦労をかけします……父上、母上」

 園衛は深く頭を下げて一礼した。

 そして部屋を出た。

 話を聞いて、全てを確信した。

「知ってしまったのだな……空理恵」

 昨晩の南郷とのやり取りを、空理恵に聞かれていた。

 これが偶然なのか、それとも何者かに誘導された必然なのか、あるいは園衛への報いなのか――そんなことはどうでも良い。

 ただ、再び運命と対峙する時きたのだと確信した。

 自分というちっぽけな人間を押し潰そうとする運命に勝てるか否かは、園衛にも分からない。

 だが

(南郷くんと二人なら、あるいは――)

 頼ることの出来る他者の存在を思い浮かべてしまう。

 ほんの少し前まではあり得なかった、センチメンタルな自分がいた。


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