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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ
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剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ25

 園衛の両親に捕まって更に長話に引き込まれそうだったのを、なんとか逃げ出せたのは不幸中の幸いだった。

「この後、園衛さんと話すことがあるので……」

 と、南郷が漏らすとご両親は笑顔で部屋から送り出してくれた。

 その態度で、色々と勝手な希望的かつ絶望的な憶測をされているのが分かった。

 呪縛の重みが全身に圧し掛かる。

「はあ……」

 朝から晩まで山中の獣道を歩かされたような、疲労が噴き出た。現代人がそんな道を右往左往しても何も得られない、非生産的な徒労の辛さ、精神的疲労感である。

 南郷は、庭の林の中にいた。

 季節柄、まだ微かに虫の音が聞こえる。

 月明かりの下の、少し冷たい10月の庭園。園衛の家の広大な庭の片隅にある、廃墟が待ち合わせの場所だった。

 異様に背の高い古びた鉄筋コンクリートの塀に囲まれた、城塞跡のような場所だった。この家にしては珍しく、入口は鍵がかけられている。

 この中には昨日、倉庫の二階から見た石碑のような物があるはずだ。

 園衛は、どうしてここを選んだのだろうか。

 南郷は考えた。

(お互いの秘密を話せる場所だから……か)

 ことさらに何かを秘匿している場所。

 対価として、そこを暴いても構わないというのは――園衛の誠意なのだろう。

 暫く虫の音を聞いていると、からん、と林の中で音がした。

 籠の中で、ガラスが触れ合う音だった。

「待たせたな」

 人を待たせておいて、この尊大な口振り。だが不快とは思わない。

 園衛が手提げ袋を片手に、漸くやって来た。

 袋の中身はハミ出しているので一目瞭然だった。日本酒の瓶だ。

「酒は人生の鎮痛剤だと誰かが言っていたが……私は心の潤滑油だと思っている。溜まった濁りをするりと喉から吐き出してくれる。饒舌のオイルだ」

 園衛は酒瓶と、二人分のグラスを取り出した。

「お猪口やぐい呑みより、私はグラスの方が好きでな。透明なガラスの向こうに見える世界の色を飲むようで、味わい深く感じる」

「俺は酒はちょっと……」

 南郷は左脇腹を抑えた。義手と義眼に対する免疫反応を抑える薬の影響で、肝臓に負担がかかっている。肉体的に飲酒は敬遠したいし、そもそも酒は好きではなかった。

「侮るな。その程度の配慮は出来ている」

 園衛は酒瓶を石段に置くと、袋から小振りの水筒を出した。中から氷の揺れる音がした。

「メロンソーダ、作ってきたぞ。好きなのだろう?」

「それはどうも……」

「空理恵のカキ氷のメロンシロップが残ってたから、それと炭酸で作ってみた。この私にメロンソーダを作らせるなぞ、大した男だよキミは。フフフフフ」

「はあ……」

 別に頼んでいないし、勝手に作ったのを自分のせいにされても困るのだが、南郷は反論しない。

 園衛はそういう人間だ。もう納得済みだ。

 承服し難きは、今のところ一つだけ。

「あの、さっきのご両親の件……ああいうの本当、勘弁してほしいというか……」

「ム……スマン」

 謝るくらいなら、あの場で否定して欲しかったのだが

「まあ、その、男っ気のない妙齢の娘を持つ親の気持ちというのを……分かってくれると嬉しい」

 それは園衛の問題であって、南郷を巻き込まれても困る。

 そもそも、園衛とそういう関係になった覚えはない。

 だが、分からない話でもないのだ。気休めでも両親を安心させたいという、園衛の気持ちも分からなくもない。

「時に……南郷くん。キミの御両親は……」

 話の流れ的に、そういう方向に舵を切る予感がした。

 昨日までの南郷なら、沈黙を答にしていた。自分の人生を他人に切り売りしようとは思わなかった。

 今日は……園衛だけには、話しても良い気分だった。

 はあ、と小さく息を吐いて、冷たい空気を吸って、準備を整えた。

「親は死にました」

 初めて他人に過去を晒した。

 自分も驚くほどに、感情の篭らない声だった。

「父と母と妹、正確には殺された。でも、実際は俺が巻き込んで、見殺しにしたようなもので――」

 一つ一つ、吐き出す言葉は氷の粒のようで、話すほどに腹の底が冷えていく。

 何も感じなくなる。

 普通の女なら、こんな話は洒落か悪趣味な口説き文句と思って気味悪がるだろうに、園衛は全てを受け入れる用意と覚悟が出来上がっていた。

「聞かせて――くれるのかい」

「――ええ。話しましょうか。俺がどうして、こういう生き方をするようになったか」

 神無月の夜風が、ぬるい。相対的に下がり切った体温。

 死人のような顔をして、南郷十字は語り始めた。

 それは、腹の奥の傷口を自ら広げていくような――無痛の自傷行為。



 南郷十字は、10年前までは普通の少年だった。

 少なくとも、本人はそう思っている。

 ただ、状況を観察するのが少し得意だった。

 どうすれば最小限のリスクで、自分が最大の成果を上げられるか。

 もしくは必要とする結果のために、自分はどれだけのモノを代価とすれば良いのか。

 それらを見極めるために、常に自己を騒乱の外に置いて、他人事のように計算する。

 さりとて、所詮は17歳。社会経験もない子供の浅知恵だ。

 土壇場に追い込まれれば、ボロが出るものだ。

 ――普通は。

 生きるか死ぬかの極限状況に追い込まれて、それでも冷静に自己の生命を目的達成の捨て駒に出来てしまったのが、南郷十字という少年だった。

 人間としての、皮が剥けた。

 人間としての、禁足の一線を越えた。

 結果は、Cクラス改造人間の撃破。

 初めて見る、人間以外の怪物を殺した。

 何の訓練もなく、武器すらない状態で、自己犠牲を払っての勝利。

 相手を工事現場に誘いこんで、鉄骨の崩落で押し潰した。

 代価は、右目の欠損。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 限界の緊張を越えた南郷は、朦朧とする意識で最終目標に迫った。

「返せよ……あんたら……」

 マイクロバスの周囲には、数人の男たちがいた。

 彼らは、信じがたい結果に慄いていた。

「なんだこのガキ……か、改造人間を殺っちまった……」

「どうするんだよ、この損失……誰が責任取るんだよ……」

 右目から血を流した少年を前に、男たちは判断力を失っていた。

 マイクロバスの後部座席には、気を失った学生服の少女が寝かされていた。

 彼女を取り戻すために、南郷は生死の天秤に己を乗せたのだった。

 バスの影から、別の異形が歩み出た。

「お見事ね、ボウヤ。まさか生身で改造人間殺っちゃうなんてビックリ!」

 男の声で、女のような口調で話すのは、カマキリのような見た目の怪人だった。

「ワタシはシミターマンティス。ご覧のとおり人間辞めたバケモノよん♪」

 名前などどうでも良い。

 南郷は足を止め、間合いを測る。相手を良く見て観察する。だが片目では距離感が掴めない。痛みと出血で、視界がボヤけた。

 気取られないように必死で平静を装うが、シミタ-マンティスには全てを見抜かれていた。

「無理無理、やめときなさいって。アナタは良く頑張ったわ。世が世なら良い戦士になれたでしょうネ。殺すには惜しい逸材ヨ。だから、見逃してあげる♪」

「返せって……言ってんだよ」

「フ……女の子一人に、どうしてそこまで必死になるの? 人生長いんだから、他に良い子を見つければ良いのヨ。漫画みたいに女のために命かけるなんてバカなことしたら……人生台無しになるのがオチよん?」

 南郷は隙を伺う。

 どうにかして、このバケモノを黙らせて、あの子を、辰野佳澄を――

 次の瞬間、南郷の右腕に衝撃が走った。

 下段から振り上げられた何かが、南郷の右腕を打った。

 音速を超えた剣閃だった。

 縮地にて間合いを詰めたシミターマンティスの曲刀の一振りが、南郷の右腕を切断していた。

 南郷が事態を把握したのは斬撃の刀勢で吹き飛ばされ、地面に転がった後だった。

「あっ……あっ……ああああぁぁぁぁぁぁ……」

 痛みはない。まだ神経が痛覚を認識できていない。だが意識だけは右腕の喪失を理解して、南郷は成す術なく地べたを転がった。

「――授業料は腕一本。これで勘弁してあげるワ」

 シミタ-マンティスの曲刀には血糊一滴すら付着していなかった。

 南郷は必死に立ち上がろうとするが、片腕を失った肉体はバランスを喪失し、無様に膝を地に擦りつけるだけだった。右腕の切り口を潰すほどに抑えるが、出血は止まらない。

 それでも、残った左目はバスの中の少女を凝視。

「かっ……ぇっ……せぇぇぇぇぇ……」

「フ、いい根性してるワ。でも、これから先は地獄なの。生きてる人間じゃ、どう足掻いても無理。それでも追ってくるのなら――」

 ボヤける視界の奥で、シミターマンティスが踵を返した。

「いっぺん死んで、出直してきなさい♪」

 それはまるで、期待しているような口調だったのを――南郷は憶えていた。

 一人の少女を、辰野佳澄を取り返すには、目玉一つと腕一本では足りなかった。

 なら、もっと多くのモノを代価にしなければならない。

 南郷が失血死しなかったのは、自分で傷口を縛って止血をして、救急車を呼んだからだ。

 生き残るためには、そうするしか無いと判断した。

 彼女を取り戻すために、どうすれば良いか。その機会はすぐに来ると、予測していた。

 病院に収容され、手術を受けた翌日、病室に背広姿の男がやってきた。

 背が高い、体つきもしっかりした、中年の男。

 目が異様にギラついていた。その気配で、警察ではないと分かった。

「あんた……どこの誰だ」

「いい面構えだ。バケモノに殺されかけたんだ。普通のガキならビビって話もできんぞ?」

 自分を睨みつける南郷を見て、男は愉快そうに笑った。

「普通の高校生が改造人間を一匹殺った。実に楽しい奴だよ。普通は逃げる。なんで逃げなかった?」

「逃げたら取り返せないからだよ……!」

「ハハッ! 普通じゃないよ、お前は。相当イカレてる。普通じゃない人間。いいねェ」

 片腕と片目を失った重傷の身で、今にも自分に掴みかかろうとする南郷を、男は満足げに眺めていた。

「南郷十字。お前が望むなら、チャンスをくれてやる。バケモノ共と拉致られた女のケツを追っかける、鬼ごっこの仲間に入れてやる」

「タダで入れてくれるワケじゃないだろう……」

「参加費用は、お前の人生だ。女のために全てを捨てられるバカなら歓迎するぞ? 俺たちは常識人なんぞ必要としていない」

 この男は、狂っている。

 そしてきっと、自分も狂っているのだと――南郷は確信していた。

「ああ、バカで結構だ……!」

「ははァー。いい答だァー」

 男の目がぐるぐると眩暈のように回って、南郷の左目も同じように狂り狂りと回転し、人生が地獄に向けて回天していく。

「俺は神宮寺豪健! 南郷十字! お前を生き地獄に連れていってやる!」

 神宮寺豪健――この男に誘われて、南郷十字は自ら人の道を踏み外す選択をした。


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