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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ
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剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ22

 体が重かった。

 悪酔いのような頭痛と共に地の底に引きずり込まれていく。糞尿の毒で腹の中から腐っていく。

 眠りとは、全ての苦痛からの解放のはずなのに、ささやかな逃避のはずなのに。

 南郷十字は、娑婆と変わらぬ痛苦に晒されていた。

(そろそろ死んでも良いと思うんだがね……)

 鈍痛の真っ暗な夢の中で、漠然と思った。

 いつも悪夢の度に煩い、首のあたりの魔女が今日に限って何も言わない。

 どうしたものかと思っていると、か細い声が聞こえた。

(起きなよ……十字)

 それは魔女の声なのか、少女の声なのか。

 夢の中で記憶が混濁していた。

(朝起こしにくる女の子なんて、そんなのマンガの中だけだからね。え、あたし? 長い人生、一回くらいマンガみたいなことしたって良いじゃない? そういう気まぐれ!)

 遠き日の思い出がボヤけて見えた。

(せっかくだからさ、マンガっぽいこと、やってみたかったの! アハハハハ!)

 朝の光の中で、ぼんやりとした輪郭の少女が笑っている。

 思い出とは、遠く離れるほどに美しく見えるもの。

 もう二度と戻らない少年の日々、もう手が届かない少女の背中。全てを失って、初めて尊さに気付くのが人の愚かしさと悲しさ。

 手を伸ばそうとして、南郷は思いとどまった。

(バカな話だよ……。俺の夢はいつだって……)

 苦しみと後悔に満ちている。

 光溢れる青春は日々は一転、暗い血だまりの風景に変わった。

 南郷の姿は傷だらけの装甲服に、少女の姿は赤い衣を纏った褐色の魔女に変わり果てた。

 魔女の顔が、間近にあった。

 爬虫類のような細い瞳孔の両目が、カッと見開かれて南郷を凝視した。

(ねェ……夢の中で、あたしを殺すの……これで何回目ェ?)

(さあ……数えたこともないな)

 南郷の握ったナイフが、魔女の心臓を貫いていた。

 人の肉を裂く感触は、ガムを噛むのに似ている。感触が手に染みついて、ずっと忘れられない。

 鮮やかな返り血を浴びて、装甲服が赤黒く染まる。

 バイザーの奥の右目は光を失い、もう何も見ていなかった。

 倒れ往く魔女が、いつものように嗤った。

(あたしはアンタの心の傷……永遠に癒えないお腹の奥の傷口……っ! さあ! 早く起きなよっ! 起きてまた、サーハに苦しみ悶えて血反吐を吐くのよぉっ! キャハハハハハはハハハ!)

 南郷は腰のサブマシンガンを抜いて、魔女の頭に狙いをつけた。

「じゃあな」

「またね~、十字♪」

 感情のない男の声と、愛らしい少女の声が交錯して、銃声と共に現世再会に至る。


「ゲホッ!」

 南郷は喉の奥に詰まった血反吐を吐いた。

 開放されたマスクのエアフィルターから、ブッと赤黒い血が噴き出した。凝固しかけたゼリー状の血液が飛び散った。

「クソッ……。まだ死ねんか……」

 気が付くと、南郷はタワーマンションの内部に尻餅をついていた。

 成金趣味のマンションらしく、各階には展望室だかラウンジだかが設置してあるようで、そこに爆風で叩き込まれたのだと悟った。

 南郷は窓ガラスを破ってソファに背中をぶつけて止まったようだ。喉の奥の血は鼻血が気管を逆流したもので、内臓の損傷に由来するものではない。相変わらずの自分の悪運の強さに辟易した。

 見上げれば、ロボット形態の〈タケハヤ〉が傍らに佇んでいた。

 南郷がエイリアスビートルと投身した直後から、それを追っていたのだろう。重力落下にスラスターの推力を加えれば後から追いつくことも可能だ。

 奇しくも〈タケハヤ〉に救出されるよりも先に、こうしてマンションの中まで吹き飛ばされて、一命を取り留めてしまったわけだが。

「タケハヤ……奴はどうした……」

 苦しい息で、エイリアスビートルのことを尋ねた。

『下水溝 に 落下 しました 以後 反応ロスト 追尾 索敵 不能』

「そうかい……」

 相手は瀕死で、こちらは軽症。損害率から見れば勝ちに見えるが、殺し切れなかったのだから敗北同然だ。

 Aクラス改造人間は、あの程度の傷では死なない。暫くすれば、完全に再生して南郷の前に現れるだろう。

 南郷は、もう一つ悪運の強さを痛感した。

 首のマフラーは爆発で千切れていた。質量の喪失は怨念総量の喪失とイコールであり、奇しくもエイリアスビートルのおかげで南郷は絞殺されずに済んだというわけだ。

 千切れた断片は爆風でどこかに飛ばされてしまった。

「ふ……」

 名残惜しいような、悲しいような、複雑な気分の息を吐いた。

 ともあれ、ここで寝ていても仕方がない。

「んぐ……っ」

 南郷は背中の痛みをこらえつつ、立ち上がった。

 非常階段を目指して通路を歩いていると、運悪くマンションの住民に目撃されてしまった。

「えっ、な、なんですかアナタ!」

 すぐ傍で爆発があったのだから、避難する最中なのかも知れないし、異常を確認しに出てきたのかも知れない。

 民間人に目撃された場合の対処は馴れている。

「ああ、私はショッピングモールのヒーローショーに出てた者でして……。この騒ぎで家が心配になって戻ってきたんですよ」

 と、それらしい言い訳をする。

 装甲服はショーの着ぐるみで、ここの住人だから慌てて帰ってきたという、まあまあ筋の通った説明ではある。

「はあああ……そう、ですかあ……」

 住民は奇異の目で南郷を見ている。特に、背後にいる〈タケハヤ〉を怪しんでいた。人間サイズの戦闘ロボットなど、普通に生きていればまずお目にかかれない。当然の反応だ。

「こいつは、ショーの相方ですよ。最近はアトラクションにロボットも使うんです」

『肯定 当機 は ユーザー補助 が 任務 です』

 〈タケハヤ〉に、話を合わせるほどの高等機能はない。ただの偶然だ。

 納得し切れない住民の横を通り過ぎると、背後でカメラのシャッター音がした。スマホで撮影されるのも何度か経験がある。その度にネットにアップロードされて、謎の怪人サザンクロスの目撃談として都市伝説が拡張される。それだけの話だ。

 南郷は、非常階段で地上まで降りた。

 このグレードのマンションだと非常階段の出入り口にも監視カメラが設置してあるので、適当な所で手摺を上がって横から飛び降りた。

「っと……」

 膝を曲げて衝撃を吸収したが、着地時に少しよろめいた。まだ体に戦闘のダメージが残っている。

 ゆっくりと立ち上がって、南郷は物陰に隠れた。

 ショッピングモールの周辺は相当な騒ぎになっている。地震の後に爆発まであったのだ。当然の結果だ。

 遠くから、パトカーと消防車のサイレンも聞こえる。

「とんだ休日だな……」

 罪悪感が頭に圧し掛かる。

 自分のせいで、大勢の無関係な人間を巻き込んだ。空理恵にも怖い思いをさせてしまった。

 エイリアスビートルは南郷を狙っている。他の人間に直接危害を加える気はないようだが、南郷かエイリアスビートルのどちらかが死ぬまで、同じことが繰り返される。

「すまない……」

 それは、誰に対しての謝罪なのか、あるいは懺悔だったのか。

 所詮、自分はバケモノと殺し合うしか能のないケダモノ。生ぬるい日常では生きていけないのだ。戻ってはいけなかったのだ。帰ってはいけなかったのだ。

 だから、いつものように闇の中に消えていこう。

 偶然出会った少女にとっては、サザンクロスは一時の夢。忘れてくれて良い。思い出になどしてくれなくて良い。

 無表情なヘルメットの奥に全ての感情を隠して、南郷は立ち去った。

 踵を返して立ち去ろうとした。

 振り向いた瞬間、壁が立ちふさがった。

 全身をびっしょり濡らして、長い黒髪を散乱させた女が、南郷の行く手を阻んでいた。

「逃がさんぞ……南郷くん……」

 やけに憔悴した声で、濡れ女が呻いた。

 聞き覚えのある声、宮元園衛だ。

 園衛は変わり果てた姿で、南郷の肩の装甲を掴んだ。

「スマン……というのは、誰に対して言ったんだ? 私か? 空理恵にか? それとも両方か? どうでも良いッ! あっ……謝るくらいなら、最初から――」

 びちゃっ、と音を立てて園衛の濡れた髪が装甲に張り付いた。

 園衛は姿も異様なら、臭いも少し、いやかなり――

「くさっ……臭いんですけど、園衛さん……」

「じょっ……女性に臭いとか言うなッ! そういうことは思っていても口に出さんのがデリカシーという……グッ」

 下水臭い園衛が、呻いて下腹部を抑えた。

 良く見れば、腹に傷を負っている。全身の衣服も所々切り裂かれ、かすり傷が無数にあった。

「どうしたんですか、それ……」

「フッ……助太刀するつもりだったが、見ての通りの負け戦だ。ズタボロの上に下水まみれ。惨めなことよ……」

 南郷はバイザーの奥で目を細めて、俯いた。

 自ら体を張って誠心を示す園衛の有り様が、眩しく見えた。捻くれた心では直視できなかった。

 こつん、と園衛がヘルメットを小突いた。

「この忘れ物が、私をここまで案内してくれたよ」

 園衛の手には、千切れた赤い布が握られていた。爆発で吹き飛んだ南郷のマフラーの断片だった。

 呪布であるそれは、生物のように蠢いて南郷の首に残る部分と接合しようとしていた。

 だが断片とはいえ、魔女の呪いが込められた布だ。活性化した状態を素手で持って良い代物ではない。

「園衛さん……それ、持ってて大丈夫ですか。幻覚とか……」

「案ずるな。コレがどういうモノかは察しがついている」

「呪いの道具なんですが……」

「呪いだの怨念だの……そんなモノは精神力で上回れば勝てる! 死んだ奴の精神は有限だが、生きている人間の精神力は無限大だ! 五体満足、精神健全! その私が、布っきれに染みついた怨霊などに負ける道理はなかろう!」

 園衛は力強く宣言し、呪布をぐっと握りしめた。

 圧倒的精神力と握力で握り潰され、呪布は死にかけの虫のようにのたうつ。

「南郷くん……前にも言ったが、私はキミの全てを承知の上で受け入れたんだ。なのに一人でどこかに消えてしまうなど……私に恥をかかせる気か? 冗談ではないよ」

「俺の厄介は特大だ……。今度は、あんたの家ごと吹っ飛ぶかもな……」

「だから、どうしたッ!」

 園衛は呪布を放り投げ、両手で南郷のヘルメットを掴んだ。

 俯く南郷を、強引に自分と向き合わせた。

 ほとんど同じ身長の男と女が、だが光と影のような二人が、対等の目線で向き合った。

「家の二、三戸が吹っ飛ぶだの炎上するだの、慣れっこだよ! 私をそこらの女と同じと思うな」

「お宅には……ご両親もいるでしょう」

「この期に及んで常識をほざくな! 父母には私が説明して、覚悟してもらう! もはや一蓮托生よ! キミの敵は私の敵! 共に迎え撃つ!」

「あんたに……そこまでしてもらう義理は……」

「私が、そうしたい! だから、そうする! それ以上の理由が必要か?」

 バカげた理屈だ。阿呆のような感情だ。

 まるでドラマの中で、一時の恋愛で破滅に突き進む愚かな女のようだ。

 だが南郷は当事者である。客観的に冷たく突き放すことは、出来ない。

 生半可な覚悟で、全身に生傷を負える人間がいるだろうか。

 この人の決意は本物だと……認めかけている。

 他人の言葉など一切信用に値しないと歪みきった南郷十字の心が、淀みのない宮元園衛の行動に、堅い壁を破壊されかけている。

「他人の俺に……どうしてそこまで……」

「フフ……これ以上の理由を……女の私に言わせる気か? たまらんな、本当……」

 園衛は照れ臭そうにはにかんで、濡れた髪の奥で少し目を逸らして、また南郷に向き直った。

「私はキミの痛みが分かる。分かる気がする。だから、もっとキミを知りたい。もっとキミと話がしたい。これは同情かも知れんが、安い同情ではない。キミには随分と金を貢いだからな。いうなれば高級な同情。もしくは――」

 園衛の目が、熱い血のこもった目が、南郷のバイザーの奥を真っ直ぐ見据えた。

「――単純に、キミに好意を抱いている」

「バカな……」

「バカなものか。人の好意がバカなものか。私は人間としての、キミが欲しいのだ。キミを救いたいのだ。いつまでも家にいてほしいのだ。ああ……ついに言ってしまった。口に出してしまった……。なんてことを言わせるんだ、キミは……」

 勝手に言って、勝手に恥じらい、勝手に人を詰る。

 なんて勝手な女なのだ。

 だが、南郷は園衛の感情と言葉を拒む気は、もう無かった。

 そんな人間臭い、赤裸々な一面を曝け出す園衛に嘘偽りはない。

 南郷の心の壁は、ハリボテのようにパタリと倒れた。

 ひび割れて砕けて久しい心の虚空に、一人か二人の他人を受け入れる隙間が空いた。

 そんな気がした。

 頭部を覆う暗い仮面の奥に、目の奥から滲む涙を孤狼は隠した。

「――園衛さん」

 俄かに喉を震わせて、南郷が熱の篭った声を発した。

「こうなった以上……全ての経緯をあなたに話す……。その必要が……あると思う」

 その言葉を、園衛はずっと待ちわびていた。

 自然に顔に浮かぶのは、菩薩のごとき微笑み。

「ありがとう、南郷くん。今すぐにでも聞きたいところだが――」

 園衛は自分の姿を顧みた。

 服はズタズタで下水まみれで、とても格好がつかない。

 対する南郷も装甲服が焼け爛れ、マスクには血痕が付着している。

 酷い有様に、お互いに苦笑した。

「――ここは雰囲気が良くない。今夜、少し付き合ってくれたまえ」

「了解。洒落た話は出来ませんがね……」

 南郷の声に、もう拒絶の棘はなかった。

 ヘルメットのロックを外して、素顔で園衛に向き合った。

 視界の隅に、生垣に引っかかる呪布の断片が見えた。

 怨念が篭った呪布とて、そこに意思は既に存在しない。魔女だったモノと、少女だったモノの意識の欠片、残留思念、電気信号、そんなモノがこびり付いているだけだ。

(構わないよな……)

 そんな、謝罪のような、弁解のような思いを抱いても意味がない。

 自分の中の罪悪感への言い訳以外に、何の意味もない。

 遠い昔に消えてしまった一人の少女を呪いに変えているのは、自分自身なのかも知れないと……分かっていても、南郷は思い出を捨てられないでいる。


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