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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ
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剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ9

 秋深まる、ある日のこと。

 北島つくし病院前のバス停に、定刻通りにバスが停まった。

 日が傾いた夕刻は人の出入りが多い。

 バスから降りる何人かの乗客に、学生服姿の男女がいた。

 スタイルの良い黒髪の美少女、東瀬織。

 そして、瀬織より背の低い中学生の東景の二人だ。

 今日は足を骨折して入院している景の従姉の見舞いのために病院にやってきたわけだが、瀬織は入口の手前で不自然に足を止めた。

「ン……ちょっと、ここは……イヤな感じですわねえ」

 それ以上は進みたくない、といった感じで動こうとしない。

 散歩中の犬ではあるまいし、瀬織の不可解な行動に景は首を傾げた。

「え……どしたの」

「こういう清浄な場所は……わたくしのような存在は近寄り難いんですの」

「自分から病院に付き添うって言ってたのに、なにそれ」

 景は普通の少年だ。病院なんてアルコール臭いだけで入り難いと思ったことはない。

 いよいよ瀬織が予防接種を嫌う犬のようで、何だか滑稽に見えてきた。

「なんかワンコみたい」

「……わたくしを犬扱いとは、景くんも随分と偉くなったものですわねえ」

 犬呼ばわりが気に障ったのか、瀬織は胸の下で腕を組んで、ぐっと景ににじり寄った。

 自分より背の高い少女に頭上から威圧されて、景は怯えた子犬のように縮こまった。

「そっ、そうじゃなくて……ワンコみたいで可愛いって意味で……」

「あらあら? わたくしにとっては、景くんの方こそワンコに見えるんですけどォ~?」

 圧倒的余裕。この短い会話だけで、立場の違いを分からせる。瀬織は支配者の笑みで景を見下ろしていた。

 ともあれ、ここで景を弄んでも場違いである故、瀬織は事情の説明をすることにした。

「不浄のモノを阻む結界……とでも言いますか。ここは、そういうものが張られているんですよ」

「魔法のバリアみたいな?」

 景が想像するのは、漫画やゲームで良く描かれる魔術的な防護壁だ。

 園衛は昔、妖魔と戦っていたというのだから、そういった術が病院に施されていても不思議ではないと思う。

 だが、実際はそんなややこしい代物ではない。

「景くん、邪気の類を払う最も効果的な手段はなんだと思いますか?」

「おまじないとか、神頼みとか?」

「手を洗い、うがいをして、お風呂に入って、良く寝て、憑かれを取ることですよ」

「ええっ?」

 保健室に貼ってある健康推進ポスターさながらの単純な方法に、景は唖然とした。

「そんな、子供の頃からずっと言われてるようなこと……」

「そう、それなんですよ。世の中の全ての人が当たり前のように邪気払いを行うようになったのが、今世なのです。1000年、2000年前の世の中は不潔極まりなく、穢れた魑魅魍魎が跋扈しておりました。払っても払ってもキリがない。故に、園衛様の遠いご先祖様たちは予防策を普及させたのです。神社仏閣に寄る時は身を清めよ、と。そうして衛生観念が発達して、今世では魑魅魍魎は発生すらしなくなったのです」

 対処療法として妖魔を倒すよりも、未然に出現を防ぐに越したことはない。

 文化風俗として当たり前に根付いた手洗い消毒に隠された理由を知って、景は感心した。

 そして、瀬織は肩をすくめて自嘲した。

「故に、わたくしのような穢れは清潔な病院には入り難いのですよ」

「じゃあ、外で待ってる?」

「入れないことはないんですよ。かなり気分が悪くなるだけで」

「我慢できないくらいに?」

「納豆と生ゴミの臭いのする部屋に入るのを想像してくださいな」

 想像し易いが想像したくない比喩を出されて、景は「うぅ……」と小声で唸った。

 そんな話をしていると、病院から見知った顔が出てきた。

「なんだ、お前たち。こんなところで」

 園衛と、それに続いて景と同じ宮元学院中等部の制服を着た少女、空理恵がひょっこり顔を出した。

「あれ? どっかで見たような……」

 空理恵は何秒か景の顔をじっと凝視して、得心したと手をポンと叩いた。

「ああ、景ちゃんだね! 昔、小さい頃にうちに遊びに来てた!」

「う、うん……久しぶり……」

 数年ぶりに会ったというのに、無遠慮にグイグイと距離を詰める空理恵に景はたじろいだ。高等部のクローリクといい、こういうタイプの女の子は正直、苦手なのだ。どう対処して良いのか分からない。

 ふと、景は第三の人物に気付いた。

 知らない男性がいる。園衛の後から、こちらを――否、景の後の瀬織を見ている。

 いや、睨んでいる。冷たく、突き刺すような視線で。

 不審に思った景の様子に気づいたのか、園衛が男性に目配せをした。

「ン、心配するな。こちらの彼は南郷十字という……私の知り合いだ」

 不安を払拭しようとした園衛の配慮を無視して、南郷は殺気を放った。

「アンタ……あんなのを飼ってるのか」

 あんなの、というのは瀬織のことだ。

 南郷は、瀬織が人間でないことを見抜いている。

 自らに向けられた殺意を受け止めて、瀬織は小首を傾げて笑った。

「これはこれは随分な物言いで……。あなた、園衛様のお知り合いだそうですがぁ――」

 瀬織は言葉の途中で、本能的に後ずさった。

 言霊を以て場を制すのは瀬織が得意とする所だが、世の中には言葉の通じない人間がいる。

 そういう人間が、一番まずい。

 場の空気も後先も考えずに、敵と認識した相手を有無を言わさず殺しにくる。将軍の催した酒の席だろうが、往来のど真ん中だろうが、王への謁見の場だろうが、問答無用で抜刀するか拳骨で殴り殺しにくる。

 瀬織の最も苦手とする、最悪に野蛮な人種だ。

 過去、何回かそういう人間に楽しみを台無しにされたことがある。景の曽祖父もそうだった。

 南郷も、それと同じ。瀬織の天敵である。

 今すぐに、一目散に逃げなければ殺される。破壊される。

 瀬織が後に跳ね、南郷が駆けだそうとした瞬間、園衛が間に割って入った。

「南郷くん、待った――だ」

 状況を理解できずに呆気に取られる景と空理恵を捨て置いて、南郷と園衛との間に張りつめた空気が充満した。

「あんなのを飼っておいて、子供たちを守りたいだ? 詭弁だな」

「彼女も、私が守りたいものの一つだ」

「いつ噛みつくか分からん毒蛇を飼っているようにしか見えない。川を渡ろうとして、船の上で船頭に噛みついた蛇の話を知ってるか?」

「心あるならば、生きようとするなら、私は何者にでもチャンスを与える」

「蛇が子供に噛みついてもか」

「その時は、私の責任で蛇を刈る」

 毅然と言ってのけた園衛を目の当たりにして、南郷の殺気が消え失せていった。

 二人の会話の意味が分からず、空理恵は首を傾げた。

「どったの、二人とも」

「……ちょっとしたポエムだ」

 南郷は妙な誤魔化し方をしたので、園衛もそれに口を合わせた。

「そう。大人には、ポエミーな夕方もあるのだ」

「なあにそれぇ~? アハハハハハ!」

 空理恵は二人が真顔で冗談を言っていると受け取ったようだ。大笑いしている。

 南郷は一歩踏み出して、景に声をかけた。

「君は……アレをどう思っている」

「あ、アレとか……そういう言い方やめてください。瀬織は……僕の家族です」

 間近に迫った見知らぬ男に気圧されながらも、景は堂々と言ってのけた。

 魔性に魅了され、心を歪められた人間の物言いではない。血の通った答を聞いて、南郷は態度を軟化させた。

「分かった。君を信じよう。失礼した」

 そう言って、南郷は駐車場へと歩みを進めた。

 園衛は小走りに後を追い、「私の車がどこかも分からんくせに、先に行くな」などと南郷を小言で小突いた。

 空理恵も「じゃーねー」と景に手を振って、園衛についていった。

 妙な遭遇戦を切り抜けて、景は大きな溜息を吐いた。

「ふーーっ……な、なんのあの人ぉ……?」

 傍らで、瀬織はぶるっと身震いをした。

「冗談ではありませんわ……。園衛様、また妙な人と関わっているようですね……」

「あの南郷さん……だっけ? 一体なんなの?」

「事情は知りませんが、尋常ではありませんわね。下手をしたら、わたくしこの場でバラバラにされていましたわ」

 瀬織は真顔で恐ろしいことを口走った。

 人間離れした強さを持つ瀬織が、どう見ても普通の男性である南郷に破壊されるなど、景は想像がつかない。

「そんな……嘘でしょ?」

「景くん、世界で最も強く、最も賢い生き物は人間なのです」

「まさか」

「考えてみてください。呪術だの魔法だのが本当に強くて優れているのなら、とっくの昔に世界中の軍隊が使っているはずですよ。そういうマジナイの類を使っていた、わたくしの同類は遠い昔にみぃんな人間に駆逐されたのです。だから、人間はこの星の上で溢れかえるほどに繁栄しているんです」

「でも……瀬織って、神様なんでしょ?」

 瀬織の起源は、何千年も前に信仰を集めていた神樹なのだという。

 その神としての力の一端を発現させることで、これまで何度も超常現象を引き起こし、巨大な敵を撃破してきた。

 そんな強大な神が人間より劣っているなど……景には()()()()()()()()

 しかし、そんな少年の信仰を神は笑った。

「景くん、そもそも神様も人間が作ったものなんですよ?」

「えっ?」

「人間が作ったものなら、人間の手で壊せるのが道理というものでしょう……?」

 夕暮れの逢魔が刻に、神は自らの口で信仰を否定した。

 かつて神であった少女は、視線で南郷の歩んだ跡を追った。彼の人生の足跡を読み取るがごとく。

「あの南郷という方……とっくに死んでおりますわ。今は死体が歩いているようなもの」

「どういうこと……?」

「生きるための目標も目的もなく、ただ呼吸しているだけの……燃え尽きた灰ですわ」

 神の目にて、南郷の記憶の断片を読み取って、瀬織は酷薄に呟いた。


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