剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ4
道中には、苔むした東屋があった。
観光用道路として整備されていた頃の名残だろう。
ベンチで南郷十字は久方ぶりの食事にありつき、同時に子犬にまとわりつかれていた。
「ねーねー、お兄さんは何しにここ来たの?」
「……長い旅の途中に寄っただけ」
「無職でお金ないのに旅してんの?」
「金は……どうでも良いでしょ、そんなこと」
空理恵は目を輝かせて南郷を質問攻めにしていた。
知らない場所で知らない人に助けられるなんて、ドラマチックで興奮する。ちょっとしたイベント発生だ。
対する南郷は空理恵から提供された食べ物を次々と口に運んでは、その合間にぽつぽつと答えている。自分の事を話すのは。あまり気乗りしていないようだった。
死ぬほど空腹だったという発言は本当だったらしく、空理恵がリュックから出した食べ物を一心不乱に貪っている。普通の人間ならば躊躇するような内容があるというのに。
ベンチの上に置かれているのは、玄米クラッカー、コンビーフの缶詰、トマトジュースと、この辺りならまだ常識の範疇だ。
それに加えて、〈World end foods〉などと物騒な銘柄の書かれた加工食品群が並んでいた。
薄い半透明ビニールの容器に入っているのは、緑や紫色のフィルム。食物繊維とビタミン配合の野菜風味オブラートである。
一見すると普通のプロテインバーに見える菓子は、高タンパクのコオロギ粉末を主成分としている。
プラスチック容器に入った茶色い謎のペーストは、〈B型配給糧食〉とパッケージに記されているだけで、実体は謎に包まれていた。
「なんだよこの変な食い物は……」
不審に思いながらも、南郷はコオロギプロテインバーを躊躇なく齧った。
「見ての通りの世紀末ディストピア飯!」
空理恵は嬉しそうに答えた。迷わずに食った南郷を趣味の理解者と思っているようだった。
女子中学生には到底似つかわしくない物騒な食べ物である。
南郷がそれをどう思っているかは、彼の曇った表情が物語っていた。
「なんでこんなモン持ち歩いてんの……」
「廃墟に入ったらさ~、こういう食べ物を一人でモサモサ食べんの! 『ああ……これが最後の食糧だ……』とか言って、めっちゃまずそうに食うの! 最っ高に雰囲気出るじゃん!」
「特殊なロールプレイだな」
「で、お兄さん、それ美味しい? ね、ね、おいしい?」
「これが……美味いように見える?」
「うん! まっっずいよね~! でもそれ、めっちゃ高いんだよ~? ネット通販で3000円くらいしたの。普通にファミレスで一番高いステーキのセットとか食える値段じゃんって! アハハハハハハ!」
空理恵としても、シチュエーションを楽しむのが目的のジョークアイテムなので高価なのは分かるが、それを真剣に食糧として食べている南郷が滑稽に見えた。
当の南郷は困窮している自分の有り様を笑い者にされて、複雑な心境のようだ。
一通り笑った後、空理恵はじぃーーっと南郷の顔を見つめた。
「ねぇ、お兄さんってさ――」
「まだ何か?」
「――サザンクロスって、知ってる?」
試しに、カマをかけて見ることにした。
正直なところ、空理恵は南郷が噂のサザンクロスではないかと少し疑っていた。
南郷十字というフルネームからして、正にサザンクロスといった感じだ。
だが南郷の顔に、特に変わった所はない。少し目つきと顔色が悪いくらいで、あのグロテスクな怪物のイラストとは似てもにつかない。
なにより、ちゃんと両目がある。サザンクロスは片目がないらしいので、人相に関しては全くの別人だ。
南郷はトマトジュースで玄米クラッカーを流し込むと、空理恵の質問に即答した。
「知らん」
「黒い服の怪人が、人気のない所で怪物と人間の内臓を取ったり取られたりしてるんだって。で、その怪人の方がサザンクロス」
「だから知らんわ」
「ぶっちゃけぇ~……お兄さんがそのサザンクロスでしょーっ!」
南郷を指差して、ふざけた調子で空理衛は言った。
もちろん、冗談だ。サザンクロスなんて、ただの怪談だ。そんな怪物だの怪人だのが実際にいるわけがない。仮にいたとしても、とっくの昔に姉に退治されているだろう。
南郷はやれやれ、と困ったように嘆息した。
「はぁ……俺は内臓料理って嫌いなんだよ。食感も見た目も気持ち悪いし……食うワケない」
「じゃあ、さっきのイノシシもお肉だけ食べる気だったの?」
先程仕留めたイノシシは、血抜きと冷却のために南郷が近くの沢に沈めてある。
「そうだよ。大体、野生動物の内臓なんて危なくて食えたもんじゃない。寄生虫だのウィルスに汚染されてるからな」
「いつも、あんな風に狩りしてるの?」
「金がない時は……な」
南郷は、ばつが悪そうに目を逸らした。
その仕草で空理恵は分かった。南郷は、ほぼ日常的に狩りだの釣りだのをして食い繋いでいる。万年金欠の、どうしようもない大人なのだと。
年下の自分が南郷より立場が上のような、妙な優越感が生まれた。
同時に、得も言われぬ庇護欲も湧いてくる。
仕方ないから、この人はアタシが何とかしてあげなきゃダメかな――と。
「じゃあさ~、お兄さん。後でアタシの家においでよ!」
「なに?」
「助けてもらった恩返ししなきゃだし!」
「それなら飯を奢ってくれただけで十分――」
急に初対面の少女に家に誘われても、丁重にお断りするのは大人として当然の振る舞いなワケだが、空理恵は無邪気に善意をぐいぐい押し込んでいく。
「お兄さんが食べたそれ、合計で4000円くらいだよ? アタシの命が4000円分って、ちょ~っと安くない?」
「俺は旅の途中なんだが」
「途中なら別にアタシの家に泊まったって良いじゃん。それに、アタシの姉上って料理上手いんだよ? こんな変なディストピア飯なんかより、ずーーーっと凄いんだから!」
南郷は会話を止めて、少し空理恵の様子を見た。
少女の善意を受け取るべきか、断るべきか、それとも――。
時間にして30秒ほど思案した後、南郷は口を開いた。
「分かった。後でお邪魔するよ」
「おーーっし! そうこなくっちゃ!」
「恩返しついでに、一つ約束をしてほしい」
南郷は食事の手を止め、真剣な面持ちで空理恵を見据えた。
「今日は廃墟荒らしなんて止めること」
「えぇ~? わざわざここまで来たのにぃ……」
「ここから更に上まで登って、今度は熊にでも襲われたらどうするんだ」
「うぅーん……」
「お姉さんに心配をかけないこと」
南郷の言っていることは尤もなので、空理恵は何も言い返せなかった。
返答を待たずに、南郷はベンチに横になった。
「疲れてるから……少し休む」
「え~? アタシは放置?」
「先に山を降りたらどうだ」
「お兄さん、一人じゃ寝てる間に熊さんに齧られちゃうよ?」
「なら……好きにすると良いさ……」
南郷は背もたれの方に寝返って、それっきり何も言わなくなった。寝てしまったらしい。
「あらら、凄い人と思ったら意外と体力ない人? それとも、そんなに疲れてるのかな」
長旅の途中と言っていたし、金もないというので、きっと野宿ばかりしていたのだろう。それでは疲労が溜まるわけだ。
空理恵は自分を納得させると、音を立てないようにしてリュックを背負った。
「じゃ……アタシは好きにしまーす」
好きにしろ、と言質は取ってある。
かなり都合良く曲解していると自覚はあるが、空理恵はそれほど聞き分けの良い子ではないのだ。
(お兄さんが寝てる間に済ませちゃえば良いだけだし)
ここまで来て、おめおめと帰るわけがない。
目的地は目前だ。あと何百メートルか歩けば辿りつく。廃墟に侵入して、さっと見て回って、南郷が起きる前に何食わぬ顔でここに戻ってくれば良い。幸いにして、彼は熟睡している。
悪戯っぽい笑みを浮かべて、空理恵はそそくさと東屋を出た。
荒れ果てた道路を登り切るまで、さほど時間はかからなかった。
道の終わりには、白い廃墟が立っていた。
ネットの写真で見た通りの保養センター跡だ。ゲートは閉じられ、赤さびた立ち入り禁止の看板が掛けられている。
こんな形式上の封印など、人の好奇心の前には何の意味もない。
空理恵は軽々とゲートを乗り越え、敷地内に入った。
「確か入口はぁ……」
この保養センターに侵入する配信者の動画を見たことがある。二階部分の非常口の一つが施錠されずに放置されているのだという。
建物の側面に入ると、非常階段があった。階段を登り、非常ドアのノブに手を賭けると、錆びた金属の手応えと共にギィッと音を立てて開いた。
空理恵の目的は、あくまで自己満足の探索だ。動画を撮影するわけではないので、ライトを片手にスイスイと進行する。
日中でも薄暗い廊下には、足跡が付いている。動画サイトで紹介されているくらいだし、空理恵以前にも来訪者は何人もいるのだろう。
「ま、一番乗りじゃなくてもしゃーないよね」
それから30分ほどかけて二階、三階と一通り見て回った。目ぼしいお宝などあるわけもない、普通のホテル跡だ。
一階に降りると、階段が更に下に続いているのが分かった。
「地下は……確か入れないんだよなあ……」
動画によると、地下には浴場とゲームセンターや卓球場などのレジャー設備があったらしいが、入口は施錠されて侵入できなかった。
「ま、ダメ元で行ってみっか」
ここまで来たのだから一目見て帰るのも悪くないだろうと、暗い階段をゆっくりと降りていく。
当然ながら、地下は日中でも完全な暗闇だ。とうに電気は通っていないので、明かりは手持ちのライトだけが頼りとなる。
埃臭い闇の廊下はどこまでも続いていて、ダンジョンに潜っているような気分になる。
「やっべ……超ドキドキするんだけどォ……」
スリルに心が躍る。恐怖を興奮と誤認した神経が快楽物質で脳を麻痺させる。
廊下をどこまで歩いただろうか。観音開きの大きな扉に辿りついた。
扉の上を照らすと、〈娯楽室〉と書かれた札が掛かっている。
「へー、ここかあ」
試しにドアを押す。
ギィっと音を立てて動いた。施錠されているはずなのに、少し力を入れただけでドアが開いていく。
「えっ」
呆然となる空理恵の眼前で、更なる闇が大きく口を開けた。
娯楽室の中は何も見えない。何もいない。いるわけがない。
だというのに、何かの気配がする。
ハァ――ハァ――と、何者かの小さな息遣いが聞こえた。
「えっ、誰か……いるの?」
先に侵入した訪問者だろうか。ライトで室内を照らす。
中には、アーケードゲーム筐体や卓球台、ベンチやテーブルが放置されたままだった。
それを一つずつ照らして正体を確かめていく。
やがて、ライトの光が人影を捉えた。
足が見えた。誰かが床に座り込んでいる。
「ぁぁ――おきゃく、サン」
掠れた男の声がした。
ぶるっと、空理恵の背筋が震えた。お客さん? 妙な言い方をする。廃墟探索目的の訪問者なら、そんな言い方はしないはずだ。そもそも、訪問者ならどうして暗闇の中にいるのか。
とても厭な感じがして、空理恵は入口へと後ずさった。
どん、と背中が何かにぶつかった。
壁ではない。壁よりも柔らかく、生暖かい何かに、リュックが当たって、掴まれた。
「こんにち、わ。おきゃくサァン」
歓喜に満ちた、女の声がした。
空理恵のすぐ後に、何かがいる。
「あの……ちょっ……はな、して……」
恐る恐る声を搾り出す。無駄だと分かっていても、真後ろの何かに解放を願う。
首を限界まで動かして、空理恵は背後を見た。
ライトの小さな光源に照らされたのは、崩れかけた女の顔。皮膚がめくれて、硬質の鱗がささくれ立っている。
「ごめんねぇ、おきゃくサァン……。わたしたち、お腹が空いてるのぉ……」
部屋の奥の男も立ち上がった。
「死ぬほど……はらがへってるんだァ……」
ライトが男を照らす。
薄汚れた服の下で、男の肉が激しく蠢いている。男の歩いた後には、じっとりと何かの粘液が後を引いていた。
「あァ……もうダメだ。もたない。食わないともたない」
「わーたしももォダメぇ……。皮が崩れるゥ……」
「アイツのせいで……アイツのせいでぇ……」
うわ言のように唱える男女の怪人が、空理恵を挟み込んだ。
そして、怪人たちの皮膚が破れて崩れ落ちた。皮の下の筋肉が急速に肥大化し、人間の形が壊れていく。
「アァチクショウ……! もうニンゲンの皮でいられネェェェ!」
男だったモノが、異形の姿に変わり果てた。手足の生えた、タコのような怪物だった。
後の女も同様に、トカゲじみた怪物へと変貌していた。
「ダカラサァ! おきゃくサンの皮、ちょうだいなァァァァァァ!」
トカゲ女は咆哮と共に、空理恵を持ち上げようとした。
空理恵はとっさにリュックのスリングから腕を外して脱出したが、それまでだった。
「ひっ……」
タコ男の触手に、足首を掴まれていた。
「作りモノじゃねぇ……本物の……ニンゲンのモツゥ……」
「食べないと死んじゃうからァ……ゴメンねぇぇぇぇぇ……!」
現実離れした死が、空理恵に前後から迫っている。
こんなことなら忠告を聞いておくべきだった。
(危険なことはするなよ)という姉の、(廃墟荒らしは止めろ)という南郷の、真っ当な忠告。
怪物がいるなんて想像できるわけがない。だから仕方ない、なんて言い訳は出来ない。
姉、園衛がどんなに強くても、こんな遠方まで一瞬で助けに来るのは無理だ。
心配してくれた南郷を無視して身勝手な行動をした自分が、今さら彼に助けを求めるのも筋違いだ。
誰にも助けを求められない。
たった一人で孤立して、もう、どうしようもなく、死ぬ。
死んでしまう。
「いっ……イヤだよぉ……っ!」
泣きそうな顔で泣き言がこぼれた。
叫んでも無駄だと分かっているから、叫ばない。
悲しいのは死ぬことが悲しいのか、何も見つけられないまま無駄に死ぬのが悲しいのか、もう良く分からなかった。
確かなのは、背後から何かが空理恵の横を飛び越えていったこと。
ライトの光に照らされた白刃が闇を切り裂き、タコ男の触手の一本に突き刺さった。それは柄にコードが繋がった、一本のナイフだった。
微かなモーターの駆動音がすぐ後ろから聞こえた。
闇色に溶けるようなカラーリングのバイクが、トカゲ女の真後ろにいた。無人のままバランスを取って、車体脇から腕を生やしている。
バイクの腕は、トカゲ女の背中を掴んでいた。
どこからか、男の声が
「――インパクト」
バイクから、合成された音声が
『――インパクト』
同時に発せられた。
直後、電光が闇に奔る。コードを介した電撃がナイフの刀身から爆ぜる。
バイクの腕が絶大な衝撃をトカゲ女に叩き込み。その背骨を打ち砕いた。
「ギィェアアアアアアアアアッッッッ!」
絶叫して床に転がる二体の怪物。
拘束を解かれた空理恵は、その場にへたり込んだ。
恐怖に混乱する思考、ぐらりと歪む視界。虚ろな少女の瞳は、闇の奥に光る十文字を見た。
暗闇に浮かび上がるは、左端の欠けた不完全な赤い十字星。
「サザン……クロス……?」
口にした、ありもしない都市伝説の怪人の名前。
それは今、現実となって空理恵の目の前に出現した。
赤き十文字はヘルメットのバイザーの奥で光る右目とセンサー。首からボロキレのような赤いマフラーを垂らし、ボディアーマーの装甲服をまとった、黒い怪人。
腕の生えたバイクは瞬く間に姿を変えて、両足に二輪をつけた不完全で不格好な人型ロボットに変型した。
ロボットの目にあたるセンサーユニットに無数の光点が走り、二体の怪人の腹のあたり――ベルトのような意匠に焦点を当てた。
『スキャニング 殲滅対象 二体 ともに Cクラス改造人間 ロットナンバー J1037 オクトローパー 及び J1017B スプレッドリザード Bタイプ と 確認 脅威判定 D-』
ロボットが何かの報告をしている。
それを聞いたサザンクロスは赤い右目を細く尖らせた。
歓喜する、悪鬼のように凶暴に。
「そりゃ良い……。旅の終わりに相応しい……三下の相手……」
幽鬼のように、儚げに。
サザンクロスの右目の光は、ノイズ混じりに掠れて消えかけていた。




