竜血の乙女、暴君を穿つのこと19
車の時計は午前1時を過ぎている。
街灯もない防風林近くの道路を走るワゴン車のライトが、人影を捉えた。
無貌の仮面の男、エデン・ザ・ファー・イーストだった。小脇にノートパソコンを抱えて、脳天気に親指を立ててヒッチハイクを気取っている。
『へ~~イ、タクシ~~♪』
一般人が見たら幽霊か変質者と思って素通り確実だが、ワゴン車は停車した。
助手席の窓が開き、運転手が呼びかけた。
「乗れ」
エデン・ザ・ファー・イーストはドアを開けると、軽やかに助手席に収まり、律儀にシートベルトを締めた。遠くからパトカーと消防車のサイレン音が近づいてくるのが聞こえる。
これから、一般人を装って何食わぬ顔で騒ぎになる前においとまする、というわけだ。
ワゴン車が発進する。
焦らず、目立たぬように、法定速度の安全運転で加速する車内で、エデン・ザ・ファー・イーストは小型の双眼鏡で戦場を覗いた。
『ハッハッハー! なーかなかに面白い仕事だったよォォォォォォ!』
声がでかい。
エデン・ザ・ファー・イーストの仮面には覗き穴すらないのだが、普通に見えているらしい。
運転手は顔をしかめた。
「静かにしろ」
『霊体も電気信号だからねぇぇぇぇぇ! それを脳ミソに定着させるのは、そんな難しいーーぃ! ことじゃぁーーーないっ! で~っもっでぇもでもぉ♪ ドラゴンの霊を人間に憑かせるってのは、さぁーーすがのワタシも初めてぇ――』
運転手はしかめっ面でカーオーディオのラジオを入れた。そしてボリュームを最大まで上げる。
大音響のFMラジオが車外まで響いた。このまま走ってパトカーに見つかれば怪しまれる。お前の声もそれくらいに煩いから黙れ、という抗議行動だった。
『オーケーオーケー。ソーリーソーリー。ミスタータクシードライバー』
エデン・ザ・ファー・イーストが双眼鏡を覗いたまま、声のボリュームを落として、右手で謝罪の手振りをして見せると、運転手はラジオを停めた。
『でも、キミも刺激的だったろう? この仕事』
エデン・ザ・ファー・イーストが左手で後部座席に話を振った。
後に座る軍事顧問は憔悴した様子で、しかし肯定するように笑った。
「貴重な体験ではあった」
『キミの人生に幸あれ』
この三人は単に同じブローカーから依頼され、同じ場所で別々の仕事をしていた。それだけの関係だ。交友があるわけではない。ドライな仕事関係でも、命をかけて鉄火場をくぐれば、なんとなくシンパシーが芽生えてしまうものだ。それが、群れで生きる人のサガというものだろう。
『フフー♪』
双眼鏡に映るのは、静止した〈ジゾライド〉の姿。その頭部、目のあたりが不自然に明滅しているのが見えた。
エデン・ザ・ファー・イーストは双眼鏡を放して、正面に向き直った。
『あと一悶着ありそうだけど~、ワタシらには関係のないことサ』
仮面の顎のあたりに指を這わせると、無貌の仮面に人間の顔が投映された。
どこにでもいそうな、しかし実際はどこにもいない、何の変哲もない日本人男性の顔。エデン・ザ・ファー・イーストの仮面には、そういう仕掛けがある。
助手席の窓からは、幾つもの赤い回転灯が県道を走っていくのが見えた。
全てのテクノ・ゴーレムは破壊され、あたり一帯は焼野原と化していた。
道路は滅茶苦茶に踏み荒らされ、何台ものトレーラーが横転し、〈ウェンディゴ〉の残骸は中杉製作所の駐車場にまで降り注いで駐車してある重機を破損させている。
切り札であったろうワイバーンゴーレムも一体が頭部を失って墜落し中破。ほか二体が大破。〈ズライグ・ブラック〉は今も尚炎上中だ。
デイビス一派は僅かながら生き残りがいたが、もはや彼らに戦意は無かった。
「ああ~~……宗主様が死んでしまった~~……」
「もうダメだあ……一族は終わりだあ…」
ある者は頭を抱えて嘆き、ある者は意気消沈して項垂れている。
大将を失い、総崩れとなった郎党というのは、いつの時代もこんなものだ。
「あぁ♪ なんて哀れで惨めなんでしょう♪ 負けるのが厭なら最初から戦争なんてしなければいいのに♪」
瀬織は敗者を嘲笑い、戦場を往く。
一応、念のために索敵と情報収集は継続しているので武装は解いていない。
戦いの勝者である〈ジゾライド〉と左大は、さっきまでが嘘のように鎮まり、押し黙って仁王立ちしている。
「で、この騒ぎの始末はいかがされるのですか、左大さん?」
背後から呼びかけるが、左大からの返答はなかった。
妙だと思った。
左大の性格からして、大事になったことに狼狽しているわけがない。責任なぞ知ったことかと笑い飛ばして、園衛に全てを丸投げして自分は逃走する。そういう人間だ。
「あの、左大さん?」
瀬織が前に回ってみると、沈黙の理由が分かった。
「げ……この方……立ったまま気絶してますわ……」
薄目を開けたまま、左大は疲労で意識を失っていた。
瀬織が稼働していた平安時代より少し後には、全身に矢を受けて立ち往生した僧兵がいたそうだが、こんな上半身裸の状態で気絶する人間はあまりお目にかかったことがない。
「こんな所で……寝られても困るんですのよ」
瀬織は吐き捨てるように言うと、手甲の爪で左大の背中を突いた。
「ふおっ!」
ビクリと背中を震わせて左大は覚醒した。
相手は景ではなく、ただの迷惑な中年なので優しく起こす義理などない。
「ふっ……なんだぁ? 瀬織ちゃんかよ」
左大は瀬織の武装した姿を見ても、さして驚いた様子はなかった。恐竜的直感と洞察力を持つこの男のことだ。普通の人間ではないと、とっくに感づいていたのだろう。
気絶していたのは、あの恐竜酔拳なる莫迦げた拳法で相当に体力を消耗したということか。人間離れした動きを脳のリミッターを外して行使していたのだから、それも分かる話だ。
ただ不可解なのは、〈ジゾライド〉まで静止している点だ。
「はて……? 操り手が寝たからといって大人しくするタマとは思えませんが?」
あそこまで恐竜の我が強い戦闘機械傀儡が凶暴性を抑えていられるのだろうか。
園衛曰く、「放っておくと暴走する」らしいが……。
「ねえ、左大さん。あの恐竜さん――」
尋ねようとした矢先、左大は血相を変えてポケットを漁った。出てきたのは赤い勾玉。戦闘機械傀儡のコントローラーだ。
「俺はどれくらい気絶してた!」
「知りませんわよ」
瀬織は暑苦しい左大から顔を背けて、面倒臭そうに答えた。
「っ……ちょっとやべぇかもな……」
左大が妙に焦っている。いつも超然かつ凶暴な男が、こんな感情を露わにするのは異様だった。
「やばいって……何がですの」
「俺との接続が切れてる……」
「つまり?」
「ジゾライドの敵味方識別が初期化される。暴走する! 本能のままに!」
左大が声を荒げた時、背後の〈ジゾライド〉の目が赤く光った。
機体の状態を示すインジケーターである目が菱形に変形し、収縮と拡大を繰り返している。
「あの……何やってるんですの、アレ……?」
「機体制御がスタンドアローンに切り替わってんだ……。あの状態になると、30秒後にティラノの闘争本能から送られる命令が最優先される」
「なんて命令ですか……」
物凄く厭な予感がしつつも、瀬織が問うた。
左大は引きつった笑いを浮かべて、自嘲するように答えた。
「気にくわない奴は全部ブッ殺せ……だ」
〈ジゾライド〉の目の変化が止まり、元通りの切れ長の形状となった。
そして、ゆっくりと港の方に首を向ける。
そこには巨大なガントリークレーンがあった。自分よりも大きなモノがあった。
〈ジゾライド〉は苛立つような唸り声を上げて、港に向かって転回した。その動作に、もはや人間の理性は介在していなかった。
「ちょっ……なんでそんな欠陥品を実戦に使ったんですのよ!」
「欠陥品でも使うしかなかったんだよ! 俺たちゃ昔、そういう敵と戦ってたんだ!」
園衛たちが10年前に戦っていたという敵。それは全ての生物にとっての破滅の概念存在だったという。だが、今となってはそんなことはどうでも良い。
議論よりまずは思考と行動あるのみ。
これ以上の大事になるのは園衛の政治的立場に関わり、引いては景と自分の生活にも影響があるだろう。
「仕方ありませんわねぇぇぇぇぇ……っ!」
已む無く、瀬織は面倒事を解決することにした。
背中の〈天鬼輪〉を展開し、電子戦の事前動作に入る。
先刻、〈ウェンディゴ〉たちを撹乱し、制御を乗っ取ったのと同じことをする。いかに戦闘機械傀儡とて、基本は空繰と変わらないのだ。瀬織の演算能力と支配力を以てすれば〈ジゾライド〉とて――
「待て止めとけ!」
左大の制止が入った時には既に遅し。
〈天鬼輪〉から放たれた不可視の繰り糸は〈ジゾライド〉に到達し、その中枢である胸の勾玉に、そこに封入されたティラノサウルスの怨念に接触していた。
糸を通じて、瀬織は異質な精神構造に触れてしまった。
人間とは形が違う心。あまりにも巨大で、常に燃え続ける灼熱の憎悪。巨大な恐竜の目に睨まれた錯覚。直後、瀬織は食われる――と思った。
「チィッ!」
舌打ち、瀬織が精神接続を強制切断したと同時に、右側の〈天鬼輪〉にはめ込まれた四つの勾玉が砕け散った。〈ジゾライド〉から流れ込む情報と怨念のオーバーロードに耐え切れず、ハードウェア諸共にアーキテクチャが破壊された。
「なんてバケモノ……っ」
「神も魔も磨り潰してブッ殺すために、爺さん達はアレを作ったんだ。止められんぜ。簡単には……」
もはや成す術なく、暴君なる竜王の進軍を見送るのみ。
〈ジゾライド〉が空になった最後の榴弾砲をハードポイントからパージした。
榴弾砲は一瞬、地面に直立してから、ずしりと横倒しになって土煙を上げた。
瀬織はふと、〈ジゾライド〉の関節部が赤熱化しているのが気になった。外部に露出している膝や肘の部分が、真っ赤に発光して蒸気を帯びている。
(あの関節……なんでしょうか?)
背後からは、パトカーと消防車のサイレンが近づいていた。




