墓標のインターバルのこと
神話の時代、人はプロメテウスの火により文明を得た。
イカロスは自らの技術に驕り、太陽に翼を焼かれて地に堕ちた。
そして今世にて、火を操るイカロスは再び燃え墜ちた。
イカロスとは、傲慢さの象徴である。
それを律するのは人の心。
故に、理性なき暴走した科学の産物は敗北した。
泥土と化した雪原に、現代のイカロスの墓標が立っている。
黒い重装巨人の上半身が、半壊状態で地面に拳を突き立てていた。
サイボーグソルジャー・コキュートスは、その黒き巨腕の下に埋まっている。
巨腕の鉄拳に腹部を叩き潰され、グレネードで頭部を吹き飛ばされ、完全に絶命していた。
高機動空戦サイボーグの機体剛性は、陸戦用のヘビーアーマーとは比べるべくもない。
地表への墜落時に、コキュートスの機械の体は粉々に砕けた。
周囲にはプラズマブースターやマシンアームの残骸が散乱している。
それらはコキュートスからの神経伝達が切断されたことで、次々と自爆していた。
大型部品は自爆用の火薬で中枢部が吹き飛び、小型部品は異常発熱で回路を焼き切っていた。
一方、勝者である南郷十字は──物陰に座り込んでいた。
「ぬぁ……はぁ、はぁ……」
朦朧とする意識の中で、ヘルメットのロックを解除。
露出した首筋に、排出促進剤の無針注射器を当てた。
「ぐっ……!」。
プシュッ! という圧縮空気の音が響いた。
ヘビーアーマーの操縦中に点滴されていた薬剤の強制排出のための注射だった。
「タケハヤ……薬剤の排出にどれくらいかかる……」
息も絶え絶えに、支援ロボットの〈タケハヤ〉に問いかける。
やや離れた場所で使用可能武装を回収していた〈タケハヤ〉が停止して、南郷の方を向いた。
『反応速度向上用に 投与された D液の 体外排出に 要する時間は 平均 10分です』
「そうか……じゃあ、俺は小休止だ……。お前は使える武器を集めとけ……」
『イエッサー』
ヘビーアーマーが上空に跳んだ時に脱落した重火器、撃破された敵の武装など、使えるものは多少は残っている。
他の戦域の援護に行くためにも、武装の補充は必要だった。
南郷が背もたれにして寄りかかっているのは、ヘビーアーマーの下半身だった。
制御機能の詰まった上半身を喪失した今、下半身は使い物にならない残骸だった。
もはや真っ平な雪原の中で休むための、臨時の物陰にしかならない。
「はぁ……」
南郷は首元を緩めて、一息吐いた。
ふと、コキュートスの墓標と化したヘビーアーマーの上半身を見た。
毒を以て毒を制すがごとく、狂った科学の産物が同じ存在と相打ちになったような図だ。
コキュートスは自分の欲望、未練を晴らすために戦い
ヘビーアーマーもまた自らの怨念を晴らすかのように苛烈に、激烈に戦って、鮮烈に散った。
あの墓標にはもう、何の意思も感じない。
「気は晴れたか……?」
南郷は独り言のように呟いた。
雪風に佇む墓標からは、何の返事もなかった。
周囲には、〈タケハヤ〉以外に動くものはない。
五十体近い敵ドロイドの残骸が転がり、発火したバッテリーが所々で煙を上げている。
「情報通りなら、これで敵の1/3は仕留めた……。ま、こんなもんだろう」
南郷に割り当てられたノルマはこなした。
ノルマ……厭な言葉だ。世の中の人間を最も多く縛り付ける呪いの言葉である。
半分義理で付き合ったような荒事を義務として考えるのが癪で、気が重くなって
「はぁ……」
と溜息を吐いた瞬間、雪の崩れる音がした。
あろうことか、油断した。気を抜いてしまった。
南郷が音の方向に目を向け、身を翻そうとしたのと
雪の中に埋もれていた半壊状態の〈アルティ〉が起き上がり、グレネードランチャーを発射したのは同時──
そして、別の方向から何かの空裂音が南郷の頬を掠めたのもまた、同時だった。
カン! カン! カン! と軽い音を立てて、コールドニードルが〈アルティ〉の頭部と、発車直後のグレネード弾を貫通。
〈アルティ〉のAIユニットを破壊し、グレネードの信管を凍結させて、全てを沈黙させていた。
「な……なんだと?」
南郷はバイザーの奥で目を丸くして、コールドニードルの発射された位置を確認した。
コキュートスの左腕が、雪原に転がっていた。
発射は誤作動だったのか、それとも制御用BMIチップに残留したコキュートスの意思、いや怨念がそうさせたのか……。
だとすれば、南郷をミチヅレにせんと発射したものが外れたか、あるいは──
「戦いの結末に……水を挿すなってか?」
南郷の問いに応える者はなく、コキュートスの左腕は軽い破裂音と共に自爆した。
今度こそ、戦場には誰もいなくなった。
離れた場所から、小さな爆破音が聞こえてくる。
北の方向だ。
「園衛さんも……始まったか」
発射場の北は、宮元園衛の受け持ちだ。
つまり、総大将自らが前線に出ている。
まるで鎌倉武士めいた時代錯誤の愚行のようであるが、戦術的に理由あってのことだ。
だが南郷は、まだ動けない。
やけに長い10分が過ぎるのを待ちながら、それほど心配はしていなかった。
「ま、あの人なら大丈夫だろう」
宮元園衛とは、そういう人間なのだ。




