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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
196/234

邪忍少女の終わりと始めのこと

2025-0629イラスト更新

挿絵(By みてみん)

「この体……私がちゃーんと有効活用してあげる♪」

恋する邪忍少女・碓氷燐……?


 大樹航空宇宙実験場のロケット発射場は、格納庫から800メートルほど離れた海岸近くに存在する。

 天気はうんざりするほどの晴天。周囲には遮蔽物はほとんどなく、周囲の広大な雪原からは垂直に立つロケットが良く見えた。

 実験場の郵便受けに、アズハが手紙を入れてから二日が経過していた。

 発射場から2kmほど離れた漁港の倉庫裏で、金属的な転倒音がした。

 周囲に人気はなく、誰かが物音を聞いたとしても、風でハシゴか何かが倒れた程度にしか思わないだろう。

 まさか、人間サイズの戦闘用ロボットが制服姿の女子高生に首を切断されて倒れているなど――想像もつくまい。

 たった今、アズハが斥候として潜んでいた敵戦闘ドロイド〈アルティ〉を忍者刀の一閃で撃破したのだった。

 極めて静粛かつ迅速に、敵方の隠密を始末するのも忍の務め。

 続いて、パンッ! と花火に似た音がした。

 倉庫の屋根で、もう一体の〈アルティ〉が背中からバッテリーユニットを槍で貫かれ、機能停止していた。

 穂先をメタマテリアルで形成された銀槍の使い手は、碓氷憐。

 銀色の長髪を海風になびかせて、燐は伸縮式の槍を手元に収めた。

「ふふふっ……よっわぁ♪」

 燐の口元に妖しい笑みが浮かぶ。

 余裕と敗者への嘲りに満ちた表情は、彼女を知る者が見れば違和感を抱いただろう。

 しかし、燐はすぐに元通り、いつも通りの顔を作って、軽やかに地上に降り立った。

「燐……なーんか手際ええなあ、お前?」

 アズハは納刀しつつ声をかけた。

 燐の動きには、明らかにいつもよりキレがある。

 敵ドロイドが実験場を望遠モードで監視していたとはいえ、索敵の隙を縫っての接近、一撃必殺という手際の良さは見事だ。

 出来過ぎと言って良い。

「なんや、南郷さんのためだからて……気合入っとるんか? タダ働きかも知れんのに」

「ん~? そーいうアズっちも、『ボランティアなんかクソくらえや~!』っていつも言ってんのに、結局来てんじゃん」

「ま、乗りかかった船やしな。ここまで関わっといてトンズラこくのも寝覚め悪いっちゅうか……」

「は~……やっぱお人よしだよね、アズっちって」

 燐は髪を弄りながら、呆れ声で背を向けた

「口ではブッ殺したる~って言ってたフクシュー相手のことも、結局許しちゃったんでしょ? ほら、アズっちの本物さんだっけ?」

 それはアズハと同じ顔、同じ遺伝子を持った小豆畑家の長女のことだ。

 アズハがその女のクローンとして産み出されたことや、諸々の因縁については、以前に燐にそれとなく話していた。

「なんだっけ~? 同じ顔なの利用して、そいつのこと社会的に追い詰めて、最後の最後でネタバラシして、絶望させてからブッ殺すつもりが――」

「しゃ、しゃーないやろ……。あのアマの幼馴染とかいうのが急に出てきて……」

「『もうあなたの前には二度と現れない! だから彼女の命だけは許してあげてください!』って、幼馴染クンが土下座したんだっけ? で、それで許しちゃったと」

「うっさい……別に許しとらんわっ。目障りだから消えろ言うただけや……」

「諸悪の根源のクローン製造業者も? 代替わりしてたから許しちゃったんだっけ?」

「それは、なんつーか……今の総代が頭下げてきて……」

 アズハは歯切れの悪い言い訳をブツブツ言っている。

 燐の口から苦笑いが吹き出した。

「ぶっ……。『先代までの過ちを深くお詫びします』って、今までの犠牲者の慰霊碑を建てて、アズっちには賠償金。でもアズっちは、それを供養に充ててくれと一銭も受け取らなかった?」

「ふん……人殺しの汚い金なんぞいらんわっ……!」

 要するに、アズハは誠実な対応に弱いということだ。

 燐は、非情になり切れない相棒に呆れながら、漁港の波止場に座り込んだ。

 制服のスカートから剥き出しの足を伸ばして、波と空との間にぶらぶらと遊ばせた。

「そんで~~? これからどうすんの~~? 敵さん、もっと来るんでしょ?」

「情報だと、あのロボットが100匹くらい来るらしいで。フル武装でな」

「マジで~~? どっから湧いてきたのさ、それ~?」

「各省庁に警備ロボットとして先行配備予定のをかき集めたそうや。今日は……正真正銘の総力戦やな」

「ふぅ~ん……戦争じゃん?」

 燐は鼻で笑った。

 敵は、軽装備の忍者二人では相手にならない数と装備で押し寄せる。

 個人を目標とした暗殺とはわけが違う。軍隊相手の正面戦闘なぞ、完全にアズハ達の専門外だ。

 だというのに、燐は笑みを口元に浮かべていた。

 忍者に戦いを愉しむ習性はない。不自然な反応だった。

「アズっちも、戦争すんの? マジでぇ~?」

「ウチらは敵の斥候排除と破壊工作に徹する。正規戦は南郷さん達に任せるんや」

「そっかあ。じゃ、あーしも頑張らなきゃだね~?」

 燐はアズハに背を向けたまま、冷たい海風に足を晒していた。

 冷気や熱気、苦痛に耐えるには心法の鍛錬が必要であり、それは燐が苦手とするものだ。

 だというのに……燐は身震い一つしていない。

「先に行っててよ、アズっち。あーしは、少しここで休んでるからさ」

「ん……? サボりはナシやで?」

「逃げないよ……。ちゃんと行くから……」

 燐の声色が急に冷たくなった。

 相棒に違和感を覚えつつも、アズハは波止場を後にした。

 戦いの前なのだから緊張もするだろうと。しかし、頭のどこかに引っかかりを覚えながら。

 暫くして、付近からアズハの気配が消えた。

 過疎地の漁港に響くのは、風の吹く音だけ。

 寒風に全身を打たれて、燐は制服の上から我が身を抱いた。

「くぅあっ……あーしの中で……あんま暴れないでよ……」

 上気した顔で燐が俯いた。

「な、ん、で……あーしの中に……入ってきたの……っ!」

 喘ぎ、独り呟く。

 それは独り言ではない。

 燐は自分の中の異物と、自分を浸食しようと根を張る魔性のモノと対話していた。

 頭の中で……燐は自分以外の女の声が響くのを感じていた。

(なんでって? それはね、あなたの心に隙間があったから♪)

 燐やアズハと同年代の少女の声。だがそれは、人外の魔女の声。

(大好きな人に認めてほしい。大好きな人の役に立ちたいっ! でもでもでもぉ……あなたは全然力不足の足手まとい♪ だから……力が欲しい。その愛しさと焦燥が、わたしを迎え入れたの♪)

「意味わかんね……っこと……言うなっ!」

(嘘よ。あなたバカでも自分の気持ちくらい分かるでしょ? だから、今まで私はお試し期間の体験版で力を貸してあげた。普段のあなたじゃ、あんな鮮やかな戦いは出来ないもんねぇ?)

 燐は長い髪を掻きむしり、頭を振り乱した。

 心の中に住みついた魔女を追い出そうと、自分の弱さを否定しようと、無駄に足掻いた。

「うっさい……! うっさいうっさいうっさいっ!」

(バカね、ほんっと♪ ま、あなたが本当にイヤなら私は引っ込んであげるけど? でもぉ……本当にそれで良いの? 体験版、もうおしまいなんだけどぉ?)

 魔女が……誘惑を囁く。

 耳を塞いでも逃げ場はない。心の内で全てを見透かし、氷のように脆弱な亀裂を押し広げる魔性の囁きに、抗う術はなかった。

(よわよわざこざこの碓氷燐ちゃんに、お姉さんから提案でぇす♪ 私と契約すれば、あなたの望みを叶えてあげる♪)

「あーしの……願いって……?」

(今さらとぼけないで♪ もっと強い力が欲しい。おにーさんに……南郷十字のために戦える力が欲しい。それと、あと一つ――)

 心の奥がざわついた。

 魔女の指先が、心の奥底に隠した大切な箱を強引に開けようとしているのを感じた。

 箱の中に隠したのは、身も心も穢れきった邪忍に似つかわしくない、繊細な感情の結晶。

 それは薄い氷で形作られた、少女の想いの宝石──。

「ちょ……やめて……! やめてよっ……! あーしの心に……さわらないでよぉ……!」

 必死の懇願を魔女は嘲笑う。

(ふふ~~♪)

 一切の躊躇も情けもなく、魔女が心をこじ開けた。

(あなたは彼が好き~♪ 十字のことが好き~♪ 初恋なのよね~?)

「ああああああああああ……!」

 心を他人に、人ですらない異物に覗かれる苦痛に──呻く。

 どろりとした粘性の汚染物質が、心の亀裂に浸透していく。

(あなたの心と体をオモチャにしてきた男たちと違って、十字は初めてのマトモな大人。穢れたあなたのことも否定せずに認めてくれた唯一の男。だから憧れた。好きになった。彼にも愛してほしい。好き合い・たい♪ あぁ~、乙女チック♪ ぷぷぷぷ……何様ぁ? 身の程を知りなさいよ、人殺しの売女の分際で♪)

「あ、あんたに……あーしの何がわかるんだ……よっ!」

 必死に拒絶する。

 心の傷口を開いて、強引に入ってこようとする病原菌に、寄生虫に本能的に抗う。

 こんな人外のバケモノに、燐の味わってきた苦しみの何が分かるのか。

 邪忍の家に生まれたからと、それだけで両親を目の前で殺され――

(分かるわよ、あなたの苦しみ。口ではヘラヘラ笑っていても、心の奥の憎しみは消えない。教えてあげようか、誰があなたの両親の仇か)

 碓氷流活殺法の伝承者として幼い頃から人殺しの術を仕込まれ、死ぬまで人殺しの道具として生きるしかないと決められた人生――

(分かるわよ、その痛み。子供の頃の夢はお花屋さん。でも、その選択肢は奪われた。自分の意思とは無関係に。辛いわね、苦しいわね? 許せないわよねぇ……可能性を奪う世界なんて?)

 諦めて、絶望して、世界も自分も嘲笑って、他人事みたいな顔をして体も心も金で売ってきた。

 汚れている。自分は薄汚い。誰かを好きになる資格なんてない。恋なんて出来るわけがない。愛なんて貰えるわけがない。

(そぉ~? 彼も結構、汚い人生送ってるわよ~? だから案外、あなたとお似合いかもよ? くすくすくすくす……)

 魔女の声が、じわりと燐の心に浸透していく。

 この魔女は燐の穢れを理解して、肯定してくれている。

 異物感が薄れていく。むしろ心の傷を埋めてくれるようで、苦しみが和らいでいくのを感じた。

「そう? そうなの……?」

(そうよ~? だから、お姉さんのお願い……聞いてくれる?)

「うん……。聞く……だけなら」

 そして、燐は自ら心の隙間を広げてしまった。

 魔女が口づけをするように、燐の鼓膜の裏側で囁いた。

(あなたの体……私にちょうだい♪)

「えっ……?」

(私はあなたに力を与えてあげる。その引き換えに、私はあなたと一つになるの。溶け合うのぉ……♪)

「どうして……そんなこと、するの?」

(私とあなたは同じだから。同じ人を愛しているから、私はあなたを選んだの)

 魔女の声が、想いが、燐の心に共鳴するのを感じた。

 強烈なシンパシーが全ての拒否感を消し去る。

 温かい高揚感、快感を伴う疼き、熱さに、燐の額がしっとりと汗で濡れた。

「うん……分かった。いいよ、それで……っ」

(あら、ほんとにぃ?)

「うん。全然いいよ。だって、あーしとあなた……おんなじだもん」

 我が身と、内なる魔女を愛しく抱いて……碓氷燐は笑っていた。

 この契約で互いの願いが叶うのなら、拒む理由はなにもない。

 故に──自らの言葉で魔を受け入れ、自らの言葉で肉体放棄の契約を承諾したのだ。

(そう──それじゃ、あなたの体……いただきまぁす♪)

 歓喜の哄笑と共に、魔女は契約を履行した。

 精神の融合は、絵の具が水に溶けるようなもの。

 じわりと広がり、すぐに終わる。

 海から一際大きな風が吹いて、燐の銀髪がふわりと広がった。

「んー……来たみたいねぇ、お客さんが?」

 燐の声で、しかし今までの燐とは別の声色で、碓氷燐だったモノが呟いた。

 右目をぎょろりと剥いて、人の目では見えない高さの空を凝視した。

 今の燐には、遥か遠方の空から近づく敵の姿が見えていた。

「それじゃ……契約を果たすとしましょっか♪」

 波止場に座ったまま足を大きく勢いづけて、バッと一気に立ち上がる。

 燐は軽やかにすたり立ち、久々の肉体の感触を確かめた。

「うーん……やっぱ若い体っていいわね~~? この前の鏡花って子より具合も反応も上々。良い感じにフィットしてるわ~♪」

 喉の調子を確かめるように、燐は独り呟いた。

「この戦いが終わったら……ちゃーんと告白してあげるわよぉ♪ でも、中身が私だと分かったら、ど~んな顔するかしらね~彼ェ? ひひひひっ……♪」

 他人のような顔をして、邪気の笑いを浮かべながら、碓氷燐だった少女は──北の戦場へ駆け出した。


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