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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-40

遠い遠い戦場に行くためには、足が必要……

 三月上旬――

 航空宇宙開発ベンチャー企業〈ラブ・スペース〉の八王子事業所。

 ここは商業用小型ロケットの組み立て工場も兼ねた施設で、八王子市の山間にある。

 その応接室に、右大鏡花がいた。

「――というわけで、私どもの機材を宇宙に打ち上げて頂きたいのです」

 テーブルの上には、数枚の資料が並んでいた。

 人間を模した医療用ロボットと、その遠隔操作のデモンストレーション云々と記載されている。

 宮元家傘下の医療団体が某大学と共同開発したロボット――という、でっち上げのプレゼン用資料である。

 鏡花の対応をしているのは、背広姿の男二人。

 片方は、〈ラブ・スペース〉の社長。

 ニコニコ笑顔で揉み手をしている。

「是非とも! その案件はウチでやらせていただきます!」

 社長は極めて乗り気だった。

 この案件の報酬は極めて高額な上に、技術的宣伝にもなり、更には多額の出資まで受けられるという破格の条件を提示されたのだから、今すぐにでも契約書にサインしたい気分なのであった。

 しかし――もう一人の男、東塔大学工学部教授にして技術顧問の平尾賢は違った。

「いや、待ってください社長」

 平尾教授は渋い顔をして腕を組んだ。

「件の機材は静止軌道に打ち上げるということですが、我々の実績は低軌道への小型衛星がせいぜいです。それが静止軌道に人間サイズの貨物の投入、しかも船外活動の後に回収なんて……無茶が過ぎる」

「だから平尾さん、そこは今までの地道な研究、トライ&エラーが生きるということで……」

「確かに、大型貨物用のブースターを使えば理論上は軌道投入も可能です。が、私が何より問題視しているのは……納期ですよ、社長」

 平尾教授が一瞬、不信の眼で鏡花を睨んだ。

「今月末には打ち上げをしろなんて……いくらなんでも気が早すぎる」

「だから、その見返りはあるということでね……」

「社長。私は以前、これと同じような無茶ぶりをしてきた人間を知っています」

 再び、平尾教授が鏡花を睨む。

 それは明確な敵意の篭った視線だった。

「左大千一郎という老人……。そいつは私の恩師、奥上教授がJAXAから追放される原因を作った男ですよ!」

「うっ……!」

 相手方の予想外の対応に、鏡花の口から小さな悲鳴が漏れた。

 今回は一般企業、それも新興ベンチャー相手の商談だから任されたわけで、いつも通りにクールに淡々と終わらせるつもりだった。

 それが感情的に拒絶され、しかも左大という厄介の権化のような名前まで出されるとは思ってもいなかった。

 こんな時、いったいどうすれば良いのか――

(うう~……兄さん……助けてぇ……)

 鏡花は心の中で南郷に助けを求めた。

 が、もちろん都合良く助けに来るわけがない。

 平尾教授に睨まれ、社長も疑いを持ち始め、クールを装うのも限界に近かった。

 まずい――このままでは交渉に失敗する。

(はわわわ……兄さんと園衛様に迷惑かかっちゃうぅぅぅぅ……!)

 ビジネスライクな好条件を不信感と過去の遺恨で一気に覆されるという想定外の事態に対応するには、鏡花はあまりにも経験不足だった。

 もはや交渉決裂と思われた時、応接室のドアが開いた。

「お・邪・魔・しますわぁ~~♪」

 張り詰めた空気を浸食する、少女の甘ったるい声。

 入ってきたのは、制服姿の少女――東瀬織。

 場違いな乱入者に、社長が困惑の声を上げた。

「なっ……だ、誰? 誰だよキミィ!」

「関係者でございます~~?」

「いや、関係者って……? キミ、がくせ――」

「交渉の続きは、お任せあれ。社長さんは少し――お休みになっては?」

 瀬織の妖しい目線が社長の目と交錯。

 それだけで、話は済んだ。

「あぁ……うん。そうだね。私はちょっと休むよ。平尾さん、後はお願いね」

「えっ、社長? えっ? えっ?」

 困惑する平尾教授を置いて、社長は足早に退室した。

 再びドアが閉まり、密室には女ひとり、男ひとり、人外がヒトつ。

 鏡花の横、応接室の椅子は一つ空いている。

 人ならざる少女は来客用の椅子にすとん、と腰を下ろして、不遜に足を組んだ。

「どうも、はじめまして平尾先生。わたくし東瀬織と申します。こちらの右大鏡花さんに代わって、商談を引き継がせて頂きますわ」

「なっ……きみは一体なんなんだ!」

「簡潔に申し上げれば――この案件で運んで頂く貨物そのものでございます」

「は?」

 平尾教授は一瞬固まり、テーブルの上の資料と瀬織の顔を交互に見た。

「打ち上げる……人間サイズの……医療用ロボット……」

「はい。わたくし、いわゆる人工知能搭載のすたんどあろーんたいぷの、ろぼっとでございます♪」

 にこやかに、横文字のイントネーションが少し怪しい感じで、瀬織は大法螺を吹いた。

 あまりにも堂々と嘘を吐くものだから、身内である鏡花も目を丸くした。

「えっ? ロボっ……? えっ?」

「あら~? 鏡花さんったら、なーにボケっとしてるんですかね~? そんなんだから、わたくしに仕事を奪われてしまうんですのよ~♪」

 瀬織は言葉の裏に毒を仕込んで、迂遠なる女をちくちく小突いた。

 せめて話くらい合わせろ、と。

「平尾先生も噂くらいは聞いたことがあるのではないですか? わたくしのような機械が実用段階にあるということは」

「む、むう……確かに。内閣府直属の研究機関が作っているという話は……」

「それと似たようなものです。医療分野、介護などに用いるには、不気味な外見では忌避感が生じます。ゆえに、こういった外見に作られましたの」

 またしても嘘だが、微妙に事実を織り込んでいるので説得力が増す。

 同時に平尾教授の専門外の分野から攻めているので、相手も迂闊に反論できない。

 交渉のペースは、既に瀬織が掌握しつつあった。

 が、そこは平尾教授とて負けていない。

「いや、しかし……きみらは信用できん! 胡散臭さが……ある!」

 平尾教授は若い頃からプレゼンテーションの経験を積んだ人物だ。

 怪しげな山師同然の輩とも渡り合い、跳ね除け、信用と資金を自分の力で勝ち取ってきた強者でもある。

 その辺りは瀬織も承知の上だ。

 交渉に入る前に、平尾教授の経歴は学習済みだった。

「平尾先生の疑念は――ごもっともでございます」

 すっ――と、瀬織は平尾教授に頭を下げた。

「わたくし共が、過去に左大千一郎と関係があったのは事実でございます」

 そして包み隠さず、敢えて平尾教授と左家の遺恨に踏み込んでいった。

「やっぱりな……! 言ってることがあのジジイにそっくりだと思ったんだよ、お前ら!」

「もう20年も前に、左大千一郎は平尾先生の恩師、奥上教授に無理難題を押し付けたと……」

「そうだ! あのジジイ……『恐竜を宇宙に飛ばせ』なんて、ワケの分からないことを言って……」

「当時のろけっとに何か巨大な部品を積んで、その結果――」

「ああ、失敗した! H2Aロケットのペイロードギリギリの、得体の知れない何かを乗せられて、上昇中にバランスを喪失し、やむなく爆発処分! 100億円が一瞬で消えた!」

 バン! と平尾教授がテーブルを叩いた。

 悔恨と怒りが表情に滲み出ている。

 ここまで相手方を怒らせては交渉失敗は確実――鏡花は顔を青くした。

 一方、瀬織は動じることなく、淡々と話を続けた。

「責任を取る形で、当時の理事長だった奥上教授は辞任。宇宙開発の第一線から退いた……」

「そうだよ……。奥上先生の無念を晴らすために、私は今の仕事に人生を賭けているんだ。お前らからの仕事の依頼なぞ――」

「だからこそ、平尾先生に仕事をお願いしたいのです」

 誠実の皮に虚実の糸を織り交ぜて、相手の心を巻き込んでいくのが――東瀬織の交渉術だ。

「平尾先生は、科学を軍事利用されるのがお嫌いだと存じております」

「む……それがどうした」

「正直にお話いたします。わたくし共の本当の目的は――」

 瀬織の長い人差し指が、まっすぐに天井を――否、天上を指した。

「軍事目的で打ち上げられた人工衛星の、破壊でございます」

「なん……だと?」

「奥上教授の技術を利用して、人に害を成そうとするモノを……ブチ壊しにいきたいのですよ」

 瀬織の糸が、ぬるりと平尾教授の中に入り込んだ。

 精神操作の呪術を使うまでもなく、瀬織は交渉の成立を確信した。

 平尾教授が陥落するまでに、そう時間はかからなかった。


決戦の場は、宇宙そらへ……?

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