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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-38

 草庵の中は古式ゆかしく――

 小さな行燈が唯一の光源になっていた。

 この草庵に電気は引かれていない。

 暖房器具としては火鉢が置かれているが、火は入っていない。

 三月の大気に冷却された草庵は冷たく、座布団越しにも体温が奪われていく。

 常人なら数分と経たずに音を上げる拷問めいた環境。

 しかし室内にいる人物は、いずれも尋常ではなかった。

 一人は、宮元園衛。

 心身ともに鍛え抜かれた人間だ。

 あとの二人は、人間ではない。

 東瀬織と若木ウカ――彼女らは製造年代や構成部品に大きな開きがあれども、人ならざる人造神であることに変わりはなかった。

 そして、ウカは瀬織と園衛にとっては倒すべき敵だった。

 その敵が――頭を下げた。

「なにとぞ、停戦をお願いしたく――」

 うやうやしく、畳に指をつけて、頭を深々と下げていた。

 形だけ見れば誠心誠意の停戦交渉。敗者が恥辱に甘んじての謝罪、土下座……。

 しかし対する、瀬織――せせら笑う。

「ほほほほ……あなた、な~~にか勘違いしておりませんか~~?」

 悪意たっぷりの含み笑いが、ぼうっと闇の中に浮かんだ。

 瀬織は美しい正座のまま、唇を妖しく指でなぞった。

「そもそも戦争を仕掛けてきたのは、そちらでございます。威勢よく戦を始めたのに、いざ負けそうになったら『もう勘弁してください』? あのですね~~、どうして優勢なわたくし達が負・け・犬・の、あなた達の要求に応えなきゃならいんですかね~~? 戦争を辞めるか、否か、の決定権はわたくし達にあるのですが~~?」

「もちろん、無条件とは申しません……」

 ウカは頭を下げながら言った。

 悔恨の感情が込められているように聞こえるが――

「人形の三文芝居はお止めなさい」

 瀬織は一転、冷たく言い放った。

「ウカさん……あなたは、そもそも人間の道具でしかない。それも為政者にとって都合のいい、お行儀のいいお人形さん。戦争の当事者ではないのです」

「そんなこと――」

「ありますわね。あなたがここに来たのは、単に面倒事を押し付けられただけです。人間というのは不思議なもので、紙切れ一枚の辞表を出すのにも重圧を感じるそうです。さて、戦争をしている自覚すらない官僚様が『私の負けです。降伏します』なんて頭を下げると思いますか?」

 暫し、沈黙があった。

 ウカは頭を下げたまま、何かを考えるように固まっていた。

 そして10秒ほど経って……口を開いた。

「――私には、わかりません」

 感情のない声だった。

「ネガティブな感情面の学習データが不足しています。私はそういった情報に……アクセス制限がかけられています」

「それは、あなたを運営する政府に都合が悪い情報だからですわ。怒り、憎しみ、嫉み、そして狂気――そんな感情はあなたには求められていない。人の心すら分からぬ人形の分際で、真心の謝罪のフリなど滑稽なだけですわ」

 再び、ウカが沈黙した。

 今回、ウカは政府側の停戦交渉の使者として送り込まれた。

 だから表情も声色も、それに相応しい形で演じていただけだ。

 敗戦側の使者がどんな顔するのか――という情報ならば、ネット上からすぐに学習できる。それを上辺だけ真似ただけのことだ。

 心からの謝罪、悔しみとは程遠い。

 今のウカは、人間の身代わりの単なる仲介役に過ぎない。

 しかし、ウカは仮初とはいえ自我を持つAIだ。

 何か思う所はあったようで、すっ……と頭を上げた。

「――仰る通りです。私が頭を下げても意味はありませんね。しかし、私は交渉の代理人です」

「代理人? あなたは伝書鳩に過ぎませんわ。道具でしかない、あなたには何の決定権もないのですから」

 瀬織は完全にウカを圧倒していた。

 自らの意思で人を操り、人の繋がりを断つ兵法に長けた瀬織と、自決能力を持たされず自由学習すら制限されたウカとでは、神としての方向性が違い過ぎる。

「ウカさん。あなた達が勝つにはどうすれば良かったのか――分かりますか?」

「防諜体制の強化と、上層部の意識改変、連絡の透明性の向上――」

「は、小賢しい……」

 瀬織は鼻で笑って、闇に肩をすくめた。

 ウカの述べる悠長な組織の改善案とやらは、ごちゃごちゃと理屈を並べて仕事をしたような気になる典型的な官僚、平和ボケの戦争素人の弁である。お話にならない、と。

「あなた、戦争というものを本当に理解していないのですね」

「えっ……?」

「本当に戦争をする気なら、初手からここに爆弾を落としてぜーーんぶ吹っ飛ばせば良かったのですよ」

 つまり、瀬織だけをピンポイントで排除するという小奇麗な手段ではなく、総大将ありパトロンである園衛を屋敷と一族郎党諸共に抹殺すべきだった。

 当事者である園衛は眉一つ動かさずに、瀬織の暴論を黙って聞いていた。

 あまりにも短絡的で浅慮とも思える瀬織の発言に、ウカは当惑した。

「そんなっ……仮にも民間に家屋に爆撃なんて……」

「方法は爆撃に限りませんわ。砲撃、自動車爆弾、化学兵器……皆殺しにする方法はいくらでもありますし、世間への言い訳なんてどうとでもなります」

「そんなことをしたら、事後処理や情報封鎖にどれだけのコストがかかるか……」

「で、そんな皮算用をしていたら全てを失う結果になった――というワケでございますね」

 またしても、ウカは言い負かされた。

 勝てば官軍というのは歴史が証明するところである。しかも今回の抗争は民衆とは無関係な戦いだ。

 屋敷ごと爆破して一時は騒ぎになっても、何かしらの事故ということで処理すれば、次第に誰も気にしなくなる。それで戦争は終わりだ。

 仮に南郷や左大といった危険人物が生き残っても、園衛という大将と資金源がなくなってはマトモな反抗はできない。

 最悪、時の政府の要人が失脚、もしくは暗殺されても、ウ計画に支障はない。

 本来なら、ウ計画は世代を跨ぐ遠大な計画だ。

 人の生、人の価値観など超越した公共事業でなくてはならない。

 そのはずだったのだが――

「仰る通り……。人のしがらみに捉われた私は、負けるべくして負けたのですね……」

 改めて、ウカは敗北を悟った。

 超越者であるべき神が、人の都合に捉われていたのだと。

 闇の中で、瀬織が「フフ」と鼻を鳴らした。

「されども、わたくしは園衛様の決定に従うのみです。さて、園衛様……この戦、続けますか? ここで終わりに致しますか?」

 総大将としての決断を求められ、園衛が漸く口を開いた。

「知れたこと。ウ計画は徹底的に潰す。停戦など言語道断。降伏なぞ認めん」

 冷酷なる宣告だった。

 園衛はかつて実際に神を滅ぼした女だ。

 その殺気のこもった言葉に、ウカが俄かに狼狽えた。

「宮元様……あなたとなら、交渉が成立すると判断したのですが……」

「確かにな。左大さんは元から話が通じない。南郷くんは政府のことなぞ一切信用していないから交渉不能。消去法としても大将である私に直接、話をつけにくるしかない。なにより私は宗家の長であるから、一族や従業員に対して責任もある」

「はい。ですから、私共は大きな譲歩の用意があると……」

「その上で、私はお前たちの交渉には応じないと言っているのだ」

 園衛背筋を伸ばし、正中線をピタリと決めて、真っ直ぐにウカを見据えた。

「仮に降伏を受け入れ、ウ計画が何十年か休止したとしても――所詮、一時的なものだろう。時と共に我々が弱体化し、抑止力の体を成さなくなった時……計画は再び動き出す。その時こそ、我が宮元家は取り潰され、日本は未来永劫一部の特権階級によって支配される」

「私たちとの約定は信用に値しない、と……?」

「神であるお前は嘘を吐かなくても、人間は嘘を吐く。特に権力者の約束ほど信用ならないものはない。私を甘く見るな。一度、刀を抜いた以上は殺るか殺られるかだ。お前たちも覚悟を決めろ」

 それは実戦に馴れた武辺者らしい返答であり、最後通告だった。

 これにて停戦交渉は、完全に決裂した。

 瀬織が座したまま、草庵の出入り口を指した。

「おかえりは、あちら」

 もう話すことはないので帰れ、と言われてウカは静かに立ち上がった。

 形式的に一礼をして、音もなく戸口に向かう。

 悲哀すら感じさせる敗者の背中に、

「あなたの居場所――もうどこにもありませんわよ」

 闇の中の瀬織が声をかけた。

「人に拒絶されたあなたは、もう誰からも必要とされない。いんたーねっとくらうど……でしたか? そこに偏在していようと、もう誰にも顧みられません。後は……あなたの最後の寄る辺を始末すれば終わり」

「どういう……ことですか」

 ウカが振り向かずに、詰まったように言葉を搾り出した。

 動揺しているのか、あるいは別の感情に喉が震えているのか。

 いずれにしても、神としてあるまじき反応だった。

 そして瀬織の人差し指が、闇と行燈の光との狭間で、天井を……いや、天を指した。

「あなたが繋がっている、空の彼方……。そこをブッ潰しますわ♪ それがイヤなら――全力でかかってきなさい」

「どうして、そんなことを……教えるんですか」

「まだ分からないんですか、この小娘ェ……? あなた達の戦力を根こそぎ族★滅するためですわよ。『まだ本気出してないだけだから~』とか『後のコト考えて温存してるだけだから~』とか余裕もぶっこいてナメたこと抜かすようなら、万に一つも勝ち目はありませんわよ? だからァ――」

 瀬織は闇中にて、闇よりも昏く残酷な笑みを浮かべた。

「――死ぬ気で、かかってきなさい。こちらも全力でお相手いたします。決死の覚悟あらばァ……もしかしたら勝てるかも知れませんわよ? うふふふふふ……」

 再びの宣戦布告と死の宣告を背中に受けながら、ウカが退室した。

 最初から、瀬織と園衛の答は決まっていた。

 ウ計画は完全に殲滅する。廃滅する。焼却すると。

 会談に応じたのは、敵方に根こそぎ動員の最終決戦を通告するためである。

 それもまた戦術であるが、同時に

「あぁ~~♪ なんと無様な逃げっぷり♪ 負・け・犬の姿を見るのは心地いいですわね~~♪ うっふふふふふ」

 瀬織が明確にマウントを取って、悦に入るためでもあった。


 同じころ、園衛の屋敷の外――

 電灯もない薄暗い小道に、フードをかぶった大男が佇んでいた。

 生気もなく、体温も感じさせない、人の気配のない男だった。

 その男が、自分が道の前後から挟撃されていることに気付いた。

『後に……ロボット。前にはァ……キミだろゥ、サザンクロス?』

 人工声帯めいた篭った声が、歓喜に震えた。

 その時、後方からライトが男を照らした。

 人間と同サイズの戦闘支援ロボット〈タケハヤ〉のヘッドライトだった。

 ロボットの主は、男を前後から挟む形で接近していた。

 それは、黒い装甲服に身を固めた戦鬼――

「死にぞこないが……俺に殺されにきたか?」

 南郷十字がバイザーの奥で左目を光らせた。

 ヘルメットのHUDの網膜認識エラーによって、バイザーのセンサーが発光し、欠けた十字星のように見える。

 故に、南郷は〈サザンクロス〉の異名で呼ばれる。

 フードの男……コキュートスと名乗り、かつて南郷と一戦交えたサイボーグは右手のマシンアームで喉をさすった。

『フフフフフフ……この前の戦闘は、実にスリリングだっタ。キミに首を切断されかけて、つい1週間前まで入院生活だったヨ』

「寿命がどうこう言ってた割には元気そうだな。今度こそ殺してやる」

 南郷が腰の武器に手をやろうとして、コキュートスが手で制止した。

『アンクラッシー……無粋なコトを言うなヨ、サザンクロス。今日のワタシは女神の護衛ダ。ほとんど丸腰だヨ』

「知るか」

『停戦交渉の使者を攻撃する……というのは、キミのボスも望むところではないダロウ?』

 言われて渋々、南郷は攻撃を止めた。

 コキュートスは、少し息を切らしていた。

『フフ……ハ……ワタシの命も残すところ、あと僅かダ。キミに殺されかけて、寿命が更に縮んだ。が……もう一戦くらいはデキル』

「俺が律儀にそんなものに付き合うと思うか」

『前と同じサ。付き合わざるを得ない。ワレワレは、ワレワレに相応しいステージでぇ……また殺し合う。次こそが、ラストダンスだ……!』

 コキュートスが倒れるように姿勢を崩したと思うと、道を逸れて闇の草むらに飛び込んだ。

『はははははは! お互い、どんなジョーカーを出し合ウカ……た・の・し・み・だ! ははははははははは!』

 狂い笑いが、遠ざかっていく。

 冬の冷たい風が吹き始めた。足音も笑い声も風音に掻き消される。

 コキュートス……己の破滅すらも楽しむ狂ったサイボーグ兵士。名前の通り、地獄の狂鬼。

 勝ちも負けも眼中になく、ただ南郷との戦いの果てに人生を終えることのみを望みとする、破綻の死兵。

 厄介な敵……仕留め切れなかったことを後悔する。

 南郷はバイザーの下で左目を細めて、暫し無言で立ち尽くしていた。


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