国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-29
東塔大学は、日本の最高学府である。
その航空宇宙工学の研究室の一つ、通称〈奥上ラボ〉のドアには大きくベンチャー企業のポスターが貼ってある。
「めざせ! 身近な宇宙!」をキャッチコピーに、動物のマスコットキャラクターがロケットに乗って飛翔するイラストが描かれたポスターだ。
ベンチャー企業の名前は〈ラブ・スペース〉。
技術顧問は、このラボの教授――平尾賢。
平尾教授といえば、名の知れた有名人だった。
学者としては顔も良く、口調もハッキリしていて、なおかつ説明も素人に分かり易いので、ロケット、宇宙開発関連でマスコミからインタビューを受けることも多い。
実際、教授は顔を売って研究資金を集めるのが得意だった。
同時に、学者界隈では別の方向で有名な人間でもある。
学生時代に日本ロケット開発の大家である奥上覚矢教授の教えを受けた彼は、「宇宙開発はクリーンであるべき」として兵器への技術転用に嫌悪感を示していた。
それに対して、奥上教授の講義に忍びこんでいた他校の学生が「ば~~っかじゃねぇのぉ~~?」と異論を唱えた。
「技術の進歩にはさぁ~~? お金必要でしょ? お金貰うのに手段を選んでられるんですかぁ~~っ?」
「何を言うか! どんな技術だろうと使う人間に理性がなければただの暴力! 我々は過ちを繰り返してはいけない!」
と、他校の学生と壮絶な議論に突入。
これをキッカケに工学部の学生グループは真っ二つに割れ、武力闘争に発展。
技術を戦争に用いることを嫌う平尾のグループは気功を取り入れた筋トレと太極拳でフィジカルを鍛えて竹槍や角材で武装する一方、積極的に科学知識を軍事転用すべしというグループはロケット弾や催涙弾そしてドローンを実戦投入し、戦いは野性vs兵器の様相を呈していった。
なお、戦闘は東塔大学農学部の所有する秩父の演習林で行われた限定戦争であり、一般市民に被害が及ばぬよう配慮されていた。
激化する抗争の果てに両者は疲弊し、このままでは単位の危機。ピンチ! 今、留年ピンチ! となったところで、戦闘は休戦。
両陣営の代表は、恩師である奥上教授に科学技術の軍事転用の是非に関して意見を求めた。
奥上教授は戦争の経緯に10分ほどひたすら大笑いした挙句に、研究室のガラスを指差したという。
「うっひっひっひ……キミたちの姿そのものが答だろう?」
ガラスに映っていたのは、焼け焦げた服装と爆発アフロヘアーの学生二人だった。
この寓話は割と有名だ。
なので、平尾教授へのインタビューの際には切り口として良く使われる。
「ははは……この平尾賢、学生時代の若気の至りだよ!」
平尾教授はいつも通り、インタビュアーに苦笑いを浮かべて見せた。
「しかし、キミたちみたいな学生が宇宙開発に興味を持つなんて、珍しいねぇ?」
今日は、学生新聞の取材を受けている。
やって来たのは中高一貫校の女の子たちで、高校生と中学生の二人組だった。
高校生の方は眼鏡をかけているが金髪と日焼け肌の派手な見た目で、あまり科学に興味があるようには見えなかった。こちらはカメラマン担当らしい。
「あのぉ~~、平尾センセ? この辺を撮っちゃって大丈夫ですかぁ~~?」
少し関西訛りのある声で、金髪の子が言った。
「ああ、別にパソコンの中身撮るんでなければ研究室の中はご自由に」
「あっ、そうですか? わかりましたー。アリガトございまーす……」
インタビューに配慮して少し声のトーンを落としつつ、金髪の子はスマホでの撮影を続けた。
平尾教授は、再びインタビュアーに向き直った。
「で、どこまで話したっけかな? 宇宙空間における仮想平面形成を用いた疑似的な地面反作用力……のあたりだったかな?」
対面して座るインタビュアーの女の子は、中学生とは思えぬほどに理知的で、落ち着いた雰囲気があった。
「はい。メタマテリアルの反作用推進を応用した姿勢制御で、小型商用ロケットの大幅な軽量化が可能という件について――」
まるでベテランの科学系記者のようにスラスラと質問を続ける女子中学生。
平尾教授は彼女に好印象を抱いて、聞かれたことを機密に抵触しない範囲でなんでも答えた。
インタビュアーの彼女の名前は、氷川朱音といった。
小一時間ほどのインタビューを終えて、朱音たちは研究室を出た。
「今日は本当にありがとうございました~!」
平尾教授に会釈しつつ、研究室のドアを閉めた。
ドアはカードロック式で、部外者は外から開けられない。
それから暫くキャンパスの廊下を歩いて、周囲に人気がなくなったのを見計らうと、朱音の表情が一変した。
「アズハさん、成果は?」
理知的なインタビュアーから一転、邪気を帯びた冷たい視線を相方の女子高生に向けた。
「ばっちし。ウチはプロやで、プロ?」
アズハは眼鏡を外して、ささやかな変装を解いた。
指の間には、今回の仕事道具である指先サイズのUSBコネクタが挟まれていた。
「外からハッキング、クラッキングっちゅうのは漫画の中だけ。ブッこ抜きってのは大抵、内部に仕込みするスパイが入り込んどるもんや」
「そのメモリで盗んだってこと?」
「いんや。こいつはパソコンにウィルスぶち込む注射器や。あの平尾ってセンセは感染したことも知らんまま、こっそりとメールにデータが添付されて深夜にドバッと送信される。履歴も残らんから、データ通信量に注意しない限り永遠にバレへん」
「ふふっ……大した産業スパイねぇ~?」
朱音は嘲り半分に笑った。
年上のアズハを小悪党の泥棒だと見下している。
仕事上、下っ端扱いされるのには馴れているアズハだが、苛立ちが頬に浮かんだ。
「こんのガキ……」
「あのねぇ~アズハさん? 私は瀬織様の直属の眷族なの。あなたみたいな普通の人間より神様に近いし、配下としての序列も上なの。その辺……分かってる? フフッ♪」
「はいはい、そうですか……!」
ケッ、とアズハは舌を出した。
気に入らない態度だがイタい設定に酔っている中学生と喧嘩しても大人げないし、一応は仕事の同僚だから我慢してやるという処世術だった。
「ま、これで新兵器の姿勢制御用プログラム? それはゲットや」
「あの平尾って先生、科学の軍事利用を拒否ってるって有名だもんねえ。マトモに交渉しても絶対に協力なんてしてくれないし。こうするのが手っ取り早い……。さすが瀬織様。見事な作戦♪」
「ま、それ以上にもなんか問題があるっぽいけどな……」
アズハはここに来る前に目を通した資料で、奥上ラボの歴史に気になる点を見つけた。
ラボの創設者である奥上教授のプロフィールに〈嫌いなモノ:恐竜〉と記されていた。
そこだけが異様な一文なので、妙に気になっている。
キャンパスの出口に差し掛かった頃、朱音が思い出したように呟いた。
「そういう変なウイルスって……どこで手に入れるの?」
さっきの仕事に使ったコンピューターウィルスのことだ。
普段なら企業秘密と答えるところだが
「ああーー、それは専門業者がおるっつうか……」
「どんな?」
「……変わったオッサンや」
今回に限っては、変わり者の業者について紹介せざるを得ない状況だった。
なにせ、その業者本人が仕事の同僚として加わるのだから。




