国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-25
わたくしは、東瀬織。
わたくしが、この国を三ヶ月で破壊すると宣言してから一月が経過しました。
民草とは、国家の血で肉であり脂でございます。
国家を一つの生物とすれば、民草が肥えるほど巨大かつ醜悪な怪物と化すのでございましょう。
際限なく悪性の腫瘍のごとく肉が膨れ上がり、皮膚からは脂肪が吹き出す、衆愚という名の病んだ怪物。
それは、ちょっとした火の粉で燃え上がり、火だるまと化すのです。
火種の仕込みは――大体終わっております。
そして、こちらの戦力も準備が整いつつあります。
しかし、強き人ほど傀儡にはなってくれないものです。
「うっふふふふ……」
わたくし、思わず震えながら笑ってしまいましたわ。
頬を引きつらせながら。
ここは、いつもと同じ山間の庭園。日が傾き始めた夕刻の頃。
ギリギリ電波が繋がったすまほ画面には、とんでもない報道が映っておりました。
〈自衛隊の違法出動による民間工場損壊〉
〈戦闘行為があったと目撃談多数〉
〈巨大な機械の恐竜と戦っていた〉
などなど、正気を疑うような見出しがズラリと並んでおります。
そして、それらの見出しを辿ったにゅーすさいとの本文は全て〈NOT FOUND〉もしくは〈このページは存在しません〉――全てが掲載から1時間以内に削除されております。
この事件、起こした方に心当たりがあり過ぎます……。
「あのぉ……ええんですか、これ?」
工作担当のアズハさんがドン引きしております。
アズハさんの地道な仕込みを全てに無に帰しかねない大事なので、不安なのも分かる話です。
かくいう、わたくしも――
「ほほほ……これは予想外でしたわ♪」
冷や汗が浮かぶほどに。
左大さんがここまで大っぴらに行動するなんて。一般市民に全て暴露するような立ち回りをするなんて。
いや本当、マジで予想しておりませんでした。
「ええっ?」
アズハさんが更に顔を青くしております。
左大さんの軽率な行動で、作戦そのものが破綻するではないかと危惧するのは分かる話です。
「恐竜……わたくし達、神魔の類には理解しがたきモノ。わたくし達より遥か以前に存在した太古の竜など、全てが想定外でございますわ。いわば劇薬。それは敵にとっても、味方にとっても毒に成り得る……」
「あの、つまり……あの左大って人は制御不能ってことですか?」
「わたくしに容易く御されるような人間では戦力たりえませんわ。それに、あの方……場当たり的なようで、兵法に通じていると見えます」
それは左大さんの野卑で短絡的な言動からは想像し難いことでしょう。
「恐らく、左大さんは敢えて姿を晒すことで敵を誘き寄せ、これを撃退した。敵の動かせる戦力が少数であると……読んでいたからです」
「敵は日の丸親方なんでしょう? 戦力はいくらでも湧いてくるんじゃ?」
「そう簡単な話ではないんですね。最初に交戦した自衛隊もですけど、訓練名目でしか部隊を動かせなかった。彼らは法の鎖で縛られた不自由な番犬。ウ計画とて万能の錦の御旗ではない、ということです」
「せやかて、ニュースになるほど目立つ必要あるんですか?」
「それこそ……左大さんの真の目的でございましょう」
影に隠れて暗闘する忍び者であるアズハさんが理解できないのは仕方ありません。
わたくしは、すまほの画面をとんとん、と指で小突いてみせました。
「陽の兵法でございますよ。自らを種火として、敵中に火を放つ。最大のかく乱工作です」
「多くの人の目に留まることで情報の隠蔽を不可能にする……ってことですか?」
「口封じ……というのは意外と難しいものでして、買収、監禁、暗殺の類は目撃者が少数でなければ使えない。たとえ独裁者が箝口令を敷き、目撃者たちを根切りにしようとしても、人の口に戸は立てられません。今の時代ならば、なおのこと」
「スマホで動画や写真が撮影されて、あっという間にSNSにアップされてまいますからね」
「ここで慌てて圧力をかけて記事や投稿を削除すると、逆効果になります。かといって放置すると、どんどん延焼する。すなわち――」
「こうなったらもう情報の隠蔽は不可能で、詰み……っちゅうことですか」
こくり、とわたくは頷きます。
「火を消すには、言い訳が必要です。できるだけ辻褄の合う設定を考えて、有象無象の大衆の関心から遠ざける。しかし、それは油を注ぐ者がいない時にしか通用しませんわ」
「なるほど。せやから、ウチらが油と火薬を用意して――」
不意に、アズハさんが言葉の途中で視界から消えました。
音もなく跳躍して、木の影に隠れて気配を消す忍び技でございます。
どうして、そんなことをする必要があるのか――というのは、わたくしも即座に理解できました。
がさっ……と落ち葉を踏みしめる音がして、二人分の気配が庭園に入ってくるのを感じました。
「あーーーーーっ!」
そして場違いで、耳障りで、うるさい小娘の叫びが庭園にじぃーーんと響き渡ります。
ああ、聞きたくもない声。
ああ、会いたくもない女。
誰かは顔を向けなくても分かります。
わたくしは、うんざりして顔を覆いました。
「なんで、あなたがここに来るんですかねぇ……クローリクさん」
指の隙間から、小娘の……クローリク・タジマの顔がチラチラ見えますね。
宮本学院の制服を着た、あの鬱陶しい銀髪の小娘が、わたくしを指差して……
「灯台下暗し! 幽霊の正体みたり、だ! 東瀬織ッ!」
ああ、なにかワケの分からないことを叫んでおります。
それと、もう一人。
遠慮がちにクローリクさんの後に隠れている気配は、わたくしの良く知る男の子でございますね。
「き、きちゃった……瀬織」
東景くんが、申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうな顔で俯いているのは、とてもいじらしく、愛らしく……ああ、クローリクさんの無礼もこれでチャラにしてあげようかと思うほどでした。
しかして、わたくしの静かで孤独な潜伏期間は終わりを迎えてしまったのです。
舞台装置の歯車が回り始める……




