国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-24
犬神自動車工場を巻き込んだ戦闘中、左大億三郎はさほど遠くない場所にいた。
というより、戦場の目と鼻の先――工場建屋に隣接する休憩所のトイレの中にいたのだ。
「う~~っちっちっちっ……」
左大は右手を抑えながらトイレの個室から出てきた。
服装は一般工員と同じ作業着。工員の中に紛れてここに出入りし、逃走の準備から戦闘までやってのけた。
「うっひひひひ……剣持の奴がもーちょっとバカだったら、俺に気付いてたかもなぁ~~?」
もし、剣持が随伴歩兵のロボットを何機か左大の捜索に回していれば、トイレの中に隠れていることも察知されていた可能性が高い。
なまじ剣持が指揮官として優秀で、思いきりの良い兵士だったからこそ、左大にまんまと裏をかかれたわけだ。
左大は右腕をぶらりと垂れ下げて、速足にトイレを出た。
「いぢぢぢぢ……俺の右腕を持ってくたあ……すげェよ剣持。マジでよォ~~……」
右腕を喪失したような痺れが心地よく、左大は笑っていた。
戦闘機械傀儡の操縦は、コントローラーの勾玉を介した精神接続の遠隔操作で行う。これは機体の負ったダメージが幻の痛みとして操縦者にフィードバックされるデメリットもある。
対戦車ミサイルを受け止めて損壊した〈ジゾライド改二〉の右腕のダメージは、そのまま左大の右腕に伝わっていた。
神経が元に戻るまでは、左大ほどの強者とて時間がかかる。
左大は周囲に監視の目がないことを確認すると、駆け足で工場の駐車場に向かった。
駐車場には、大型重機輸送用のトレーラーが停めてあった。
事前に用意していた逃走手段である。
ここは大型自動車ボディの製造工場なので怪しまれることもなかった。
荷台には既に〈ジゾライド改二〉がうつ伏せの姿勢で搭載されていた。カバーもワイヤーもかける時間はない。剥き出しのまま、次の逃走手段の場所まで強行突破する。
「おーーい、爺さん! 逃げっぞォ!」
左大が運転席のドアを開けると、助手席には彼の祖父が乗っていた。
正確には、とっくに死んだ祖父・左大千一郎の精神をコピーされた汎用作業人形〈祇園神楽〉である。
助手席に異形の人形がシートベルトをつけてドンと座っているのはシュールな光景だが、更にシュールな要素が加わっていた。
人形が、本を読んでいる。
一心不乱に、若者向けライトノベルを読んでいる。
タイトルは〈武者軍団を追放された盗人の俺がファンタジー異世界に転生! 光の俺と闇の俺に分裂して再合体! なんと神様になっちゃいました! 今さら武者軍団に戻ってこい? 冗談よしてよ!〉。
左大が運転席に座っても、人形はラノベに噛り付いていた。
「おい、ジジイ! いつまで読んでんだよ!」
『今いいトコロ……邪魔スンナ』
ぼそり、と人形は老人の声で呟いた。
既にトレーラーのエンジンはかかっている。
左大はシフトレバーを入れて、荒っぽくアクセルを踏んだ。
「後にしてくんねーかなァ! オメー今、助手席にいんだから助手の仕事しろォい!」
『ブゥー……』
人形は不満気にラノベを股の間に挟んだ。
トレーラーは工場の敷地を出て、車の通りのない田舎の県道を突っ走る。
ジャミングのせいで通報の遅れた消防と警察が漸く騒ぎ出したが、誰も彼も呆然とトレーラーを素通りさせた。
巨大な恐竜メカが荷台に寝そべるトレーラーなぞ、あまりにも現実離れしていて、それが騒動の原因の機動兵器だと理解できる人間がいるわけがなかった。
「はっハーッ! とんだ平和ボケのナマクラどもだなァ! チョロいチョロい! ヒヒーーッ!」
左大は検問すらないザルの警備体制を嘲笑った。
これこそ、巨大な敵であるウ計画の弱点だ。
極端な秘密主義は誰にも気づかれずに数十年単位で計画を進行できたメリットこそあれ、指揮系統の構築に大きなデメリットを生む。
「この分だと、警察官僚は誰も計画のことを知らんと見えるな? 連携が全く取れていない。これが官僚主義、縦割り構造の脆さ。どいつもこいつも戦争素人。ハッ! この国、余裕でブッ壊せるな?」
呆れ半分に左大は鼻で笑った。
「ヘッ……剣持みたいな奴がもっといれば話は違ったんだろうが、な」
そして、少し同情もする。
格式ぶった官僚組織では、剣持のような決断力のある実戦的将校は煙たがられる。
剣持ほどの男が冷遇され、現状認識の甘い組織で実力を発揮できずに腐っていくのは、哀れというほかない。
(竜を追う者は竜となるが……奴は人のままで俺と戦った。俺に似ていても、俺とは別の道を歩む者……。最高だぜ剣持、お前はよ……!)
内心にて、望んでいた好敵手を称え、再戦に奮えて、ほくそえむ。
その果てに自分が勝とうが、負けようが、どちらでも良い。
左大にとって重要なのは、生の炎を燃やし尽くす過程だけだ。
トレーラーは県道から国道に入り、真っ直ぐに南下する。
当然、対向車や後続の一般車両はあるが、誰もが〈ジゾライド改二〉を映画か特撮の撮影道具だと思っている。
スマホのカメラで撮影されるのも承知の上だ。
「ヒヒッ……これも兵法の内よ」
トレーラーは信号待ちでごく普通に停車した。
待っている間、左大は助手席に目をやった。
祖父の人形が、またラノベを読み始めていた。
「面白いか~、それ?」
『ウン……。不遇者のサクセスストーリー。ワシの若い頃、思い出す』
ぼそっ、と人形は感想を述べた。
『続き……モット読みタイ』
「おう。何巻も続刊してるらしいからな? 読み終わるまで成仏できねぇな、こりゃ?」
『ウン。読み終わるマデ』
人形は感情に乏しいようで、しかし確実にラノベに執着を見せていた。
これもまた左大の策であった。
祖父の記憶を持つ人形は、墓守のように日本各地の秘匿施設に配置されている。
しかし、彼らの存在意義は施設がしかるべき者の手に渡ったことを見届けることであり、左大の来訪を確認すると封入されていた魂のコピーが成仏してしまう。
これでは他の施設の情報を満足に引き出せない。
なので、他に現世への執着、あるいは生き甲斐を与えてやることで、強引に現世に留めてやる。
その方法が、この長ったらしいタイトルの若者向けライトノベルというわけだ。
「アンタにゃ、もーちっと動いててもらわなきゃ困るんでな」
『ウン。モット、続き、クレ』
信号が青に変わった。
左大はアクセルを柔らかく踏みつつ、少しだけ罪悪感を覚えた。
このラノベ――〈武者軍団を追放された盗人の俺がファンタジー異世界に転生! 光の俺と闇の俺に分裂して再合体! なんと神様になっちゃいました! 今さら武者軍団に戻ってこい? 冗談よしてよ!〉は、
物語の途中で刊行が打ち切られているのだ。
とある転生ラノベに悲しき現在……




