国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと-炎上編-23
剣持は激情にかられて市民を恫喝し、捨て鉢の攻勢に出たように見えるが――それは違う。
平和ボケし過ぎて死を他人事としか思えない一般市民を即座に退避させるには、発砲音と怒声で現実を教えてやるのが最も手っ取り早い。少し脅かすだけでケガもさせず、死人も出さずに全員を避難させられるのだから安いものだ。
後で問題になろうが知ったことではない。それをどうにかするのが役人の仕事だ。剣持の考えることではない。
『それでギガノト正解だぜ~? 剣持ィ~!』
皮肉にも、剣持の行動を理解しているのは敵の左大だけだった。
〈スモーオロチ〉が振るうファングユニットをチタンクローで捌きながら、〈ジゾライド改二〉の外部スピーカーが鳴り響く。
『理屈じゃ戦争に勝てねえからな~~! 賢しい奴ほどアッサリ死ぬ! お前は分かってる! 分かってるよなぁぁぁぁぁぁ!』
「ゴチャッゴチャッ……うっせぇぇぇぇぇぇぇッッッ!」
剣持、激情のマニュアル入力でファングユニットを振り回す!
しかし、次の瞬間にはチタンクローで粉砕された。
翡翠色のメタマテリアルと装甲が弾け飛ぶ。
所詮は使い物にならなくなったグラップルアームをパージして使った、間に合わせのでっちあげ武装だ。間合いを見切られ、もう通用しない。
〈ジゾライド改二〉が一気に間合いを詰めてくる。縮地同然の踏み込み!
剣持はそれを読んで、〈スモーオロチ〉の下半身を旋回。
アクセル全開で工場建屋内に突っ込んだ。
武骨な有関節装甲車両が薄い外壁を突き破り、工作機械が林立する工場内をタイヤが踏み荒らしていく。
『剣持一尉 民間施設を 損壊しています』
見れば分かることをウルがいちいち報告する。鬱陶しい。
剣持、舌打ちで返す。
「不可抗力だと理解しろ!」
ガタガタと揺れるコクピット内、シートベルトが肩の肉に食い込む。苛立ちと痛みがこめかみを軋ませる。
剣持が後方警戒カメラのウインドウを確認すると、予想通りに〈ジゾライド改二〉が追撃のために工場内に突入してきたのが見えた。
「随伴歩兵を全機工場内に集結させろ!」
ウルに指示を出す。
『意見具申 遠隔操縦している 敵オペレーターの捜索に 何機か 割くべきかと』
小賢しくも意見してくるAIに苛立ちながら、剣持は機体を操作して工作機械を飛び越えた。
「左大はそんな簡単に見つかるようなマヌケじゃない! 不確定要素に戦力を割くよりも、ここに集中投入する!」
『作戦の 説明を お願いします』
剣持は機体を180°旋回し、〈ジゾライド改二〉を正面に捉えながら工場内をバック移動。ここはトラック等の自動車ボディを製造する工場ゆえに広く、たとえ気休めでも十分に距離を置ける。
正面の敵機に最大の注意を向けながら、ウルとの簡単な作戦会議に入った。
「随伴歩兵のロボには霊的攻撃兵器があったな?」
『肯定 アルティの マニドライブは 霊体の電子構造を撹乱 破壊する 対妖魔電子兵装 です』
「あの恐竜メカに効果はあるのか?」
『高確率で 効果は 期待できません』
剣持はウルの淡々とした答に落胆も驚きもせず、工場設備を踏み潰しながら歩いてくる〈ジゾライド改二〉の姿を注視していた。
「あのバケモノには恐竜の……怨霊が? 入ってるって話だったな?」
『肯定 しかし 恐竜の霊体は 電子構造が異質で マニドライブの効果は 期待できません』
「干渉自体は可能なんだな?」
『肯定 しかし 出力差から フィードバックによる過負荷で 0.5秒の使用が 限界です』
電子戦とは要するに電波出力の大きい方が勝つわけで、それは対妖魔電子戦でも変わらない。
歩兵サイズのバッテリー駆動の小型ロボット10体が束になったところで、ターボファンエンジンを主機とした大型機動兵器の大電力と、ティラノサウルスの巨大な怨念には敵わないということだ。
これにて思考フェーズは完了――剣持の作戦は決まった。
「これより作戦概要を伝える。俺が奴を接近戦で足止めする。その間に、随伴歩兵機は奴を包囲。包囲完了しだい、マニドライブを照射。0.5秒でも奴の動きを止めろ。当機が至近距離からレーザー誘導により多目的誘導弾を直撃させる」
『剣持一尉 生存確率 および作戦の成功確率は――』
「知るか。俺はやる。もう決めた。各機に伝達しろ」
『……了解』
人の決断にAIは何を思うのか。
そんなことは今はどうでも良い。剣持にとっては取るに足らない些事だ。作戦の結果に、己の生き死に何の関係もない。
『剣持一尉 残存する随伴歩兵機は 3分で 配置につきます』
「3分……か」
剣持は深く息を吐いて。レバーを握った。
コクピットに充満する二酸化炭素が、重い。
こういう時の3分は異様に長く感じるものだ。得体の知れない重力のせいで時間が鈍る。特撮ドラマの巨大な宇宙人ヒーローが3分間しか戦えない設定なのに番組放送時間では10分近く戦っていたりするのも、おそらくこういう重力のせいで時間の流れが違うからだろう。
人は、生死の土壇場で重力に捉われるのだ。
モニタの望遠映像内で、〈ジゾライド改二〉が嗤っていた。
距離にして100メートル向こう。工場内に魚の厄介な小骨のごとく張り巡らされた支柱に阻まれ、足踏みしているように見えた。
戦いの歓喜に赤く光る口を俄かに開いている。長大な尻尾をうねらせている。
『あの一瞬で良く考えたなぁ~、剣持よ? 閉鎖空間なら、こいつの瞬発力も制限される。軽量なお前の機体の方に利があるという判断。中々だ。メガラプトルって感じだぜ』
左大がまた上から目線で評価だか解説をしている。
喋ってくれるのはありがたい。時間稼ぎになる。
『だが――俺に通用するかな?』
〈ジゾライド改二〉の動きが一瞬止まった。
加速に移るタメだ。いわば技の起こりである。
剣持は瞬時にそれを理解して。ジャンプ用のフットペダルを踏んだ!
「ッッッッ!」
〈スモーオロチ〉が床を蹴って跳ぶのと同時に、〈ジゾライド改二〉が暴風と化して襲い掛かってきた。
あらゆる工作機械をなぎ倒し、小骨のような支柱を折り、ベルトコンベアを捲り上げ、加工中の鋼板が宙に舞い、工場内部に嵐が吹いた。重量30トン超の機械竜が、力づくで全ての障害を破壊して迫る!
屋内だろうが障害物だろうが何の意味もない――かのように見えて、効果はあった。
障害物に接触する以上、どうしても加速は鈍る。
剣持の〈スモーオロチ〉はバックステップで間合いを取り、脚部関節で屈むことで車高を低くして、支柱の下を潜り抜けた。
時間はまだ30秒と経っていない。
工場内の地の利を活かす以上、機体の出っ張りは減らさなければならない。
「どうせ使わん! 機関砲パージ!」
『了解』
ウルの操作で〈スモーオロチ〉の右腕部から機関砲が強制排除された。
その機関砲を蹴散らして、〈ジゾライド改二〉が接近戦をしかけてくる!
チタンクローの打突! 剛腕が工場の支柱をヘシ折って空間を貫く――が、威力と速度が鈍った。
剣持は機体のタイヤを横滑りさせて回避。
〈ジゾライド改二〉は歯噛みして唸った。
思うように体が動かないことに苛立っているようだ。
遠隔操作している左大はともかく、〈ジゾライド改二〉の中に在るティラノサウルスの単細胞な精神は動揺し易い性格であるらしい。
「観察し、判断……。だが油断はせんぞ……俺は!」
剣持は自分に言い聞かせるように呟いた。
敵の欠点を見つけてもイコール勝機ではない。こちらが圧倒的に不利なのは変わらない。
実際にこちらは劣勢だが、敵に自分達は優勢で負ける要素はないと思わせる必要がある。敵を油断させなければ作戦は成功しない。
だが、奴に……左大に通用するのか?
奴の戦略眼と直感に見抜かれていないと言い切れるのか?
全て見透かされた上で泳がされているのだとしたら――。
アァ! そういった不安は邪魔だ。鬱陶しい。どうでも良い。
自分自身の戦術を信じられなければ指揮官は務まらない。
負けることを考える兵士は敗北主義者だ。負けた時のことは負けた時に考えれば良い。
知略と勇気と剽悍さを己という狭い一畳間に押し込めなければ、この戦いには勝てない!
「フッ!」
緊張の中で息を吐き、先鋭化した神経でレバーとペダルを操作。
タイヤが金切声を上げて床を擦り、白煙が渦巻く。
再び迫るチタンクローを、剣持の〈スモーオロチ〉は左腕の対装甲パイルドライバーで捌いた。
パワーで上回る敵の打撃を、パイル射出の衝撃で相殺。ガチィン! と金属の弾ける音! 赤い火花が花弁を散らし、竜と蛇とが鎬削る。
「敵の動きは鈍ってる! 行動予測可能か!」
『可能です 敵格闘攻撃 予測範囲75%まで 絞り込めます』
「モニタ表示に反映させろ! 俺が防御できない分はお前でカバーしろ!」
『了解』
瞬時にモニタ上に敵行動予測が表示された。
次に格闘攻撃がくる方向、接近警告、速度等が赤いシルエットと文字で視覚的に、直感で分かり易く。それを剣持が瞬時に判別して、即座に操縦に反映させる。猶予は1秒とない。反射神経と判断力が追いつかなければ死ぬだけだ。
剣持の予測行動がはずれた場合は、ウルがフォローに入る。
機体背面に装着されたロードブースターからグラップルアームを展開。先端部ファングユニットからシールドを発生させ、敵の格闘攻撃を辛うじて受け流す。先刻の正面衝突のようにまともに受け止めれば、人工筋肉が断裂してアームは一度で使い物にならなくなる。
『随伴歩兵 現着開始 配置完了まで 残り1分』
ウルは無感情に報告を続ける。
「はァッ、はァッ、はァッ、はァッ……」
剣持の呼吸音がエンジンの駆動音、工場施設の破壊音と混ざり合う。
凄まじい緊張、恐怖、焦燥、そして……高揚。
忌々しい感覚だ。
きっと奴も、左大もこのスリルを味わっている。感じたくもないシンパシーが否応なく湧き上がる。
しかし、左大と剣持とでは決定的に違う面がある。
左大はスリル自体を目的にしているが、剣持の目的は作戦達成。仕事の完遂だ。剣持は職業で自衛官をしている。それ以上でもそれ以下でもない。
(その一線は……越えてやらねぇぞ……っ!)
歯を食いしばって、踏みとどまる。
何度目かのパイルドライバー射出が、竜王の爪を火花と共に打ち払った。
武装損傷警告のアラートがビービ―と鳴り始めた。
『警告 パイルドライバー 及び 左腕ハードポイントに クラック発生 保ちません』
「構わん!」
『了解』
全ては作戦のための必要な犠牲だ。
この程度なら割り切れる。捨て去れる。
パイルドライバーの一本くらい、くれてやる。
そしてパイルドライバーは敵のチタンクローを受け止めきれず、ハードポイント基部から千切れ飛んだ。
タングステン結晶のパイルが白煙を上げながら宙を舞い、鈍い音を立てて金属加工機械にめり込んだ。
『随伴歩兵機 配置完了まで 30秒』
ウルの報告と、モニタのサブウインドウに気を配る。
〈ジゾライド改二〉の周囲、破壊された工場施設の物陰に隠れるように随伴歩兵ロボット〈アルティ〉が包囲を完了しつつあった。
あとは――
「奴の動きを……っ! と・め・るーーーッ!」
剣持は防戦から一転、アクセルを踏んで敵の懐に飛び込んだ。
『ほう?』
左大は意外そうに声を出したが、対応は冷静だった。
〈ジゾライド改二〉が僅かに体をズラしたと思えば、次の瞬間には長大な尾が鋼鉄のムチとなって振り払われた。
しかし超音速の尾撃もゴチャゴチャした工場設備に阻まれて速度と威力を減衰させている。
それを予測していた剣持はレバー脇のスイッチを親指ダブルクリック。
「アンカー・ショット!」
同時の音声入力で〈スモーオロチ〉両肩部からワイヤーアンカーが射出された。
アンカーはさして高くもない天井に突き刺さり、巻き上げることで剣持は尾撃を回避した。
しかし天井は〈スモーオロチ〉の重量に耐え切れず崩落。
これも予測の範囲内だ。
「スモーク全弾発射!」
『了解 スモーク ディスチャージ』
肩部のマルチディスチャージャーからスモーク弾が一斉射された。
大量の白煙を吐きながらスモーク弾が建屋内を跳弾し、崩落する薄い屋根、尾撃で砕かれた破片が舞い散るカオスと化し、瞬く間に視界はゼロとなった。
〈スモーオロチ〉が唯一〈ジゾライド改二〉に性能で勝っているのは、索敵能力だ。
ハイコスト&ハイテクノロジーの粋を極めたる胸部展開式コロニウム結晶センサーユニットは、陸自のレスキュー出動で多くの運用実績のある信頼性の高い装備でもある。
強電磁波のジャミング、音響及び熱探知のノイズとなる工場設備、チャフと化し飛び交う金属片、光学観測を阻むスモーク、それら一切の障害を掻い潜って、センサーは〈ジゾライド改二〉の姿を捉えていた。
モニタに浮かぶ竜王のシルエットに向かって、剣持は
「全グラップルアーム展開! 噛みつけェ!」
大蛇の咢を以て挑みかかった。
残存する4本のグラップルアームが展開し、赤色に励起した牙を剥いて竜王に食いつく!
原子一個分の薄さに錬成されたメタマテリアルの牙は、いかなる重装甲とて容易に切り裂く!
白煙の充満する中、破砕音と衝撃がコクピットに伝わってきた。
続いて、けたたましい警告音と赤いアラートランプが、剣持に勝敗を知らせた。
『全グラップルアーム 大破 使用不能!』
――破壊されたのは蛇の咢であった。
白煙の奥に、竜王の赤く燃える嘲笑が見えた。
『ぬはははははは! 見えてないと……思ったかよ?』
左大の勝ち誇る声。
奴は、〈ジゾライド改二〉は全ての知覚が働かない状況でも――
『ま、野生の勘……ってやつだ』
非論理的な直感で、攻撃を予測していたのだ。
4本のグラップルアームは人工筋肉部を引き千切られ、あるいはファングユニットを叩き潰され、残骸となって落下した。
だが剣持の作戦は――終わっていない。
左大の注意は今、完全に〈スモーオロチ〉に集中している。
センサーが使用できない今、野生の勘とやらが全てをカバーできるわけがない。直感が万能なら科学などいらない。
『随伴歩兵機 配置完了』
ウルが作戦の最終段階を告げた。
全10体の〈アルティ〉がスモークの中で〈ジゾライド改二〉を包囲し、
胸部のマニ・ドライブを展開していた。
「照射……開始!」
『マニドライブ 照射』
剣持の命令と共に、白煙を十条の赤い閃光が貫いた。
マニ車を電子的に再現した高速輪転機による浄化の光が、竜王の内なる怨霊に干渉する。
巨大なる鋼鉄の竜王が、赤色光に照らし出された。
しかし、通じない。
霊体としての大きさ、筐体の出力差、そして恐竜の怨霊という理解不能の存在はマニ・ドライブの適用外だった。
事前の説明の通り、フィードバックの過負荷で全ての〈アルティ〉がショートし、マニ・ドライブの輪転機が破壊され、システムダウンしていく。
敵霊体への干渉時間は、僅か0.5秒。
その、ほんの一瞬だけ――〈ジゾライド改二〉の動きが止まっていた。
赤色のチャクラ光に混ざり、細い一本のレーザーがスモークを貫いていた。
それは〈スモーオロチ〉の頭部レーザーサイトから発振された、ミサイル誘導用のレーザーだった。
「――ファイア」
剣持は――音声入力と共に、ロックオン済みの対戦車ミサイルを発射した。
ランチャーのカバーを突き破り、飛翔するは中距離多目的誘導弾改。
自衛隊に配備された対戦車、対舟艇用のミサイルシステムである。
それも至近距離での発射。
いかに超絶的反射速度を持つ〈ジゾライド改二〉とて、避けられなかった。
空間に満ちた白煙をロケットモーターのブラストが焼いた。
ミサイルの直撃による炎と爆風が巻き起こった。
「うっ……!」
閃光に剣持は思わず目を細めた。
ウルがオートでカメラを遮光モードに変えたので、網膜を焼かれることはなかった。
大小無数の破片が〈スモーオロチ〉に衝突する。
それでも、剣持は油断していなかった。
未だトリガーから指を離さず、ミサイルの第二射を用意していた。
「敵の損傷は……!」
『確認中』
ウルが画像解析をするまでには1秒とかからない。
だが、その1秒間に事態が動いた。
剣持の視覚が、爆炎の中で何かが動いたのを捉えた。
背筋に熱い汗が流れる。
「ぬぅッッッッ!」
剣持が殺気を感じてトリガーを引こうとした瞬間、爆炎を金属光が貫いた。
突き刺さる、超音速の鉄槍。
知覚するよりも早く、〈スモーオロチ〉の機体が破壊されていく。
多目的誘導弾のランチャーをマウントしていた機体の左肩が抉られ、そして爆音と共に弾け飛んだ。
鉄槍の中に仕込まれていた、何かが爆ぜたのだ。
装甲が砕かれ、人工筋肉が千切れ飛び――剣持が気付いた時には〈スモーオロチ〉の左半身がゴッソリと消滅していた。
剣持の乗るコクピットも外装を破壊され、内部が露出。
衝撃で後方に吹き飛びながら、〈スモーオロチ〉は大破していた。
「ドゥワォォォォォォォォ!!」
剣持は絶叫した。
死と破壊と敗北の激流に晒され、獣の断末魔のように吼えた。
〈スローオロチ〉――擱座。
スモークの白煙が晴れる……。
そこに立っていたのは、反転して尾を鉄槍として突き出した〈ジゾライド改二〉だった。
尻尾の先端に仕込まれた装甲破砕用パイルドライバーの一撃が、〈スモーオロチ〉を下したのだ。
「う、おおお……」
剣持は血とオイルの臭いの中で呻いた。
飛散した装甲の破片に頬を切り裂かれていた。
脱出しようにもシートベルトに拘束され、まともに動けない。ベルトは基部が変形して解除できそうになかった。
仮にイジェクションレバーを引いても、コクピット自体がここまで破壊されては……。
『剣持一尉 生きていますか』
ウルの声が、頭の後から聞こえた。
とっくにコクピットのコンソールの電源は落ちている。どこから喋っているのか。
破壊されたコクピットの亀裂から、〈ジゾライド改二〉が見えた。
正面に向き直った機械竜の右腕が……欠損しているのが確認できた。
『やるじゃんか剣持。さっきのは、さすがの俺もヤバかったぜ? 窮鼠猫を噛む……もしくはミクロラプトル、ディプロドクスに噛みつくといったところか』
左大の笑い声と意味不明の講釈が聞こえた。
余裕で笑っているのではない。本気でギリギリの戦闘を愉しんだ上で、剣持を笑いながら称えている。
『近距離すぎてミサイルが加速し切らなかったから、コイツの腕で掴めた。もうちっと距離があったら直撃くらってたぜ?』
敗因をいちいち解説するのは気に障る。
「もういい……お前の勝ちだ……。とっとと殺せ……」
剣持は覚悟を決めて目を閉じた。
戦いとは、そういうものだ。
お互いに死力を尽くして命の鎬を削り合って、その果て折れて散華する。
命乞いなど……冗談ではない。
しかし、死は訪れなかった。
〈ジゾライド改二〉の歩行音が離れていく。
『今回は――引き分けってことにしといてやるぜ?』
左大が笑い混じりの声で、とてつもなく舐めた口を叩いた。
それは勝者の余裕でも憐れみでもない。
単に、まだ伸びしろのある好敵手とのリターンマッチに期待を馳せているだけだ。
「てっめ……ざっけんな……!」
『また俺と殺り合うつもりなら、脱出しとけや剣持。その機体、もう保たんぜ?』
軽油の盛れる臭いがした。
周囲には火の気があり、引火するのも時間の問題だ。
そうなったら、身動きの取れない剣持は生きたまま焼け死ぬ。
「クッソァ……!」
剣持は肩が抜けるほどに腕を伸ばして、シート下のイジェクションレバーを引いた。
後部ハッチが爆薬で強制排除され、シートが空中に放り出される。
このままでは壁に激突という瞬間に、シートがマニピュレーターに掴み取られた。
『ご無事ですか 剣持一尉』
また、ウルの声がした。
〈スモーオロチ〉から分離したロードブースター〈カグツチ〉が、ウルの制御で剣持を回収したのだった。
戦闘支援AIであるウルは、ロードブースター側にもインストールされている。〈スモーオロチ〉が破壊されても単独行動が可能なのが救いになった。
「あぁ……畜生……」
剣持は安堵と焦燥の中で悪態を吐いた。
己の至らなさを、敗北を、運命を、左大億三郎を呪いながら、燃えゆく工場から脱出した。
そして工場の外で剣持を待っていたのは――ここの工場長を名乗る男だった。
「あんた……どうしてくれんだよ、コレェ!」
白髪交じりの男が、人生の苦労を物語るように皺だられの顔が、怒りに歪んで剣持を叱責する。
「あんた自衛隊の人だろ? ここまでブッ壊してさあ! ウチの工場ォ! なんなんだよ本当によォ!」
工場長が剣持に掴みかかった。
剣持は、ただ頭を下げるしかなかった。
「申し訳ありません……」
「補償とか……っどうなんだよコレぇ! どうにもなんねぇだろうよ、なぁ!」
工場長は役所が金が絡むと途端に出し渋ることを知っている。人生経験とはそういうものだ。
年単位の裁判、下手をすると揉み消されるような事態を想像して、これからの工場、会社、社員たちの行く末を案じて、不安と怒りのやり場を探して――
「ざっけんなぁぁぁぁぁぁぁ!」
工場長が剣持の頬を殴った。
何発も何発も老人の腕が剣持を殴打する。
剣持は、ただ一方的に殴られ続けていた。
「申し訳ありません……」
剣持には工場長の苦しみが分かる。
だから、謝罪するしかない。言葉だけでも謝罪するしかない。
『剣持一尉 そんなことをしても――』
なんの意味もない、とウルが続けようとしたのを、剣持は片手で制止した。
現場の剣持が謝罪しようが補償には何の影響もない。政府や役所はそう簡単に謝りはしないし金も払わない。
だから……こうすることで、工場長のせめてもの慰めになるつもりだった。
剣持が女々しく、これは不可抗力だの、任務に必要な犠牲だっただのと言い訳をしても、被害者に理解を得られるわけがない。そんな上から目線で納得しろ、と市民に押し付ける傲慢さには反吐が出る。
射撃はしなかった、その一線は越えなかったというのは政治的な目線であって、被害者を無視している。
そんなことは、自分の家に等しい工場を破壊された老人には関係のないことだ。
年老いた工場長の打撃は、剣持が微妙に体を逸らすことでダメージにならない。
剣持は、工場長の気が済むまで殴られるつもりだった。
これが……国家体制の末端にいる剣持なりのケジメのつけ方だった。
今、持ちうる限りの詫びであり、剣持の誠を示す行動だった。
戦闘で負傷した頬に工場長の拳が当たり、出血が再開する。
ロードブースターの中から戦闘支援AIは……ウルは、血まみれになる剣持の姿を観察し続けた。
やがて10分ほど殴り続けて……工場長が剣持にもたれかかったのは疲労のためか、あるいはやるせなさのためか。
男泣き……咽び泣く工場長を、剣持は黙って受け止めていた。




