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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
竜血の乙女、暴君を穿つのこと
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竜血の乙女、暴君を穿つのこと10

 

 午後3時を回って、瀬織は景と共に帰宅のために電車に乗っていた。

 日曜とはいえ夕刻時には混雑が予想されたので、早めに用事を済ませて帰ろうと提案したのは瀬織だった。

 直線距離なら帰宅まで1時間とかからないが、それはマイカーを持っていればの話だ。

 学生の身ではそうもいかない。電車を乗り継ぎ、バスに乗って2時間もかけなければ家には帰れない。

 だが、瀬織はそれが良かった。

 無駄に生き急ぐでもない我が身ゆえ、景と共にゆったりと今世の風景を眺めながら帰るのも新鮮な喜びに満ちた時間だった。

 とはいえ、隣に座る景は憔悴し切った様子。ぐったりと座席に身を預けていた。

「うふふ、景くんは女の子の買い物に付き合うのは初めてでしたか?」

「そんな経験……あるわけないじゃん」

 元より運動が不足しがちな景は、馴れない街と初めての店を歩き回ったことで肉体的に疲労していた。

 同時に、精神的にも疲れ果てた。

「女の子って……買い物にあんな時間かかるの?」

「わたくしなんて、これでも早い方ですよ。服を選んで試着して、景くんに見て貰ってお買い上げ。ほぼ即決ですわ。世の女性は、わたくしの三倍、四倍は普通と心得てくださいまし」

「えぇ……」

 つまり、普通の女性は服を買うのに3時間以上もかかると聞かされて、景は青ざめた。

 女性の買い物に付き合うことの困難さと過酷さ、果てしない価値観の断絶に恐怖していた。

「ほほほ……何事も人生経験ですわ。いつの日か、景くんが素敵な女性とお付き合いする時のちょっとした予行演習と思ってくださいませ」

 と、ベテランぶってはいるが、実のところ衣料店に買い物に行くのは瀬織の長い存在期間でも初めてのことだった。女性の服選びに膨大な時間が必要だと知っているのは、平安の頃の貴族の女たちの様子を観察した経験からだった。

 人として現代の社会に生き、人として経験を積むのは知識の更新にも役立つ。

 そして景と一緒なら、新鮮な喜びも感じることが出来る。

「やっぱり通販で買うよりも、直に見て触れて選んだ方がしっくりきますわ」

 瀬織は足元に置いた買い物袋を開けた。

 中には、黒い服と黒い下着が畳まれて収まっている。

 横目で車両に他の客がいないことを確認すると、瀬織は不敵に笑った。

「ほうら、景くん。この下着なんか素敵ですわねぇ~」

 言いながら、黒いレースのショーツを広げてみせた。

 景は「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げて、座席の上で仰け反る。

「景くんはご覧になりませんでしたが、わたくしこれもちゃあんと試着したのです。あのお店では人目がありましたが、幸い今ここには景くんとわたくしの二人きり。見てますか?」

「み、見るって……なにを……」

 瀬織は景の肩に手を置いて、逃げられないように優しく体を抑えて

「わたくしがこれを、履くところ……」

 耳元で、甘い毒のように囁いた。

 ぶるっと震える景の慄く様を掌で味わいながら、瀬織は愉悦に満ちた捕食を続ける。

「ほぉらぁ……試着したんですのよ、これぇ……?」

 景の眼前でショーツを広げて、鼻先に内側を近づける。

 試着の一時とはいえ、ほんの1時間前まで瑞々しい女体に密着していた薄布を見せられる。肉薄される。人生で初めての体験に、少年は混乱していた。

 あわあわと狼狽し、されるがままの景の様子はいとおかしく愛おしく、このまま骨の髄まで食い散らかしてしまうのも一興かもと魔が差し込んだ。

 人間の生殺与奪を握るのは、なんと愉快なことだろう。この快感は今も昔も変わらない。背中の芯に甘い痺れがじわりと走る。

 子犬のように怯える景の頬にふぅぅっと生暖かい吐息をかけて、思考力を完全に奪い取る。

 そして片手でショーツを掲げ、一方の手でそぉっとゆっくりと、瀬織は今履いている腰のものに手をかけた――その矢先、車内に英語のアナウンスが流れ、続いて日本語の車内放送が流れた。

『まもなく、小山田。小山田に停車します』

 小山田駅は新幹線も乗り入れる大きな駅だ。乗客も大勢乗ってくるし、瀬織たちはここで乗り換えなければならない。

「あらあら残念。時間切れですわ」

 瀬織はあっさりと景から身を放し、黒いショーツを畳んで袋に入れた。

 意外そうに、だがどこか名残惜しそうにこちらを見る景の視線がおかしくて、瀬織はくすりと笑った。

「楽しかったですか、景くん?」

「ちっ違うよぉ! からかうの止めてよっ!」

 景の顔は真っ赤に染まっていた。

 戯れを堪能した瀬織は景と共に電車を降りて、別のホームを目指そうと階段に差し掛かると、意外な人物と鉢合わせた。

「ぬおッ! 貴様は東瀬織!」

 銀色の髪が否応にも目立つ同級生、クローリク・タジマがいた。

 狼狽した様子で自分を指差すクローリクに、瀬織は不機嫌そうに小首を傾げた。

「あら、クローリクさん。なんですの、こんな所に」

 学校でも事あるごとに衝突する目障りな小娘に、景との時間を邪魔されるのは気分が良くない。

 だが、エンカウントしたのが運の尽きだった。

「私はお爺ちゃんの付き添いで宇都宮に行っただけだ」

「ん~? おじいさま?」

「そう。私のお爺ちゃんはノーベル賞一歩手前まで行った凄い学者なのだ! 今、世界中に普及してるカーボンナノチューブ製高分子アクチュエータ! つまり人工筋肉の原型を作ったのが、わ・た・し・の! お爺ちゃんだッ!」

 フフンと鼻を鳴らして、誇らしげに胸を張るクローリク。

 そういえば、篝がタジマ式人工筋肉がどうの、但馬博士がどうのと言っていた。

 瀬織は少し気になってスマホで検索してみると、大手インターネット百科事典の単独記事がトップに出てきた。

「はぁ……但馬賢吾博士。70年代にソ連に亡命して結婚。そこで人工筋肉を実用化。ソ連崩壊後に妻子と共に日本に帰国。実業家の左大千一郎氏に保護されて人工筋肉を改良……ああ、なるほど」

 有名人の公の情報から、人の奇縁が見えてしまった。戦闘機械傀儡の関節駆動に人工筋肉が採用されたのは、クローリクの祖父と左大家の繋がりが背景にあったというわけだ。

 現在、その祖父が〈マガツチ〉の改装に関わっているのだが、当のクローリクは細かい事情は知らないらしい。

 証拠に、相変わらずの調子で瀬織に突っかかってくる。

「貴様こそ……後のその少年とはどういう関係だッ!」

「あなたに、そんなこと関係ありますの? 仮に交際相手だとしたらぁ……どうしますかぁ?」

 瀬織は自信に満ちた不敵な表情で、背後の景の手を握ってぐいっと引き寄せ、クローリクに見せつけた。

「うおお~~ッ! なん・たる! 不純ッ!」

「ああ、ちなみにわたくし、こちらの景くんと同棲しておりますの」

「な、なんだと~~ッ?」

 鼻息荒く、声震わせるクローリク。

 景が反論訂正する隙もなく、クローリクは景のもう片方の手を握って瀬織に肉薄した。

「少年! こんな毒婦に惑わされてはいかんぞッ! 目を覚ますのだ!」

「ええっ、ちょっ、ちょっと! なんで僕の手握ってるんですか!」

「君はこの女の催眠にかかっているんだ! 私がついているから気合を込めて邪気を振り払うんだッ!」

「はぃぃぃぃ~~?」

 妙な正義感と対抗心を燃やして、クローリクは景の手を両手でぎゅぅっと握りしめた。

 賢しい小娘が景に気安く触れるのは気に障ったものの、瀬織はあることに気付いた。

 このシチュエーションは、なんだか愉快であると。

「あら~~? 聞きましたか景くん? わたくしは悪い催眠術師ですって。じゃあ、もっと催眠かけちゃいましょうねえ~? ほ~らほらほら催眠催眠♪ ほら催眠♪」

 瀬織は、景に体をぐいぐいと押し付け密着させた。

 景は自分より背が高い瀬織とクローリクの胸のあたりに顔を挟み込まれるような形になった。

「あう、ぅあ……ちょっ……やめっ……」

「止めろと言われて止めるワケないじゃないですか~~? ほぅら負けちゃえ負けちゃえ♪ 身も心もトロトロに溶けてなくなってぇ、敗北宣言聞かせてくださいな♪」

 対するクローリク、景に胸を押し付ける今の自分の状況を一顧だにせず、瀬織に向かって牙を剥いた。

「きっさま~~ッ! この少年をたぶらかして何を企んでいる!」

「バカ正直にそんなことあなたに言うワケないじゃないですか~~? ほほほ」

 ムキになるクローリクと、それを面白がってあしらう瀬織の間でもみくちゃになって、ついに景は失神。その場に膝を着いた。

「あふぅぅぅぅ……」

 そこで漸く、クローリクは景の様子に気が付いた。

「うおッ! 少年、しっかりしたまえッ!」

「あら、ちょっとハメを外し過ぎましたわ」

 弄んでいた景がノックアウトされたので、瀬織の戯れはそこでお開きとなった。

 その後、二人で失神した景をベンチに座らせ介抱した。

 落ち着きを取り戻した景が瀬織の誇張した発言を訂正し、それを聞いたクローリクは漸く誤解を解いた。

「なんだ二人は親戚だったのか。こちらの学校に通うために理事長の紹介で同居しているだけ、と」

「はい……。そうなんですよ」

 以前に園衛に言われた通りの建前を、景はそのままクローリクに伝えた。真実を言うわけにはいかないので、それで納得してもらえたのは幸いだった。

「しかし東くん、こいつは油断ならん女だ。何かあったら私に相談しなさい。念のために連絡先を交換しておこう」

「は? はあ……」

 親切心から言ってくれているので断るわけにもいかず、景はスマホの赤外線通信でクローリクと各種アドレスを交換した。

 瀬織は余裕の表情でそれを眺めている。クローリクごときに景との関係が邪魔されるわけがないという絶対の自信の表れだった。

 クローリクは不信感に満ちた視線で瀬織を睨んだ。

「貴様……まさか私の邪魔をしに現れたんじゃないだろうな」

「はあ?」

 何をすっとぼけた事を言っているのか。バカなのか自意識過剰なのか、あるいその両方なのかと瀬織の蔑む視線はクローリクには伝わらず、証拠を突きつけるようにスマホの画面を見せつけてきた。

「これに心当たりがあるんじゃないのかッ!」

 どうせ下らない写真でも貼ってあるのだろうとタカをくくった瀬織だったが、表情が俄かに強張った。

 画面には誰が撮ったものなのか、夕闇の空に舞う巨鳥の影の写真が映っていた。そのシルエットには見覚えがある。園衛から貸与された空繰〈綾鞍馬〉だ。

 まさかクローリクに素性を知られた? と危惧したのも束の間

「これは昨日の夕方に隣のつくし市で撮影された写真だ! これはどう見てもUMA! 未確認生命体ッ!」

「はあ……?」

「アメリカインディアンの伝承に語られるサンダーバードに似ている! その正体は既に絶滅した巨大生物、アルゲンタヴィスだという説も――」

 まるで見当違いのオカルト論を展開し始めた。

 これなら警戒する必要はないと思った瀬織だったが、そう簡単に油断できる状況でないとすぐに悟った。

「ちなみに! 現代では鳥類は恐竜の進化した姿だという説が濃厚だ! その恐竜に関係する人間がつくし市にはいるッ!」

 続いてクローリクがスマホに映したのは、動画サイトに掲載された妙なサムネイルだった。

 タイトルは〈これが必殺! 恐竜酔拳だ!〉。

 非常に厭な予感がした。

 クローリクがサムネイルをタップすると、悪夢のような動画が始まった。

 上に表示されている紹介分は〈缶チューハイ1本で竹を吹っ飛ばしてみた〉と簡潔で分かり易い。

 動画にて、あの左大億三郎が上半身全裸でチューハイを一杯飲む。

 このサイトでは視聴者のコメントが動画内に表示される仕様だった。

『なんだこのオッサン!』

『ウホいい体』

『ただの酔っ払い。死ね』

 と最初は面白半分のコメントがぽつぽつと表示されるだけであったが、動画が進むに従い状況は一変した。

『はーっ恐竜酔拳! パキケファロ散打(サンダ)ァー!』

 左大の猛烈な鉄拳連打が竹に撃ち込まれた。

 竹といっても一本竹ではない。太い青竹が十本以上も束になった剛直が、連打でメキメキと音を立てて粉砕され、最後の一撃で上空に打ち上げられた。

『はらーーっ! ディノニクスキック!』

 左大が回転を加えて上空高くジャンプすると、凄まじい破砕音がした。カメラは固定されているので追随できないが、バラバラにされた竹の残骸が地上に降り注ぎ、何が起きたのかを視聴者に伝えた。

『うせやろ……』

『映画化決定』

『これマジ?』

『特撮だろ特撮。騙されんなよ』

 瀬織は動画の視聴数とリスト登録数に目をやった。前者は50万回を超え、後者も1万を超えている。動画には広告リンクも張られており、左大の収入源がなんとなく分かってしまった。

 加えて、左大は意外と有名人であるらしい。

 住所は公開していないが、背景には田舎の山々が映っている。これでは場所の特定は容易である。左大の家に世界中から復讐者がひっきりなしにやって来るわけだ。いや、敢えて動画を載せて敵を誘き寄せて返り討ちにしているという可能性も……。

「このおじさんは恐竜マニアの拳法動画配信者として世界的に有名だ。これは謎の巨大鳥と何か関係があるはずだ!」

 あるわけないだろう、普通なら。

 しかし残念ながら、実際かなり関係あるのだ。

「で……クローリクさんは、これを調べていると。なんたのために?」

「身近に謎や不思議があったら探究してみたいと思うのは当たり前だろうが!」

 要は単なる子供じみた好奇心だと瀬織は判断した。クローリク自体に興味はないが、変に首を突っ込まれると面倒になりそうではある。

 聞いてもいないのに、クローリクは勝手に話し続けていた。

「それだけじゃないぞッ! わが県内には他にも恐竜関係の都市伝説があるんだ! 夜中に恐竜の群れがトラックに積み込まれてどこかに運ばれていったとか、クローン再生された恐竜が暴れたとか、海沿いの研究所で今でも恐竜復活の研究がされているとかな!」

 どこかで聞いたような内容と、それとなく繋がりがありそうな噂ばかりだ。恐らく左大家の戦闘機械傀儡がこれら都市伝説の元ネタなのだろう。

 瀬織は黙って話を聞き流しながら、クローリクの好奇心をどうやって削ぐか思案していた。

「私は明後日、海沿いを調べに行く予定だ。他の五方央のメンバーと一緒にな」

「明後日ぇ……?」

「明後日は我が校の創立記念日。つまり休みだ。私の邪魔をしようなどと思うんじゃないぞ」

 間抜けなのか天然なのか。瀬織が本当にクローリクの邪魔をしようと思っているのなら、わざわざ自分の行動予定を話してどうするのか。それとも敢えて話すのはブラフなのか。

 いずれにせよ、明後日には全く見当違いの場所に行ってくれるのは好都合だ。

 クローリクはスマホの時刻表示に気付くと、再生中だった動画を閉じてスマホをしまった。

「じゃ、私はもう帰る。貴様は少年と一緒に次の電車に乗れ」

「言われなくとも。あなたと同道なんて冗談ではありませんからね」

「はッ! 少年、その女にはくれぐれも気を付けるようにッ!」

 減らず口を叩き合って、クローリクは小走りにホームの階段を上がっていった。

 瀬織は自分のスマホを取り出すと、アドレス帳から園衛宛てにメールを作製し始めた。

「景くん。申し訳ありませんがこの後、左大さんのお宅まで同行して頂けませんか」

「えっ、なんで……?」

 淡々と機械的に話し、行動する瀬織の様子に冗談は無かった。

 瀬織は真顔でメールを送信。戸惑う景を見下ろした。

「左大さんの厄介事、今日の内に始末してしまいましょう」


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