国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと6
恋する自称妹(23歳)は兄さん(アカの他人)のことを思うとヤンヤンデレデレしちゃうのぉ…
2025-0703前書き、イラスト更新
!?
栃木県北部の温泉地。
岩肌削る大きな清流を眼下に臨む崖の上、さして大きくもない山岳国道に沿って、温泉街がある。
そこには、とうの昔に過ぎ去ったバブルの残光が物寂しく立ち並ぶ。
廃業した温泉ホテル、管理物件となった企業の保養所、買い手もないまま20年以上も放置された別荘が、山肌にへばりつくように褪せた姿を晒していた。
一応、今もなお温泉地としては健在だが、街中には観光客の姿も少なく、どことなく寂寥感が漂う。
喧騒の声もなく、車の騒音もなく、谷川の冷たい流れが峡谷に染み渡る――今の方が温泉地として風情がある、と語る人も多い。
しかし悪く言えば活気がないわけで、実際にそこで商売をして生活している人々にとっては歓迎できる話ではない。
そういったロマンと現実の狭間で葛藤する温泉地の外れの別荘に、何年ぶりかの利用者が訪れたと一部で噂になっていた。
「あそこって、どこかのお金持ちの別荘だったわよね? 人がくるの何年ぶり?」
「若い男の人と女の子が泊まってるらしいわよ~?」
「女の子の方が挨拶にきてたわね~? なんでもお兄さんの怪我の療養で暫く泊まるんですって~~。事故で大怪我したとかぁ……」
「なぁんだ、兄妹だったの~?」
「妹さんは眼鏡かけた、上品な感じの子だったわよ~?」
現実味のある情報に納得、もしくは退屈な田舎町にサスペンスめいた展開をもたらしてくれるマレビトへの期待を挫かれて、人々は日常に帰っていく。
件の別荘は、小高い丘の上に建っている。
それは成金趣味特有の高い位置に住みたいという仕様もない欲求からではなく、周囲を見渡す物見台であるからだ。
ここの実態は隠れ家であり、城塞でもある。
「だからって、ココ高すぎじゃないですか? 徒歩でくる客のこと考えてるんですかねぇ~?」
立地について、毒づく少女。
氷川朱音、女子中学生だが本日は平日。
学校をサボって、遠く離れたこの別荘に用を足しに来た。
「バブルって奴ですか? 高いところにドーーン!と箱物建ててご満悦? ほんと20世紀の人って何考えてんですかねぇ! 下からここまで、坂道500メートルくらいあるんですけど! あ~~っ、めんどくさっ……!」
朱音は別荘の一室で、ぐちぐちと文句を並べ立てていた。
彼女の見た目は優等生といった感じだが、本性は大きく異なる。
愚痴は独り言ではない。
部屋の主、ベッドに伏せる男に向けて言っている。
「ごちゃごちゃ煩いなキミは……」
ぼやく男――南郷十字。
患者衣姿の南郷には、右腕がなかった。
正確には義手を欠損している。
先月末、コキュートスと名乗るサイボーグとの交戦で喪失した状態のままだった。
南郷としては、朱音には早々に部屋から出ていってほしい。
10歳以上も年下の女の子と楽しい世間話が出来るエスプリは持ち合わせていないし、そもそも南郷は孤独が好きなのだ。
「早く……要件だけを言ってくれ」
疲れた声で、ぼそりと呟く。
目は朱音を見ていない。
「うっわー……なんですか、その対応? すっごい陰キャですね、南郷さんって?」
「俺とお喋りしに来たわけじゃないだろう……」
「そうですよ? 私だって、瀬織様の命令でなけりゃ、こんなド田舎に好きこのんで来るワケないじゃないですか。何が楽しくって実家の田舎より更に田舎に? 平日に? 来なきゃならないんですかねぇ~?」
「だから話を……」
「鬱憤晴らしの呪詛の言葉くらい、食らってくださいよ南郷さん? それにお茶も飲んでないのに開口一番『用を済ませてとっとと帰れ』っていうのは、流石に対応としてどうなんですかぁ~?」
朱音は、まるでどこぞの人外の小娘のように饒舌なる毒を吐きかけてきた。
とても楽しそうに。
小さなテーブルの上には、紅茶とクッキーが置かれていた。
ドレンチェリーの入ったクッキーだが、なんとなく形が歪で焦げ目もある。
恐らく、ここの同居人の手作りなのだろう。
南郷は押し黙っている。
この氷川朱音は、東瀬織のメッセンジャーである。
電話や電子メール、文書のやり取りも盗聴の恐れがある以上、人間を使った伝令という原始的な方法が最も確実だった。
しかも単なる使者というワケではない。
朱音は、瀬織に精神汚染された眷族だった。
どんなに遠く離れていても主人である瀬織と精神接続し、彼女の口と耳を通して瀬織との疑似的な会話が可能なのだ。
さながら神を身に降ろす巫女のように。
便利といえば便利だが、南郷としては複雑なようだった。
黙って反論してこなくなった南郷を見て、朱音が笑みを浮かべた。
「くすくすくす……私のこと、怒るに怒れない……ですよねぇ? 南郷さん?」
悪魔的な笑みだった。
「だって、私は哀れな被害者だから~? 心は魔に汚染されても、体は人間のまま。だから南郷さんは、どっちつかずで曖昧な対応しか出来ない。ダッサ! 優柔不断! ヘタレ! ダッサ~~! キャハハハハハ!」
朱音、愉悦に浸る。
年上の男、それも園衛が対等と認めた剛の者を手玉に取る優越感!
実力では勝ち目のない相手を、思いのままに弄ぶのは最高の暇潰しで鬱憤晴らしだった。
南郷は、相変わらず反論しない。
目を背けて、窓の外を眺めている。
好機である。勝てる、圧倒できる。自分の方が優位だと、分からせてやれる……!
勢いに乗って、朱音は更なる攻めに出た。
「あーっハハハハハ! 確か南郷さんの昔の恋人って、私みたいな混ざりモノだったんですよね~? 人と魔の混ざった狭間の存在。その人のことも、最初は殺せなかっ――」
言葉の途中で、朱音は固まった。
人生の辛酸を知らず、魔と人の力の差も知らず、人の心すら忘れかけた少女は、迂闊にも逆鱗に触れ、虎の尾を踏んだ。
南郷が、刺し殺すような横目で、朱音を見ていた。
「……誰から聞いた」
「――あ、あの、えぇと……」
「自分の身の上なんて、人にペラペラ話すことじゃない。お前に話した覚えはないが」
「あの……せ、瀬織様と繋がった時に、記憶とか情報が流れ込んできたから……」
朱音は萎縮していた。
幼い頃に両親に叱られた時のように。
怯えていた。
子犬が狼に睨まれたように。
南郷の過去については、作戦指揮に際して園衛が瀬織に情報を伝えていた。
それに関しては南郷も承知の上なので、朱音の説明で一応の納得はできた。
「分かった。だが口の利き方に気を付けろ。距離感を誤るな」
「は、はい……」
勢いを完全に挫かれて、朱音は俄かに後ずさった。
(お説教とか……なにさ偉そうに……!)
と内心では反発するものの、もはや面と向かって南郷に逆らう度胸はなかった。
本能で、力関係を理解させられてしまった。
(だから、人間をナメない方が良いんですよ?)
朱音の思考に別の声が割り込んできた。
瀬織と繋がったのだ。
(人間の気を損ねたら、わたくし達なんてサクっと殺されちゃいますわよ~? ほほほほほ……)
そういう力関係にはまだ納得がいかないのだが、朱音は議論より主人の意思を優先することにした。
「南郷さん……瀬織様と繋がりましたので、いま代わります」
配線を切り替えるように、朱音は肉体の制御を瀬織に手渡した。
一種の憑依現象だ。
朱音の意識は霞がかって曖昧となり、自分の声で他人が話し始める。
「それでは南郷さぁん、現在の進捗状況をお話しましょう……」
瀬織の話は、手短に終わった。
結局、朱音はお茶に手をつけないまま帰ることにした。
「それじゃ、またね~? 南郷さん」
素っ気なく手を振り、居心地の悪い部屋を出る。
窮屈な螺旋階段を降りて玄関に着くと、この別荘の同居人と鉢合わせた。
「あら……もう帰るんですか?」
眼鏡をかけた黒髪の成人女性――右大鏡花だった。
彼女は園衛の秘書で常にクールな雰囲気をまとっていたが、今は印象が大分異なる。
ニットセーターとタイトスカートの私服は洒落ているが、明らかに男の目を意識したものだ。
その出で立ちは、まるで新婚の若奥様といった感じで――
(いやいや、冗談でしょ……?)
朱音は訝しんだ。
南郷十字は無愛想で、根暗で、威圧的で、反社会的で、収入も住所も安定せず、そのうえ気の利いた一言も言えない、限りなく最底辺に近い男だ。
あんな男に特別な感情を抱く女性がいるわけがない。
「ねぇ、鏡花さん」
一応、朱音は訊ねてみることにした。
「ここにいて……楽しい?」
鏡花は一瞬、目を丸くした。
だが、すぐに朱音が、いやきっと園衛すら見たこともないような顔をして
「はい。とても充実した毎日を送っていますよ」
一切の逡巡もなく言い切った。
朱音にとってこの別荘は、さながら異次元空間か別の恒星系と化した。宇宙的恐怖である。ここには理解不能の人間しかいない。
それに……少し眩暈がした。
頭の奥で電波が混戦して火花が散ったような、妙な感覚があった。
「帰る……。またね」
ドアの隙間を潜って、そそくさと半人外の少女はホラーハウスから撤退した。
この温泉地の別荘は、1990年代初頭に宮元家が土地を購入して建設した。
表向きは別荘だが、その実はセーフハウスであり、所有者の名義人も宮元家とは無関係の人間で、日本政府にも詳細は知られていない。
南郷はここで暫く療養することになり、その世話役に志願したのが右大鏡花だった。
「やります! 私がやりますっ!」
鏡花はやたらと張り切っており、そこまで言うならと園衛は世話役に任命した。
深く考慮してのことではない。
園衛も、鏡花が南郷に懐いているのは承知の上だが、大人なのだから分別はあるだろうし、単純に人生の先輩として尊敬しているのだろう――程度に考えていた。
しかし実態はそんな単純なものではなく、複雑な感情が捻じれに捻じれ、さながらエントロピー増加の法則、あるいは手つかずで放置していたはずなのに勝手に絡み合う電源コードの様相を呈していた。
時刻は午後3時を少し回ったころ。
来客も帰ったので、鏡花は南郷にお茶を淹れることにした。
「ふんふんふ~~ん♪」
学生時代に好きだったアーティストの曲を鼻歌にして、上機嫌で手を動かす。
キッチンの戸棚から、客に出したものよりも上等な茶葉の箱を取り出す。
ティーポットは事前に温めておいて、茶葉に熱いお湯を注いで蒸らして……
薬の瓶から毒を一滴垂らした。
薬の臭いがバレないように、死なないように、心をこめて、注意深く、愛する人のために。
「ふんふん~~ん♪」
この仕事は楽しい。
とてもやり甲斐がある。
ずっと昔に無くしてしまった家族の時間を取り戻せているような気がする。
(そう。大好きな兄さんとずっとに一緒にいられる)
頭の中で声がする。
それは鏡花の心の奥に閉じ込めていた本心だ。
だから、思わず口から洩れてしまう。
「ここで二人っきりで……ずっと暮らしましょう」
とても幸せな気持ちで、夢の中にいるようだった。
この別荘に来てから、鏡花は不思議と以前よりも感情に素直になれた。
頭の中で声がする。
自分ではなく、誰かの声がする。
(彼が治らなければ……ずっと一緒にいられるよ?)
含み笑いの女の声が、やまびこのように虚ろに反響して、鏡花の心に溶け込んでいく。
だから、それはもう鏡花自身の心の声と同じだ。
「兄さんが治らなければ……ずっと一緒にいられますよね」
幸福に塗れた、甘い笑いの独り言。
近所の住民には、鏡花と南郷は兄妹だと挨拶をして回った。
それは偽装工作であるが、鏡花の願望でもあった。
この別荘にいる限り、鏡花は南郷と本当の兄妹になれる。家族の絆でがんじがらめに結ばれる。
どうして、こんなことを考えるようになったのだろうか。
確か――南郷の荷物を整理した時にも、声が聞こえた。
装甲服とセットの、赤いボロキレのようなマフラーを畳んだ時にも女の声が――
(どうでも良いでしょ……そんなこと?)
ああ、また自分の声が頭の中に響いた。
「そう……本当……どうでもいい」
含み笑いを浮かべながら、鏡花はお茶の用意を終えた。
トレーにティーポットとカップ、それと手作りのクッキーを載せて、いつものように窮屈な螺旋階段を登る。
(どうせなら一階の私の部屋で一緒に寝ればいいのに……)
危険な願望を膨らませながら、鏡花は2階の部屋に辿りついた。
「兄さん、お茶をお持ちしましたよ……」
とん、とん、とん、とドアを3回ノックした。
『兄さん』と口にする度に、鏡花の胸はじわりと熱くなる。
最初は南郷も「家の中でまでそう呼ぶのは止めろ」と嫌がっていたが、鏡花が執拗に呼ぶ内に諦めた。いや、受け入れたのだ。
『ああ……入って構わない』
ドアの向こうから、相も変わらず無愛想な声が返ってきた。
しかし肯定の声である。
一日一日と経つうちに、本当に兄妹に近づいていく手応えを感じた。
思わず、俯く。
「妹……わたしは妹……兄さんの妹……!」
ドアを開けるまでのほんの数秒間、顔を上げるまでの数秒間、右大鏡花は昏く溶けた表情で笑っていた。
右大鏡花(23歳)クールな秘書からヤンデレ妹に華麗なるクラスチェンジ……?




