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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと5

役所とは、男と男のバトルフィールド……

 官公庁、特に中央省庁においては、組織内のヒエラルキー=戦闘力である。

 中年太りした管理職も、やせ過ぎた壮年局長も、省庁の敷地内では自信と筋力に満ち溢れたマッチョオブマッチョのエターナルチャンピオンと化し、

 その気力筋力権力のオーラは背広とワイシャツがはち切れんばかりにモリ★モリ★と噴出しているのが目視できるのであった。

 財務省の外局、財務監査庁の監査課。

 その朝礼は、歪んだマッチョイズムの発現の一礼として分かり易い。

 今日もまた、筋骨隆々、首が太すぎ血管浮きすぎの40代管理職、大月課長の体育会系朝礼が開催――

「諸君、仕事はァ――perfectでなければならない」

 perfectな発音だった。

 なんで横文字、なんで英語……という疑問は思っていても口に出してはならない。

 朝礼で各自のデスクに立たされる職員たちは、みな恐々としていた。

 押し黙り、平静を装っていても、内なる怯えは隠しきれない。

 大月課長は、職員を見渡した。

「perfectな仕事のできない奴は給料泥棒。我々の給料とは国庫に納められた血税! それを泥棒するのだから即ち国家反逆罪に等しい」

 じろり、大月課長の視線が一点に止まった。

 今朝の朝礼で、吊し上げられる羊が決まったのだ。

「我が財務監査庁は――反逆者に吸わせる空気など持ち合わせていないのだよ」

 大月課長の声のトーンが冷たく、重く、断罪の槌となって、ゆっくり……と振り上げられた。

「平松くん、キミのことだよ。分かってるよな? あ?」

 ゆっくり、と振り下ろされた言葉の槌が、一人の職員に圧し掛かった。

 第一監査室長である平松秀忠の頭に、見えない圧力がぐりぐりと押し付けられる。

「うぅぅぅぅ……」

 平松は呼吸を止めて苦痛に耐えた。

 大月課長が、平松のデスクにやってきた。

「キミは先月、防衛装備庁のなんてことのない監査に失敗した。何の成果も上げられず、おめおめと逃げ帰ってきた」

「いえ、ですから……違反は見当たらなかったと報告……」

 課長への報告書にはそう書いた。

 しかし、世の中には言い訳が通じない相手がいる。

「――黙りたまえよ?」

 大月課長の一際低いトーンが、平松の声を遮った。

「あのねぇ~~、平松くぅん? お坊ちゃま育ちのボクちゃんは分からねぇ~かも知らねぇけどよぉ~~? ノルマ達成できねぇクソダボは普通の会社でも穀潰しなんだわぁ~~? で、キミは東大卒の超絶eliteちゃんで、栄えある財務官僚の端くれなワケだ? それがノルマ達成できずに給料貰う? 許される? それ?」

「ぅぅぅ……」

「ハチャ↑メチャ↓ゆるせんよなぁ~~~~?」

 巨大なる大月課長が平松の頭上に迫る。

 反論は許されない。ここは、そういう職場なのだ。そういう絶対のヒエラルキーなのだ。

 ノルマというのはつまり、仕分け対象となる官公庁の無駄遣い、予算の不正な使途を摘発し取り締まることだ。

 不正が発見できなかった、というのは一見して健全で万事ヨシのようだが、それではノルマが達成できない。

 よって、シロだろうがクロに仕立て上げるのが財務監査庁という役所の仕事なのだ。

 監査対象がシロという報告は、あってはならない無能の証明、背任に等しい罪なのだった。

 ずしり……と平松の頭に、物理的な重さが圧し掛かった。

 大月課長が、厚手のノートで平松の頭を抑えていた。

 忌々しき閻魔帳、容赦なき査定表、通称大月ノートである……!

 逆らえない。押し返せない。

 階級筋力で押し潰される……!

「平松くぅん……これより一か月間、全ての職員優待権を停止する」

 そして平松のIDカードに×印のシールが張られた。

 罪人の烙印であった

 この×印をつけられた者はデスクの使用すら許可されず、室外業務を強いられる。

 温情として庁舎内から追い出されはしないものの、ノートパソコンやタブレットの充電は禁止。

 昼休みに食堂に行っても

「すませんねぇ~~っ! 正規の職員の方以外は利用できませんので~~っ!」

 と入口で追い返される。

 こうして実質利用不能となるので、食事も自前で用意しなければならない。

 平松は同僚に笑われ、部下には陰口を叩かれ、屈辱にまみれた体で無様に最寄のコンビニまで歩くハメになった。

「うぅぅ~~っっっ! ぢくじょぉ! ぢぐじょぉぉぉぉぉぉぉッッッ!」

 物陰で、脂っこい菓子パンを頬張る、惨めな己に咽び泣く。

 平松秀忠、33歳の官僚生活。

 官僚とは、上からの抑圧を更に下層に転化し、ストレスと苦痛の汚水を浸透させる地層構造だ。

 平松のような半端な管理職は大月課長のような上司にいびられ、平松は部下に大物ぶって偉ぶり、その部下は更に下に位置する木端役人に当たり散らすことで、官僚社会は回っている。

 だが――大月課長は明らかに平松にだけ特に当たりが強い。

 理由は分かる。

 大月課長の就任時、平松は彼に直接の挨拶をされた。

「平松くぅん……。キミのお父上には、若い頃にだぁぁぁぁいぶ、お世話になってねぇ~~?」

 大月課長は笑顔だったが、声が笑っていなかった。

 父に世話になった――それが何を意味しているのか、平松は瞬時に察した。

 平松の父は、財務省の高級官僚だった。

 使えない部下は可愛がってやった。鍛えてやった。耐えられない奴は省内にいる資格がないから、とっとと辞めるか死んでくれて良い――と、かつて父は笑顔で語っていた。

 ある意味で因果応報だが、そんなものを受け入れてやるほど平松は殊勝でも謙虚でもない!

 そもそも大月も外局に飛ばされてきた人間だ。

 所詮、落伍者が落伍者をいびって気を紛らわせているだけのこと。自分を苦しめた上司の息子に意趣返しをして、さぞ気分がいいことだろう。

 だが、それで満足しているだけの小物だ! 視野狭窄の愚か者……! 人の上に立つ器ではないといえる。

「ぢぐじょぉぉぉぉぉ……いつか殺してやるァ……大月ィ……!」

 憎しみを込めて涙味の菓子パンをかじる、平松秀忠。

 しかし、実際に殺れる度胸などない。

 民間企業ではパワハラだなんだと裁判を起こせる案件でも、省庁では権力によって握り潰される。三権分立など屁のツッパリにもならない綺麗事の大嘘である。教科書は嘘を教えている。それに早く気付いた者は、うまい汁を吸う側に立って成功するか、全てに諦めて世捨て人になるかだ。

 なら、官僚を辞めるか?

 それこそ冗談ではない。

 平松家に生まれた以上、人間である前に官僚なのだ。

 官僚を辞めるのは死と同意である。

 結局、文句を言いつつ多大なるストレスに心擦り減らしながら、平松は肉体が先に壊れるか精神が先に壊れるかのチキンレースを強いられていたのだが――

 年明けの1月半ば、

 大月課長は電車内での痴漢で現行犯逮捕され、休職。

 後に自主退職となった。

 庁内の噂という形で、事件に関して色々と情報が流れてきた。

「中学生の女の子を痴漢したんだってさ」

「例のごとく、本人は『俺はやってない!』とか『離れていて触れるわけがない!』とか無罪を主張してたみたいだけど……」

「課長は逮捕後も警察官にイキリ散らして、女の子の親と適当に示談する気だったそうだけど」

「その親ってのが……総務省の局長さんだったんだとさ」

 つまり、大月課長はより強い権力の拳で殴り倒された、ということだ。

 総務省の局長と外局の課長では戦闘力の差は象とアリ、鯨とイワシ、大猿と猟師、ティラノサウルスとニワトリである。

 こうして大月課長は消え、暫くは毒にも薬にもならない課長補佐が代行することになり、

 平松は自由を手に入れた。

(俺が出世コースに戻るための自由時間をありがとよォ~~っ!)

 内心、ほくそ笑む。

 これから平松は自分にチャンスを与えてくれた、名前も知らないどこかの権力者のために、立場を利用して情報を流す。

 良心の呵責などあるわけがない。

 平松はただ、自分に相応しい場所に回復するために、歪んでしまつた人生のレールを修正するために、当然の行いをするだけなのだから。


次回、久々に女性キャラが……?

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