ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと28
サイボーグソルジャーの特に悲しくもない過去…
12月の海風が、南郷とコキュートスとの間に吹いた。
南郷は、常に間合いを取っている。油断は一切していない。もちろん気も許していない。
体温を奪う風に目を細めて、南郷は嘆息した。
「はぁ……だから、なんだ? お前のイカレた身の上話を長々と聞かせて、俺に感想文でも書けってか? そんなことのために、こんな所まで呼びつけた?」
苛立ちを露わに、殺意の目でコキュートスを睨む。
コキュートスは肩を震わせて、笑った。
『ファファファ……。ワタシだけキミのことを知り尽くしているなんて、不公平だろう? キミのデータは日本に来てから閲覧したノデネ』
「お前の過去なんて知ったことじゃない」
『ワタシの経歴、精神性、そしてサイボーグとしての大雑把な仕様。それらを知っていれば、対策も立てやすいだろウ?』
コキュートスの不可解な言動。
それでは、まるで自らの手の内の晒すも同然ではないか。
「そんなことをして……何の意味がある」
『ワタシはキミと対等の条件で戦いたいノダ。情報戦などという無粋なくだらないモノで、最高な最期の決闘に影を落としたくナイ』
「殺し合いにフェアプレイだ?」
『ロォ……ワタシの自己満足ダ。それでキミが有利になるのだから、文句はないだロウ? ファファファファ』
ふざけたことを言う。
かといって、今までの話が創作だとも考えにくい。ブラフにしては手が込み過ぎているし、同情を誘うような内容でもなかった。
コキュートスは、両掌をガンと叩き合わせた。
甲高い金属の衝突音で拍手をして見せた。歓喜の仕草だった。
話に語られた、あのドクター・メスのような仕草で。
『ワタシはコキュートスという人間兵器の絶頂で最期を迎えたいノダヨ。決闘の果てに、ワタシが負けても、勝っても、ドチラでもイイ。キミとの戦いそのものが目的ナノダァ……』
「お前の倒錯した自殺願望に付き合う義理はない」
『イイヤ、付き合わざるをエナイ。既にステージは組まれ、スケジュールも作製されていル。キミがキミとして生きる以上、ワタシとの対決は避けられないノダ。全ては女神のおぼしメシだナ……』
コキュートスはうっとりと酔い痴れる。このサイボーグは、異国の神を崇める法悦の中にあった。
南郷は閉口した。
目の前の機械の怪物の狂いっぷりに辟易すると共に、全てがウカの掌の上なのだと理解してしまった。
(俺が動くのを見越して、対抗戦力としてコイツを用意したか……)
ウ計画が露見するはるか以前、とうの昔から、ウカは南郷が計画に反抗すると見越していた、というわけだ。
手におえない危険分子に、同等のイレギュラーをぶつけて、あわよくば相打ちを狙う常套手段ではある。
「お前……自分が利用されているとは思わないのか」
南郷はコキュートスに尋ねた。無駄な問いであろうが。
『だとしてもギブ&テイク、だヨ。ワタシには何も不満は、ナイ』
「だろうな。お前は理想的なチェスの駒だ」
『フフ、最高の賛辞ダヨ、サザンクロス。最強のサイボーグキラーであるキミ自身に、ワタシこそが拮抗し得る戦力とオスミツキを貰ったァ……。たまらなアい、ヨネ?』
狂人の酔っ払い相手に何を言っても無駄なので、南郷にもう話す気はなかった。
悪党どもの理屈も予定も知ったことではない。どうして連中の都合にいちいち合わせてやる必要があるのか。
今、この場で決闘とやらを始めてやろうか――と、殺気を気取られたのかは定かではないが、コキュートスが小首を傾げた。
『ン、止めておきタマエ。今は、その時ではアルマイ?』
コキュートスのマシンアームが、人差し指で後方を指した。
海浜公園の駐車場に、ワンボックスカーが停まっている。人の気配はないが、タイヤの沈み方で中に重量物を積んでいるのが分かった。
恐らく……あの〈アルティ〉とかいうロボットがコンテナの状態で複数機控えていると思って良い。
『キミが妙な気を起こさないタメの、抑止力ダヨ』
「あんな人形で俺をどうにか出来ると思っているのか」
『ロォ……ノォだ。キミではなく、キミの連れの女の子ダ』
南郷は黙るしかなかった。
燐は〈タケハヤ〉と共に後方待機させてある。万一の時は、戦闘データを記録した〈タケハヤ〉と共に離脱、あるいは機体のAIユニットだけでも回収するように頼んである。
アズハの同輩なのだから燐もそれなりの腕前と見るべきだが、彼女を重点的に狙われると守り切る自信はなかった。
ここは、コキュートスのペースに乗せられるしかなかった。
『サザンクロス、キミもワタシも今日は装備が不十分ダ』
「お前の装備は――」
『ワタシも全てを話したワケではナイ。お互いに隠し持った手の内を……タノシミにしようじゃないカ。ファファファファ……』
コキュートスは踵を返した。帰るつもりらしい。
ようやく一方的な話が終わったと思いきや、軍用コートの背中が立ち止った。
『ソウソウ、忘れてイタ。ワタシとこうして話しタ、キミの感想。聞かせてほしィ』
「とっととくたばれ。機械のバケモノどもが……」
南郷は吐き捨てるように言った。
コキュートスだけではない。ウカも同様に吐き気を催す機械人形だ。人の真似をする神気取りのAIなぞ反吐が出る。狂人どもの戯言など理解する気は微塵もない。
コキュートスは背中で巨大なる侮辱を受け止め、首を上げて笑った。
『ファファファ……そういう敵意。最高ダ』
そして、コートのポケットから封筒を取り出した。
『ささやかなファイトマネー。受け取ってくれタマエ』
ひらり、と封筒をその場に落とした。
手渡しても南郷が素直に受け取らない、と判断してのことだろう。南郷としても、礼儀など最初から求めていない。
『ワタシはメスから遺産を貰っていてネ。彼は日本に倉庫を持っていたそうダ。封筒の中身は、倉庫のアドレスと、ドアのパスワード』
「そんなもん素直に信じると思うか」
『ファファファ……好きにしたマエ。ワタシには不要なモノだ。メスいわく、倉庫に貯め込んだモノは一財産になるそうダガネ……?』
最後まで一方的に物事を押し付けて、コキュートスは去っていった。
厭な相手だと……思った。
南郷が海浜公園を出ると、防風林から〈タケハヤ〉と燐が駆け寄ってきた。
「おにーさん……ヤバくね? なんなんアレェ……?」
燐は珍しく不安げに南郷を見上げていた。
「確かに……ヤバい奴だな。生きるも死ぬも眼中にない奴ってのは……」
「えっ……?」
「勝つことに執着しない無心。緊張感なんてまるでなくて、頭の中には勝ちも負けもない。戦うこと自体が目的で、何のしがらみもなく向かってくる奴は……厄介なんだよ」
南郷に武術の心得はないが、それは無念無想の境地に近い、武の極北であった。
人間を超越した肉体と永遠の生命に驕れる改造人間で、その境地に至った者は南郷の知る限り過去に一体のみだった。
それと、同等の難敵と戦うことになる。
懸念のせいか、思わず口が滑ってしまった。
燐は困惑している様子だった。
「えっと……あーし良くわかんねーけどサ……。やっぱ、あーしとアズっちも戦った方が良くね……?」
依頼された仕事以上のことを、ニンジャの方から雇い主に持ちかけるなど、通常ではあり得ない。
燐は南郷に、雇用主以上の感情を抱きつつあった。無意識に心情が表に出てしまった。
だが、南郷は全てを受け流すように、拒むように、歩きはじめた。
「余計なお世話だ」
「えっ……ちょっ!」
燐は我に戻って、南郷に追い縋る。
「なっ、なによ、その言い方ァ! 冷たくね? せっかくあーしが――」
「お前らにそういう仕事はさせない。絶対にだ」
「はァ? 意味わっかんね! 戦力に困ってんでしょ? なら、ちょっとでも手駒が多い方が――」
燐に追われて、軽トラックを停めてある丘の上で、南郷は立ち止まった。
「俺の雇い主は……子供たちの未来を守ろうとしてる」
「はぁ?」
唐突に、歯の浮くような綺麗事を言われて、燐の表情が歪んだ。
「……なにそれ?」
「俺も雇い主に同意している。だから、お前たちの手は汚させない」
「バッカじゃねぇの……。あーしも、アズっちも、今まで何人殺してきたか数え切れないんだけど?」
「なら、もう殺すな。殺さなくて良いだけの給料は払ってやる」
南郷は軽トラックのドアに手をかけた。
そんな言葉で納得できるわけがない。今さら子供扱いなんて納得できるものかと、燐が肩に掴みかかる。
掴みかかった少女の手を、南郷の手が抑えた。
「俺は人間の言葉なんか信じない。行動だけを信じる」
「えっ……?」
「だから、俺も行動で示すだけだ」
抑揚に欠けた声。だが意志と力を感じさせる声に、燐は全ての言葉を失った。
もう何も言えない。考えられない。
初めて出会う、理解の外にいる大人を前に、碓氷燐は下卑たる世界観を破壊されつつあった。
邪忍少女の拗れた心の結び目に、黒いナイフが突き刺さる




