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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと
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ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと24

真昼間、軽トラ、男女二人、密室、何も起きないはずもなく……

 ある日の、昼。

 八王子市は都内とはいえ、西側の郊外は緑豊かな山々が立ち並ぶ。

 良く言えば自然溢れた環境で、悪く言えば田舎である。

 そんな山に近い寺院の霊園、しかも平日となれば、ほぼ無人で人目はない。

 南郷十字が参拝客でもないのに軽トラを駐車場に停めていても誰も気にしないし、通りがかった制服姿の女子高生が軽トラの窓ガラスをとんとんとノックしても、誰も見ていない。

「こんちは~~おにぃ~~さぁ~~ん♪ 無断駐車はこまるっす~~♪」

 と、寺の関係者でもないのに、ふざけた調子で言ってくる。

 彼女は碓氷燐。

 冬場にも関わらず日サロで焼いた肌といい、メッシュを入れた長髪といい、だらしなく着崩した制服といい、こんな怠惰と堕落と破戒の化身が仏教関係者のわけがない。

 南郷が嘱託という形で雇った、ニンジャの片割れだった。

「つーわけでぇ~~、無断駐車で金1万円いただくっす~~♪」

 燐の冗談に付き合うつもりなのか、運転席の窓ガラスが僅かに開いた。

「お断りだ。払わせたいなら裁判でもやるんだな」

「えっ、あーいうのって払わなくて良いの? 拒否れんの?」

「まず原告側が無断駐車で明確に損害が生じたと証明する必要が――って、んなことはどうでも良い! 乗れ!」

 民事裁判の薀蓄など余談にも程がある。そんなことを話しに来たのではない。

 南郷がドアロックを解除すると、燐は助手席に乗り込んだ。

「ぎゃひっ! おっじゃましゃ~~っす」

 雑に飛び乗り、居住性軽視の安物シートが少女の体重をぽふっと受け止めた。

「つ~かさぁ~~?」

 燐は猫のように斜めに体を傾けて、南郷の愛想の無い顔を強引に下から見上げた。

「イマドキぃ~、SNSも使わないって、信じらんないんだけどお~!」

「うちの雇い主の方針だ」

「SNSでチャットすりゃ5秒で連絡つくじゃん! なのに、直接会わなきゃ連絡しないとかさぁ~! 原始人かっつ~~の!」

 ぼやきながら、燐は苛立ちで体を前後に揺らしている。

 軽トラの貧弱なサスペンションが前後運動を受け止めて、車体全体をぐらぐらと揺らしていた。

 南郷は、通信手段に関して厳しい制限を設けていた。

 それはネットワークを使用したSNSや電子メールは厳禁。電話も極力禁止。盗聴の危険が大きいからだ。

 手紙は暗号を使用することが大前提であり、詳細を話すには直接会うのが望ましいというもので、現代人には耐えがたい縛りプレイと言える。

 だが、その一方で――

「なーんかさぁ~~、あーしら、すっげーニンジャっぽくね? スパイっぽくね? ぎゃひひひひ」

 と、何故か燐は嬉しそうに笑うのだった。

 ニタニタと笑う燐を、南郷は横目で見やる。少し、訝しむ視線で。

「いや、元からニンジャなんだろう?」

「うーん、そうなんだけどさぁ~。あーしら、依頼はSNSで受けるし、お金も電子マネーで貰ってんのよね。なんか秘密って感じしないじゃん?」

「まあな」

「それにさ、あーしらが今までやらされてきた仕事って、血生臭いのばっかなんだよね~。ヨゴレ仕事っていうか……。でも、お兄さんそういうの全然頼まないじゃん」

「隠密の本分は内偵だろう」

「ナイテーって? なに? 野球中継?」

 燐は意味の分からない単語をとっさにスマホで調べようとしたが、南郷がそれを止めた。

「内偵っていうのは、俺がキミらに頼んだ仕事のことだ」

「あぁ~ん……そうね。せーじかとか、でっかい会社をこっそり、ひっそり調べること……ね」

 燐は納得したように頷くと、制服のポケットからメモリーカードを摘み出した。

「ほい。UKAに関連する企業と、せーじか先生のリスト。それと、ナントカっていう宗教の……」

「御蔵の会」

「そー。そのオクラだかイクラだの寿司屋みたいな名前の宗教団体。それのせーじ献金と、センキョキョーリョク? とかいうボランティア活動の記録ね。良くわかんねーけど」

 組織や事柄の意味も良く分からないのに調べていたのか。

 それで本当に大丈夫なのかと、南郷は些か不安に思いつつも仕事の成果を受け取った。

「ちなみに、どうやって調べたんだ」

「清掃のバイトに変装してね~、事務所のパソコンにメモリーカード差し込んでちょちょっと弄って、データ吸い出し~。ネット経由で侵入してタンタンターン♪ ってキーボード叩くスーパーハッカーとかマンガだからね~。あんなのいるワケないじゃ~ん。やっぱ物理的にブスっと出し挿れすんのが、いっちゃん確実っしょ~? ぎゃひひひひひひ」

 燐は下品に笑いながら、指で輪っかを作って人差し指を出し挿れしていた。

 南郷は下ネタをスルーして、軽い溜息を吐いた。

 なんともザル警備に思えるが、平和ボケした国の政治家や宗教団体の警備体制などこんなものだろう。

「ところで――」

 南郷は今さらな疑問を抱いて、狭い車内で燐に向き直った。

「――俺が呼んだのは、アズハちゃんの方だったんだが」

 どうしてお前が来たんだ、と少し回りくどい質問をした。

 正直なところ、南郷は燐が苦手だった。

 10歳も歳の離れた少女とは感性も価値観も違い過ぎる。アズハはその辺りが比較的チューニングし易いのだが、燐との会話はノイズが多い。

 世代と文化と知能に隔たりがあり過ぎて、宇宙人か異次元人と会話するような気分になる。

 仕事の話をするには、通訳となるアズハが同席してくれるのが望ましいのだが、今日はどういうわけか燐が一人でやってきたわけで……。

「あー? アズっちはね~、出席日数ヤバヤバだから~、今日はあーしが代打できちゃいました~」

 なるほど、それは実に分かり易い理由だ。

 平日の昼間に会うという約束は学生には酷だ。その辺りを考慮しなかった南郷に非がある。

 それは分かるのだが――

「お前の出席日数は……大丈夫なのか」

「あー、あーし? あーしは裏ワザ使ってるから~ん♪」

 言って、燐は扇情的に舌を出して見せた。

 舌には銀のピアスが空けられていて、どうしても視線が誘導される。

 裏ワザの意味はなんとなく分かるが、それについてとやかく言う気もないので、南郷は黙ってハンドルに向き直った。

「今日は……俺の用事に付き合え」

「えっ? デート? パパ活すんの? つーか、おにーさんだからアニ活? あぁん♪ そーいう略し方すっとアニメ活動みたいじゃね? ね~~ん、陰キャのオ・タ・クくぅ~~ん♪」

「うるせぇなお前! 少し黙ってろ!」

 南郷は怒るというより、呆れがちに声を張り上げた。

 陰キャなのは認めるが、別にオタクではない。というかオタク認定はどこから生じたのか。無から唐突に練成された要素である。謎である。理解できないのである。

 会話するのが、疲れる……。

 一方の燐は、叱られても反省するでもなく、萎縮するでもなく、ニタニタと楽しげに笑いながら、一応は黙ってシートベルトを締めたのだった。

 軽トラは霊園を出て、高速道路に乗って南に向かった。

 道路上に設置されたオービスの下を潜り抜け、燐が窓越しに見上げていた。

「あのさー、おにーさん。バレたらヤバいって割にはカメラに映りまくりじゃね?」

 オービスのことを言っているのではない。

 料金所を通過する時にしろ、道路上に設置された各種監視システムにしろ、この軽トラは何度も撮影されている。

「今の世の中、監視カメラなんてどこにてもある。それを回避するのは不可能だ。だから、その点は最初から諦めている」

「ふぅ~ん……そういう情報、全部好きにやれるのが、おにーさんの敵なんだ」

「そうだな」

「巨大な悪の組織が実は政府だった~、なぁんて映画みたいだよね~! ギャハハハハ!」

 おちょくるような燐の笑いはどこか空虚で、やがて止まった。

「で、そういう巨大な敵に……勝てんの?」

 初めて聞く、冷たい声色だった。

 それは本心からの質問なのだと、ニンジャとして勝ち馬か負け犬かを見定める勘定なのだと、南郷は理解した。

「……分からん」

 南郷は包み隠さず、本音で答えた。

「分かんないのに、あーしらを協力させてんの?」

「ヤバいと思ったらいつでも逃げて良い」

「そりゃ、割に合わない仕事なら付き合い切れないからね~」

「ああ。とことん付き合う必要なんてない。お前らの人生はまだ長いんだからな……」

 ぼそっと零した小さな本音は、エンジンの駆動音と、高速でアスファルトを擦るタイヤの音に掻き消されそうだった。

 だが、燐のニンジャ的聴力はそれを聞き逃すことはなかった。

「ふぅん……そっか」

 燐は柄にもなく、やけに大人しく窓ガラスに顔を向けた。

 高速道路は長いトンネルに入った。

 外の景色は何の面白みもない、オレンジの照明とコンクリートの壁だけだ。

 だというのに、何故か燐は上機嫌な様子だった。

「やっぱ、この仕事請けて正解だったわ……」

 小さな呟きだった。

 運転中の南郷には、良く聞こえなかった。

「なんか言ったか?」

「う~~ん、そうねえ。あーしらはさ、自分の人生が長いなんて……考えたことないんだ。命を刃に代えてサ、人生全部を一瞬で燃やす爆弾にしてサ、目の前の忍務を達成するのが、あーしらの生き方。10年後、20年後なんて考える必要のない消耗品。だから――おにーさんみたいなコト言ってくれる人ってサ……」

 言葉は、それ以上続かなかった。

 燐は頭を掻き毟って、前方に顔を向けて、何かを隠すように、誤魔化すように、大口を開けて笑った。

「ギャハハハハハハ! なーんか、変な雰囲気じゃね? こーんな狭い車ン中でサ。現役JKと二人っきりとかァ~~……ヤバくね? けーさつに見つかったら即逮捕じゃぁん! 覆面パトとかいたらどーしよーっ!」

 そしてドン、とダッシュボードに土足を乗せた。

「あー、ヤッバ! おにーさんヤッバ! 女の子のいい匂いにィ~~♪ あったまクラクラして事故っちゃうんじゃね?」

「香水臭い……!」

「えー、結構高いの使ってんだけどォ……」

「臭いもんは臭いんだよ! なんだ、この形容しがたい機械油みたいな……」

「ぎゃひひひひ! ひっど! 女の子にそういうこと言う~? モテねー! ぜってぇモテね~よ、この陰キャ~~!」

 いつも通りの下劣なトークに車内の雰囲気は一変した。いや、元通りと言うべきか。

 話術により、忍は本心を隠す。

 南郷は術中にはまり、反論も面倒臭いと押し黙る。

「ねー、やっぱおにーさんドーテーっしょ~~?」

 燐が挑発の視線で南郷の横っ腹を刺した。

 南郷、反論すべきか無視するか悶々と唸る。

「うぅ……」

「人付き合い悪い陰キャくんだもんねぇ~?あーしより年上のくせにドーテーとかぁ……マジ可愛い♪ 経験値ゼロ♪ レベル1♪ よっわ♪ よっわ♪ クソザコどーてーおにぃ~~さぁん♪」

 煽られる。

 10歳も年下の小娘に、とことこんコケにされている。弄ばれている。

 南郷は、これで喜ぶような性癖は持ち合わせておらず、かといって逆上するほど単細胞でもなく、悶々としたまま成すがまま「ざぁこ♪ ざぁこ♪ よわよわ~~♪」と弄り回されること1分間。

 暗澹たる表情で、南郷は口を開いた。

「童貞……ではない」

「えっ?」

 思わぬ反撃に、燐が一瞬固まった。

 しかし百戦錬磨の自分がレベル1のルーキーに負けるはずがないと、どうせ虚勢のデマカセだろうとタカをくくって、すぐさま余裕の笑みに回帰した。

「へー……じゃあ、誰が初めての相手だったか、教えてよ」

 どうせ言えるわけがない。

 言えたとしても適当な嘘だろう。すぐに見破ってとことん苛めてやろうと、捕食者の余裕に浸る燐。

 だが、予想に反して

「幼馴染の……女の子だった」

 南郷の答はやけにリアルで、異様なまでに痛切だった。

 幼馴染が初めての相手だなんて恋愛小説のようでロマンチックなはずなのに、南郷はまるで葬式のような表情をしている。

「だった……と過去形なのは……その子は、頭のイカレた連中に改造されて……人間じゃなくなってて……」

「えっ? ちょっ……えっ?」

 全く想定外の言葉の羅列に、燐の足場が崩れた。

 優勢から一転、辛気臭い地獄語りの攻勢に晒される。

「彼女とは殺し合うことになって……。何度目かの戦いの時に、俺は負けて……抵抗できなくなって……バケモノになった、彼女に……」

「あの……その……えぇぇ……?」

 即興の作り話とは思えない真に迫る内容が脳天衝突、陥没。

 燐は完全に敗北した。

「あの……おにーさん……なんか、その……ごめんなさい」

 燐はダッシュボードから足をどけて、佇まいをきっちり直して、ぺこりと頭を下げた。

 車中に気まずい沈黙が充満して、軽トラは漸く長いトンネルを抜けた。


他人の心の傷を知らない内に抉ったら!素直にごめんなさい!しよう!

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