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ヒト・カタ・ヒト・ヒラ  作者: さんかいきょー
ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと
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ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと20

 神殺しには、いくつかの方法がある。

 一つ、信仰を失わせること。

 信じる者を失った神は廃れて時間をかけて消えていくか、あるいは他の信仰に吸収されるか、あるいは新たな神に害なす魔物に堕とされる。

 二つ、滅ぼす物語を作ること。

 下々が分かり易く、納得させるための筋書が必要である。

 それはお伽噺であったり、教典の中の伝説であったり、神に捧げる踊りや祭であったりする。

 三つ、信仰を上書きすること。

 同じような役割を持つ、しかし上位互換とも言える別の神にすりかえてしまう。

 より強く、より美しく、より分かり易く、現世利益をもたらす新たな神を用意してやれば、人は自然とそちらに靡くものだ。

 信仰は意固地に、しぶとく生き残るように見えても、継承する意味がなければ誰も引き継がない。

 人間とは薄情なもので、流行りの過ぎた神などは簡単に打ち捨てられてしまう。

 後世の学者が文献を掘り返しても、それは墓場の死体も同然であり、信仰は生き返らない。

 誰の記憶にも残らず消えていく、神の死を再現する用意が――今宵、整っていた。

 氷のような冬の月が、山頂を照らす夜。

 今世に再現された、古の戦いが終わろうとしていた。

『攻撃対象 破壊』

 人造天使の無感情な声と共に、闇中に光が明滅。

 10体以上の〈アルティ〉の自由電子レーザー砲、その一斉射撃が、瀬織の全身を撃ち抜いていた。

 身にまとう〈マガツチ改〉の軽装甲は容易に貫通され、焼き切られた傷口は出血もない。

 立ち尽くす、風通しの良い肉の蜂の巣――。

 分かり切った勝敗の果てに、しかし瀬織は笑っていた。

「合体方術……陽炎」

 嘲笑う瀬織の姿が、陽炎となってゆらめき、消えた。

 後に残ったのは、抜け殻の〈マカヅチ改〉だけだった。

「変わり身……? いつの間にか、すり替わっていましたか……」

 人造天使の囲いの背後で、ウカが言った。

 瀬織は乱戦の最中、方術で作り出した自らの幻影を身代わりとし、〈マガツチ改〉は外骨格のみで戦闘続行。〈アルティ〉達の目を惹き付け、この戦場から脱出したのだった。

 ターゲットの瀬織にまんまと逃走されたわけだが、ウカの顔には憐憫が浮かんでいた。

 辺りを見渡せば、多数の〈アルティ〉が損傷を受けて転がっている。

「瀬織さんとの戦闘で大破が2、中破が14、小破20、その他、追撃不能の損傷を受けたもの多数……」

 自軍の被害を、改めて確認した。

 性能で遥かに劣る瀬織が、100体以上の人造天使相手にここまで戦ったのは善戦というほかない。

「これが神ではなく、血の通った人の執念……。お見事です、瀬織さん……」

 ウカは本心から、瀬織の戦闘を称えた。

 自分が未だ持ち得ぬ心と力を持った、古き神への多大な尊敬と憧れが満ちていた。

『追撃許可 の コマンド を 承認 してください』

 比較的損傷軽微な1体の〈アルティ〉が心なき一言を発した。

 ウカは涙まじりにぐすり、と鼻を鳴らした。

「無粋……そう、無粋です。そんなことはお止めなさい。必要ありません」

『作戦目標が 未達成 です』

「いいえ。作戦は終わりました。あなた達は……ここの後始末を」

『…… イエス マム』

 追う必要はない、とウカは判断した。

 追撃の如何に関わらず、戦いの結果も、瀬織という神の結末も変わらない。

 追手を出して死にもの狂いの反撃を受けて更なる損害を出すべきではない、という合理的判断と共に、全く異質なウェットな思考をウカは学習し、適用していた。

「ただ一人の願いを叶える、誰か一人のために生きること……私には出来ないことです。故に、ウカはあなたに敬意を表します」

 もうここにはいない神に、もうすぐ消えてしまう人に、ウカは万感の思いを込めて呟いた。

 願わくば、別の形で出会いたかった。

 願わくば、友として語り合いたかった。

 そして

「願わくば……あなたの願いも叶えたかった……」

 ウカは古戦場に背を向け、帰路につく。

 舞台の幕は降りた。

 魔に堕ちたる古き神は既になく、主を失った戦装束は役目を終えて倒れ伏す。

 人工筋肉のテンションを失い、擱座した〈マガツチ改〉を〈アルティ〉達が取り囲み、後始末が始まった。

『マニドライブ 展開』

 〈アルティ〉の胸部から、直径8cm程度の円筒が出現した。

 円筒は半透明であり、内部には20枚の光学ディスクが積層構造で収納されている。

 これは半永久的な寿命を持つ5次元光記録ディスクであり、1枚が1ベタバイト以上の記憶容量を持つ。

 マニドライブの名の示す通り、この円筒はデジタル化されたマニ車である。

 ディスクの内容はあらゆる経典、真言の類が連綿と記録され、それを高速回転することで無限の読経を成し、仏の身口意を電子的に再現するものであった。

『除霊 開始』

 多数のマニドライブが一斉に回転を始めた。

 マニ車とは、一回転で読経と同じ巧徳を得る仏具である。光学ドライブは1分間に2000回転を行い、20連層光学ディスクによる転経は単純計算にして1分間40000回もの諷経を可能とする。

 聖なる祈りの概念は、邪念の結晶たる〈マガツチ改〉を強制的浄化。

 その中枢回路たる勾玉は白く不活性化し、瞬く間に土くれとなって崩壊した。

 〈天鬼輪〉に組み込まれていた瀬織の分身たる疑似人格人工知能の勾玉も、同様に崩れ朽ちていく。

 やがて、〈マガツチ改〉の機体そのものが腐敗し、金属とシリコンの塵に変わっていった。

 全ては、八千代の時を経たがごとく風化した。

 後に残ったのは、俄かに盛り上がった乾いた土くれだけ。

 静寂の、自然じねんの中に還るのみ。


 少年に初めて会った日、かつて神であったモノは彼の内なる願いを感じ取った。

 久しく忘れた神としての性。

 魔として少年を弄び、食らい尽くすのは容易いが、それでは1000年前と変わらぬ繰り返しになる。

 今世にて、人として生きる道を示してくれた女の願いに応えてやりたい。

 今世にて、寄る辺なく彷徨う少年の心に応えてやりたい。

 人の願いに応えることで、自分は変わることが出来る。

 だから、東瀬織は少年の傍に寄り添うことにした。

 姉のように、母のように、恋人のように、彼を愛し、慈しむ、家族になりたかった。

「わたくしは……願いを……叶えられましたか……? ねえ、景くん……?」

 夜闇の、虚空に問う。

 足を引き摺り、瀬織は夜の農道を往く。

 愛する少年の待つ、我が家への帰り道だった。

 歩き馴れた道だ。目を瞑っていても帰れる。

 事実、今の瀬織はほとんど無意識に動いていた。

 瀬織の全身には戦いの傷が刻まれ、制服はズタズタに切り裂かれている。

 断続的に意識は途切れ、虚ろな目に視力はほとんど残っていない。

 何より、胸に大穴が空いていた。

 敵の貫手に貫かれた穴。致命的なダメージだった。

 もはや再生も出来ない。

 元より死期の近づいていた肉体は加速度的に崩壊していく。

 既に血も枯れ果てた胸の穴から、乾いた音が響いていた。

 乾燥し、劣化した木材がヒビ割れる音だった。

「帰る……帰るんですよ……帰らなきゃ……」

 譫言のように呟き、のろのろと歩き続ける。

 景と1分、1秒でも長く共にいたいという強い願いが、瀬織を死地から帰還させた。

 既に頭脳は思考を失い、強い一念だけが死にゆく体を突き動かす。

 胸の穴から亀裂が広がる。

 歩いた後に、木屑が尾を引いていた。

 瀬織の肉体が神樹に還り、2000年分の経年劣化を迎えていた。

「あっ……」

 消え入りそうな悲鳴と共に、瀬織は路上に転がった。

 右の足首が、折れていた。

 小枝がぽきりと折れるように、体から離断していた。

 もう歩けない。

 それでも、瀬織は帰る。家に帰る。

「おゆうしょくを……つくらなきゃ……」

 アスファルトに指を立てて、地を這って、家路を進む。

 夕食前に帰ると約束した。帰って景のために、いつものようにご飯を作らなければならない。

 自分を待ってくれている人がいる。

 必要としてくれる人がいる。

 愛してくれる人がいる。

 それは神として、人として、この上ない幸せだった。

「いま……かえりますから……けい、くん……」

 この気持ちを与えてくれた少年を、悲しませたくない。

 せめて、もう一度だけ会って、お別れを言いたい。

 願いと感情がごちゃ混ぜになった執念が、瀬織の体を稼働させていた。

 だが――

「あぁ……」

 瀬織の指が、粉となって霧散した。

 物理的な耐久限界が、終末が、訪れた。

 もう進めない。

 もう帰れない。

 僅かに動く首を上げれば、家の明かりが見えた。

 視力のない虚ろな瞳でも、僅かな光を感じられた。

 温かい光だった。

 瀬織に人の体温を与えてくれた光が、そこにある。

「けい……くん」

 遥か遠くの愛する人を呼んだ。

 それが、最後の声だった。

 亀裂は瀬織の全身に浸透し、少女は命なき朽ち木の人形に還って――

 くずれ、おちた。


 園衛が景の家に着いたのは、午後7時を過ぎた頃だった。

 家のドアを潜ると、入れ違いに朱音が出ていった。

「朱音……? どうして、お前がいる」

「お気になさらず。園衛様には関わりのないことですから……」

 よそよそしく、距離感のある対応で、朱音はそそくさと夜の農道に消えていった。

 園衛は自分が朱音に嫌われているのだと思った。普段の園衛なら別の違和感に気付いたろうが、今はそれどころではなかった。

 奥の部屋から、真っ青に顔をした景が出てきた。

「園衛様……瀬織、瀬織が……」

「すまん、景……」

「何度も電話したのに! メールしたのに! どうして出てくれなかったんですかぁ!」

 景の悲痛な叫びを前に、園衛はただ頭を下げるしか出来なかった。

「すまん……言い訳など何も出来ん……私の責任だ」

「すまないって……そんな、謝られても……瀬織、ずっと帰ってこないんだよぉ!」

 どん、と景が廊下の壁を叩いた。

 どんな強敵と戦っても必ず帰ってきた瀬織が、いつまでも帰ってこない。その焦燥は分かる。

 最悪の結果の想像……その恐怖も分かる。

 園衛の上着のポケットで、マナーモードのスマホが震えた。

 このタイミングで誰が電話をかけてくるかは、確認するまでもなかった。

 ディスプレイを見ず、即座に着信を受ける。

「もしもし、私だが……」

『園衛さん。報告します』

 南郷からだった。

 彼は現状把握のため、周囲を探索している。

 南郷の声色は冷静だったが、園衛は覚悟していた。

「言ってくれ……南郷くん」

『付近の道路で、女子用の学生服と靴を発見しました』

「持ち主は……」

『見当たりませんが……木の屑みたいなものが、制服の中に大量に……』

 その報告で、園衛は全てを察した。

「分かった……。それを回収しておいてくれ……」

 園衛は手短に通話を切り上げた。

 頭の奥に重い鈍痛を感じて、目元を抑えた。

「はああああ……」

 腹の奥底からの重苦しい溜息。

 厭というほど味わった責任者の重圧が、久方ぶりに両肩にかかるのを感じた。

 言わねばならなかった。

 責任者の務めとして、園衛は少年に現実を突きつけねばならなかった。

「景……瀬織はな――」

 自分の吐いた宣告が、園衛の自身の胸を抉る。

 目の前で一人ぼっちの少年が崩れ落ちて、暫くすると噛み殺したような嗚咽が、壁を伝って家全体に響いた。

 宮元園衛は、ただ無力に項垂れた。


冬の夜に、命果てる――。

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