ユニーク。ラブエンド
孤独を求めてさまよう「私」。人々から逃げるように立ち寄ったのはカラオケ店だった。
久しぶりのカラオケ。「私」はとある夜を思い出す。
そういえば、カラオケなんて何年ぶりだろうか。
個室に入り、扉を閉めた私は、わずかにヤニ臭い部屋の中に一人立ち尽くしていた。
帰り道の途中、私は何を思ったのかカラオケ店に来店していた。別段昼間にいら立ったからその憂さ晴らしだとか、そういうことではない。本当に何を思ったのか、なのだ。
ただ、元来独りでいることを好む私だ、日中は人と否応なく付き合うことになる。夜になっても街は人口を減らさない。私は知らず知らずのうちにストレスを感じているのかもしれない。
だからこそ、独りになれる場所を求めてさまよい、この場所に流れ着いたと言うことなのだろうが、それにしてもカラオケか。他にも店はあっただろうに。
上着を脱いで、独りにはただ広い部屋の中、腰掛に座る。部屋の明かりは明るいというほど明るくなく、電球色の明かりで薄暗く照らされている。
テレビ画面で何かの宣伝が流れ、薄暗い部屋の中にギラギラと眩しくうるさい。独りで部屋の中にいるのに、落ち着かなくさせられる。
しかして、久しく来ていなかったカラオケだ。部屋に入ってしまえば、だんだんとそんな(・・・)気分になんてくる。歌うことは嫌いではない。
マイクを持つ。昔は友人とときどき行ったものだ。あの時は必ず複数人で、夜通し歌い続けていたのを覚えている。そうだ、今でこそ一人カラオケのお店もあるものの、イメージとして、カラオケは何人かのグループで来る場所だ。私が一人で来店したとき、店員に訝しげに見られたのもそういうことなのだろう。
こんな風に独りでカラオケに来たことは、今まででただの一度だけだ。
ああ、そういえばあの時以来か。
私は無性に、この状況に懐かしさを覚えた。
そうだ、あの、片思いのあの娘にフラれたあの夜だ。
率直に言おう。私はフラれたわけではない。一方的に絶望しただけなのだ、そうなのだ。
私はその光景から早足で、そして駆け足で、そのまま全速力で逃げ出して、夜の街の歩道わきで膝に手をついていた。
人々がおかしな奴だと見ていくが、そんなことどうでもよかった。私は切れた息が整っていくのに、さらに苦しくなっていく胸の内を感じていた。
ああ、でも確かに私の恋は、本日ついさっきをもって終わりを告げた。何も実らず、成し遂げず、芽吹いてそのまま引っこ抜かれた!
私は、恋をしていた。素敵なあの娘に恋をしていた。最初は目で追うばかりだった彼女のことを恋愛対象として自分が見ていることに気付くのにはそう時間はかからなかった。
彼女と恋仲になりたい! 私は心に決めた。勇気もなく、どうしようもない私ではあるが、今回ばかりは男になると決めた。つまりそれほどに、私の心は彼女に首ったけだったのだ。
……なのに、この仕打ちか!
私は叫びたかったが叫べなかったのは、ここまでの人生で刷り込まれてきた現代社会の中で溶け込んでいるための常識によるものだ。否、ただのヘタレである。私は頭の中で大声に叫ぶイメージをした。
彼女は男と歩いていた。街中、仲睦まじそうにしながら。あの男が彼氏かどうかは分からない。しかしあれほどの近しさで並んで歩いていて、しかも二人だけで夜、この場所を歩いていて、友人というだけの関係ではないだろう。
彼女はすでに「彼女」であったのだ。私は、彼女の返事も待たずにフラれた。
私は、胸にくすぶる悔しさと、彼女への恋心をどうにかしたかった。まるで体が火山になって莫大なエネルギーを噴出しそうだ。
そのエネルギーは、街の人々の姿を見ているだけでも飛び出しそうだ。仲良さそうなカップル、楽し気なグループ、ああ、糞くらえだ!
負け犬な僕は遠吠えもヘタレでできず、とにかくこの陽気なエネルギーのたまり場から離れたくて、つまりは一人になりたくて、また逃げるように歩を進めた。
そして、いつの間にかカラオケ店に入っていた。
部屋の中、友人たちのグループでしか来たことのなかったこの場所に独りでいることに違和感を抱いたが、しかし同時に荒れた心が安らぐのを感じる。
独り、自分の部屋に帰っていたら危なかった。間違いなく部屋で叫んだりして隣の住人に壁を殴られていただろう。
マイクを持つ。今、この場所には私独り……。
ここは、ただこの瞬間は、ボクだけの世界だ。
隣から、楽しそうな男女の声。
――叫んだ。叫んだ!
曲はメタルだ。ヘヴィなメタルだ。私が知っている、シャウトなんかがたくさんある曲を選んで叫んだ!
楽しそうにしやがって! くそう、くそう! 私は負け犬だ。こんなところで独り、悲しく壁向こうの他人に向かって慟哭して怒りを理不尽にぶつけている負け犬。だがいいだろう。吠えさせろ、叫ばせろ! 負けた奴の特権だ!
ひたすら叫び、歌い、何曲続けただろうか。手あたり次第、歌い続けた。いつの間にか、隣の楽し気な声は聞こえなくなっていた。
酷使した喉はつぶれていた。ガサガサした、風邪をひいた時の枯れた声が喉から隙間風めいて漏れ出す。もう高音域の声は出ない。
疲れた。どっかりと椅子に座る。どれだけ大音量で歌い、曲を鳴らしていたんだろうか。静まり返った部屋の中、私はとても寂しくなった。
――ああ。
「自分は、君のことがとても好きです」
小声でつぶやく。もしかしたら、伝えられていたかもしれない告白のセリフ。
「……好きでした」
そして、そのIFを否定する言葉。
下瞼が重たくなってきた。知っている、この感覚は。
――私は泣いているんだ。
涙が、静かに頬を湿らした。呼吸とともに、私は涙を伝わせた。静かに、静かに。
不思議で、マグマのような胸の内のエネルギーは、大声で叫ぶよりも涙を流す方が体からあふれ出していくのが分かる。泣くほどに、私は心がどんどんと軽くなっていった。
マイクを握る。次の曲をリクエストする。今度の曲にシャウトとかはない。ひたすらに、愛の歌だ。
そうだ、これは君に捧げる愛の歌だ。決して君に届くはずもない、君が知ることもない、私の君への思いの丈を乗せた歌だ。
座ったまま、私は歌った。高い声はすでに出ず、座ったままで腹から声も出ない。歌詞に沿って歌をなぞる。
でも、想いは乗せた。乗せられるだけ乗せて歌った。叶わない恋心。ならいっそ、この歌に乗せ切って、すべて枯らしてしまえ。今もどこかで、きっと二人で過ごしているだろう彼女を想い、私は歌う。
でも、どうしてだろう。枯らしてしまえと気持ちを乗せて歌うほど、さらに彼女への思いが湧いてきてしまう。
歌った、歌った。何曲も。声が濡れている。私はまた泣いていた。このまま、枯れた喉が治りそうだ。
気づくと、私は疲れ切って眠っていた。店を出ると、外はすでに明るくなっていた。
その日はたまたま友人と出かける予定だったので、部屋に帰ってシャワーを浴びて、そのまままた部屋を出た。
友人が待ち合わせの場所にやってきて、私の声を聞いて驚く。
「風邪でも引いたか?」
「いや、昨日はカラオケでね」
「誰とだい?」
「独りでさ」
「なんだい、それは寂しいじゃないか。俺とか誘ってくれれば良かったのに」
アホを見るような友人の目に、私は笑って返す。
「来ていたら、きっと耳を塞いでいただろうよ」
私は、思い返して独り、笑った。ほろ苦い思い出だ。
あんなに当時は辛かったのに、思い返すようになるとそうでもなくて、なんだかいい思い出じみている。本当に不思議だ。
あのとき、この場所は私の避難場所だった。ここだけが、私は受け入れてくれた場所だった。BARでもない、自分の部屋でもない、ヤニ臭いあの部屋が、寂しい危険物と化した私が安全に処理される唯一の安全地帯だったのだ。
その安全地帯に、私は再び独り、逃げ込んでいる。あのときとは気分は違えども、同じ状況。あの娘は今、どうしているだろうか。風のうわさで、子どもが生まれたと耳にする。相手は誰なのだろう。
いや、どうでもいい。しかし、あの時のエネルギーの残滓が、彼女のことを想うことで胸の内で熱を帯びる。
マイクを持つ。今、この場所には私独り……。
ここは、ただこの瞬間は、ボクだけの世界だ。
隣から、楽しそうな男女の声。
――叫んだ。叫んだ!
曲はメタルだ。ヘヴィなメタルだ。私が知っている、シャウトなんかがたくさんある曲を選んで叫んだ!
そして、ひとしきり叫んで、今度は違う歌を歌った。愛の歌、あの時歌ったのと同じ歌を。
自分だけの世界の中で、私は独り思い出に浸り、孤独に片思いをしていた。
翌日、声を枯らした私に知人が尋ねてくる。
「なんだ、どうした風邪でも引いたか?」
「いや、カラオケで張り切ってしまって」
「へえ、誰と行ったんだい?」
「独りでさ」
「独り? おいおい寂しいな、なら俺でも誘ってくれれば良かったのに」
友人のからかう声に私は笑って返す。
「来ていたら、きっと耳を塞いでいただろうよ」
朝が来ました。今回はここまで。