019 死の否認
【前回のあらすじ】
・森に出かけたメルティとタリア
・二人はメルティにかけられた呪いの調査を進める
・二人の前に唐突に鴉頭の化け物が現れる
「《カゴメ》ッ!」
ふらつく体であっても、その意識を保つことができれば魔術は放てる。
メルティは鴉頭の化け物に魔術を放つ。
「グアァウッ!!」
だが化け物の動きは早い。
魔術が形成される頃には化け物は地面を一蹴りし、その効果の範囲外へと飛び出していた。
そしてそのままメルティの方へとやってくる。
化け物は一瞬でメルティの間近へと迫り、拳を振り抜こうとした。
「《クウヘキ》ッ!」
だがその拳は、メルティの空気を圧縮して壁を作る魔術に阻まれる。
「よしこのまま——」
「《イッセン》」
くぐもった声で聞こえた術名。
それは化け物が発した言葉だった。
「え?」
人間以外が魔術を使うなどありえるのだろうか。
そんな疑問を抱くより先に、ぐらり、とメルティの視界が傾く。
そのままメルティの体は、ぼとりと地面に落ちた。
「メル、ティ……? え……いや、いやああああッ!!?」
少し遠くからタリアの悲鳴が聞こえた。
(あれ……なんで……足元に入らない……?)
最初は自分の足元に力が入らなくなって崩れたのだと思った。
だがそれ以前に、そもそも下半身の感覚がなかった。
少し遅れてやってきたのは腹部から感じる苦痛。
不審に思ったメルティはそのまま自分の腹部の方へ視線を向ける。
——向けてしまう。
「え……ぁ……嘘……」
そこには綺麗に切断された自分の断面図があった。
さっきまで自分の体だったものがそこに落ちている。
足元の感覚がないのも当然、そもそも腹部から下が切断されてしまったのだから。
「あ……がふっ……」
倒れた体勢のまま、メルティは血の塊を吐き出す。
——《イッセン》。
あの化け物が発した術名には聞き覚えがあった。
風を操り、鋭く切り裂く魔術だ。
メルティにも使える魔術だが、できて紙を切り裂く程度の威力しか持たない。
人の体を丸ごと切り裂くなど、国の上級魔術師でもできるかどうかというレベルだ。
(あ、れ、意識……薄れ…………あ、私……ここで死ぬんだ……)
なぜあの化け物がこれほどまでの魔術を使うことができるのか、意識が薄れつつあるメルティにとってはもはやどうでもいい。
このまま目を瞑ったら、そのまま永遠の眠りにつけるだろう。
頭がぼんやりして眠くて眠くて仕方がなかった。
(ああ、もう……眠っちゃおう…………お腹痛いし、気持ち悪いし……)
体が切り裂かれたと気づいた時点から、腹部に強い痛みを知覚するようになっていた。
だからこそ、メルティは早く意識を失ってしまいたいと願う。
もうどうにもならない自分の体を見てしまった時点で、全てがどうでもよくなってしまったのだ。
ゆっくりと目蓋を落としていく。
このまま目蓋を完全に閉じきってしまえば、もうその目蓋が開くことは二度とないだろう。
もう少しで目蓋が完全に閉じきる。
だがその一歩手前で、メルティは大きく目を見開いた。
その瞳には、タリアの姿が映っていた。
彼女の表情は恐怖に染まっていて、化け物が今まさに彼女に襲いかからんとしている姿が見える。
(あ……だめ、だ……守ら……なきゃ…………タリア、さん……)
こんな光景が人生最後の光景であっていいはずがない。
その瞬間、薄れかけていたメルティの意識が一気に覚醒する。
「タリア、さん……ッ! うあぁあああああッ!!」
叫ぶ。
そして気づいた時には走り出していた。
足を踏み出し、地面を駆ける。
そう、間違いなく、自分の足でメルティは走り出していた。
なぜさっきまで千切れたはずなの下半身が修復されているのか。
そんな些細なこと、今は気にならない。
今メルティの頭の中にあるのはタリアを救うこと、それ以外のことなどどうでも良かった。
「はぁあああッ!!」
メルティは化け物に掌ていを打ち込む。
全てを本能に任せて行った行動がそれだった。
「……ギッ」
化け物の口からうめき声が漏れる。
メルティの放った掌底を化け物は腕で防いただが、その腕がまるで蒸発でもしているかのようにボコボコと膨れ上がる。
そして破裂する。
血はなく、吹き飛んだ化け物の腕は体から離れると霧のように消えていった。
「ギァ、イ……《イッセン》」
化け物がまた魔術を放つ。
「……あっ」
視界が空を向く。
音もなく、痛みもなく、ただ体が軽くなったような気がした。
この魔術を受けるのは二度目なので、何が起きたかくらい察しがつく。
また、体が切断されたのだろう。
じゃあ今度はどこを?
地面に吸い込まれていくような感覚の中、視界の横に自分の背中が見えた。
(ああ、今度は首か……)
どんな人間でも首を切られれば死ぬ。
それを理解した上でも、メルティは妙に落ち着いていた。
この程度、問題ではない。
うまく言葉では説明できないが、感覚的にそう確信していた。
自分はこの程度では死ぬことができないのだと。
***
「どういうこと…………なん……ですの……?」
恐怖、困惑、あるいは歓喜。
タリアの感情は今ぐちゃぐちゃになっていた。
目の前の光景をどう捉えたらいいのか分からなかった。
突然、メルティの首が地面に落ちた。
そう思った直後、メルティの首は地面に落ちるすれすれのところで止まった。
メルティの首を止めたのは、メルティの血だった。
胴体の首の切断面から溢れ出す血液が、まるで意思を持って動いているかのようにメルティの首を追いかけ始めたのだ。
タリアにはそれが、いくつもの手の形をした血液が彼女の頭を追いかけていくかのように見えた。
そして気づけば、彼女の頭部は元のあるべき位置へと戻っていた。
「さっきはよくもぉッ!!」
「グ……ガァッ!!」
そして再び彼女はなんともなかったかのように、化け物に攻撃を繰り出す。
化け物は残っていたもう片方の腕で防御し、先ほどと同じように腕が破裂する。
「クカッ……ハァアアッ!!」
「……なっ!?」
両手を失った化け物だったが、雄叫びをあげるのと同時に体から影が伸び、その影が腕の形へと変わっていく。
一瞬にして失った腕を再生させたのだ。
「こんのぉッ——!」
「ギァアッ!!」
そこからは泥臭い殴り合いが始まった。
化け物はメルティの攻撃を受ける度に体の一部が吹き飛ぶが、一瞬にして再生する。
メルティも同様、腹部に殴られ嗚咽をあげるが、数秒後にはなんともなかったかのように殴り返している。
腕や足が吹き飛ばされても、欠損した切断面から血が自分の欠損した体の一部を追いかけ、数秒後には結合されている。
メルティと化け物は、まるで互いに怒りの感情に支配されているかのように殴り合う。
化け物同士の殴り合いであった。
「再生魔術……? いや、あそこまで一瞬で体を再生させる魔術など聞いたこともない。これは間違いなく呪い……不死の……呪い…………? でも、そんなまさか……ッ!」
呪いで死を覆すなど、タリアであっても聞いたことのない話だった。
何より多くの呪いは負の感情が起点となる。
死にたくない、死んでほしくない。
そんな思いから不死の呪いが生まれる可能性は限りなく低い。
「死の否認……これは、死を許さない呪い……?」
タリアの目にはそう見えた。
タリアは呪いを可視するだけでなく、呪いの感情や思いすらも感じ取ることができる。
メルティが体を再生する度に見え隠れする呪いの感情。
それは彼女の生を望む温かな感情とは違う。
死という逃げを許さない、そんな感情だった。
「くッ、いつまでも突っ立っている場合じゃありませんわッ!」
タリアはぶんぶんと頭を振り、何が起きているかの理解は後回しにして、今やるべきことは何かを考える方向へと頭をシフトする。
メルティと化け物の力は拮抗しているように見えた。
いや、拮抗というよりも停滞に近い。
放っておけば互いに永遠と終わらない殴り合いを続けるだろう。
タリアはゆっくりと化け物の背後へと回り込む。
「せぁああッ!!」
メルティは化け物の右腕を吹き飛ばす。
(今ッ!)
化け物が体の修復をする、その瞬間をタリアは狙った。
カバンから包帯で巻かれたナイフのような形状のそれを取り出し、化け物に突き立てる。
「ぐぅッ!?」
だが化け物にそれを突き刺そうとしたその瞬間、タリアの脳が揺れる。
地面を転がりながら、タリアは自分が残っていた左腕で薙ぎ払われたのだと察する。
化け物からすれば攻撃というよりも薙ぎ払う動作だったためか、そこまで体に傷はない。
「……あっ!?」
だがタリアは、その手にさっきまで握っていたものがないことに気づく。
タリアは体を起こしながら、あたりをキョロキョロと見渡す。
探していたものはちょうどメルティの足元あたりに落ちていた。
包帯が剥がれ、その形状があらわになっていた。
それは木製の柄がついた針。
裁縫などに使うものとは違い、太く長くまるで武器のようだった。
「タリアさんッ!? くうっ、貴様ぁッ!!」
一瞬、メルティの視線がタリアの方へ向く。
そのとき、タリアが握っていた針が自分の近くに転がっているのも見えていた。
タリアが持っていたということはこの針はおそらく呪物であり、この化け物に有効打を与える力を持っているのだろう。
そうメルティは判断した。
だからメルティは化け物の隙をつき、その針を拾い上げようとする。
「……ッ、だめッ!? 直接触れてはだめッ!!」
メルティが針の柄に触れるのと、タリアが叫んだのはほぼ同時だった。
「え……あ、ああ……ッ!?」
その瞬間、メルティの体が痙攣しだす。
針に触れたままの状態で体を動かなくなり、手を離すことすらできない。
そして、全身の神経が一つの感覚に支配されていく。
その感覚は————痛み。
「あっ————あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッッ!!?」
メルティは目を見開きながら叫ぶ。
叫ぶのと同時に体全身から血が溢れる。
視界が真っ赤に染まっていく。




