四
一年以上経っていました、また少しづつ書き足していきます。
天井に走る幾つもの亀裂から、染み出してきた水分が一点に集まり、やがて、耐えきれなくなって雫となり床に落ちる。
数えきれないほど、あちらこちらから繰り返し落ちる水滴に、荒く削り出されただけのゴツゴツした石の床は湿り、腐ったような色の苔と、白くて気味の悪い細かな茸、それらに群がる得たいの知れない虫が渾然としている空間。
ギミックタウンの地下にある、牢獄の一部屋だ。
薬草を摘みに来た山中で、いきなり数人の男達に追いかけられ、頭から麻袋を被せられて運ばれてきたのは何日前だろう。
格子窓もなく、今が朝だか夜だかもわからない。
出される食事も回数が不定期で、時間の感覚すら麻痺してきている。
「お爺ちゃん…」
立ち上がる気力も失せ、湿って冷たい床に両足を抱え込んだまま、八重は小さく小さくうずくまって呟く。
湿ってペタペタする薄桃色の長い髪が、顔を覆うのも、お尻の辺りが濡れて服が張りつくのも気持ち悪いが、どうしようもない。
今一番の気がかりは、家に残された寝込みがちな祖父のこと。
捨て子だった自分を拾い、育ててくれただけだから血の繋がりはない。だが、八重にとっては唯一の家族だ。
「薬はまだ残ってるのかな?私が帰らなくて心配してるだろうな、無理して山に探しに来てないといいんだけど…欄さんにも、迷惑かけちゃった」
特別な力もなく、健康だけが取り柄の八重では、ギルドから貰える仕事など数える程度だ。
それでも、この辺り一帯のギルド長をつとめている欄のお陰で、薬草や失せ物探しなどの仕事を優先的に回してもらっていた。
欄は幾つかあるギルドを回っているらしく、たまにやってきては祖父の薬や、滋養のつく食材を土産にくれる。
今回、薬草を採取する仕事を回してもらった時にも、散々注意されたのだ。
この頃、やたらとギミックの奴等が彷徨いているから、街に近い山には行かないように…と。
( 約束……守らなかった )
祖父と八重の住む山小屋は、北の方に近い。
北側は斜面もきつく、陽の当たりも時間が短いため、自生している薬草も種類が限られる。
少しでも高く買い取って貰えそうな種類は、街の横手にある南側に多く自生しているのを、八重は知っていた。
だからあの日、南側へ行ったのだ。
冬になるまでに、少しでも稼いでおきたい。
そんな少しの欲が、こんな事になってしまうなんて思いもせずに。
( もう会えないかも、どうしよう… )
目頭が熱く熱を持ち、膝に押し付けた鼻の奥がツンとした。
「…泣かないでも大丈夫だよ」
「え?」
思わず顔を上げる。
しかし、今いる場所から見える所に、誰かいるようには見えない。
「幻聴とか幽霊じゃないよ」
「ひっ!」
「君の隣、昼に連れてこられたんだよ」
言われて、八重は思い出す。
食事とも言えない、薄いスープと硬いパンを受け取った少し後に、看守が隣の牢獄の扉を明け閉めしていたことを。声からしてまだ若い、八重自身とそう年は変わらない、たぶん、少年だろう。
「あなたも捕まったの?」
「うーん」
しばらく黙ったあと、少年は言った。
「そうとも言うが、違うとも言える」
少年の方から、カシャンと鉄の音が響いた。
牢獄の扉に、寄りかかったのかもしれない。
「たぶん、僕らが探していたのが君なんだ」
「え?」
「僕はキリ、君の名前は?」
「八重…数字の八に重ねるって書いて、ヤエ」
「八に重ねるの?はは、じゃあハッちゃんだね」
「ヤッちゃんじゃなく?」
「え?ハチベエの方がいい?」
「どう聞いたらそうなるのよ!?絶対に嫌!」
「じゃあハッちゃんで」
クスクスと笑った気配がして、八重は目を瞬かせた。会話はそれきりで、キリは小さく異国の言葉で歌を口ずさみ出した。
途端、空気が変わる。
湿り気がなくなり、苔が鮮やかに弾力を増した。
薄ら冷たく、光のないはずの牢獄の中が、なぜか暖かい陽の光のもと、大きな大木の下に座っているように感じる。爽やかな風が吹き抜け、さっきまでベタついて肌にまとわりつく髪の不快感もなくなった。思わず、そっと目を閉じる。
八重の閉じた目蓋の中に、豊かな緑の葉を繁らせる大きな大木と、薄桃色の花を咲かす睡蓮が浮かぶ、澄んだ青い泉の映像が一瞬、泡のように浮かんで消えた。