三
暗黒街と、悪評高きギミックタウン。
もはやこの街に、正義など通用しない。もとの住人は残っておらず、無法者や売人などの裏家業者が巣くう、薄暗い街。
賞金をかけられた首持ちも多くいるこの街では、稼ぎ手と呼ばれる首狩り人との攻防戦が、街のあちこちで突発的に始まり、どちらかの戦闘不能をもって終結する日々が続いている。
その際、監獄島の補足専門の役人すら、街中へは足を踏み入れない。小さな村と違い裏家業者が巣くう大きな街では、賞金首と金銭の交換は、各タウンの外でおこなわれることが殆どだ。
つまり、略奪や強奪が当たり前の街中では、経路がどうあれ、首持ちの身柄を外に持ち出した者が賞金を手に入れられる訳だが、これは監獄島の管理者達が考えた一種の策略で、内部での潰し合いを狙っての決め事だと噂されている。
稼ぎ手も、いうなれば増えても困るだけの職種であるからだ。
そういった危険区域に、比較的ちょくちょくと足を運ぶのは商人達くらいだろう。彼等にとっては、この危険に満ちた街も宝の山。正規の商品は高く売れ、高価な盗品は安く手に入るのだ。
逆に言えば、ここに集まる者の殆どが、商人は大切な換金ルートとわきまえている。よって、商人に限り、その身の安全は確実に保証されている。
そう、あくまでも商人に限り、だ。
「…こんな間抜け野郎は久しぶりだ」
血色の良いスキンヘッドを、蝋燭の灯りに光らせながら、牢屋の番人らしき大男が格子の合間から声を投げ掛ける。
「たった三人で乗り込んできて、売人相手に一悶着起こすなんてな」
「その間抜け相手に、怪我人いっぱい作ったのはどちらさんですかね~」
「頭足らすの間抜けはそこの黒いのだけだ、我は巻き込まれたに過ぎない」
「いやだ、ちょっと聞いたボウズっち?我は女ぞ!とか言って、人一倍ボウズっちの仲間を殴り倒してた人が何か言ってるの、聞いちゃった?」
「誰がボウズっちだ、馴れ馴れしい」
「おっと…」
格子越しに蹴られ、斜めに入る蝋燭の灯りに姿を出したのは、両手を上げてニヤニヤ笑うスケだ。
そのスケを、後方から冷ややかに睨み付けているのはカク。二人とも武器防具の類いは取り上げられ、レベル一の村人と大差ない見た目だ。
「とりあえず、奴隷市の日まで大人しくしてな」
「奴隷市?」
侮蔑の色濃く、カクの赤い瞳が細められる。
ふむ、と一息、スケが再び格子に手をかけ、口を開いた。
「ねーねーボウズっち、俺等と一緒にいたチビッ子はどーした?ここには居ねーけど」
「ああ、あれは別もんだ」
「別もん?」
「ガキが好きだって奴等に売るんだよ」
大男は黄色い歯を剥き出して、嫌な笑いをして見せた。
「まぁ、その前に頭の目に止まれば頭の物になるが…まぁ…売られた方が幸せかもな、あっはっはっは」
「あら、まぁ…」
「…っく」
射殺し兼ねない視線で睨むカクを尻目に、大男は脂肪分の高い体を左右に揺らしながら去っていく。奥の詰所に、酒でも飲みに戻ったのだろう。
スケが格子の合間から手を引き抜き、頭の後ろで両手を組んだ。
「キリのお尻がピンチかもね」
「黙れ」
「おぐっ!」
カクの繰り出した華麗な右ストレートを頬に受け、スケが後ろに転がっていく。
「まぁ、相変わらず怖いのねぇ」
「……っ!」
誰も居ないと思っていた背後から、突然声が上がり、カクが反射的に振り返り様構える。
「いやねぇ、同族で喧嘩なんてぇ」
蝋燭の灯りが届かぬ暗闇から、すぅっと滲み出るように姿を現したのは、青銀色の髪を巻き上げた妖艶な美女。胸下で組まれた両腕のせいか、ただでさえ豊かな胸がこれでもか!というほど自己主張をしているようにもみえる。
少し垂れぎみの菫色の瞳を細め、灯りの輪の中で立ち止まると、妖艶な笑みを浮かべて足元に転がるスケを見た。
「おっ?ランちゃんじゃないの」
「久しぶりねぇスケ、あんたまだこんなペチャンコと一緒にいるのぉ…飽きない?」
「うん、飽きない」
するりと伸ばされた腕に捕まって、スケが立ち上がると、ランがその耳元に赤い唇を寄せ、呟く。
「ふふ、すっごい悪食」
「人の事を勝手に悪食呼ばわりするな、デブラン」
「だぁって本当の事じゃなぁい、ペッチャンコ」
指先を顎に当て、挑発するように顎を突き上げる。柔らかな菫色の瞳と、無機質な赤色の瞳の間に、目には見えない火花が散った。
「ふん」
「ふぅんだ」
二人はフンと鼻を鳴らし、同時にそっぽを向く。
「で…ランちゃんも捕まったのかしら?」
「いやねぇ、スケ。そんなわけないじゃない」
唇と同じように赤く色付けた爪で、ランが思いっきりスケの鼻先を押した。
「そこの…そう、万年色気枯渇病ペチャンコ症候群と一緒にしないで。ワザと、ワザと捕まってあげたの」
「ふ…万年色気潤沢病ボヨブヨ症候群はワザと捕まったのだな。さすが一流の盗賊は違う」
「いやぁん、スケ~、カクが意地悪言うのぉ」
ランがわざとらしく、鼻にかかるような声をあげながらスケの体にしなだれかかる。ムッチリとした豊かなる二つの双球が、スケの腕を挟み込む。
「いちいち触るな!」
「きゃっ!」
「ぶべっ!」
カクの繰り出した鮮やかな一蹴は、何故かスケの額にクリーンヒットする。一瞬にして、スケの体が後方の暗闇に消え、同様にランの笑顔も残像のように消え失せた。
「ラン!」
怒りに任せて、カクが吠えるように振り向く。
しかし、そこに居るはずのランの姿は既にない。あるのはシンとした暗闇と、開け放たれた牢屋の扉。カクの足元には、数枚の爬虫類の鱗と、断ち切られたような鉄の錠前が一つ、湿った床石に転がっている。
「さ、さすがねランちゃん…と誉めたいけど、毎回俺をだしに使うのは勘弁してくんないかしら」
忽然と、現れた時と同じように暗闇へと姿を消したランに、赤くなった額をなぜながらスケが素直な感想を口にした。
「さぁて、俺等も出発しますか」
「見つけたら蹴る」
「どうせ俺に当たるからやめてね」
残るは、通路の先にある詰所に居るだろう大男一人のみ。武器はないが、瞬発力と技押しでいけそうな相手だ。スケが扉を開けると、カクがさっさとくぐり抜けた。どうやら、ランに食らわせられなかった一撃を、大男に対して食らわせる気満々のようだ。
だが、曲がった通路の先、階上に出る詰所の前で待っていたのは、すでに白目を剥き泡を吹いて倒れている大男の、変わり果てた姿だった。
「あら……」
驚愕と苦痛に歪んだ何とも言い難い表情、腰を突き上げるように伏せた格好、股間に回された両の手の意味が、一瞬にして起きた襲撃の内容を雄弁に語っていた。スケは同性として深く同情し、哀悼の意を示す。潰れちゃったよね?
「わぁお…ランちゃん、ああ見えて締め付ける力バカ強いし、再起不能だよね、可哀想」
「……っ!」
「あ、違うよ?手ね、ほら指の力よ?」
にぎにぎしながら、スケが笑う。
本来、盗賊というものは指先技術の職人であって、力業は使用しないと思われがちだ。
だが、その身軽さと素早さを最大限に活用する接近戦術にたけている事を、決して忘れてはならない。常に急所を狙い、短時間で相手を戦闘不能に追い込んでいくという、アサッシンに近い戦闘方式をとるのである。
スピード重視の軽装装備の盗賊達が、身を護ための戦術だ。見た目のひ弱さや、ましてやあふれ出る色気に騙されてはいけないのである。
「かえってカクに殴り倒された方が良かったな」
あまり眺めていると自分も痛くなる気がして、スケは心の中で手を合わせつつ視線を外した。
床に落ちたままの大男の曲刀を拾い上げると、握り具合を確かめつつ、数回、素振りをしてみる。
それから動きを止め、すんすん、と辺りの匂いを探り始めた。
「見つけたか?」
「おう、あっち」
ニヤリと笑って、階段を指し示す。
「ただ…さ…」
「なんだ?」
「そっから宝珠の匂いもすんだよね、生っぽい」
「貴様、前から言っているが、何故宝珠からなまものの匂いがするのだ」
カクの無機質な視線を受け、スケは首を傾げる。
「わっかんないわ~」
「…聞いた我がバカであったな」
心底バカにしたような声色で、カクが呟いた。
二人は、薄暗い湿った石造りの階段を登り、右手に曲がる。
道の先は暗く、不気味な静けさが漂っているばかりで、壁にかけられた蝋燭の灯りですら飲み込まれていくように、奥を見通すことが出来ない。
しかし、二人は気にする様子もなく、暗い通路を歩き始めた。足取りはあくまでも軽い、全てが見えているかのようだ。
いや、本当に見えているのかもしれない。
二人の横顔を最後の蝋燭が照らし出した時、彼等の瞳は、どこか人間離れをした輝きを放っていたのだから……。