88 元悪役令嬢、賭けをする
「ウィレム先輩が本当にメリア姉様のことを愛しているのなら、きっとここに来ますよね。愛する女性の危機を、放っておくことなんてできないでしょうから。でも、彼の目的が貴方自身ではなく、貴女に付随する富や権力の方だった場合……もしくは栄誉や名声を重んじた場合、彼は大会の方を優先するでしょう。貴女の救出は、他の者に任せておけばいいんですから」
ジェイルはまるで試すような意地の悪い笑みを浮かべて、じっとメリアローズの方を見つめている。
「果たして彼がここに来るのか来ないのか……僕と賭けをしましょう」
メリアローズは動揺を表に出さないように細心の注意を払いながら、ごくりとつばを飲み込んだ。
――駄目よ、動揺してはダメ。落ち着いて、落ち着くのよメリアローズ……!
自分自身にそう言い聞かせながら、メリアローズはきゅっと膝の上できゅっと拳を握った。
ここにやって来るのがウィレムであろうがなかろうが、おそらくその時、メリアローズは救出されるだろう。
今のメリアローズにできることは、ジェイルを刺激しないように気をつけながら、時間を稼ぐことだ。
そっと息を吸い、メリアローズは顔を上げる。
その途端、こちらを見ていたジェイルと目が合う。
彼は……どこか辛そうな、悲しそうな顔で笑っていたのだ。
――どうして……?
彼の表情を見ると何故か、メリアローズの胸は痛んだ。
ジェイルは勝手な勘違いをして、メリアローズの誘拐などというとんでもない事をしでかした。
メリアローズは彼に対して怒りを覚えていた。そのはずなのに……。
――なんで、そんなに寂しそうな顔してるのよ……。
まるで置いていかれた子供ような、その表情は……昔、物陰に隠れて怯えていた小さなジェイルが見せたものによく似ていた。
「答えてください、メリア姉様。貴女は、ウィレム先輩がここに来ると思いますか?」
どこか縋るような声で、ジェイルがそう口にする。
少し頭を働かせれば、時間を稼ぎながらはぐらかすこともできただろう。
だが……メリアローズはそうしなかった。
何故だか、彼の問いかけに、真摯に答えなければならないと感じていたのだ。
ジェイルは真剣だ。
彼の思考回路はまったく理解はできないが……彼には彼なりの考えがあって、こんなことを企てたのだろう。
――ジェイルは、真正面から私に問いかけている。
その問いかけを、誤魔化したりはぐらかしたくはなかった。
果たして、ウィレムは大会を放り出してまでここにやってくるのだろうか。
『ウィレム先輩が本当にメリア姉様のことを愛しているのなら、きっとここに来ますよね。愛する女性の危機を、放っておくことなんてできないでしょうから』
先ほどの、ジェイルの言葉が蘇る。
――ウィレムは、どうするのかしら……。
彼が、メリアローズが急に姿を消したことを知ったら、大会を投げ出してまで探しに来てくれるのだろうか。
そう考え始めると、途端に不安が押し寄せる。
『でも、彼の目的が貴方自身ではなく、貴女に付随する富や権力の方だった場合……もしくは栄誉や名声を重んじた場合、彼は大会の方を優先するでしょう』
ジェイルの言葉が頭の中にこだましている。
ウィレムは「マクスウェル公爵家の令嬢」ではなく、「メリアローズ自身」のことを好きだと言ってくれた。
それなのに、どうしても心の奥底から不安が押し寄せてくるのだ。
――マクスウェル公爵家の娘であること以外の、私の価値ってなに? どうしてウィレムは、私のことを好きになってくれたの……?
結局は、自信がないのだ。
自分には、ウィレムがそこまでしてもらう価値があるのかと。
でも、それでも……
『俺には、あなたがいてくれるだけでいいんです』
『二人といない、素晴らしい女性です。心より慕い……愛しています。許されるのなら、一生傍でお守りしていくつもりです』
ウィレムは確かにそう言ってくれた。
だったら、信じてみたい。
ウィレムはいつだってメリアローズの傍にいてくれた。支え、守ってくれていた。
自分に自信は持てないが、それでも、ウィレムのことは信じられる。
だから顔を上げて、メリアローズは真正面からジェイルに告げる。
「彼は来るわ」
ウィレムの性格なら、姿を消したメリアローズを放っておくような真似はしないだろう。
――真っ先に、私の元に来てくれるはず。
そう考えると、不思議と力が湧いてきた。
しっかりと答えてみせたメリアローズに、ジェイルは驚いたように目を見開いた。
そして……どこか満足そうに笑ったのだ。
「……それが、貴女の答えですか」
「えぇ、そうよ。彼は私の忠実な騎士なのだから、来ないはずがないわ。来なかったらクビにしてやるんだから」
わざと尊大な態度で、自信満々に見えるようにそう言い放つと、ジェイルはくすりと笑う。
「それでこそ、メリア姉様だ」
「まったく……本当にあなたの言うことはわからないわ。それで、賭けの内容はどうするの」
「そうですね……」
ジェイルは顎に手を当て思案しているようだった。
考えてなかったのね……と、メリアローズは不覚にも脱力してしまう。
ちらりと扉の方へ視線をやり、ジェイルは小さく笑った。
「ここにたどり着いたのがウィレム先輩なら、僕は素直に貴女を彼にお返しましょう」
「……随分と思い切りがいいのね」
「彼に、そこまでの覚悟があるならそれでいいんです」
「…………?」
……駄目だ、やはりジェイルの考えは読めない。
だが、これは悪い条件ではない。
――大丈夫、ウィレムはきっと……いえ、必ず来てくれるわ……!
そう自分に言い聞かせ、メリアローズはぎゅっと拳を握る。
だが、続いてジェイルが口にした言葉に、思わず反応してしまう。
「もし、ここにたどり着いたのがウィレム先輩ではなく、別の人間であり、彼が貴女より大会の続行を選んだ場合……その時、彼は破滅を迎えるでしょう」
「え?」
「まぁ、愚か者にはふさわしい末路ですよね」
「ちょっと、何を言っているの……!?」
物騒な言葉にメリアローズは思わず立ち上がったが、ジェイルは何故か愉快そうに笑うだけだった。
そうしているうちに、廊下からどんどん忙しない足音が近づいてくる。
「来たようですね」
「っ……!」
メリアローズは固唾をのんで扉の先を見守る。
もうすぐそこに、誰かが近づいてきている。
そして、メリアローズとジェイルの見守る中、扉が開いた。
ほんの一瞬の時間が、随分と長く感じられた。
見慣れた淡い金髪が目に入った途端、メリアローズは大きく目を見開く。
「メリアローズさんっ!」
会場で身に着けていた、騎士装束や、手にした剣、肌や乱れた淡い金の髪に至るまで、ところどころ赤い血で濡れている。
それでも、彼はしっかりと自分の足で立っていた。
鬼気迫った表情が、メリアローズの姿を認めた途端、一瞬緩んだのがわかった。
メリアローズ自身も、彼の姿を目にした途端、今までせき止められていた感情が溢れ出すかのような、激情に襲われる。
その衝動のまま、体が勝手に駆け出していた。
「ウィレムっ……!」
もつれそうになる足を必死に動かし、メリアローズは飛び込むようにして、全身でウィレムに抱き着いた。
ウィレムは片手に剣を握り締めたまま、しっかりともう片方の腕でメリアローズを抱きしめる。
「……無事でよかった」
痛いほどに強く抱きしめられ、瞼の奥から、自然と涙が溢れてくる。
もう離れたくないとでもいうように、メリアローズは夢中で目の前の体温に縋り付いた。




