84 勝利の乙女、思い悩む
「てやー!」
「ぐはぁ!!」
可愛らしい掛け声とは裏腹に、重い一撃が勇ましい騎士を襲う。
「勝者! さすらいの剣士ジュリオ!!」
「やったぁ! 見てますかメリアローズ様ー?」
競技場の中から、ぶんぶんと得意気に手を振るジュリア――もといさすらいの剣士ジュリオを見ながら、メリアローズは仕方なく微笑んで手を振り返した。
一応「勝利の乙女役」としてここにいる以上、この場でジュリアに怒鳴り散らすわけにはいかないのである。
メリアローズにとっては意外なことに、ウィレムだけでなくジュリアも順調に大会を勝ち進んでいた。
あの子、あんなに強かったのね……と、メリアローズは感心するべきか呆れるべきかわからなくなってしまう。
「ねぇ、あの人もかっこよくない?」
「さすらいの剣士ジュリオって……聞いたことないわ」
「あの体格にあの声……もしかして女性じゃないの?」
「さすらいの男装の剣士!? 素敵!!」
意識せずとも聞こえてくる乙女たちのさえずりに、メリアローズはずきずきと痛むこめかみを押さえた。
いったい、今日の大会で何人の乙女が道を踏み外すのかしら……などと考えるのも億劫になる。
そんなメリアローズを見て、ユリシーズは苦笑していた。
「でもこのままだと、ウィレムとジュリアが当たりそうな勢いだね」
「そんな馬鹿な……」
「もしそうなったら、メリアローズはどちらを応援するんだい?」
「ユリシーズ様、それ聞いちゃいます?」
この能天気王子がどんな返答を期待しているのかは知らないが、メリアローズとしては、そんな風にのん気に事態を見守る余裕はなかった。
ウィレムは優勝できるのか、ジュリアがうっかり怪我でもしないかと考えると、胃が痛くなりそうな勢いだ。
はぁ、と額に手を当ててこっそりため息をついた時、こちらに近づいてくる人影が見えメリアローズは慌ててしゃきっと背筋を伸ばした。
「御機嫌はいかがかな、勝利の乙女殿」
そんな風に気取って声をかけてきたのは、現在留学中の隣国の王子――ロベルトだった。
何故か、彼も今回の大会に出場しており、今のところ順調に勝ち進んでいるのである。
余裕たっぷりのロベルトの態度に、メリアローズの隣にいたユリシーズが苦笑する。
「君は絶好調みたいだね、ロベルト」
「一度出場したからには全力を尽くす。こんなに麗しの若き乙女たちが集まっているのに、無様な戦いぶりは見せられないだろう?」
見目麗しく、愛想もよく、そして強い。しかもその正体は隣国の王子である……ときたら、ロベルトが注目されないわけがなかった。
サービス精神旺盛な彼は、試合に勝つたびに持っていた花を客席に投げるといった手厚いファンサービスで、あっという間に会場の大半の乙女の心を鷲掴みにしたのである。
今も黄色い声援に応えたロベルトが、輝くロイヤルスマイルを浮かべて手を振ると、興奮しすぎたのか観客席の少女が五人ほど失神した。
――まったく、これじゃあ救護室が大繁盛ね……。
メリアローズは救護に従事する者の忙しさを想像し、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
ロベルトはそんなメリアローズを見てくすりと笑うと、そっと秘密の話をするように耳元に口を近づけて小さく囁く。
「なんでも、優勝者は正式に君に求婚する権利が得られるという話だが……」
「事実無根のデマですわ!」
まさか彼にまでそんなことを言われるとは……!
憤慨するメリアローズに、ロベルトはおかしそうに笑う。
「ははっ、やはりそうか。それは残念だ」
「えっ……?」
「皆、君の愛を得ようと必死だからな。もちろん、俺もだが」
そう言って相変わらずのキラキラロイヤルスマイルを浮かべたロベルトを見て、メリアローズは固まった。
――……なんなの!? 私をからかうのがそんなに楽しいの!?
絶句するメリアローズに助け舟を出すように、ユリシーズが苦笑交じりに口を開く。
「……ロベルト、あまり調子に乗りすぎるとマクスウェル家に刺されるよ」
「それは恐ろしい。死体になっての帰国は勘弁願いたいな」
見目麗しい二人の王子が笑顔で会話を交わしているという状況に、周囲の者たちはぽぉっと頬を紅潮させ夢見心地になっている。
どうやら物騒すぎる話の内容までは届いていないようだ。
メリアローズは小さくため息をつき、そっと立ち上がる。
「少し風にあたってきますわ」
ちらりと心配そうに視線を寄こしたリネットに「問題ないわ」と目線だけで告げると、聡い彼女は小さく頷いた。
一人になりたい時は一人にさせてくれる。それがリネットの良い所だとメリアローズは思っている。
相変わらず訳の分からない会話を繰り広げる王子二人と、王子二人が向かい合っているという状況だけで「尊い……」と思考停止した周囲を尻目に、メリアローズはそっとその場を後にした。
◇◇◇
「はぁ……」
今のところ、大会は順調に進んでいる。
……いきなりジュリアが割り込んできたりしたことを考えると、メリアローズにとってはあながち順調だとも言えないのだが。
初戦で圧倒的強さを見せつけたウィレムは、勝ち進むごとに会場からの声援が大きくなっている。
頬を染めて彼の活躍に目を輝かせる乙女の姿を目にすると……メリアローズの胸は少しだけざわめいてしまうのだ。
――ウィレムが選んだのが私じゃなければ……こんなに苦労することはなかったのよね。
彼はメリアローズとの未来の為に、過酷な戦いに挑んでいる。
メリアローズはただ彼の活躍を祈り、見守ることしかできない。
だからこそ、不安になってしまうのだ。
彼が少し本気を出せば、今のように数多の乙女の心を惹きつけることができる。
こんなに面倒な条件付きのメリアローズに嫌気がさし、もっと別の相手との未来を選ぶことだって――
「……駄目ね、こんなんじゃ」
メリアローズがこんなことを考えるのは、ウィレムの覚悟を踏みにじるようなものだ。
彼がアーネストの前で堂々とメリアローズへの想いを宣言してくれた。
それを疑うような真似は、どう考えても彼に失礼だ。
――家名しか取り柄のないような私と違って、ウィレムは自分の手で未来を掴もうとしている。
その姿を、眩しく思う。
彼は自分などではメリアローズの相手にふさわしくない、などと言うが、そう言いたいのはむしろこちらの方だ。
彼のことを意識するようになってから、メリアローズは心の底で、いつかウィレムに愛想をつかされる日が来るのではないかと怯えていた。
「……私は悪役令嬢だってちゃんとやり遂げたのよ。こんな風じゃ学園の女王の名が泣くわ」
ぱちんと軽く両頬を叩き、メリアローズは自分自身に喝を入れた。
ウィレムは前に進み続けている。だったら、メリアローズも置いていかれないように、むしろ彼を追い越すつもりで進み続けなければならない。
なんとか自分自身を鼓舞したところで、背後からゆっくりとこちらに歩み寄る足音が聞こえた。
てっきり、リネットが探しに来たのかと思い振り返ったメリアローズは、思わぬ人物の登場に目を丸くする。
「……こんなところにいらっしゃったんですね、メリア姉様」
そこに立っていたのは、穏やかな笑みを浮かべた青年――一学年下の後輩のジェイルだった。
ジェイルは驚くメリアローズを見て小さく笑うと、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってきた。




