83 勝利の乙女、発狂する
「なるほど、ジュリアは君が望まぬ結婚を強いられていると思って、なんとか阻止しようとこの大会に参加したわけか」
「よく今の説明でご理解されましたね」
とりあえずジュリアのことはバートラムに任せ、メリアローズは己の無力さをひしひしと感じながら貴賓席へと舞い戻った。
勝利の乙女役を任された以上、一応戦士たちの戦いを見届ける義務があるのだ。
そこで心配そうに待っていたユリシーズとリネットに、自分でも飲み込めないままに途切れ途切れに事情を説明すると、ユリシーズは意外と即座に状況を理解したようだ。
「ジュリアの突拍子もない行動には慣れてるからね。彼女なら、君のためを思ってそうしてもおかしくはない」
「いやおかしいですよ」
駄目だ、この王子も既にジュリアに毒されていた。
思えば彼は家臣たちに「あの男爵令嬢と恋に落ちたのでは……」と勘違いされるほど、ジュリアと親しいのだった。
きっと、彼女の常軌を逸した行動には慣れている……というよりも、感覚が麻痺しているのだろう。
「ジュリア語の翻訳なら任せてくれ」
「……頼りにさせていただきますわ」
どこか得意げな王子に、メリアローズは「こりゃ駄目だ」とリネットに目配せした。
こうなったら、バートラムがうまく動いてくれることを願うしかない。
「まったく次から次へと問題ごとが……」
「あぁ、お気を確かにメリアローズ様……」
リネットに気遣われ、メリアローズは客席から見えない角度を計算して、盛大にため息をついたのだった。
◇◇◇
メリアローズにとってはとんでもないアクシデントが起こってしまったが、大会は問題なく進行している。
「次は、ウィレムの番だね」
「えぇ、そのようですわね」
トーナメント表を確認してそう呟いたユリシーズに、メリアローズは平静を装って優雅にそう返した。
だが、内心はとても穏やかではいられなかった。
――ウィレム、大丈夫よね。いえ、大丈夫よ。彼は強いもの。でも万が一のことがあったら……
あからさまにそわそわし始めたメリアローズに、リネットがいつの間にか調べたらしき情報を耳打ちしてくれた。
「ウィレムの相手は、騎士団の若手のようです。なんでも優勝候補の一人だとか……」
「まぁ……!」
「でも大丈夫です! ウィレムはメリアローズ様の為に戦うのですから、負けるはずがありません!」
リネットに励まされ、メリアローズはぎゅっと拳を握り締めた。
大会の進行担当が二人の名を読み上げ、ウィレムとその対戦相手が競技場へと歩み出る。
二人の姿を目にして、メリアローズは緊張を落ち着けようと胸に手を当て息を吸った。
「中々、強そうね……」
ウィレムの対戦相手は、体格のいい青年だった。
騎士団の正装を纏い、自信満々な様子で前を見据えている。
彼が進み出ると、観客の一部から黄色い歓声が上がった。どうやら中々の人気者のようだ。
現国王の方針で、騎士団の訓練風景は頻繁に民衆に公開されている。
街娘や貴族令嬢の間で、お気に入りの騎士――いわゆる「推し騎士」を作って応援するのが流行っているとは聞いたことがあったが、思った以上の熱気だ。
「ふん、でもウィレムが負けるはずないわ!」
「その通りです、メリアローズ様!」
「メリアローズ、名目上勝利の乙女はすべての戦士を平等に応援することになっているから、ほどほどにね」
ユリシーズに苦笑されながらも、メリアローズはじっと競技場から目が離せなかった。
ウィレムの対戦相手は、余裕綽々と言った面構えを崩さない。
対するウィレムは、どこまでも冷静だった。
「それでは、両者公平な戦いを」
審判が厳かにそう告げ、二人の騎士が向かい合い、剣を構える。
メリアローズは祈るように胸の前で両手を組み、その行方を見守った。
そして……
勝負は、一瞬だった。
金属のぶつかり合う甲高い音が響き、模擬戦用の刃先を潰した剣が宙を舞う。
メリアローズの目には、あまりに速すぎて何が起こったのかわからなかったほどだ。
ウィレムの対戦相手は、呆然とした表情で己の手を凝視していた。
ウィレムは、ほんの一瞬で彼に接近し、見事に剣を弾き飛ばしたのだ。
きっと彼にもあまりにも一瞬で何が起こったのかわからず、この結果が信じられないのだろう。
「し、勝者……ウィレム・ハーシェル!」
審判が慌ててそう宣言すると、観客は静まり返った後……爆発したように一斉に騒ぎ出した。
優勝候補の一角を圧倒した無名の騎士。そんな番狂わせに、観客は大いに盛り上がっているようだ。
「ねぇ、あれ誰なの!?」
「ハーシェルってことは……まさかアンセルム様のご家族かしら!」
「嘘、あんな方がいらっしゃるなんて聞いてないわ!」
「やだ……推し変しちゃうぅぅぅ!!」
そんな蜂の巣をつついたような騒ぎにも、ウィレムは動じなかった。
彼は勝敗などどうでもいいとでもいうように、呆然とする相手に一礼すると、貴賓席のメリアローズたちの方を振り返る。
そして、確かに笑ってみせたのだ。
その途端、メリアローズの鼓動が大きく高鳴った。
「……なるほど。あれは『必ず優勝するので待っていてください』という意味だな」
「まぁ、ユリシーズ様はウィレム語も会得されていらっしゃるのですね!」
「なんだかんだで一緒にいるからね。バートラムに比べると随分と読みやすいよ」
そんなユリシーズとリネットのやりとりも、メリアローズの耳には入らなかった。
ただ、ウィレムの顔を見た途端、全身が沸騰したように熱くなってしまう。
そっと顔を伏せ、メリアローズは立ち上がった。
「失礼、少々お花を摘みに行って参ります」
それだけ宣言すると、メリアローズは二人が何か言う前に早足でその場を後にした。
そして会場裏手の誰もいない木陰にたどり着いた瞬間――思いっきりそこにたたずむ大樹に額を押し付ける。
「……せに、メガネの癖にメガネの癖にメガネの癖に…………!」
なんだあの余裕な態度は。
せっかく心配していたのに、優勝候補相手にあんな風に圧倒するなんて……
――ばかばか!! かっこよすぎるのよおおぉぉぉ!
「誰があそこまでしろって言ったのよ! メガネの癖に!! あんなにキャーキャー言われちゃって!!」
でもそんな彼は、確かにメリアローズの方を見て笑ったのだ。
彼と親しいユリシーズ曰く『必ず優勝するので待っていてください』という意味を込めて……
「あああぁぁぁぁぁ……!!」
もう悶えすぎてどうしようもなくなって、メリアローズはぎゅうぅと思いっきり、セミのように全身で木の幹に抱き着いた。
体が熱い、自然と頬が緩んでしまう。
彼の笑顔を思い出すだけで……体が熱したバターのように溶けてしまいそうになるくらいだ。
「ばか、ばかばか!! ウィレムのばかばか!!」
「あの、メリアローズ様……」
「はぅっ!」
ひたすらバカバカと叫びながら木に抱き着いていると、不意に背後から声を掛けられメリアローズは慌てて振り返る。
そこにいたのは、どこか申し訳なさそうな表情をしたリネットだった。
「次の試合が始まりますので、そろそろお戻りになられた方が……」
「そ、そうね……」
リネットはそれ以上何も言わなかった。
メリアローズもまるで何もなかったような振りをして、すたっと立ち上がり、リネットの横へと並び立つ。
「そろそろジュリアさんの出番もやって来るようです」
「まったくあの子は……怪我をしなければいいのだけれど」
聡いリネットは、メリアローズの奇行を指摘するような無粋な真似はしなかった。
メリアローズはあらためて、彼女の気遣いに感謝したものである。




