81 勝利の乙女、友人の身を案じる
そわそわしているうちに、あっという間に王国祭当日がやって来てしまった。
メリアローズの為に優勝してみせると宣言して以来、ウィレムは忙しいのかほとんど学園にも顔を出していない。
まさか逃げ出すとは考えられないが……メリアローズはどうしても心配になってしまうのだ。
「そんな心配すんなって。あいつのことだから寝る間も惜しんで特訓してんだろ」
「それも心配なのよ……」
「それにしても、剣術大会で優勝できなければ交際を認めないとはなぁ……。シンシアちゃん、メリアローズの兄貴って前からそうだったのか?」
「はい、バートラム様。シスコン様は随分とアーネストでいらっしゃいますから」
「シンシア、逆逆」
バートラムとシンシアの他愛ない会話につっこみを入れつつ、メリアローズは大きくため息をついた。
鏡に映る自身は、古代風な白のエンパイアドレスを身に纏い、頭頂部には花冠が乗せられている。
これが、「勝利の乙女」役の正装になる。
まぁ、見た目だけならそれなりね……と身だしなみチェックを済ませ、メリアローズは背後を振り返った。
「ところでバートラム?」
「ん?」
「あまりに自然で気づかなかったのだけれど、あなたなに普通にレディの私室に入ってきているのかしら?」
朝からメリアローズやお付きのメイドたちがばたばたと支度を済ませる中、気がつけばこの男はメリアローズの部屋にまで入り込み、優雅にメイドたちのもてなしを受けていた。
メリアローズも彼とくだらない会話を交わす内に「そういえばなんでバートラムはここにいるのかしら……?」とやっと疑問に思ったのである。
「おいおい、人を侵入者みたいに言うなよ。メリアローズちゃんいますかー? って声掛けたら、普通に入れてくれたぞ」
「まったく、うちの警備はどうなっているのかしら……!」
まぁ推測するに、バートラムはよくこの屋敷にもやって来ていたので、顔パス状態だったのだろう。
いくらなんでも、メリアローズの私室にまでずかずか入り込むのはどうかと思うが。
余りに自然すぎるその態度。案外彼は、諜報員などに向いているのかもしれない。
果てしなくどうでもいい発見をしてしまったわ……と、メリアローズは嘆息した。
「それで、あなたがここに来た目的は?」
ただ単にメリアローズをからかいに来ただけではないのだろう。
じっと見つめると、バートラムは観念したように肩をすくめた。
「いや……ジュリアがここに来てるかと思ったんだが、あてが外れたみたいだな」
「ジュリア? あの子がどうかしたの?」
「あいつ、どこにも見当たらないんだよ。最近は話しかけても『そんな、駄目です……。ゴリラローズなんて……』とか意味わかんねぇことばっかり言ってたんで……ちょっと心配でな」
「ちょっとどころじゃないでしょう! 明らかにおかしいわよ!!」
なぜもっと早くジュリアの奇行を報告しなかったのか!
メリアローズは自身のことにかかりっきりで、ジュリアに注意を払っていなかったことに後悔した。
いったいジュリアは考えているのか。……駄目だ、さっぱりわからない。
「とにかく! あなたは早くジュリアを探しなさい!! 可能ならうちから人手を……」
「いや、大丈夫だ。お前はお前の役目に集中しろよ」
何が大丈夫なのかはよくわからないが、バートラムは立ち上がりぽんぽんとメリアローズの肩を軽く叩く。
そしてそのまま、メイドたちの黄色い声に答えながら、優雅にメリアローズの私室を後にした。
「まったく……ウィレムのことだけでも心配なのに。ジュリアまで……」
これから大事な役目が待ち構えているというのに、既にメリアローズの頭は疲労でずきずきと痛みだしていた。
――リネットに相談を……あ、リネットは王子の同伴だったかしら……
王国祭ということで、王太子であるユリシーズにはそれなりに公務があるはずだ。
彼の婚約者であるリネットも、王子に同伴しているはずである。
まったくあの王子め……とユリシーズに心の中で八つ当たりしながら、メリアローズは意を決して立ち上がった。
「こうなったら私も行くわ。シンシア、手が空いている者はジュリアを探すように手配してちょうだい」
「承知いたしました」
ジュリアが何を考えているのか、今どこにいるのかはさっぱりわからなかったが、メリアローズはとりあえずそう指示しておいた。
ゴリラローズ……駄目だ、やはりわからない。
ジュリアの実家がある田舎での方言か何かだろうか。
私もまだまだね……と自身の知識不足に歯がゆい思いをしながらも、メリアローズは少し早めに会場入りをしようと歩き出す。
◇◇◇
野外に設けられた剣術大会の会場には、多くの人が詰めかけていた。
ここで催される若手の剣術大会は、毎年新たなヒーローが誕生する場だとうら若き乙女の間では有名になっていた。
今年も身分問わず多くの少女たちが集まり、目を輝かせて何事か囁き合っている。
結局、ジュリアは見つからないまま開会の時間が迫っていた。
貴賓席に腰を下ろしたメリアローズは平静を装いながら、ひたすら会場内に視線を走らせる。
それでも、ジュリアのきらめく金髪を見つけ出すことはできなかった。
「そうか、それは心配だね」
「ジュリアさんの身に、いったい何が……」
会場で合流したユリシーズとリネットに事情を話すと、二人も心配そうに眉を寄せていた。
「二人とも、ゴリラローズとは何かをご存じ?」
「何かの謎かけかい?」
「新種の薔薇でしょうか?」
残念ながら、ユリシーズもリネットもジュリアの残した謎の言葉に心当たりはないらしい。
そうこうしているうちに、いよいよ開会の時間を迎えてしまった。
若手の剣士たちの大会ということで、開会の宣言をするのは王太子のユリシーズの役目となっている。
ユリシーズの美声が会場に響くと、客席では奇声を上げて失神する乙女が続出した。
普段ユリシーズを目にすることのない街娘たちは、輝かしい王子の溢れんばかりのロイヤルオーラに耐性がなく、彼の声を聴いただけで耐え切れなかったようだ。
せっかくわざわざ会場まで足を運んだのに、重要な場面を見逃しちゃうわね……とメリアローズは少しだけ彼女たちを憐れんだ。もちろん、呆れもしたが。
「……勝利の乙女、皆に激励を」
ユリシーズに手を取られ、メリアローズはそっと儀礼剣を抱いて立ち上がった。
毎年この王子に「手を取ってもらえる」という特典の為に、「勝利の乙女役」は貴族令嬢たちがその座を得ようとしのぎを削り合う激戦区となっている。
メリアローズの兄であるアーネストがどんな手を使って、あっさりこの役目を勝ち取ってきたのかは……あまり考えないようにしよう。
メリアローズはユリシーズに手を引かれるようにして進み、皆の前へと歩みを進める。
――会場の全ての目がこちらを向いている。
そう意識せずにはいられなかったが、メリアローズは緊張を解きほぐすように優雅に微笑んで見せた。
――今の私は「勝利の乙女」……。よし、いけるっ!
一年間悪役令嬢を演じきったメリアローズからすれば、たった数時間それらしく振舞うことなど、余裕すぎてへそで茶が湧かせそうなくらいだ。
「おいでなさい、我が戦士たちよ」
穏やかな、それでいて凛とした声でそう呼びかけると、脇に控えていた大会出場者たちがメリアローズの元へと集まってくる。
その一人一人に視線を向け、とある人物と目が合った途端メリアローズの鼓動は高鳴った。
――ウィレム……!
騎士団の制服によく似た……あれはハーシェル家の騎士服だろうか。
まるで物語の中の騎士のようないでたちのウィレムに、メリアローズの視線は自然と吸い寄せられてしまう。
彼もまた、じっとメリアローズの方を見ていた。
そして、彼はメリアローズを安心させるかのように大きく頷いてみせたのだ。
その途端、メリアローズは自身の頬がぱっと紅潮するのがわかった。
――メガネの癖に……かっこいいんだから……!!
「……メリアローズ」
うっかり妄想の世界に浸りかけていると、傍らのユリシーズから小さく声を掛けられ、メリアローズははっと我に返った。
――わ、私としたことが……そうよ! 今の私は勝利の乙女なのに!!
勝利の乙女は、どの戦士たちにも平等に勝利を願わなければならないのだ。
……少なくとも、形式上は。
――ウィレムが優勝しますように、ウィレムが優勝しますように……!
集まった者たちに慈愛の笑みを向けながら、メリアローズは内心そんなえこひいき全開なことを考えていた。
今回出場する戦士たちの中には、中々強者の風格を持ち合わせている者もいる。
ウィレムは大丈夫かしら……と不安になりながらも出場者たちに笑みを向ける。
だが、そんなメリアローズの笑みはとある一点を見た瞬間に凍り付いた。
集まった剣士たちに比べると、一回り小さな体。
長い髪は後頭部で纏められ、風変わりな羽根つき帽子の中に仕舞いこまれているようだ。
その格好も周囲の剣士たちとは異なり、どこか旅芸人のような奇妙ないでたちをしていた。
その、明らかに他の戦士たちとは一線を画すおかしな出場者に、周りの者たちはちらちらと奇異の視線を送っている。
メリアローズの視線に気づいた途端、その「戦士」は満面の笑みで嬉しそうにぶんぶんと手を振った。
――な、何やってるのあの子はっっっっーーーー!!!!??
メリアローズは驚きすぎてその場で失神しそうになってしまった。
こんなに驚いたのは、昨年のダンスパーティーの場で、ユリシーズが突如リネットへの愛を公言した時以来かもしれない。
そのユリシーズも、呆気にとられたように奇妙な戦士に釘付けになっている。
そう、そこにいたのは何故か下手な男装をして出場者に紛れ込んでいる、ロックウェル男爵家の令嬢――ジュリアだったのだ。




