78 元悪役令嬢、勝利の乙女になる
メリアローズの兄、アーネスト――ひいてはマクスウェル公爵家にウィレムとの仲を認めてもらうためには、彼が今年の王国祭の剣術大会で優勝しなければならない。
それと同時に、メリアローズにもある役目が振られることとなったのだ。
「勝利の乙女役……ですか?」
「あぁ、メリアローズも知っているだろう?」
「もちろんです」
王国祭での剣術大会は、名目上は勝利の女神に捧げる大会となっている。
その勝利の女神の代行者……というと偉そうだが、単に女神の代わりに戦いを見守り優勝者に栄誉を与える役割を、毎年選ばれた若い娘が担うことになっている。
どうやら今年はメリアローズが、その「勝利の乙女役」に選ばれたようだ。
……というよりも、きっとこの目の前の兄が手を回した結果なのだろう。
「古来より勝利の乙女は戦の当日まで、一人神殿に籠り禊に入っていたようだよ。さすがに今はそこまでは求められていないが……くれぐれも、夜会で遊び歩いたりといった俗っぽい行いは避けてくれよ」
しばらく、メリアローズは兄の言葉の意味がわからずにぽかんとしてしまった。
だがすぐに彼が何を言おうとしているのかを察し、思わず笑みがこぼれてしまう。
――兄さま、気を遣ってくださったのね……。
パスカルは騎士団に捕まり、未だ拘留されたままだ。
彼がメリアローズに復讐しにやって来る……可能性はほぼゼロに近いだろうが、それでもメリアローズは怖くなってしまうのだ。
パスカルも、あの日のような夜会の場も。
あの夜の事件は、ごく限られたものにしか知られていない。
だが元々パスカルが後ろ暗いものを抱えていたのは、公然の秘密と言っていいほど人々には知られていた。
パスカルが社交の場から消えても、人々は「それみたことか」と訳知り顔で囁き合っているのだ。
メリアローズは彼らの憶測交じりの噂話のことを考えると、どうしても気が重くなってしまう。
だから、パスカルがいなくなった今となっても、そんな夜会のことを考えると憂鬱で仕方なかったのだ。
おそらく兄はメリアローズに「勝利の乙女役」という大義名分を与えて、しばらく社交の場を休ませてくれようとしているのだろう。
「そうですね……私も勝利の乙女になりきるために、目立つ行動は控えようと思っていましたの」
「それがいい。メリアローズは演技が得意だから、心配はしていないけどね」
一年間悪役令嬢を演じた時のことを言っているのだと気がついて、メリアローズは羞恥で頬が熱くなるのを感じた。
◇◇◇
いくら社交の場を休むと言っても、さすがに学業は休めない。
数日間ゆっくり心身を落ち着け、メリアローズは学園へと復帰を果たしたのだった。
だが、そのたった数日の間に学園の中ではとんでもない噂が広まっていたのだった。
「メリアローズ様ぁぁ! 今度の王国祭の剣術大会で優勝した相手がメリアローズ様のお婿さんになるって話は本当なんですか!!?」
校門をくぐった途端突進してきたジュリアに、一息でそんなことを問いかけられ、メリアローズは一瞬フリーズしてしまった。
「……ちょっと待って、ジュリア。落ち着きなさい」
「落ち着いてなんていられませんよぉ!! ものすごいゴリマッチョなひとだったらどうするんですか!? メリアローズ様意外とゴリマッチョ好きだったりするんですか!?」
「あぁもう! 落ち着きなさいと言っているでしょう!!」
明らかに周囲から好奇の視線が突き刺さっている。
……ということは、単にジュリアの早とちりではなく、実際にそのような曲解された噂が広まってしまったのだろう。
――まったく、なんでそうなるのよ……!
メリアローズが今年の「勝利の乙女」を務めることは既に公表されている。
そこから最近の求婚ラッシュや何やらで噂に尾ひれがついてついてつきまくって……こんな状態になってしまったのだろうか。
大声で慌てるジュリアをなんとか宥めようとしていると、小走りで見覚えのある姿がこちらにやってくるのが見えた。
「メリアローズ様、ジュリアさん。少しあちらでお話をしませんか」
そう切り出したのは、今日は隣に王子を伴っていないリネットだった。
一刻も早くこの場を逃げ出したかったメリアローズは、一も二もなく頷く。
「ほら、行くわよジュリア」
「わーん、メリアローズ様がゴリラの餌食に……」
いったいどんな想像をしているのか、涙ぐむジュリアを引っ張って、メリアローズはリネットに先導されるがままにその場を後にした。
さすがに王子の婚約者であるリネットがいるとなると、パパラッチのように追いかけてくる生徒もいない。
後の王妃であるリネットの心証を悪くしたくはないのだろう。
「まったく、次から次へと厄介ごとが降って来るわね……」
「あぁ、おいたわしやメリアローズ様……」
もうパスカルの顔を見なくてすむと思っていたらこの騒ぎだ。
まだまだ平穏な日々は遠そうね……とメリアローズはため息をついてしまった。




