74 元悪役令嬢、事情を知る
ウィレムは泣きじゃくるメリアローズをずっと抱きしめてくれていた。
その暖かなぬくもりに縋りながら、メリアローズはだんだんと落ち着きを取り戻す。
ウィレムの服に顔を押し付けていたことに気がつき慌てて離れようとすると、そうはさせないとばかりにまた抱きすくめられてしまう。
「……苦しい」
「我慢してください。今だけは」
耳元でそう囁かれ、強張っていたメリアローズの体から力が抜ける。
苦しい……けど、嫌じゃない。
先ほどパスカルに触れられた時は鳥肌が立つほどの嫌悪感があったが、今はむしろ……
「パスカル・スペンサーのことですが」
急にその名を出されて、メリアローズの体がびくりと跳ねた。
そんなメリアローズをなだめるように、ウィレムがそっと背中を撫でてくれる。
「……事情を、説明しようと思ったんですが、今は――」
「いいえ、聞きたいわ」
何故パスカルが急にこんな手に出たのか、それに何故アンセルム、ウィレムが助けに入って来たのか。
そして、何故ウィレムはアンセルムと同じく騎士の装いをしているのか。
今のメリアローズにはわからないことだらけなのだ。
もう体の震えはおさまっていた。メリアローズは毅然とした表情に見えるように、気を引き締めて顔を上げた。
するとウィレムも心配そうな表情を崩さなかったが、小さく頷いてくれた。
「パスカル・スペンサーは以前からマークされてたんですよ」
「マーク?」
「えぇ、あなたも聞き及んでいるとは思いますが、密売、違法賭博、人身売買斡旋……裏で様々な悪行を働いていたと」
その噂はメリアローズも知っている。
アンセルム、ウィレム、バートラム……何度も忠告されたのだ。
パスカルには気をつけろ……と。
「特に、隣国へ赴いていた時は酷かったようで……危うく外交問題にも発展しかけたと」
「そうだったの……」
メリアローズのような、なんちゃって悪役令嬢ではなく、彼は本物の悪人だったようだ。
今更ながらに、彼に粘着されていたメリアローズはぞっとしてしまう。
「今まではスペンサー公爵家の力である程度は揉み消されていましたが……さすがにスペンサー家もこれ以上は無理だと悟ったんでしょうね。内々にパスカルを廃嫡するという話が進んでいたようです」
「えっ!?」
「パスカルもそれを感づいて、焦ったんでしょう。そこで、マクスウェル公爵家の娘であるあなたを抱き込めば、スペンサー家もおいそれと廃嫡はできないと踏んだんでしょう」
「そう……私と結婚してしまえば、マクスウェル公爵家という後ろ盾ができると考えたのね」
そこでメリアローズは、やっとパスカルの執着の理由を悟った。
追いつめられた彼は、起死回生の手段としてメリアローズを使おうとしたのだろう。
マクスウェル公爵家の娘であるメリアローズを娶ったとなれば、スペンサー家もおいそれとパスカルを冷遇できなくなる。
パスカルを冷遇するということは、その妻であるメリアローズ――ひいてはマクスウェル家への敵対行為ととられかねないからだ。
パスカルの狙いは、そこにあったのだろう。
――やっぱり彼は「マクスウェル公爵家の娘」としての私にしか価値を見出してはいなかったのね……。
公爵家の娘として、メリアローズ今まで様々な恩恵を受けてきた。
だが、決していいことばかりではないのだ。
「もう後がないと悟り焦ったパスカルは、強引な手を使ってでも……あなたを手に入れようとしていた」
「…………そうね」
再び強く抱きしめられて、メリアローズは素直にそのぬくもりに身をゆだねた。
あまりにも理解を超えた出来事が起こりすぎて、もう意地を張る余裕もなかったのだ。
今はただ、この傍らのぬくもりに身を預けていたかった。
「パスカルは公爵家の人間。いくら騎士団と言ってもやすやすと手が出せる相手ではありません。でも一度現場を押さえ、身柄を拘束してしまえば……王の名のもとに、きちんと捜査がなされ裁かれるはずです」
――現場を押さえ……あぁ、私への監禁容疑って、そういうことだったのね……。
ぼんやりとそんなことを考えていたメリアローズは、ふと顔を上げウィレムと視線を合わせた。
「そう、それで……どうしてあなたはそんな事情に通じているのかしら」
マクスウェル公爵家の娘であるメリアローズでさえ、そこまで詳細な事情は知り得なかったのだ。
それを何故、ウィレムが知っていたのだろう。
そう問いかけると、ウィレムはどこかばつが悪そうに視線を逸らした。
「それは、その……」
「いいから白状しなさい」
ウィレムの胸にぎゅっと顔を押し付けて、もごもごとそう告げると、頭上からぼそぼそと声が聞こえた。
「あなたが……俺では力不足だというから」
「っ!」
『そうよ、あなたでは力不足だわ』
ウィレムをパスカルから遠ざけようと、メリアローズは確かに彼にそう告げた。
今思い出しても……親身になってくれた彼に対する酷すぎる言葉だ。
「……ごめんなさい」
「別に、いいんです。何か理由があるのはわかってましたから」
「えっ?」
思わず顔を上げると、ウィレムはどこか呆れたように笑っていた。
「あなたが何の理由もなくそんなことを言う人でないということは、よくわかってるつもりです」
その言葉に、メリアローズの胸は熱くなる。
……彼は、ちゃんとメリアローズのことを見ていてくれたのだ。
「それに、力不足なのは確かでしたから。だから……パスカルに対抗できるだけの手段を用意しようと思って」
そう言って、ウィレムは自身の身に纏う騎士服を引っ張ってみせた。
パスカルに対抗できるだけの手段……騎士団?
「それで、アンセルム様に……?」
「えぇ、兄の力を借りるというのは少し情けないとは思いましたが……ちょうどパスカルの尻尾を掴もうとしていた兄と利害が一致しまして」
「あなた……騎士団に入ったの?」
「いえ、今はあくまで体験入団中です」
「えぇ……?」
果たして騎士団にそんな制度はあったのだろうか。少なくともメリアローズは聞いたことがない。
メリアローズにはどうしても、アンセルムとウィレムがごり押しした結果だとしか思えなかった。
「騎士団であれば、ある程度の権限は与えられている。何とかパスカルの魔の手からあなたを遠ざけられると思ったんですが……」
そこで彼は言葉を切ると、意気消沈したように俯いた。
「……すみません。あなたをこんな目に遭わせるなんて……全部、俺のせいです」
「もう、何言ってるのよ」
メリアローズがそっと投げ出されたウィレムの手を握ると、彼の肩がびくりと跳ねた。
「あなたは、ちゃんと私を助けてくれた。……私の騎士としては、まぁ及第点ではないかしら?」
彼を元気づけたくてわざと高飛車にそう告げると、ウィレムは狙い通り小さく笑ってくれた。
その表情に、メリアローズはほっとしたものである。
「でも、あの時のあなた……うっかりパスカルを殺すんじゃないかってひやひやしたわ」
「あなたが止めなければ、たぶんそうしてたと思います」
「えっ!!?」
場を和ませるための冗談かと思ったが、ウィレムは至極真面目な顔をしていた。
その反応に、メリアローズは驚愕してしまう。
「そ、そんなことすればあなただって……!」
「最悪、国外逃亡も視野に入れてました」
「ちょっとちょっとちょっと……」
彼はこんなに過激な人物だっただろうか。
メリアローズは白目をむきそうになるのを何とか堪えて、心を落ち着けて彼に向き直る。
「まさか、あなたがそんなことを考えてたなんて……」
「自分でも浅はかだとは思いますが……それも、いいかと思ったんですよ」
「え?」
「国外逃亡。叶うならば……あなたと一緒に」
逃がさないとでもいうように、しっかりとメリアローズの手を握って。
意志の強さを感じさせる翡翠の瞳でメリアローズを射抜いたまま……彼は、静かにそう告げたのだ。




