73 元悪役令嬢、救出される(イラスト有り)
「な、なんだ貴様ら!」
突如現れたウィレムとアンセルム。二人の姿を目にして、パスカルが素っ頓狂な声を上げる。
そんな彼に冷たい一瞥をくれ、ウィレムはずかずかと部屋の中へと足を踏み入れた。
床に倒れたメリアローズと、メリアローズを見下ろすように立っているパスカル。
その光景を目にした途端、ウィレムは動いた。
「……聞こえなかったのか」
「ヒィッ!!」
そのまま彼はパスカルの喉元に剣を突きつけた。その切っ先がわずかに皮膚を裂いたのか、パスカルの喉からはつぅ……と一筋の赤い線が走った。
パスカルが情けない悲鳴を上げ、喉を逸らす。
「即刻、その人から離れろ」
「わかった! わかったから剣を引け!!」
ウィレムがほんの数センチ剣を引くと、パスカルは弾かれたように身を引いた。
ゆっくりと身を起こしたメリアローズは、ただ呆然とその光景を眺めることしかできなかった。
――これは、夢? 私の願望が見せる幻なの……?
だが、そんなメリアローズをよそに事態はどんどん進んでいく。
「貴様ら……誰に何をしているのかわかっているのか!?」
「お言葉ですかパスカル殿。残念ながらハーシェルの人間は気性が荒いので、挑発的な言動は慎んだ方がよろしいかと。……命が惜しいのならね」
パスカルが食って掛かるが、近づいてきたアンセルムは笑顔で受け流す……というより脅しをかけたのだ。
そのままウィレムを諫めるどころか自身まで剣を抜いたアンセルムに、パスカルはまたもや情けない悲鳴を上げ身を竦ませていた。
「それでは……パスカル・スペンサー殿。メリアローズ・マクスウェル嬢への監禁容疑で、身柄を拘束させていただきます」
「なっ!?」
「連れていけ」
アンセルムが合図すると、吹き飛ばされた扉の向こうから同じく黒の騎士服を身に纏った者たちが現れた。
彼らはへたり込むパスカルの元に近づき、強引に連行しようとしているようだ。
「やめろ! 俺が誰だかわかっているのか!?」
「えぇ、もちろん。スペンサー公爵家の跡取り……いつまでその立場でいられるかはわかりませんがね」
アンセルムが笑顔のままひやりと告げた言葉に、パスカルの表情が固まる。
そのまま騎士たちがパスカルを連れて行こうとしたが、彼は最後のあがきのようにメリアローズの方を振り返った。
「メリアローズ!」
「ひっ!」
身を竦ませたメリアローズをパスカルの視線から庇うように、ウィレムが立ちふさがる。
「メリアローズ! 君の方から何とか言ってくれ! 俺たちは相思相愛で――」
「黙れ」
往生際悪く世迷言をほざくパスカルの首の真横の壁に、ウィレムが勢いよく剣を突き刺した。
あと少しでもずれていれば、パスカルの命はなかっただろう。
今もウィレムが少し腕を動かせば、簡単にパスカルの命を奪える状態なのだ。
「ウィレム……!」
さすがに公爵家の人間であるパスカルを害せば、ウィレムの立場も身も危ない。
宥めるようにそっとウィレムの腕に触れると、彼ははっとしたようにこちらを振り返る。
メリアローズが必死に首を横に振ると、彼は意気消沈したかのように俯いた。
「……すみません」
ウィレムが剣を引いたのを確認して、アンセルムは周囲の騎士たちへの指示を再開した。
「お前たちは先に行け。この場の処理は俺が」
そのまま騎士たちは、呆然自失状態のパスカルを引きずるようにして部屋を出て行った。
その間ずっと、メリアローズは震えながらウィレムの腕にしがみついていた。
ウィレムの体から、確かな温度を感じる。
だから……夢や幻じゃない。
部屋に残されたのは、メリアローズとウィレム。それに、彼の兄であるアンセルムの三人のみだった。
「……メリアローズ嬢」
アンセルムにそっと声を掛けられ、メリアローズはおずおずと顔を上げる。
「もう少しことが落ち着いたら、我々が責任を持ってマクスウェル公爵邸へと送り届けさせていただきます」
「…………はい」
「私は少し用がありますので、それまで護衛は弟に任せたいと思います」
「ぇ……?」
「ウィレム、頼むぞ」
「わかってます」
アンセルムはそのままメリアローズに向かって優雅に一礼すると、ちらりと気遣わしげな視線を向け部屋から退出した。
その場に残されたのは、メリアローズとウィレムの二人だけだ。
あまりにもわけがわからない状況に、メリアローズは混乱したまま何と言っていいのかわからなかった。
きっと、何を言っていいのかわからないのはウィレムも同じだったのだろう。
しばしの間、二人は無言で視線を合わせることもできなかった。
「……メリアローズさん」
やがて、静かに口を開いたのはウィレムの方だった。
俯いていたメリアローズがそっと顔を上げると、彼はまるで溢れる激情を押し殺すような、そんな表情でこちらを見ていたのだ。
その、普段は落ち着いた彼らしからぬ表情に、メリアローズは思わずどきりとしてしまう。
ウィレムの腕が、戸惑いがちにそっとメリアローズの背中に回される。
そして、強く引き寄せられた。
「……遅くなって、すみません」
彼の腕も、声も震えていた。
その暖かなぬくもりに包まれた途端……凍り付いていたメリアローズの体と心が、温度を取り戻した。
「……なんで、来たのよ」
「えっ?」
「だって、私……酷いこと、言ったのに……」
――『そうよ、あなたでは力不足だわ』
そう言って、メリアローズはウィレムを手ひどく拒絶したのだ。
だから、彼がこうして助けに来るわけなどないと思っていたのに……。
震える声でそう零すと、ウィレムはいつものように優しく笑った。
「……あなたが素直じゃないのは、よくわかってるつもりですから」
――ウィレムは、許してくれた。
――あんなに酷いことを言ったのに……私を、助けに来てくれた。
そう意識した途端、今まで抑え込んでいた感情が一気に溢れ出してくる。
「っ……!」
瞼の奥から熱いものが込み上げる。
こらえきれなくなって、メリアローズは衝動のまま目の前の体温に縋り付いた。
「ばか、ばかぁ……!」
確かなぬくもりは、夢や幻じゃない。
ウィレムの胸に顔をうずめるようにして、メリアローズはひたすらに泣きじゃくったのだった。




