69 元悪役令嬢、隣国の王子に諭される
メリアローズは、時折考えてしまうのだ。
もし自分がマクスウェル公爵家の娘ではなかったら、いったいどうなっていたのだろうかと。
幼い頃からメリアローズは、公爵家の娘としてどこに出しても恥ずかしくないように、厳しく作法を躾けられてきた。
身に着ける物はすべて一級品。
まるで磨き抜かれたような宝石のような「マクスウェル家のご令嬢」
それが、メリアローズの価値なのだ。
だがそのメリアローズから「マクスウェル家の娘」という要素を取り払ったら……いったい、何が残るというのだろう。
「……なるほどな」
静かに思案するメリアローズを見て、ロベルトがぽつりとそう呟いた。
彼には……メリアローズの気持ちがわかるのだろうか。
「確かに、考えたことはある。もし俺が王子でなかったら、今頃は何をやっていたのだろうか、周りの者は俺をどう思うか、とな」
――いつも余裕たっぷりなロベルト様でも、そう思うのね……。
ドキドキしながら次の言葉を待つメリアローズの前で、ロベルトは困ったように笑う。
「だが、そんなことはいくら考えても詮無きことだ。他にどんな可能性があったにしろ、今の俺は王子として生まれついている。そして、そんな俺についてきてくれている者がいる」
ロベルトはふと真面目な顔つきになると、どこか遠くを見るように目を細めた。
「結局は皆、配られたカードで勝負することになるんだ。だったら、今の俺の手札を最大限に生かし、やってみようと思ってな。俺は、俺を慕ってくれる者たちのためにも、この道を進み続けると決めた」
ロベルトの真摯な言葉に、メリアローズは胸を打たれるようだった。
――彼は……立ち向かっているのね。
空想に逃げるメリアローズとは違い、彼は今の自分の立場を受け止め、歩み続けているのだ。
そんな彼が、メリアローズにはどこか眩しく思えた。
「俺には俺の苦労があるように……メリアローズ嬢。君は君の苦労があるんだろう。だが……これだけは忘れないで欲しい」
ロベルトの強い意志を秘めた瞳がメリアローズを射抜く。
どきりとしたメリアローズの前で、ロベルトは優しく笑った。
「君の周りには、君を支えようとしている者たちがたくさんいる。ユリシーズ、リネット嬢……他にもな。どうも君は一人で頑張りすぎる傾向があるようだ。もう少し、周りを頼ってもいいんじゃないか」
真剣な声でそう告げられて、メリアローズの心が大きく揺らいだ。
――不思議、まるで心を見透かされてるみたい……。
ここ最近のごたごたで弱った心に優しく声を掛けられ、気を抜けば泣いてしまいそうで、メリアローズはぎゅっとスカートのすそを握り締めた。
そんなメリアローズをなだめるように、ロベルトはぽつぽつと言葉を紡いでいく。
「あくまで俺の私見だが……君の周りに集まる者たちは、君が『マクスウェル家の令嬢』だから君の傍にいるのではないはずだ。君は、君自身が思うよりもずっと、多くの者に好かれている」
ロベルトの言葉に、メリアローズは顔が熱くなるのを感じた。
途端に恥ずかしくなって俯くと、ロベルトはそんなメリアローズを見てくすりと笑う。
「もちろん、俺もそんな一人なのだが」
「そんな……ご冗談をっ!」
「冗談ではないさ。俺の胸でよければ、いつでも飛び込んでくるといい」
ほら、と腕を広げるロベルトに、メリアローズは思わず笑ってしまった。
どうやら彼はメリアローズが思っていた以上に、気さくな人物のようだ。
くすくす笑うメリアローズに、ロベルトも満足そうに目を細める。
「……ユリシーズとリネット嬢が、ここ最近の君のことを心配していた。何か、困っているのではないかとな」
「ぁ…………」
「君には君の事情があるのだろう。だが……今夜俺が言ったことを、忘れないでくれ」
メリアローズには、彼の押し付けがましくない優しさが有難かった。
彼はあくまでメリアローズの意志を尊重しようとしてくれている。
そのうえで、アドバイスをしてくれているのだ。
――そうね、私はもう少し周りを見た方がいいのかもしれないわ……。
状況は何も変わってはいないが、メリアローズは少しだけ肩の荷が下りたような気分になっていた。
考え方を少し変えただけで、随分とすっきりした気分になるものだ。
――ウィレムに、謝らなきゃ……。
危険から遠ざけるためとはいえ、彼には随分と酷いことを言ってしまった。
ウィレムは、いつもメリアローズを心配してくれていたのに。
先ほどロベルトに「もう少し周りを頼った方がいい」と言われた時に、真っ先にメリアローズの心に浮かんできたのは……ウィレムのことだったのだ。
――謝って……もう一度、ちゃんと相談するべきね。
「……お心遣い、感謝いたします。ロベルト様」
「いい顔になったな。やはり君はそうやって笑っている方がいい」
「もう、お上手ですのね!」
「……なるほど、さすがは難攻不落の『マクスウェルの至高の薔薇』か」
何故か苦笑するロベルトに首をかしげながら、メリアローズはすがすがしい気分になっていた。
道が開けた、そんな気がしていたのだ。
「さて、そろそろ帰ろうか。あまり君を連れまわしていると、マクスウェル公に消されかねんからな」
冗談めかしてそう言ったロベルトの言葉に笑いながら、メリアローズは足取りも軽く立ち上がった。




