8 悪役令嬢、ヒロインにジャブを打つ(後)
とりあえずメリアローズは、軽く仕掛けることにした。
「そういえばジュリアさん。あなた、ユリシーズ様と親しいんですってね」
あなた、どの面下げて人の婚約者に近づいてるのかしら?……という牽制である。
マクスウェル公爵家のメリアローズにこんなことを言われれば、通常の神経の持ち主ならすぐさま泣きながら謝罪し、身の安全を図って逃亡の計画まで企てるところである。
だが、このジュリアは違ったのだ。
「えぇ、そうなんです! 前にちょっと王子様に助けてもらったことがあって!!」
ジュリアは、満面の笑みを浮かべて明るくそう口にしたのだ。
トップシークレットを堂々と大声でしゃべるんじゃなーい!!
そう叫びそうになるのを、メリアローズはなんとかこらえることに成功した。
しかし待って欲しい。それって堂々と言っていいことなのか!?
王子は家臣たちに田舎娘との恋をひた隠しにしてきたというのに、ジュリアの方はまったく気にする様子もなくこんな白昼堂々とくっちゃべっている。
果たしてそれでいいのか!?
白目をむきそうになるのをなんとかこらえて、メリアローズはにこりと笑ってみせた。
「あらそうだったの。ユリシーズ様はお優しい方ですものね。私も婚約者として誇らしいわ」
ここぞとばかりの婚約者アピールである。
オホホ、あなたの意中の男性は既にわたくしのものですのよ!……という強烈なパンチを繰り出してやったのだ!
メリアローズは勝利を確信した。
悪役令嬢の「私は婚約者よアタック」の前では、田舎娘風情は惨めに敗走するしかないと思っていたのである。
しかし、そんな正攻法はこの田舎娘には通じなかったのだ。
「メリアローズ様とユリシーズ様はご婚約されてるんですよね! わぁ、お似合いですね!!」
ジュリアがそう口にした途端、確かに食堂内の空気が凍り付いた。
食堂のあちこちから、ばたばたと慌ただしく席を立つ音が聞こえてくる。
勘のいい生徒は、メリアローズの裁きの雷が落ちないうちに逃げ出そうとしているのだろう。
しかし当のメリアローズ自身は、頭が真っ白になって雷どころではなかったのである。
なんだ、これは挑発なのか!?
悪役令嬢を攪乱しようとする、ヒロインの高度な作戦なのか!!?
「あら、ありがとう」と軽く応えつつ、メリアローズは必死に頭をフル回転させる。
このジュリアという女、中々の強敵ではないか……!
こうなったら、次なる作戦を仕掛けなければ。
メリアローズはちらりとジュリアの広げる弁当に目をやった。
かわいらしいお弁当箱に、ミニトマト、ウィンナー、スクランブルエッグといった庶民的なおかずが詰まっている。
普段貴族が口にしている物とは大違いの庶民メニューだ。
そこで、メリアローズは思い付いた。
そうだ、庶民弁当を持ってきたジュリアの前で超豪華メニューを頂いて、格の違いを見せつけてやろう。
そうすれば、ジュリアも心が折れ愛しの王子に泣きつくことであろう。
王子は愛しのジュリアを虐めたメリアローズに怒り、ますますジュリアにのめり込んでいくはずだ。
これぞ悪役令嬢! メリアローズは今度こそ勝利を確信した。
「あらジュリアさん、それがあなたのお昼ですの?」
さも驚いた風を装って、メリアローズは嫌味っぽくそう口にしてみせた。
まさか、そんな豚の餌のようなものをこの豪華食堂で食べる気がないでしょうね、と聞こえるように。
するとジュリアは、少し恥ずかしそうにはにかんで見せたのだ。
「その、お恥ずかしながら……毎日食堂のメニューを頼むようなお金がなくって……」
メリアローズは扇子で口元を隠しつつも、にやりと口角を上げた。
今度こそ、今度こそはいけそうではないか……!
さぁ、ここで豪華メニューの見せびらかしを……と構えたところで、メリアローズは気がついた。
メリアローズは食堂にやってきてまっさきにジュリアに声をかけたのだ。つまり、まだ昼食を注文していない。
今から注文しに立ち上がるのも間抜けな気がするし、取り巻きたちに取ってこさせるにしても、その間はジュリアが庶民弁当を食べるのを指をくわえて見ていなければならないのだ。それも間抜けな絵面である。
さてどうするか、と内心焦ったメリアローズの元に、その時フォローの女神は現れた。
「メリアローズ様、こちらを」
そう言ってトレイに乗ったプレートを差し出してきたのは、メリアローズの筆頭取り巻き、「王子の恋を応援したい隊」の一員、リネットであった。
メリアローズは天の助けとばかりに感謝した。
これでジュリアと食堂に集まっている生徒たちに醜態をさらさずに済みそうである。
「牛フィレ肉のポワレです」
え、真昼間からそれいっちゃう?……と思わないでもなかったが、確かにジュリアはメリアローズの前に置かれた皿を食い入るように眺めているではないか。
なるほど、効果はてきめんのようだ。
「す、すごい……お昼間からそんなに分厚いお肉を……!」
「分厚い? そうかしら」
こんなの日常ですわ、という意味を込めて、メリアローズはにっこりと笑ってみせた。
さあ見るがいい、ヒロインよ。これが悪役令嬢の(金の)力である……!
完璧なテーブルマナーで肉を切り分けつつ、メリアローズは心の中で大笑いをした。
表面上は穏やかな空気で、メリアローズは豪華ランチを、ジュリアは庶民弁当をそれぞれ食べていく。
そして、ある程度食事が進むとメリアローズは優雅にナプキンで口元を拭い、音を立てないように静かに椅子を引いた。
「あれ、もう食べないんですか?」
不思議そうにジュリアが問いかけた通り、メリアローズの皿はまだ中身が半分ほど残っている状態だったのだ。
メリアローズは扇子で口元を隠しつつ上品に笑うと、格の違いを見せつけるように言ってやることにした。
「えぇ、このくらいで十分ですわ。よろしければ、残りを食べてくださっても結構ですのよ」
それだけ言い残すと、メリアローズは颯爽と食堂を後にした。
残り物を食べさせるなど、まごうことなき侮辱である。
今頃食堂に残してきたジュリアは、屈辱に打ち震えていることであろう。
そしてその様を目にした生徒たちは、メリアローズの非道な悪役令嬢っぷりに憤り、ジュリアの幸せを願うようになるのだ。
「ふふ、うふふふふふ……!」
これぞ悪役令嬢!
食堂の戦いは、メリアローズの完勝と言ってもよいだろう。
「オーホッホホホ!」
つかの間の勝利に酔いしれるメリアローズは、知る由もなかったのである。
まさか食堂に残してきたジュリアが、「これがノブレス・オブリージュというんですね……!」と感激しながら、メリアローズの残した牛フィレ肉のポワレを完食したことを……。
そして、二人の戦いはさらなる局面を迎えることとなるのである。