66 元悪役令嬢、厄介貴公子と対峙する
ウィレムに決別の言葉を告げたその晩にも、メリアローズは休むことなく夜会に出席していた。
シンシアやメイドたちには顔色が悪いので休んだ方がいいと散々勧められたが、メリアローズが聞かなかった。
――私が、逃げるわけにはいかないのよ。
今夜もやってくるであろうパスカルを見張り、牽制し続けなければならない。
彼がウィレムに何かするのではないかと思うと、うかうか休んでもいられないのだ。
「やぁメリアローズ。今宵の君はいつにもまして美しいね」
「今晩は、パスカル様。そうおしゃっていただけて嬉しいわ」
ちらちらと、にこやかに会話を交わすパスカルとメリアローズの元に、あちこちから視線が集まってくる。
「やっぱりお似合いね」
「婚約間近って噂もあながち嘘じゃないみたい」
「ユリシーズ王子以外なら、パスカル様くらいしかこの国でメリアローズ様に釣り合う御方はいないよなぁ」
「でもパスカル様って――嬢のことも……」
「しっ、昔の話よ!」
ひそひそと囁かれる声に、メリアローズはいら立ちを隠すように微笑んで見せた。
――なんとでも言えばいいわ。私は絶対にこいつに屈したりなんてしないんだから……!
パスカルがいくらそれらしく振舞おうと、メリアローズが首を縦に振らなければただの噂のままなのだ。
これは、パスカルとメリアローズの根競べ。持久戦である。
そしてメリアローズは、もちろんパスカルに屈するつもりはなかった。
彼がメリアローズを諦めるまで、戦い、逃げ切る心づもりはできていたのである。
「俺と踊って頂けますか、お姫様?」
「はい、喜んで」
パスカルに手を取られ、メリアローズはダンスフロアへと歩みだす。
そのまま流れるように彼と踊り始めたが、その心は驚くほど冷え切っていた。
「……表情が硬いな。皆にも悟られるよ」
「申し訳ありません。少し、考え事をしておりましたの」
「麗しの美姫の悩みの種……いったい何なのだろうねぇ」
あなたの存在が一番の悩みの種よ……! と、にやにや笑うパスカルの顎先に頭突きしたくなるのをなんとか抑え、メリアローズは優雅に微笑んで見せた。
きっとパスカルには、ある程度メリアローズの考えは悟られていると思った方がいいだろう。
いい加減脈がないと悟って引いて欲しいものだが、彼はいつまでもこうしてメリアローズにしつこく粘着してくるのである。
――……不思議、全然違うのね。
こうして踊っていると、どうしても先日のウィレムとのダンスと比べてしまう。
パスカルのダンスは見事なものだ。
だが、ウィレムの時のような、舞い上がるような気分には到底なれそうにもない。
感じるのは、緊迫感と不快感。
それでも周囲に悟られないように、メリアローズはなんとか笑顔を取り繕っていた。
隙あらば接近してくるパスカルをかわし、なんとか一曲踊り終えることができた。
だが、曲が終わったその途端に、パスカルは握ったままだったメリアローズの手を引き、よろめいたメリアローズを軽く抱き留めたのだ。
「な、なんですの……?」
「メリアローズ」
耳元で囁かれ、ぞわりと鳥肌が立つ。
その拍子に表情がこわばってしまったが、構わずにパスカルは続けた。
「もう少し、二人で話をしよう」
……まるで、先日のウィレムの行動の再現のようだ。
込み上げる不快感を飲み込んで、メリアローズはあえてパスカルの挑発に乗ることにした。
――私は、あなたの思い通りにはならないわ。
そう告げるようにパスカルを見つめると、彼は余裕の笑みを浮かべた。
……その態度に気圧されそうになったが、メリアローズはそう悟られないように積極的にパスカルの腕に腕を絡める。
「参りましょう、パスカル様」
「……本当に、君はおもしろいね」
そして二人は、人気のないテラスへと姿を消したのである。
「ウィレム君は元気かい?」
開口一番、パスカルはそんなことを言いだした。
……これでメリアローズを脅しているつもりなのだろうか。
メリアローズはパスカルから体を離し、冷たく言い放つ。
「えぇ、おかげさまでね」
「……君も強情だな。言ってごらん、俺の何が不満なんだ」
人目がないせいか、パスカルはあからさまに眉を顰め、不快感をあらわにしている。
その態度が気に障り、メリアローズはつい彼を睨みつけてしまった。
「色々ありますが……一番はわたくしの友人を人質にとるようなその言動ですわ」
「友人、ね……。彼も可哀そうに」
「……何をおっしゃりたいのですか」
そう問いかけると、パスカルはやれやれと肩をすくめた。
そして、いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべるのだ。
「メリアローズ、もう恋の駆け引きは十分だと思わないかい? 俺たちは……そろそろ決着をつけるべきだ」
「申し訳ありませんが、おっしゃる意味がわかりませんわ」
「……よく考えるべきだ。他国の人間や、中途半端な奴に嫁ぐよりも、俺の方がいいとは思わないか? 君は今まで通り、この国で不自由ない生活を送ることができる。侍女もメイドも好きなだけ連れて来ればいい。今までの生活に、ただ、俺の妻という肩書がつくだけだ」
……それが一番の問題だというのに、いったい何を言ってるのだろう。この男は。
「パスカル様こそ、引く手あまたではありませんか。何もわたくしにこだわらずとも、あなたをお慕いする方はたくさんいらっしゃいますわ」
「……君に比べれば雑草だよ。やはり俺には高貴な薔薇がふさわしい」
……やはり彼がメリアローズを欲するのは、お飾りの妻として箔をつけたいというただそれだけの理由のようだ。
そのあまりの言い草に、メリアローズは軽蔑を込めてパスカルを睨みつけた。
「パスカル様、雑草という名の植物はありませんわ。皆それぞれ、素敵な名を持っているのです」
メリアローズの侮蔑の視線を受けても、パスカルは少しも臆することはなかった。
「……君は変わったな。昔はもっと、言われるがままのお人形のようなレディだったのに」
「人は変わるものです、パスカル様」
「誰の物にもならない、マクスウェルの至高の薔薇、か……。だからこそ、手折りたくなる」
パスカルの手が、ゆっくりとメリアローズの方に伸ばされる。
メリアローズは静かに、そして毅然と、その手を払いのけた。
「お戯れを」
「……くくっ、やはり君はおもしろいな」
一瞬、パスカルの目が怪しくきらめいた。
メリアローズは小さく息をのんだが、次の瞬間パスカルはやれやれと肩をすくめたのだった。
「……戻ろうか。いつまでも君を独占していては、国中の貴公子たちの恨みを買ってしまうからな」
「あら、それはわたくしもですわ。あなたに夢中なレディに怒られてしまいますもの」
パスカルは極めて紳士的にメリアローズをエスコートし、会場へと戻っていく。
――これで終わり……というのは楽観的すぎるわよね……。
結局その夜は、それ以上パスカルが近づいてくることはなかった。
だが、油断は禁物だ。
今頼れるのは自分だけ。
メリアローズはたった一人で、彼と戦わなければならないのだから。
◇◇◇
あれ以来、ウィレムとはきまずい空気のままだ。
彼はどこか忙しそうに、必要以上にメリアローズと視線を合わせることはない。
――当然よ、あれだけ酷いことを言ったんだもの……。
以前のように優しくしてほしいと願うのは……虫が良すぎるだろう。
これでよかったのだ。メリアローズの近くにいなければ、ウィレムがパスカルに排除される危険もなくなるのだから。
なのに、メリアローズはどうしても寂しいと感じてしまうのだ。
いつか、パスカルの脅威が完全に取り除かれたのなら…もう一度、ウィレムとの関係も修復できるだろうか……。
「……はぁ」
ため息をつきつつ校門の近くまでやって来たメリアローズは、見覚えのある人物を見つけた。
その相手もメリアローズに気づいたようで、声をかけてきた。
「やぁ、メリアローズ嬢か」
「ロベルト殿下。今お帰りですか?」
そこにいたのは、隣国からの留学生――ロベルト王子だった。
彼に声を掛けられ、メリアローズは努めて普段通りに応対しようと気を張る。
「そのつもりだが…………」
ロベルトがメリアローズの方を見つめ、何か思案するように眉を寄せた。
―ーな、何か変かしら……!?
メリアローズは定期的な身だしなみチェックを欠かさない。
先ほど確認した時もおかしな点はなかったはずだが……何かおかしなことをしてしまったのだろうか。
静かに焦るメリアローズの前で、ロベルトはゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……メリアローズ嬢、今夜の予定は?」
「……? エイミス家のお屋敷での舞踏会に出席する予定ですの」
「そうか。悪いがキャンセルしてくれ」
「え?」
呆気にとられるメリアローズの前で、ロベルトは近くの馬車から使用人を呼び寄せた。
「悪いな、マクスウェル家に使いを出してくれ。ご息女の今宵の舞踏会は欠席になると」
「承知いたしました」
「ちょっ……ロベルト殿下!?」
慌てるメリアローズに、ロベルトは余裕たっぷりの笑みを浮かべて告げた。
「済まないな、メリアローズ嬢。君の時間を少しだけ俺にくれないか?」
「いったい、何を……」
「俺とデートしよう」
ロベルトはひどく愉しそうな笑みを浮かべて、そう告げた。
…………デート?
………………デート!!?
近くで様子を見守っていた生徒たちの黄色い声が聞こえ、メリアローズはこれが現実だということを嫌でも悟ってしまったのであった。
【お知らせ】まさかの書籍化です!
本作「悪役令嬢に選ばれたなら、優雅に演じてみせましょう!」が、なんと書籍化してしまいます!
詳細は活動報告に掲載しました。よろしければそちらの方もご覧ください。
これもすべて読んでいただいている皆様のおかげです。いつもありがとうございます!
2章もまだまだ続きますので、これからもお付き合いいただけると嬉しいです!!




