65 元悪役令嬢、決別の言葉を告げる
翌朝メリアローズが登校すると、思った通りにウィレムが校門で待ち構えていた。
わずかに緊張しながらも、メリアローズはそれを悟られないように微笑んで見せる。
「おはよう、ウィレム」
「……おはようございます、メリアローズさん」
ウィレムの表情は硬い。
すれ違う生徒が二人の間に漂う緊迫した空気に、「何事か!?」と振り返るほどには。
「少し話したいことがあるんですが」
「申し訳ないけれど、放課後にしてもらっていいかしら。授業に遅刻したら大変だもの」
ゆったりとそう告げると、ウィレムは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに頷いてくれた。
……これで、少しだけ時間の猶予ができた。
精々、覚悟を固めなければ。
「おはようございます、メリア姉様!」
「おはよう、ジェイル。いい天気ね」
いつものように寄ってきたジェイルに軽く挨拶をしながら、メリアローズはそっと息を吐いたのだった。
◇◇◇
そして迎えた放課後、メリアローズは学園の片隅のベンチに、ウィレムと並ぶようにして腰かけていた。
遠くには爽やかにテニスを楽しむ生徒たちの姿が見える。
だが、話を聞かれるほど至近距離には誰もいないようだった。
「……昨日の夜のことですが」
ウィレムの切り出した話は、やはりメリアローズの予想通りだった。
というよりも、この空気で他の話をすること自体がおかしいのだが。
「パスカル・スペンサーは、やはりあなたを狙っているようですね」
「えぇ、そのようね」
静かにそう答えたメリアローズに、ウィレムは不満な表情を隠そうともしなかった。
「……どうして、そんなに平然としてられるんですか」
「だって、本当に平気なのよ。あの程度、昔からよくあったもの。私が心配なのは、むしろあなたの方ね」
「俺?」
メリアローズの言葉に、ウィレムは目を丸くした。
……彼は、パスカルの敵意に気づいていなかったのだろうか。
だとしたら、やはりメリアローズの考えは間違っていなかった。
「パスカルは、他人の足を掬って蹴落とすことにかけては一流よ。あなたもあまり彼に関わらない方がいいわ」
「そんなこと言ったって、この状況だと――」
「私なら大丈夫よ。対処の仕方は心得ているし……あなたの他に頼れる相手だっているもの」
そう告げた途端、ウィレムの表情がこわばった。
その変化にメリアローズの胸は痛んだが……心を鬼にして言葉を続ける。
「むしろ、あなたが先走らないかどうかでひやひやしたわ」
「……俺は、足手まといだってことですか」
……そんなこと、あるわけがない。
ウィレムはいつだって、メリアローズを支えてくれていた。守ってくれていた。
だが……今はそう言葉にすることはできないのだ。
メリアローズがウィレムに助けを求めれば、ウィレムは必ず応えてくれる。
そして……パスカルの標的にされてしまうだろう。
そんなことは、できるはずがないのだ。
「そう、こんなこと言いたくはないのだけれど……そういうことね」
そう告げた途端、ウィレムの表情が険しくなる。
その剣呑な雰囲気に気圧されそうになるのを、メリアローズは必死にこらえた。
――ここで引いてはダメよ。これは、ウィレムの為なのだから。
たとえここでウィレムに嫌われても、メリアローズはウィレムを遠ざけなければならないのだ。
それが、彼のためにできることなのだから。
「……俺では、あなたを守るのに力不足ですか」
真っすぐにメリアローズの目を見つめ、ウィレムはそう問いかけてきた。
――「そんなことない」と言えれば、どんなにいいかしら……。
これからメリアローズの告げる言葉は、きっと彼を傷つけることになる。
もう、今までのような気やすい関係ではいられなくなるかもしれない。
――もし私がマクスウェル家の娘でなければ、もっと素直でいられたかしら……。
ここで泣いて彼に助けを求めることができたのかもしれない。
夜会や社交などを放り出して、好きに生きることもできたのかもしれない。
だが、「メリアローズ・マクスウェル」である以上はそうはいかないのだ。
どんな時でも、誇り高きマクスウェル公爵家の娘として振舞わなければならないのだから。
だから……メリアローズは、ウィレムに決別の言葉を告げた。
「そうよ、あなたでは力不足だわ」
その途端、ウィレムが唇を噛んでこぶしを握り締めたのが分かった。
その様子を見ていられなくて、メリアローズは視線を逸らす。
――なんて、嫌な女なのかしらね……。
傲慢で、プライドの高い、可愛げのない娘。
集まる貴公子たちが、「マクスウェル公爵家の娘」という点にしか価値を見出さないのにも納得だ。
「……失礼するわ。今夜の準備があるの」
なんとか声が震えないように気を付けて、メリアローズはそう告げてウィレムに背を向ける。
だが一歩踏み出そうとしたところで、背後から声を掛けられたのだ。
「……メリアローズさん」
……振り返ることはできなかった。
きっと、ウィレムの顔を見たら抑えきれなくなる。
彼に縋って、甘えてしまいそうになる。
だから、メリアローズは背を向けたままそっけなく返事をした。
「何かしら」
「くれぐれも……無理だけはしないでください」
その言葉に目頭が熱くなるのを、メリアローズは抑えられなかった。
あんなにひどいことを言ったメリアローズのことを、彼はまだ案じてくれているのだ。
「えぇ、あなたもね」
短くそれだけ告げると、メリアローズは速足でその場を後にした。
何度か廊下の角を曲がり……ついには耐え切れなくなって走り出す。
「っぅ……!」
泣いては駄目だ。
これが最善の方法なのだから。
マクスウェル家の娘は、こんなことで泣いたりなんてしないんだから……!
ぎゅっと唇を噛みしめ次の廊下の角を曲がった途端、向こうからやって来た人物にぶつかり、メリアローズは思わずよろけてしまう。
「メリア姉様?」
「……ジェイル?」
そこにいたのは、今朝会ったばかりの後輩――ジェイルだった。
ジェイルはメリアローズの姿を見た途端ぱっと嬉しそうに破顔したが、すぐに驚いたように目を見開いた。
「メリア姉様、どうして泣いて――」
そう聞こえた途端、メリアローズの頭がかっと熱くなる。
――違う、私は泣いてない。これは正しいことなんだから、泣く必要なんてないんだから……!
「あなたには関係ないわ」
「……もしかして、ウィレム先輩のことで――」
「関係ないって言ってるでしょ!!」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、ジェイルを押しのけるようにしてメリアローズはその場から走り去る。
周囲の生徒たちは、元悪役令嬢が顔を伏せて全力疾走するさまを見て、まるで化け物も見たかのように顔をひきつらせている。
やっと誰もいない校舎の陰にたどり着いて、メリアローズはずるずるとその場に座り込んでしまった。
――私は間違ってない。間違ってないんだから……。
『高慢で哀れなメリアローズ! いつか後悔するわ!!』
かつて言われた言葉が蘇る。
まさしく……彼女の言う通りだ。
だが、メリアローズにはこの生き方しか選べない。
不器用ながらにも、この道を歩み続けるしかないのだ。
「…………行かなきゃ」
今夜もまた夜会の予定が入っている。
ぐずぐずしている時間はないのだ。
何とか自身を叱咤して立ち上がり、メリアローズは背筋を伸ばして歩き出した。
どうせ自分は「メリアローズ・マクスウェル」以外の何者にもなれはしないのだ。
だったら、理想的な公爵令嬢を精一杯演じなければ。
そっと涙を拭い、メリアローズは歩き出した。




