64 元悪役令嬢、思い悩む
パスカルの狙いが分からない。
その事実が、メリアローズを悩ませていた。
なんとか波乱の夜会を終え、うまくパスカルをいなしてマクスウェル邸の自室に帰り着いた途端、メリアローズはぐったりと力が抜けてしまった。
――ウィレムは、大丈夫よね……。
メリアローズが会場を後にした時には、彼はまだレディたちに囲まれていた。
その近くにはアンセルムもいたようだし、今すぐパスカルがウィレムに害をなすことはないだろう。
だが、彼の今後の動きが分からない。
ずきずきと痛むこめかみを抑えながら、メリアローズは必死に思案する。
パスカルは何故だかはわからないが、メリアローズを手中に収めようとしているようだ。
まず、その理由がわからない。
そこで引っかかってしまうのだ。
パスカルがメリアローズに恋い焦がれているとも思えない。
あの男は甘い言葉を囁き、あからさまにメリアローズを特別扱いしている。周囲から見ればメリアローズに熱を上げているように見えるだろうが……その目には、常に冷静な光が宿っているのに、メリアローズは気がついていた。
――私を手に入れて、優越感を得たいのかしら……?
皆がこぞって求婚する公爵家のご令嬢。
その存在を手に入れて、周囲に自慢したいのだろうか。
「……はぁ」
メリアローズは、それなりに自身の容姿に自信を持っていた。家柄についてはこの国でもトップクラスである。
……それが、メリアローズの価値なのだ。
自分でいうのもなんだが、お飾りの妻としては申し分ないだろう。
人々が美しく高価な宝石を欲するように、パスカルはメリアローズを得ようとしているのだろうか。
彼にとってメリアローズ自身は、箔をつけるためのトロフィーのようなものなのかもしれない。
――それにしては、執拗なのよね……。
パスカルは来るもの拒まず、去る者追わずを実践する貴公子だ。
いくら価値があるとはいえ、今の彼のメリアローズへの執着は異様だった。
その理由がわからないので……余計に彼を恐ろしく感じてしまうのかもしれない。
それに……あの、ウィレムに見せた敵意。
あれは明らかに異常だった。
彼は、ウィレムのことをメリアローズを手に入れるための障害物だと認識したのだろう。
……もし今後ウィレムがパスカルの行動を邪魔するようなことがあれば、パスカルは本当にウィレムを排除しかねない。
そう考えた途端、背中にぞくりと悪寒が走る。
――そんなこと、させないわ……!
……ウィレムは、メリアローズを守ろうとしてくれている。
そのことを聞いた時、メリアローズは確かに嬉しかった。
強く抱きしめられた時は、それこそ心臓が爆発してしまうかと思ったほど体が熱くなった。
だが……
――やっぱり、駄目よ。
もしあの場面をパスカルに見られていたら、それこそパスカルはウィレムを排除しようと動いていただろう。
彼ならば、そのくらいはやりかねないのだ。
メリアローズがパスカルを警戒していることは、既に彼には知られている。
そのうえで、彼はメリアローズの出方を見ているのだろう。
――本当に、嫌な男……!
バートラムもパスカルに似た女たらしだが、その本質は全く違う。
パスカルは闇の深い男だ。メリアローズはそう感じていた。
彼は貴族社会のことを知り尽くしている。
同じく公爵令嬢として育てられたメリアローズといえど、一瞬たりとも気が抜けない相手なのだ。
しばらくは、彼に従順な振りをするべきだろう。
もちろん、メリアローズはパスカルの思い通りになるつもりはない。
だが……今のままだと、ウィレムに危険が迫ってしまう。
それだけは絶対に嫌だった。
――今度は、私があなたを守る番よ。
悪役令嬢を演じていた頃から、ウィレムはいつもメリアローズを守ってくれていた。
メリアローズも、彼の厚意に甘えていた部分があったのは確かだ。
だが、今回ばかりは彼を巻き込むわけにはいかない。
メリアローズ自身が、パスカルからウィレムを守らなければならないのだ。
だから……もう、彼に甘えるわけにはいかない。
「そう、よね……」
もっと早くに、そうすべきだったのかもしれない。
だが、メリアローズはずるずると彼に甘えてしまっていた。
彼が一緒にいてくれることに、安心しきっていたのだ。
「ウィレム……」
無意識のうちにそう呟いて、メリアローズは小さな宝石箱を開いた。
ここに収められているのはたった一つ。
とても宝石とは言えない、安物のブレスレットだ。
これは、前にウィレムと王都でデートをした時に、彼がメリアローズに買ってくれたものだ。
「……ふふっ」
あの時のことを思い出すと……今でも自然と笑みがこぼれてしまう。
そっとブレスレットを腕に嵌めると、じんわりと心が温かくなる。
どんな宝石よりも価値がある、メリアローズの宝物だ。
そっとブレスレットに触れて、メリアローズは呟いた。
「私は、大丈夫よ」
そう自分自身に言い聞かせる。
メリアローズは誇り高きマクスウェル家の娘なのだ。
社交の場での戦い方なら、並大抵の相手には劣らない自信がある。
あのいけ好かないパスカル一人あしらえないようでは、マクスウェル家の名が泣いてしまう。
だから、メリアローズは立ち向かわなければならないのだ。
……ウィレムの手は、借りずに。
名残惜しさを断ち切るように、メリアローズはそっとブレスレットを外す。
「またいつか、あなたと……」
たった一日だけ、まるで普通の娘のようにデートを楽しむことができた。
もう一度、あの夢のような時間が過ごせたら……と口にしかけ、メリアローズは迷いを断ち切るように首を振った。
そして丁寧な手つきでブレスレットを宝石箱に仕舞いこみ、ゆっくりと鍵をかけたのだった。




