62 元悪役令嬢、爆発しそうになる
「私の、ため……?」
告げられた言葉の意味を、メリアローズは理解できなかった。
何故ウィレムが夜会にやってくるのが、メリアローズの為になるというのか。
「……そんなことを言って、本当は女の子たちにきゃーきゃー言われたかったんじゃ――」
「なんでそうなるんですか! 違いますよ!!」
呆れたようにため息をつくウィレムを見て、メリアローズは首をかしげる。
やはり、ウィレムの言葉の意味はわかりそうになかったのだ。
「まぁ……今夜は当てが外れたようですけど」
「当て?」
小さく聞き返すと、ウィレムは頷いた。
そして、そっとメリアローズの耳元で囁いたのだ。
「……パスカル・スペンサーが、今夜の夜会に参加しているのではないかと」
「……え?」
急に嫌な相手の名前を出され、メリアローズは思わず眉をしかめてしまった。
そんな顕著な反応に、ウィレムは苦笑する。
どうやらパスカルが今夜の夜会に参加しなかったのが、当てが外れたということらしい。
と、いうことは……
「あなたがここに来たのって、パスカル様が目的だったの……!?」
「……その言い方は語弊がありますが、間違ってはいません」
ふぅ、と大きく息を吐いて、ウィレムはじっとメリアローズを見つめた。
その美しい翡翠の視線に晒されて、じわりと肌が熱を持ったような気がしてしまう。
「……あなたが、パスカル・スペンサーに追い回されて、困っているんではないかと思ったんですが」
どこか言いにくそうに、ウィレムはそう告げた。
数秒して、メリアローズはやっとその言葉の意味を理解することができたのである。
その途端、ぱっと顔が熱くなる。
『俺は、あなたの為に来たんです』
あの言葉の真意は、パスカルからメリアローズを守ろうとしてくれたということだったのか……!?
「なっ……そんなことで……!」
「そんなことって……俺にとっては重要なことなんです」
「な、何言ってるのよ!!」
……ここが暗くてよかった。
メリアローズは心からそう思ったのである。
――顔が燃えるように熱い。
きっと明るい場所であれば、リンゴのように真っ赤な顔になっているのが悟られてしまうであろう。
「べ、別にあなたにそう気を遣われなくても平気よ!」
照れ隠しからそう言い放って、ぷいとそっぽを向く。
その実、メリアローズの心の中は歓喜と恥ずかしさが入り混じってごちゃごちゃになっていたのだった。
ウィレムにそこまで気を遣わせてしまったことを申し訳なく思うのと同時に……それが、たまらなく嬉しく感じてしまうのも事実だった。
だが、羞恥心が邪魔をしてうまく感謝の言葉が出ないのである。
「あ、あなたがいなくても彼を回避するくらい簡単だったわ!」
気がつけば、そんな可愛げのないことばかり口走ってしまう。
――駄目よ、こんな風じゃウィレムも呆れてしまうわ。
そうわかっていても、どうしようもないのだ。
――でも、いつまでもウィレムに頼っていては、また誤解されてしまうわ……。
彼の兄であるアンセルムでさえも、ウィレムがメリアローズに熱を上げている、などという勘違いをしているのだ。
それに……おそらくウィレムには、好意を寄せる相手がいるはずだ。
ここ最近その話が出なかったのであえて気にしないようにしていたが、やはり、このままではダメだろう。
メリアローズがいつまでもウィレムを頼っていては、彼の意中の相手にさえ誤解を与えてしまう可能性もあるのだ。
……そう考えると、つきんと胸が痛んだ。
「……私は、本当に平気なのよ」
悲痛な表情を見られないように、くるりと背を向けて、メリアローズは気丈な声でそう言い放つ。
「こういった場での振舞い方なら、幼い頃からみっちり仕込まれているもの。パスカル様一人くらい、なんてことないわ」
本当はそんな余裕はないのだが……メリアローズはあえてそう告げた。
きっとこういえば……ウィレムも安心してくれるはずだと自分に言い聞かせて。
「だから、あなたに心配されなくても大丈夫なのよ」
――本当に、可愛くないこと。
自分でも呆れてしまうくらいだ。
メリアローズがウィレムの立場だったら、こんなに面倒くさい相手は放っておいて、もっと別の相手の所に向かうだろう。
――それで、いいのよ。
メリアローズのわがままで、いつまでもウィレムを束縛するわけにはいかないのだ。
それこそ、本当に悪役令嬢のようになってしまう。
だから……これでいいはずだ。
「……そうですね」
背後からそう落ち着いた声が聞こえて、メリアローズはばれないようにきゅっと唇を噛みしめた。
「確かにあなたは、俺がいなくても問題ないのかもしれません」
今すぐに縋り付きたくなる衝動を抑え、メリアローズは小さく息を吐いた。
――これでいいの。これでいいのよ……!
気を抜けば、「今のは嘘だ」と叫びだしたくなってしまう。
いかないで、傍にいて……と縋り付きたくなってしまう。
「そうよ。あなたはイザベルの所に戻ったらどうかしら」
そう絞り出した声は、震えていなかっただろうか。
「……メリアローズさん」
背後から、ウィレムの声が聞こえる。
そして次の瞬間、そっと手を握られメリアローズは思わず肩を跳ねさせてしまった。
軽く手を取られ、ウィレムの指がメリアローズの指に絡められている。
その予想だにしなかった展開に、メリアローズは固まってしまう。
「あなたは、俺がいなくても平気なのかもしれない。でも……俺が嫌なんです」
絡めた指を、そっと引かれた。
そして離されたかと思うと……今度はぎゅっと両腕で背後から抱きしめられたのだ。
全身に、彼のぬくもりを感じる。首筋に熱い吐息を感じたような気がして、メリアローズは腰が砕けそうになってしまった。
――…………!!!?!?
もはや心臓が止まっていないのが不思議なくらいだ。
思考回路がショートして、体中がどくどくと燃えるように熱い。
「あなたが俺の知らない所で危険な目に遭っているかもしれないと思うと……もう、どうしようもなくて」
かすれたような、それでいて熱を秘めた声が耳朶をくすぐる。
全身が燃えるように熱い。だが熱くなっているのは……きっとメリアローズだけじゃない。
「メリアローズさん、俺は……」
ウィレムのメリアローズを抱きしめる力が、いっそう強くなった。
そして彼が次の言葉を口にしようとした瞬間――
確かに、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
その途端、ウィレムは弾かれたようにメリアローズの体を離す。
その途端がくりと力が抜けて崩れ落ちそうになってしまったが、すぐに慌てたようにウィレムの手に支えられた。
「……すみません」
「いえ……大丈夫、よ」
なんとか足に力を入れ立つことができた。
その間も、足音はどんどん近づいてくる。
そして、二人の前に姿を現したのは……
「やぁ、メリアローズ。遅くなって済まなかったね」
その姿を見て、メリアローズは無意識にウィレムに縋り付いてしまった。
少しも空気を読もうとせず、悠々とそこに立っていたのは、メリアローズが会いたくなかった相手……スペンサー公爵家のパスカルだったのだ。




