59 元悪役令嬢、悪役令嬢を演じて窮地を切り抜ける(イラスト有り)
アンセルムと共にやって来たのは、確かにメリアローズのよく知る王子の取り巻きの青年だった。
メリアローズは驚きのあまり、落とした扇を拾うのも忘れて、穴が開くほど彼を見つめてしまった。
今日のウィレムは、いつもの見慣れた制服姿ではない。
まるで良家の貴公子のような装いで……いや、実際に彼は良家の貴公子なのだ。
メリアローズはあらためてその事実を実感したのである。
彼のこういった装いを目にするのは初めてではない。
記憶に新しい学期末のダンスパーティーや、その他にも何度か目にしたことはあるはずだ。
それなのに、何故だか今は……どこか普段よりも大人びたその姿から目が離せなくなってしまうのだ。
――あんなに、背が高かった? いつも、あんなきりっとした表情をしてたかしら……。
衣装のせいか、この空間の効果か、まるでメリアローズのよく知るウィレムとは別人のようで、メリアローズは訳もなくどぎまぎとしてしまうのだった。
よく考えれば、彼も伯爵家の人間。三男ということで、熱心に舞踏会に顔を出す令嬢たちのお相手候補にはなりにくいかもしれないが、夜会に参加する資格は十分にあるのだ。
メリアローズはウィレムから目が離せないでいたが、ウィレムの方もじっと一心にメリアローズの方を見つめていた。
広いホールの入り口と中ほどという距離を置いて、二人はただ互いだけを見つめていたのだ。
そして、先に動いたのはウィレムだった。
「――――」
口に動きが、メリアローズの名前を呼んだように見えた。もちろん、周囲の喧騒に掻き消されて声は聞こえなかったが。
そしてウィレムがメリアローズの方へ一歩足を踏み出した瞬間――
「初めましてウィレム様! 私は子爵家の――」
「ねぇねぇ、こっちでゆっくりお話ししましょうよ!」
「ダンスの相手はお決まりで? よろしければ私と――」
一瞬の間に、ウィレムはどこからか湧いて出た令嬢たちに取り囲まれてしまったのだ。
「え、いやあの……」
「あーん、ほんとにアンセルム様にそっくりぃ!」
「ウィレム様はユリシーズ王子とも親しいんですってね!」
「やーん、すごーい!!」
戸惑うウィレムの腕に、甘えたようにしがみつく少女。
その光景を見た途端、メリアローズの頭は一瞬で沸騰しそうになった。
――なによ、メガネの癖に! デレデレして!! いったいなんなのよ……。
何故だか無性に不安になってしまう。
彼はあんなふうにモテたくてこの場にやって来たのだろうか。
そう思うと、不思議とイライラが収まらない。
「失礼、メリアローズ嬢。扇が」
先ほどからメリアローズに熱心なアプローチを続けていた子爵家の青年が、扇を拾って手渡してくれる。
メリアローズは慌てて扇を受け取り、何とか笑顔を取り繕った。
「ふふ、お優しいのですね」
にっこりと微笑むと、彼はまた顔を赤くした。
だが、彼の相手をしながらもメリアローズの意識はウィレムから離れることはなかった。
今まさに、桃色のドレスを身に着けた可愛い令嬢が、ウィレムの手を引きダンスフロアへと連れ出そうとしている。
――なによ、お似合いじゃない……。
何故だかその光景を見ていられなくて、メリアローズはそっと視線を外す。
ウィレムと桃色ドレスの令嬢は、まるで甘い砂糖菓子の飾りのように、お似合いの二人だった。
そう思うと、ずんと心が重くなったような気がして、メリアローズは扇で口元を隠し嘆息した。
――まったく、メガネの奴がらしくなくこんなところに来るから、私がおかしくなっちゃうじゃない……。
普段は学園というカテゴリに属すると思っていたウィレムが、社交界というカテゴリにも進出してきたからだろうか。何故だかメリアローズは、らしくもなく心を乱されてしまうのだ。
子爵家の青年の話に適当に相槌を打ちながら、メリアローズはそっとざわめく胸を押さえた。
「曲が終わったようですね」
気がつけば、ダンスの曲が一つ終わったようだ。
ダンスフロアに残る者。新たな相手を探しに行く者。壁際に退く者。ペアになってテラスや庭園に消えていく男女など……舞踏会を楽しむ者たちは思い思いの行動を取っている。
ぼぉっとその様子を眺めていると、ふと傍らから痛いほどの視線を感じた。
顔を上げると、例の子爵家の青年がメリアローズの方へ熱い視線を送っていたのだ。
「メリアローズ嬢、よろしければ……」
その先に続く言葉を、メリアローズはありありと想像できた。
彼とここまで話したのは、今日が初めてのはずだ。ここでメリアローズと彼が踊れば、少なからず噂になるだろう。
そういった事態を忌避するために、メリアローズはできるだけよく知らない男性とは迂闊に踊らないように気を付けていた。
だが……何故だか今はどうでもよくなってしまったのだ。
まぶたの裏に、ウィレムの腕にしがみつく桃色のドレスの令嬢の姿が浮かんでくる。
きっと彼らは、もうダンスフロアに繰り出しているころだろう。
「私と踊って頂けませんか?」
子爵家の青年の言葉は、一字一句違わずにメリアローズの予想通りだった。
その誘いをうまく断る方法など、数十通りは心得ている。
パスカルのような曲者相手でなければ、ここで彼をはぐらかすことなど簡単だ。
だが……
――なんだか、どうでもよくなっちゃった……。
何故だろう。まるで心が空っぽになってしまったかのように何も感じない。
子爵家の青年は期待を込めた熱いまなざしで、メリアローズを見つめている。
自分でもなんて答えようとしているのかわからないまま、メリアローズが口を開こうとした瞬間――
「失礼、彼女と話しても?」
突如割って入ってきた声に、メリアローズははっと覚醒した。
「なっ、あなた……」
メリアローズは驚いて、再び扇を取り落としそうになってしまう。
まるで子爵家の青年とメリアローズの間に割って入ろうとするかのように、声をかけてきたのは、いつの間にかこんなところに来ていたウィレムだったのだ。
「ど、どうぞ……」
子爵家の青年はあっけにとられたような顔をしていたが、少し眉を寄せてウィレムに場所を譲った。
それもそのはずだ。いくら伯爵家の三男と言っても、伯爵家と子爵家では伯爵家の方が格は上。
ここは引かざるを得ないだろう。
だが、いくらなんでも今まさに令嬢をダンスに誘おうとした瞬間に声をかけるなど、それこそとんでもないマナー違反だ。
いくらこういう場に来ないウィレムとはいえ、さすがにそのあたりの空気は読めるはずだが……。
子爵家の青年がメリアローズをダンスに誘おうとした時点で、注目を浴びていたのには気づいていた。
だが、そこにウィレムが割り込んできたことで、今や多くの人の注目の的になっているのをメリアローズはひしひしと感じていた。
さっと視線を滑らせれば、周りの者は興味津々の様子でこちらを見ているではないか。
更にウィレムの背後、少し離れたところには先ほどの桃色のドレスの令嬢がいる。彼女は少し悔しそうな表情でこちらを眺めていた。
まさかウィレムは、彼女を置いてここに来てしまったのか!?
「ち、ちょっとあなた……どういうつもりなのよ!」
さすがにいろいろと強引すぎる。
何のつもりかは知らないが、もうちょっとうまく事を運べないものか!?
小声でそう食って掛かると、ウィレムは笑った。
「ちょっと、笑うところじゃないわよ!」と言おうとして、メリアローズは何故か何も言えなくなってしまう。
彼の笑顔が、自分に向けられている。
そう意識すると、何故だかとんでもなく恥ずかしくなってしまうのだ。
「メリアローズさん」
「な、なによ」
ウィレムは何を言い出すのだろう。
皆目見当もつかず、メリアローズはどきどきと高鳴る鼓動を感じながら、努めて平静を装う。
「俺と、踊って頂けませんか」
それは。周囲に聞こえるようなはっきりとした誘いだった。
その途端、周囲がわっとざわめく。
……踊って頂けませんか?
誰が、誰を誘ってるの?
まさか、ウィレムが私を…………!!!?!?
そう気づいてしまった瞬間、メリアローズの思考は爆発四散した。
先ほど子爵家の青年に誘われた際には、意識しなくても切り抜け方が浮かんできたのに、今は頭がごちゃごちゃになってしまって何も浮かんでこない。
「な、なな……」
何でウィレムが私を誘うの?
もしかして、私と踊りたいの!?
いかん、落ち着け。
ここは舞踏会の会場で、周りには紳士淑女たちがたくさんいる。
ここで醜態を晒せば、すぐさま社交界中に広まってしまうのだ……!
メリアローズは俯いて心頭滅却し、そして顔を上げた。
「ふん! 同級生のよしみで踊ってあげてもよくってよ!!」
無になった心に浮かんできた解決法。
それは……懐かしい「悪役令嬢になりきる」というものだった。
――ふぅ、なんとか致命傷で済んだわ。
そして燃え尽き灰になりかけるメリアローズは、ウィレムに導かれるままにダンスフロアに繰り出したのだった。




