7 悪役令嬢、ヒロインにジャブを打つ(前)
王子とジュリアが接近しつつある。
その報を受けて、メリアローズはしばしの間バカンスに出かけることにした。
これは、常にメリアローズの目が光っていては、王子もジュリアに近づきにくいだろうという配慮からだ。
入学して一月足らずでバカンスに出かけるなど、通常であれば「学業舐めてんのか」と教師から呼び出されるところであるが、そこは天下のマクスウェル家のメリアローズである。
教師たちも引きつった笑みを浮かべながら「えぇ是非思う存分楽しんでください」と快く送り出してくれたのである。
かくして、メリアローズはしばしの間「悪役令嬢役」であることを忘れ、燦燦と太陽の輝く南の地で存分に英気を養った。
もちろん、侍女のシンシアと愛猫のチャミも一緒である。
そしてご満悦のメリアローズが学園に戻ると、そこでは空気が一変していた。
「まったく、あんな田舎娘がユリシーズ様に近づくなんて……!」
「不敬にもほどがありますわ!!」
どうやらメリアローズが不在の間に、ユリシーズはうまくジュリアと急接近を果たしたようだ。
そして歩くスピーカーと化したリネットとウィレムの尽力のおかげか、そんな二人の間柄は既に学園中が知ることとなっていたのである。
やるではないか、とメリアローズは心の中でユリシーズを見直した。
てっきりユリシーズがヘタレて二人の仲が進展しなかった時のことも考えていたが、どうやらその心配はなさそうである。
「きっとあの田舎娘が不相応にユリシーズ様に迫っているのよ!」
「そんなの許せませんわ!」
「……皆さん、落ち着きなさい」
ぱちん、と扇を閉じると、その途端猿山のサルのようにわめいていた取り巻きたちは、水を打ったように静まり返る。
メリアローズはそんな彼女たちににっこりと笑いかけ、静かに口を開いた。
「ユリシーズ様はお優しい方ですもの、きっとそのジュリアさんのお力になりたかったのよ」
「いいえ、メリアローズ様――」
「でも……」
含みを持たせ言葉を切ると、取り巻きの令嬢たちがごくりと唾をのむ音が聞こえた。
そしてメリアローズは優雅に扇子を広げ、にこりと優しげな笑みをこぼした。
「そのジュリアさんとやらと、わたくしもお話ししてみたいものですわ」
その途端、メリアローズを中心とした一角にブリザードが吹き荒れる幻影が見えた、と後に無関係な生徒は語る。哀れな田舎の娘は、学園の女王――誰も逆らえない公爵令嬢の怒りに触れてしまったのである。
メリアローズの怒りの矛先がこちらに向かないように……と臆病な生徒は震えながら教室を飛び出していく。
その様子を見て、メリアローズは満足げに口角を上げた。その実「これぞ悪役令嬢!」と内心で自画自賛をしまくっていたのである。
そしてランチタイムになると、メリアローズは取り巻きたちを引き連れて颯爽と食堂へと向かった。
ジュリアがいつも食堂で自作の弁当を食べているということは既にリサーチ済みである。
まず悪役令嬢メリアローズは不相応にも婚約者に近づく田舎娘に、格の違いを見せつけて心をへし折ってやるのだ。
メリアローズの一団が食堂に足を踏み入れると、既にジュリアは席に着いていた。
ここロージエ学園は王族貴族が通う超ブルジョア学園である。
当然食堂と言っても、下町の食堂と一緒にしてはいけない。
各一流店から引き抜いたシェフが腕によりをかけた料理に、王宮にも引けを取らない調度品。
その分お値段は張るが、そこは王侯貴族の学園。このくらいはなんともないのである。
ぐるりと食堂を見渡すと……大きな長テーブルの片隅に、確かにジュリアがぽつんと弁当を広げているではないか。
ジュリアは心優しく、誰からも愛される少女である(とウィレムの情報にはあった)。
今も何人かの生徒がジュリアに声をかけようとしていたが、彼らはメリアローズの姿を見た途端顔をひきつらせて退散していった。
いくらジュリアに好意的な者でも、マクスウェル公爵家のメリアローズを敵に回す度胸はなかったのだろう。
これは好都合、とメリアローズはかつかつと靴音を鳴らしながらジュリアに近づき、ぽかんと顔を上げた彼女に優雅に声をかけた。
「ご一緒してもよろしいかしら」
その途端、食堂の各所から「ヒィッ!」と怯えたような声が上がる。
王子の婚約者であるメリアローズが、王子と懇意の純真な女生徒に声をかけている。
まさに今、悪役令嬢とヒロインの戦いの火蓋が切られたのだ……!!
「あ、空いてますのでどうぞ!」
そんな周囲の空気を知ってか知らずか、ジュリアはにこりと笑って自身の座る正面の席を指し示す。
これにはメリアローズも驚いた。
まさか、学園の女王たるメリアローズに臆せず普通に席を勧めてくるとは!
驚きすぎて普通に座ってしまったではないか!!
メリアローズがジュリアの目の前に着席したことによって、取り巻きだけではなく食堂にいた他の生徒まで、ひそひそとこちらに注目してるのがありありとわかってしまう。
落ち着け、落ち着くのよメリアローズ……!
悪役令嬢は必死に自分自身にそう言い聞かせた。
まさか、偉大なる悪役令嬢が片田舎の男爵令嬢ごときに負けることなどあっていいはずがないのだ!!
ここは公爵令嬢として、王子の婚約者としての格の違いを見せつけてやるのである……!
「マクスウェル公爵家のメリアローズ様ですよね? 私、ロックウェル家……ほんとにお恥ずかしいほど田舎の家なんですけど、そこのジュリアと言います!」
えぇ知ってます。……とは言えなかった。
しかしこのジュリアという少女、メリアローズに臆することなく普通に自己紹介してくるとは……さすがは王子を振り向かせるだけのことはある。
これが公爵令嬢メリアローズだったなら普通に自己紹介を返しただろうが、今は悪役令嬢なのだ。
悪役令嬢が愛想よくヒロインに応対するなどあってはならないのだ……!
「ロックウェル……ごめんなさい、存じませんわ」
そんな片田舎の小貴族など知らん!……という思いを込めて、メリアローズは嫌味たっぷりにそう返した。
貴族にとって、自身の家の知名度が低いというのはかなりの恥ずべきことなのである。
それだというのに……
「あは、やっぱりそうですよね! えへへ!!」
ジュリアはまったく気にする様子もなくぽりぽりと頭を掻いて、てへぺろ、と軽く舌を出して見せたのだ。
その深窓の令嬢らしからぬその仕草に、メリアローズは思わずひっと息をのんでしまう。
こいつ、できるっ……!
今までにないタイプのジュリアに、メリアローズは明らかに押されていた。
しかし自分は悪役令嬢。ここで撤退することなど許されるはずがないのだ……!
メリアローズの頭の中で戦いの始まりを告げるラッパの音が盛大に鳴り響いた。
さあ行け、悪役令嬢よ!……と指揮官の号令も聞こえてくる。
「そうね。あなたとは、一度前からお話ししてみたいと思っていたの」
さあ、次はこちらのターンだ……!
メリアローズは潔く突撃の覚悟を決めた。
後編は夜に投稿予定です。