58 元悪役令嬢、憂鬱な夜会に挑む
社交シーズンを迎え、メリアローズは日々舞踏会や晩餐会に忙殺されていた。
学園の生徒たちの中には学業そっちのけで、この時期に遊びまわる者もいるようだが、メリアローズは学生の本文は勉学であると思っていた。
もちろんそちらもおろそかにしたくはなかったので、昼は学業、夜は社交と気が抜けない生活を送っていたのである。
――仕方ないわ。どちらも捨てられないんだもの。
マクスウェル家の娘である限り、社交を投げ出すことはできない。
かといって、学園の成績が下がるようなことがあれば、それもマクスウェル家の恥だ。
「素敵です、お嬢様!」
今もメイドたちに着付けを任せ、これから夜会に繰り出すところである。
鏡を覗くと、ふんわりとした淡い金糸雀色のドレスを身に纏った、美しい令嬢の姿が映っていた。
少し疲れがたまっていたのか、ぼぉっとしている間にドレスアップが完了していたようである。
ふむ、と鏡で自身の姿を確認していたが、さすが公爵家選りすぐりのメイドたちである。
見事なメイク技術で、見事に疲れた顔をカバーしている。
ぱっちりとした瞳に、艶やかな唇。それに、みずみずしい乙女の美肌が完璧に演出されていたのである。
「きっと、どの殿方もお嬢様に夢中になりますわ!」
「そうね……ありがとう」
できればあまり夢中になって欲しくはないのだが……一生懸命着飾ってくれたメイドたちの前でそんなことは言えるはずはない。
メリアローズはにっこり笑って彼女たちに礼を言い、扇で口元を隠しそっとため息をついた。
メリアローズはもうすぐ17才。順調にいけば、今年で学園を卒業する年だ。
さらに勉学に励みたい者は上級課程である大学に進むという選択肢もあるが、ほとんどの女生徒はそうすることはない。
在学中に相手を見つけ、卒業と同時に婚約もしくは結婚、というパターンも多いのだ。
メリアローズは演技の為にユリシーズと婚約(仮)を結び、そして円満に解消した。
つまり、今のメリアローズがフリーだということは、国中に知れ渡っているのだ。
だからこそメリアローズがひとたび社交の場に出れば、誰か相手を見つける前に自分こそが……とチャレンジ精神旺盛な貴公子たちが殺到するのである。
――まぁ、普通の相手なら簡単にあしらえるのだけれど。
ここ最近メリアローズを悩ませているのは、その「普通の相手」ではないのだ。
「ねぇシンシア。今夜の舞踏会、パスカル様はいらっしゃるかしら」
さりげなくそう口にすると、侍女のシンシアは極めて事務的に答えてくれた。
「はい、参加されると伺っております」
やっぱりかー、と、今度こそメリアローズは大きくため息をついてしまった。
そう、メリアローズを悩ませているのは、以前執拗にメリアローズを追いかけてきた男――スペンサー公爵家のパスカルなのである。
メリアローズは単にあの夜たまたまパスカルがそういう気分だっただけで、次の機会には別の女性を追いかけていて欲しいと願っていた。
だが、そうはいかなかったのである。
パスカルは夜会大好き男だ。
メリアローズが参加する夜会には、たいてい彼も参加している。
そして厄介なことに……彼は毎度毎度、何故か強引にメリアローズにアプローチを仕掛けてくるのだった。
悔しいことに、社交会での彼は、メリアローズ以上に場慣れしていると言ってもよかったのだ。
だからこそ、恐ろしい。
メリアローズもなんとかパスカルから距離を置こうと頑張っているのだが、奴はそんなバリケードを容易に潜り抜け近づいてくるのだ。
最近では、メリアローズとパスカルが婚約間近、などという噂も流れ始め、メリアローズは辟易していたのである。
「お嬢様、いっそお休みされては……」
「駄目よ。私はマクスウェル公爵家の娘なの。ここで逃げるわけにはいかないわ」
メリアローズが怠惰な娘だと見られれば、それはマクスウェル家全体の評判に影響を及ぼしかねない。
多少無理をしてでも、メリアローズは完璧な令嬢であらねばならないのだ。
「お嬢様……」
「大丈夫よ、シンシア。だって私は悪役令嬢だって完璧にこなしてみせたのよ」
そう言って胸を張ってみせたが、シンシアの表情は曇ったままだった。
◇◇◇
メリアローズが舞踏会に姿を現すと、すぐさま周りに人が集まってくる。
話しかける人々に笑顔で応えながら、メリアローズは慎重にあたりを見回した。
……よし、パスカルの姿はない!
今夜はあの迷惑男のことを気にせずに済む、と考えると、自然と笑みが零れ落ちる。
「メリアローズ嬢、何か良いことでもあったのですか?」
「ふふ、なんだと思います?」
今目の前にいるのは……王宮勤めの子爵家の青年だったか。
何度かさりげなくアプローチを受けている相手ではあるが、パスカルに比べたら遥かに御しやすい相手だ。
あの厄介なパスカルに比べれば、こんなのイージーモードよ!……と上機嫌で微笑むと、その途端に子爵家の青年は顔を赤くした。
「こ、今宵の貴女は……一段とお美しいですね……」
「あら、お上手ですのね」
あのパスカルだったら更にねちっこく迫ってくるところであるが、目の前の青年はぽぉっとした表情でしどろもどろになっているようだ。
その隙を狙ってか、更に別の貴公子が話に入ってくる。
彼らを適当にあしらいながら、メリアローズは扇で口元を隠し、にやりと口角を上げたのだった。
――あぁ、パスカルがいないだけでこんなに楽なんて!!
悪役令嬢の時の癖で勝利の高笑いを披露しそうになったが、慌てて喉の奥へと飲み込む。
―ーいけないいけない。今の私は公爵令嬢メリアローズなのよ!
今思えば、悪役令嬢を演じるのはそれなりにストレス発散になっていたのね……とメリアローズが昔を懐かしんだ時、ふと会場の入り口が騒がしくなった。
「見て、アンセルム様がいらしゃったわ!」
貴族令嬢たちの黄色い声に、メリアローズは興味を惹かれそちらを振り返る。
なるほど、そこにはシックな黒の騎士服を身に纏った男性――以前メリアローズを助けてくれた、アンセルムがいたのだ。
『いいのです。俺も弟と同じく、あまりこういう場は得意ではないのです。上司の勧めでとりあえず顔は出したので、もう義務は果たしたかと』
以前彼が言っていた言葉を思い出し、メリアローズはくすりと微笑んだ。
彼もあの人好きのする笑顔の裏では、メリアローズのようにこの状況に辟易していたりするのだろうか。
「アンセルム様がいらっしゃるなんて……来てよかった!」
「今夜はどなたかと踊るのかしら……?」
どうやらアンセルムはうら若き乙女たちの間ではかなりの人気を誇っているようだ。
若くして「聖騎士」の称号を得た貴公子。しかも容姿端麗、実力も申し分なく、出世街道を驀進しているといってもいいのだ。
そりゃあ人気が出るでしょうね……と遠巻きに眺めていると、メリアローズはふと彼の背後が騒がしいことに気がついた。
「アンセルム様、こちらの御方は……?」
「はい、今日は弟も連れてきたんです。後学の為にね」
アンセルムに群がる乙女たちの後方……そこに現れた人物を見て、メリアローズは思わずぽろりと扇を取り落としてしまった。
「まぁ、アンセルム様の弟君でいらっしゃるのね!」
「お兄様によく似ていらっしゃるわ……!」
きゃあきゃあと嬉しそうにはしゃぐ令嬢たちに囲まれているのは……まぎれもなく、メリアローズがよく知る人物――ウィレムであったのだ。
「ウィレム……!?」
小さくつぶやくと、まるでその言葉が届いたかのように……確かにウィレムはこちらを向いた。




