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54 聖騎士の弟、元悪役令嬢に忠告する

 アンセルムのおかげでなんとかパスカルから逃げ切り、メリアローズは事なきを得た。

 しかしあのパスカルの態度は異常だった。彼は酷い女好きであり、見境なく令嬢たちに手出しはしていたが、そこまで一人の相手を追いかけたりするようなことはなかったはずだ。

 なのに、昨夜はメリアローズを追いかけてきた。あのパスカルが、逢引でもないのに夜会を途中で飛び出すなんて考えにくい。どうにも不可解である。


 ――いったい、なんなのかしら……


 まさか本気でメリアローズに惚れたとは考えられない。

 他国に赴く前の彼は、会うたびにメリアローズを褒めはしたが、あそこまで熱心に迫られたことはなかったのだ。

 あの態度、何か裏があるとしか思えないのだ。


 ――また厄介なことにならないといいのだけれど……


 ため息をつきつつ、いつものように校門をくぐる。

 するとそこには、もうお馴染みのジェイルが待ち構えていたのだ。


「おはようございます、メリア姉様」

「おはよう、ジェイル」

「荷物、お持ちしますよ」

「いいえ、このくらいは平気よ」


 ジェイルはいつもこのように声をかけてくれるが、メリアローズはできるだけ彼に荷物を持たせたりはしないように気を付けていた。

 視線を上げると、ジェイルは幸せそうな顔をしてメリアローズの方を見つめている。

 更にその後ろでは……新入生とみられる女生徒たちが、どこか悔しそうな顔をして遠巻きにこちらを眺めているではないか。


 ――どんなふうに見えてるのかしら。今の私は。


 まさか得意気に人気の男子生徒を侍らせる、悪役令嬢のようには見えていないだろうか。

 別にジェイルが悪いわけではない。ないのだが……

 そう考えると、ついため息が出てしまう。

 弟のように思っていた少年の変貌に、いまだメリアローズはついていけていないのだ。

 他にも何人か、挨拶のように花束を押し付けてきた生徒に疲れながら、メリアローズは校舎へ向かって足を踏み出した。


 すると、これはまた見覚えのある姿が目に入り、思わずどきりとしてしまう。


「……ウィレム」


 学園の制服を身に纏っていることから、今度は見間違いじゃない。

 間違いなくメリアローズの知るウィレムだろう。

 ウィレムはいつにもまして真剣な表情で、まっすぐにメリアローズの方へと歩いてくる。


「メリアローズさん。少し、話が」


 儀礼的な挨拶すらせずに、メリアローズの目の前までやって来たウィレムはそう告げた。

 ちらりと時計を見ると、まだ始業時刻には余裕がありそうだ。


「えぇ、いいわよ」


 メリアローズがそう答えると、ウィレムは何も言わずにメリアローズが持っていた花束と鞄を奪い、つかつかとどこかへと歩き出した。

 慌ててその後を追うメリアローズの耳に、女生徒たちの小さな囁きが聞こえてくる。


「ねぇ、ジェイル様が劣勢じゃない?」

「やっぱり、ウィレム様もメリアローズ様のことが――」

「でも、そうなったらジェイル様はフリーよ!」

「馬鹿、あんたなんか相手にされるわけないわ」

「いいなぁ。私もあんなふうにイケメンに囲まれてみたーい」


 ――よくない! 全然よくないから!!


 悪役令嬢を演じていた時は、ああやって噂されることがそれなりに快感でもあった。

 自分は理想の悪役令嬢になっているのだと、メリアローズはよく悦に浸っていたものである。

 だが、その気もないのに誤解でひそひそされるのは……中々気が重い。


 少女たちの囁きを振り切るように、メリアローズは速足でウィレムの背中を追った。






「兄さんから聞きました。昨夜のこと」


 校舎と校舎の間、中庭の一角に備え付けられたベンチに並んで腰かけて。

 ウィレムが開口一番呟いた言葉は、おおむねメリアローズの予想通りだった。


「えぇ、アンセルム様にはご迷惑をおかけしてしまったわ。まさかあなたのお兄様だったなんて」

「……スペンサー家のパスカルが、あなたを執拗に追いかけていたと」

「きっと、気まぐれよ。私にその気がないことがわかれば、すぐに他の女性の所に行くわ」


 本当はまだ不安があったが、メリアローズは努めて気丈にそう告げた。

 ウィレムは、必要以上にメリアローズのことを気にかけている。

 そのせいで事実無根の噂を立てられており、彼の兄までそんなことを言い出す始末なのだ。


 ――きっと、これ以上はいけないわ。


 ウィレムは優しいから、嫌な噂を流されてもメリアローズの傍にいてくれる。

 それはきっと、いつまでもメリアローズが頼りないせいだろう。

 でも、彼のためを思えば、今の状況はよくないものだということはわかる。


 メリアローズとて、ウィレムが女生徒に人気があるということくらい知っている。

 もしかしたら自分は……本当にウィレムにふさわしい令嬢が、彼に近づくのを邪魔しているのかもしれない。

 そう考えると、メリアローズは少し怖くなってしまうのだ。


「パスカルについては、いくつか悪い噂を耳にしています」

「奇遇ね、私もよ」

「……メリアローズさん、俺は真剣です」


 少し苛立ったようにそう言われ、メリアローズは思わず肩を跳ねさせた。


「兄さんが言ってました。貴女はとても無防備だと」

「そ、そんなことないわ!!」

「……誰かと人違いをして、いきなり兄さんの腕にしがみついたそうですね」

「っ……!」


 まさかそんなことまで知られているとは思わずに、メリアローズの頬に一気に熱が集まる。

 昨夜メリアローズは、てっきりウィレムだと勘違いしていきなりアンセルムの腕にしがみついてしまった。

 だがよく考えれば、相手がウィレムだったとしてもいきなり腕にしがみつくなどありえない行動だ。

 昨夜の自分はどうかしていたとしか思えない……!


「……誰と間違えたのか知りませんけど、もう少し相手に注意を払うべきです。大抵の男は、あなたのような女性に触れられれば、それだけで道を踏み外しかねないですから」


 どこか不貞腐れたようにそう言ったウィレムに、メリアローズはまさか……と目を見開いた。

 もしやウィレムは、メリアローズがアンセルムのことを「ウィレムと」勘違いしたとは気づいていないのでは?


 だとしたら不幸中の幸いだ。

 まさか本人に「あなたと間違えて初対面の相手にしがみついてしまいました」なんて知られてるとしたら、今すぐ学園の池に飛び込みたいような気分になってしまう。

 だが、それが他人だと思われているのなら、まだ校舎の壁に頭を打ち付ける程度で済みそうだ。


「だからもう少し自覚を――って、なに嬉しそうにしてるんですか」

「えっ?」

「え、じゃないですよ。ちゃんと俺の話聞いてましたか!?」

「えぇと……今日の学食の日替わりメニューの話だったかしら」

「メリアローズさん……!」


 いきなりウィレムに強く肩を掴まれて、メリアローズは慌てた。


「場を和ませるためのちょっとした冗談よ!」

「真剣な話をしてる最中に場を和ませないでください! まったく、あなたはいつも……」


 これはお説教か……!?とメリアローズは緊張したが、何故かウィレムは肩に置いた手を背中へ滑らせ、メリアローズを片手で抱き寄せたのだ。


「ふぁっ!?」


 昨晩アンセルムに同じように抱き寄せられた時以上に、メリアローズの鼓動は爆発しそうになった。

 一体なぜ、ウィレムはこんなことをするのか!?

 昨晩のアンセルムは、メリアローズをパスカルから庇うようにしてくれた。

 しかしここは学園。パスカルがわざわざやってくるとは考えにくい。

 では何故!?

 ぐるぐると大混乱に陥るメリアローズの耳元に、ウィレムの低くかすれた声が響く。


「無防備で、放っておけなくて、手を離せばすぐにどこかに連れていかれそうで……」

「ひぅ……!」


 耳元でダイレクトに囁かれる言葉に、腰が砕けそうになってしまう。

 こんな風になるのは初めてで、メリアローズはただただ目の前の青年に翻弄されていた。


「メリアローズさん」


 顔をあげれば、すぐ目の前に――鼻先が触れ合いそうなほど近くにウィレムの端正な顔が見える。

 それだけで、メリアローズの頭は沸騰寸前だった。


 名を呼ばれるだけで、体が熱くなる。

 その美しい翡翠の瞳に見つめられると、体も心も溶けてしまいそうになる。


「俺は……」


 彼の熱い吐息が、熱のこもった視線が、メリアローズを絡めとって離さない。

 そして――



 無情にも、始業の時を告げる鐘が学園に鳴り響いたのだ。



 二人は数秒そのまま見つめ合い、そして同時に気づいた。


「「遅刻!!」」


 これでも二人は優等生の範疇だったのだ。

 二人は即座に体勢を立て直し、言い訳を考えながら教室へと全力ダッシュしたのであった。

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