53 元悪役令嬢、聖騎士に出会う
「アンセルム……まさか、聖騎士アンセルム様!?」
――聖騎士アンセルム
その名は、今王都の中で徐々に有名になりつつあるものだ。
優れた騎士の称号である「聖騎士」を若くして賜った青年がいる。
その噂はもちろんメリアローズも知っていた。
だが、アンセルムの名が独り歩きし、家名の方にまで注意を払っていなかったのである。
まさか、ウィレムと同じくハーシェル家の者だとは。しかも、先ほどの言い方からして、おそらく彼はウィレムの兄なのだろう。
驚くメリアローズに、アンセルムはウィレムによく似た顔でくすりと笑ってみせる。
「えぇ、畏れ多くも、『聖騎士』の称号を賜っております」
「その、失礼ですが……ウィレムの、お兄様なのですよね?」
「はい、弟は随分と貴女に熱を上げているようですね」
――熱を上げている、ですって!?
アンセルムがとんでもない勘違いをしているようなので、メリアローズは慌てた。
「ち、違うのです! ウィレムはその、友人であって――」
元々メリアローズとウィレムが行動を共にするようになったのは、大臣の企画した「王子の恋を応援したい隊」の活動を通してだ。
その中で様々な妨害などもあり、気がつけばウィレムはメリアローズの護衛のように振舞うようになっていた。
確かに、学園の中でも彼がメリアローズを狙っているなどと揶揄されることはある。
だが、まさかウィレムの兄にまでそんな風に思われているとは……。
途端に恥ずかしくなって、メリアローズは俯きつつもぼそぼそと訂正を繰り返した。
「ウィレムは、その……わたくしが頼りないから、傍にいてくれるだけであって……」
まさかウィレムも、実の兄弟にそのように勘違いされているとわかれば、気を悪くするだろう。
彼は別にメリアローズに熱を上げているわけではなく、ただメリアローズが不甲斐ないので守ろうとしてくれているだけなのだ。
今のうちに訂正しておかねば。
ますます必死になるメリアローズに、アンセルムはくすくすと笑っている。
ウィレムとよく似た、それでいて大人の余裕を匂わせるアンセルムに、メリアローズは柄にもなくどぎまぎしてしまう。
だが、そんな中聞きたくない声が聞こえてきて、メリアローズは思わず身を強張らせた。
「メリアローズ!!」
聞こえてきたのは、あのパスカルの声だった。
まさかここまでしつこく追いかけてくるとは思わなかったので、メリアローズは慌ててきょろきょろとあたりを見回す。
だが、不幸なことにここは長い廊下の途中で、近くに逃げ込めそうな場所はない。
パスカルに捕まれば、また厄介なことになるだろう。
「大丈夫、任せてください」
そんな時アンセルムに声を掛けられて、メリアローズはおずおずと彼の方を振り返る。
すると、いきなり強く抱き寄せられ、軽く壁際に押し付けられたのだ。
「なっ……!?」
「静かに」
耳元でそう囁かれ、メリアローズは破裂しそうな鼓動を感じながら、アンセルムに身を預けるようにして縮こまった。
すると、メリアローズを隠すようにぱさりと彼のマントが頭から背中に掛けられたのがわかった。
戸惑うメリアローズの元に、パスカルの声と足音が聞こえてくる。
「メリア――おや、貴殿は……アンセルム卿か」
「えぇ、ご無沙汰しております。パスカル殿」
どうやら彼とパスカルは既知の間柄らしい。
和やかに挨拶を返すアンセルムに対して、パスカルはいら立ちを隠そうともしていない。
「失礼だが、マクスウェル家のメリアローズ嬢を見なかったか? こちらの方へ来ているはずだが」
「いえ、見ていませんね。もうお帰りになられたのでは?」
「そうか……ん? そちらの女性は?」
――気づかれた……!
身を固くするメリアローズを、アンセルムは落ち着かせるように抱き寄せた。
「……お互い、余計な詮索はやめませんか? パスカル殿」
「なるほどな、さすがは聖騎士殿。隅に置けないことで」
どうやらアンセルムが密会を装い、うまくメリアローズの姿を隠してくれたおかげで、パスカルは一緒にいるのがメリアローズだとは気づいていないようだ。
二人は一言二言、言葉を交わすと、パスカルがその場から立ち去る足音が聞こえた。
しばらくして、アンセルムがそっとメリアローズに声をかける。
「行きましたよ」
その声で我に返ったメリアローズは、自分がアンセルムに抱き着いているような形なのに気がつき、慌てて身を引いた。
「も、申し訳ありません……! 私、なんてこと――」
「いいえ、お気になさらずに。こちらこそとんだご無礼を」
「そんな、助かりましたわ」
彼のおかげで、うまくパスカルに見つからずに済んだのだ。
そう礼を言うと、ふとアンセルムは真面目な表情になる。
「……パスカル殿には、あまり良い噂を聞きません。お気を付けを」
「えぇ、存じております。ご忠告感謝いたしますわ」
やっと落ち着きを取り戻したメリアローズが完璧な淑女の礼を披露すると、アンセルムは感心するように目を丸くした。
「なるほど、ウィレムが貴方に入れ込む理由がわかった気がします」
「だ、だからそうではなくて……!」
「ふふ、今日は弟も連れてくるべきでしたね。あいつはあまりこういう場には顔を出しませんが、貴女の危機となればすっ飛んでくるでしょうから」
からかうようにそう言われ、メリアローズは自分でも顔が赤くなっているのがわかった。
彼がウィレムによく似ていて……それでいて、どこか大人の色気のようなものを纏っているからだろうか。
どうにも、彼の前だと調子がおかしくなってしまうのだ。
慌てふためくメリアローズにくすりと笑い、アンセルムは手を差し出す。
「よろしければ、今宵は弟の代わりに貴女の護衛を務めさせていただきたいのですが」
「ですが、アンセルム様。夜会の方は……」
「いいのです。俺も弟と同じく、あまりこういう場は得意ではないのです。上司の勧めでとりあえず顔は出したので、もう義務は果たしたかと」
その明け透けな言い方に、メリアローズは思わず笑ってしまった。
どうやら見た目だけでなく、中身の方もアンセルムとウィレムはよく似ているようだ。
だからこそ、メリアローズはアンセルムに対し安心して身を任せることができたのかもしれない。
「それでは、よろしくお願いします。聖騎士様」
彼と並んで歩きながら、メリアローズは自然とウィレムのことを考えていた。
あと数年もすれば、ウィレムもアンセルムのような立派な大人の男に成長するだろう。
その時のことを考えると……何故だか無性に恥ずかしくなってしまうのだった。




